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青磁社通信第三十三号VOL.332025 年 5 月 発行

巻頭作品
常念・有明・餓鬼

小澤實

常念頂上直立の雲彼岸なる
有明頂上のみ覆ふ雲彼岸なる
有明山沢の残雪きらめける
餓鬼岳の巍巍に雪ある彼岸かな
洋菓子屋の瓦屋根照る彼岸かな
駅にすれちがふ電車や春田のなか
全面に日差す春田となりにけり

エッセイ
巻頭詩 消えたノート

佐々木幹郎

何処へ行ったのか
消えたノート
に書かれていたものたち
文字が立ち上がり 青ざめ 憤り
夢の中にも追いかけてきた

いや それは消えたのか
どこかに隠れているはずではないのか
晴れた日の薄曇りの空
男の心はカラッポで
その底に何が残っているのか

消えたノート
に書かれていたのは
悲鳴であった
それは聴こえず
聴こえないまま

世界中の悲鳴の
集まる場所が見える
白い建物に樹木の影や
電線の影が揺らめき
謎めいたものを
なぞろうとする

遠くで白樺の枝が泣いている 
残雪に日が落ちる
樹木の影が雪の上で舞い
ふいにツララが折れて
落ちる

これで充分だ
目覚めたとき
男は横で寝ている猫に声をかける
起きるよ!
猫は亡くなった彼女の姿そのまま

霊魂を受け継いで丸くなり
心臓の音だけを
低く響かせて
さらに眠るのである

男はここまで書いてから
今日は三月二七日であることに気づく
それが何の意味もないのに
「二七」を「二十七」と書くべきか
文字に囚われている自分を悲しむ

それが 悲しみなのか
困惑なのか
そのどちらでもなく
どちらとも言えないまま
時間は確実に進んでいく

昨日 東京駅で見た
彼女と同じ髪型の女性に向けて
男は驚きもせず 呟いたのだった
なぜこんなところにいるの?
何処へ行ってたの?

ずいぶん探したんだから!
さあ 一緒に帰ろう
と言葉は続き
彼女の手を取ろうとして 立ち止まる
そのときふいに 周囲の雑踏の音

男が見ていたのは
過去の自分の背中なのか
それが事実なら 悲しみは確かだ
靄に包まれながら
生きていることは 驚きだ

雨が
雨のなかに降る
降り続ける

短歌も詩も
浜田到作品集『浜田到作品集』

書評 江戸雪

浜田到作品集

 このたび青磁社から刊行された『浜田到作品集』に歌人・浜田到そして詩人・浜田遺太郎の作品が一冊にまとめられたことは、浜田という文学者を知る重い一助となることは間違いない。解説はすでに評伝『浜田到―歌と詩の生涯』を世に出している大井学が執筆、さらに年譜が付されている。
 詩と短歌の関係性について、浜田のアフォリズムを手掛かりに大井学が先述した著書で「太陽を西へ」という詩といくつかの短歌をあげて指摘したのが、「何が『似ているか』ではなく、何が『通底しているか』という視点から」浜田の作品を俯瞰的に捉えることの重要性である。

  耳の少年土より剥がれ昇らむとす夕陽へつめたき風吸はれゆけば

 「耳の少年」という凝縮された垂直の表現がずっと好きであった。世界との関わりが音の脆さあるいは断絶により暗示されていて、まっすぐに天へ昇っていく少年を想像していた。だがこのたび「耳の空に」という詩を読んではっとした。その詩には「空間は 音に溢れ 音に/渇いてゐる」さらに後半で「どこか遠くから知り合ひの風が着き/そつと剥がして空へ墜(お)とした/聞える限りのかすかな音を残して」とある。そこには死後の明るい地平が広がっていると感じたのだ。「耳の少年」の短歌が死そのものを、「耳の空に」の詩は死の在り方を表現している。
 つまり二つの詩型がそれぞれの持つ力を照射しあっているのだ。これは大井学の指摘したこととつながるのではないか。それが短歌と詩のありかた、短歌とは何かということにも広がることを予感する。
 ベールに包まれていた浜田到は、様々な言葉で語られてきた。そのひとつに「前衛短歌の旗手のひとり」というフレーズがある。浜田は岡井隆・塚本邦雄のように饒舌に短歌の存在意義を語るのではなく、詩の良さも体現させながら同時に短歌滅亡論に異議を唱えたということになろうか。地味ではあるが、そういう方法もあったということを、今あらためて感じている。

  どこでも円らな瞳が閉ぢられる時だ空の大きな円だけをのこし

 窒息しそうな息苦しい韻律。死の絶対的な存在感。こんなうたを読むと私は平井弘を思い出す。浜田と平井、そして前衛短歌。激しい論争をせず、群れず、作品によってのみ短歌とは何かを唱えた歌人たち。そんなところからも短歌史を考えてみたいと、『浜田到作品集』を読み返しながらおもう。

大河の岸に立って
大峯あきら句集『大峯あきら全句集』

書評 櫂未知子

大峯あきら全句集

 刊行までに二十年以上を要した第一句集を除き、大峯あきらの句集はおおむね三年から四年間隔で出版されている。そして、第一句集の頃は親を含めた家族が句によく登場するのに対し(二十年以上の歳月を孕む句集だから当然といえば当然だが)、後の句集にはほとんど出てこない。これは「若いときから一貫して俳句の本質を探究」(同書の中村雅樹による解説)してきた作風によるものが大きいと思われる。個人的な環境を作中で明らかにするよりも、詩という普遍的なものの前で、すべての人としての営みは一過性のものであると思ったからなのかもしれない。
 似たことは、「大峯あきら年譜」についてもいえる。この詳細な年譜において、大峯あきらの出自や学業についての記述は最低限あるが、個人的なことがらは、ほぼ皆無である。どこの大学で教えるようになったかとか、ドイツ留学などは記載されているが、その他の内輪的な記述は皆無に等しい。生涯独身であったならばそれも肯えるが、一家をなした人の年譜において、これほどまでに俳句に限定した例を私は知らない。この「俳句に限定」であるが、年譜には哲学書・宗教書の刊行は一応記されている。それは大峯あきらの句業と哲学者・宗教家としての顔とが連動していたからだろう。しかし、この全句集にはもう一つ特徴的なことがある。それは、著書解題がないということである。書誌的なことは各句集の冒頭に記されているから知れるが、句集それぞれについての解題がない。それは、一冊一冊の句集の成立過程や刊行後の俳壇への影響などを個々につまびらかにするよりも、全句集を通読することにより、大峯あきらという俳人の全容が初めて見えてくるという刊行委員会の意志のあらわれだろうか。年譜とも併せて考えると、この『大峯あきら全句集』は、よくある全句集とはかなり異なったつくりになっているのではないかと思えてくる。
 大峯あきらの俳人としての歩みは、中村雅樹による「解説 詩人として生きる」に詳しい。特にドイツ滞在があきらに何をもたらしたかのくだりは興味深く読んだ。
みづうみに四五枚洗ふ障子かな   『吉野』
切干も金星もまだ新しく      同 
金星の生まれたてなるとんどかな  『宇宙塵』
金銀の木の芽の中の大和かな    『短夜』
 筆者の好むあきら句を少し挙げてみた。全句集という大きな河の岸辺に立って、これらの作品及び他の作品を全て読み返してみると、大峯あきらという俳人(詩人)は、その長きにわたる句業において一切の変質がなかったことがわかる。そしてそれがまた、全句集の刊行という偉業がもたらしてくれる唯一にして最大のものではないかと思えてならないのだ。

冴えわたる言葉
江戸雪歌集『カーディガン』

書評 北山あさひ

カーディガン

  霊感のままに歩いた靴底にツツジの花がはりついている

 霊感とは「霊的なものを感じとる心の動き」という意味らしい。第六感ともいう。何かに呼ばれるように歩き回った末に、靴の裏のツツジに気が付いた。書かれてはいないが白いツツジだと思う。それが何かを暗示しているような気がしてならないのはやはり「霊感」という言葉の作用で、そうした言葉を選択する江戸の〈短歌的第六感〉が冴えわたっているのが『カーディガン』である。

  母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない
  電車からみえる墓地には人が居た 空を見ていた 十字架だったかも

 「しゃらんしゃらん」は神社の鈴の音のようでもあり、僧侶が持つ錫杖の音のようでもある。この世とあの世のどうしようもない距離を想起させるとともに、残された者の逢いたい気持ちがその音を鳴らしているようにも思える。「十字架だったかも」は、人と十字架が重なることによって、単なる「見間違いだったかも」という意味を越えて、人間の過去や未来を透視するような遥かさが生じている。「しゃらんしゃらん」も「十字架だったかも」も今の江戸にしか書けない言葉だと思う。

  靴を履くあの世のわたしがありありとわたしを呼んで日は盛りなり
  夏蟬のせまい声域たどりつつ下まつげから溢れる涙
  部屋の灯をおとせば椅子を照らしくる月ありがとう月おやすみね
  ねむりゆくときに肋骨重たかり生き残ったらこんなさびしさ

 言葉の冴えはひとりの孤独や寂しさを浮き彫りにしていく。一首目、幽霊には足がない、などと言ったりするけれど、「靴を履くあの世のわたし」には、あの世とこの世が地続きになっているという印象を受ける。生と死を見つめる中で、白昼夢のような、確信のようなものが濃厚に漂う。二首目は音が映像に置き換わるような不思議な歌。「下まつげ」が秀逸で、哀しみに耐える孤独な表情が見えてくる。三首目、月への語りかけは柔らかだが、どこか張り詰めていて、単なる優しい歌ではない。人の不在を訴えるような、自らの居場所を確かめるような上句と相まって、じんわりと心に沁みてくる。四首目の「肋骨」は本歌集のキーワードだが、その散らばり方と、父の死に収束してゆく過程はまさに「霊感」に導かれるようで驚かされた。
 父と母、あの世とこの世の二重写しを見つめながら、言葉とともに、今は歩み続ける。静かで幽遠な一冊である。

 川底に見える落ち葉の黒光る今は自分の強さをたのむ

富山の一樹
米田憲三歌集『風を抱く』

書評 紺野万里

風を抱く

 『ロシナンテの耳』から二十年、卒寿を迎えた作者の充実の第四歌集。富山の豊かな自然のなかで生きる日々が描かれます。

  氷山のごとき鋭角そばだつる剱岳(つるぎ)吹雪の一夜の過ぎて
  寄せてきし波が渚に残したる青く幽かな生命のまたたき
  いつ来ても落ち葉に埋もるることもなく掃き清めあり柊二、英子碑
  スキーのこと雪滑り木と詠み遺す晶子が訪いしは雪の宇奈月
  若き日に近藤芳美も案内して泊まりし「錦水」閉じて久しも

厳しくも美しい雪の剱岳、「またたく」ように発光するホタルイカの生命、そして宇奈月を訪れて思う歌人たち。慕う人たちによって世話が行き届いている宮柊二と英子の歌碑。スキーが日本に入ったのは明治四十四年、見たままに「雪滑り木」と与謝野晶子が詠んだのはその頃でしょうか。そして、今はない「錦水」で、若き作者は近藤芳美と短歌を論じたのでしょう。
 一方で、それはまた、戦争の影響がいまだ色濃く家族に残る日々でもあります。

  捨石となりて死せるは本望と記せし多くは若人にして
  生還を屈辱として慚愧の念ながく兄の心を苛みいしか
  軍神とはならず帰郷せし十八の次兄の狂気に怯えいしはらから
     令和二年四月十二日、次兄逝く
  コロナ禍のなかを逝きたる次兄のこと嗚咽とともに姪は告げたり

戦争に行くということが、たとえ生還したとしてもその人の一生に、また家族親族に、深刻な翳を落とし続ける。数年前まで、まだ「戦後」という時間の中にあったという事実が、読む者に迫ってきます。
 歌集からは離れますが、同じ北陸に住む私にとって、米田憲三というお名前からまず思われるのは、歌誌「原型富山」です。長く発行人を務めておられました。
 齋藤史が一九六二年に創刊した歌誌「原型」。同じ年に富山支部が結成され、「原型富山」は六十年以上続いています。齋藤史没後二十年以上たっても残る唯一の「原型」として、富山で活動が続いていることに驚き感銘を受けていました。その最新号に現発行人の仲井真理子氏の歌集題に触れた文章があります。

  タイトルが「風を抱く」と聞いた時、すぐに齋藤史先生の歌を思いました。
    野の中にすがた豊けき一樹あり風も月日も枝に抱きて
  …この歌の「野の中の樹」は、齋藤史そのものなのです。富山の地にすがた豊けく立ち続ける一樹、齋藤史。枝に抱く歌の風が、これからも豊かに短歌を生み出してゆくのでしょう。

やさしいハイカロリー
岡田一実句集『醒睡』

書評 小野あらた

醒睡

 俳人にはハイカロリーを好む人と、ローカロリーを好む人がいると思う。この句集の作者はハイカロリー派だが、ローカロリー派の人にこそ読んでほしいと思った。私自身はローカロリー派で、お粥みたいにさらさら読める俳句が好きだ。比較的ハイカロリー派が多い超結社句会に出ると、刺激的で面白いのだが、すぐ胃もたれしてしまう。

  楸(ひさぎ)咲く現(うつつ)いづこも日に傷み
  日白む難波茨が峡(かひ)の径
  萍(うきくさ)の根やみづげぢが揺らし食ひ

 冒頭三句より。ここで、作者の岡田一実はハイカロリー派だと改めて思った。「楸」「難波茨」「みづげぢ」といった名詞へのこだわり、「日に傷み」「日白む」「揺らし食ひ」といった言葉の凝縮具合からそう感じた。私は胃もたれを覚悟した。

  瓶透(しづ)く燈(ともし)まみどり七月来
  茅の輪内外(うちと)に蟬声(せんせい)の濃さ変はらず

 さらさら読める、ということは無い。例えばこちらの句は「しづく」「うちと」と、少し珍しい読み方をしている。一方、描いている景はローカロリーな俳句で登場しても不思議ではないもので、すっと入ってくる。景色はローカロリーでも、読み方が普通と違うため、読むスピードが少し落ちる。普段読み慣れた景でも、頭に入ってくるスピードが違うと、違う味わいが生れてくるものだと思った。

  雛(ひな)の客とはたましひを身のうちに
  石礫(いしつぶて)怒れる蟹を割り棄てに
  又烏瓜の末路の熟知の朱

 ローカロリー俳句の良くないところは、刺激に乏しい点だ。ときどきはハイカロリーな俳句を読んで、刺激を受けて、俳句面での体力をつけるべきだと思う。しかし、いきなり読むと驚くばかりで身にならない。そこを『醒睡』は良い具合に読ませてくれる。まず見慣れた景色の句で「岡田一実リズム」に慣れたところで、次にどっぷりと濃厚な世界に浸からせてくれる。

  糸切れて巣を早のぼる秋の蜘蛛
  孑孒(ぼうふら)のうしろへ横へ手水鉢
  落椿石橋の面(も)に蕊を当て

 ときどき、客観写生に徹した句を挟んで、休憩させてくれるのもありがたい。「休憩」というにはかなり贅沢な、力のこもった作品ではあるが。
 「無季」「自由律」と聞くと、つい後回しにしてしまっていないだろうか。私はそうだ。読んでみれば中々面白いのだけど、つい慣れた有季定型の方に手が伸びてしまう。『醒睡』では抵抗感なく、いつの間にか刺激的な世界を読まされてしまった。

暗闇に立つ
浜崎純江歌集『ポンポン船行く』

書評 山本夏子

ポンポン船行く

  肉親は少ないままになほ減りて願ふはわれが最後になりたし

 あまりにも悲しい願いに涙が出る。夫を亡くし、身体的不自由のある息子との二人暮らしが、飾らない言葉で詠われている。

  目と耳を休憩させると子が寄り来口も休憩してねと頼む
  家に居てもきれいな服でゐてくれと息子が言へり 夫は言はぬに
  嗅覚とへうきんなとこは残りゐて親子で笑ひが止まらぬ時ある

 「口も休憩してねと頼む」ほどおしゃべり好きで、家族思いの息子。運命を悲観したり弱音を吐いたりはしない。病状が重くなっても「嗅覚とへうきんなとこ」は残っている。母の明るさとそれを受け継いだ息子の明るさだけが、暗闇に立つ灯台の光のように、先の見えない二人の日々を照らしている。

  車椅子が壁につけたるキズ跡に添ふやうにして車椅子置く
  子のエンピツを削りつづけた長き日々エンピツ削ればまた子を思ふ
  自由なる二十四時間に慣れなくて白熊みたいに行つたり来たりす

 息子が亡くなったあとの歌は痛切で、何度も胸を締め付けられる。「車椅子が壁につけたるキズ跡」や「削りつづけた」エンピツは、作者の心の傷と重なる。自由になった時間も何をしていいかわからず「白熊みたいに」うろうろする。生きがいを失った喪失感でいっぱいのはずなのに、それでもまだこんなふうに自分の感情より息子のことを思ってしまう。どこまでも深い母親の愛情のなかで、息子は永遠に生き続ける。

  いちにちに何度も思ふこのさみしさ子に味あはせなくてよかつた

魂を継ぐもの
谷夏井歌集『あなたを産んだ日』

書評 山本夏子

あなたを産んだ日

 「林泉」短歌会の代表を務める作者の第一歌集。「林泉」の創始者である鈴江幸太郎を祖父に持ち、父母を経て継承した。

  死の床に母の一生のさち問へばよどみなく答ふる「あなたを産んだ日」
  校正に疲れて眺むる庭木の枝に母をなぐさめし鳥の来てゐる

 歌人の家系に生まれ多くの師に恵まれてきた作者。その最初の師は母だった。死の床の母の言葉を支えに、日々の細部に母の気配を感じながら、母の思いとともに歌の道を歩んできた。

  わが使ふ母の『歌言葉雑記』の表紙裏「共に生くべし」と先生のみ文字に
  祖父もまた母も被りしベレー帽高松歌会へのわが荷に加ふ
  ベランダのデッキブラシに亡き犬の噛みあと深く残りてをりぬ

 母が使っていた本。祖父から譲り受けたベレー帽。犬の嚙みあとが残るデッキブラシ。遺されたものを正しく継承することが自分の使命であるかのように、師、歌友、家族、犬、猫などとの死別の歌が数多く収められている。「人が本当に死ぬのは人々から忘れ去られた時」という言葉があるが、遺されたものをいつまでも大切に思う作者の心が故人の魂を生かしている。

  木枯しにもいまだ落ちざる柘榴の実を確かめ父母の家に入りゆく
  歌あれば哀しみ越えてゆくことも「林泉」ありて吾が知るひとつ

 今も落ちることなく心にある「柘榴の実」。歌が悲しみを乗り越える力になることを「林泉」の存在が教えてくれた。歌に育まれ歌に生きる作者の魂は、祖父や母のそれと同じように、歌の未来へと受け継がれていくだろう。

教師のまなざし
日高智歌集『みつばちのbuzz』

書評 山本夏子

みつばちのbuzz

 高校の英語教諭を定年まで勤めた作者の第一歌集。日常の暮らしのなかでの発見を穏やかな文体で詠っている。教師ならではの視点で見つめる世界には独自性があり、心に響く。

  幼子は口で世界を確かめてときどき世界を飲み込みもする
  真実を知る学力を思うとき敗北感はこころに満ちて

 「世界を飲み込」む幼子。「真実を知る学力」を身につける生徒。新しい知見を得てどんどん世界を広げていく子どもたちの底知れない能力に、大人になってしまった自分は到底敵わない。

  夢はいつもどこかで生徒が困ってるいつも一緒に途方に暮れる

 現実では問題を抱えた生徒と一緒に途方に暮れるわけにはいかないけれど、いつもみる夢のなかではそれができる。表には出せない弱さを自覚している先生は信頼できると思う。

  二度三度確かめて中学の先生に受験票を渡す神事のように
  出題のミスの見出しに怯えつつ最終チェックは眼の乾くまで
  すんまへん、すんまへんと枚数分謝りつづける古印刷機

 子どもたちの人生がかかっている受験の仕事は、「神事のように」「眼の乾くまで」心身の限りを尽くさなければならない。そんな現場に「すんまへん」と音を立てる古い印刷機。体感やユーモアの混じる学校の風景は、臨場感があって趣深い。

  十歳の少女のように春は来る小さな夏の卵を抱いて
  朝礼で注意事項を聴くようにじっと群れいる瀬のゆりかもめ

 「十歳の少女のように」来る春。「朝礼で注意事項を聴くよう」なゆりかもめ。自然を子どもの姿に喩えた表現は秀逸で、それぞれが持つ生命力を重ね合わせ、生き生きとした情景を描き出す。小さなものに寄り添う作者のまなざしがあたたかい。

批評の歌、感性の歌
水口奈津子歌集『水のかたち』

書評 広坂早苗

水のかたち

 一九八八年から二〇二二年までの長い期間の作品を収めた第一歌集で、谷岡亜紀による丁寧な解説がある。まず、近作を収めた冒頭の「Ⅰ」から三首を引く。

  〈妻〉と〈麦〉読み違えたりああ麦になりたし未明の雨に洗われ
  戦地なら銃の重さか七キロの米をかかえてよろけておりぬ
  雨の日も快晴の日も盾となる濃紺の傘をかざして歩く

 一首目、「妻」と「麦」はなるほど似ているが、それなら麦の方がよい、という展開がおもしろい。二首目は、抱えた米の袋から銃の重さへの連想が平凡でなく、三首目も、晴雨兼用の傘が「盾」だと言うのにはっとする。つまりすべて穏やかでない歌なのだが、本来日常はそういうもので、さりげない日常の歌に批評を滲ませるのが、この作者の特長と言えるだろう。

  木犀の香りと思い出すまでの数秒間に秋は来にけり
  はじめての授業参観 母の日に描いてくれた顔をして行く
  左右の手を僅かずらして打ちしのち人はわれより長く祈りつ
  「生涯の友として」古き看板をかかげ万年筆を売る店

 編年体となっている「Ⅱ」から「Ⅴ」の章より各一首を引いた。一首目は、嗅覚が言葉になるまでの一瞬に季節を感じ取る。知的な批評の歌ばかりでなく、このように微かな感覚を捉えるのも、作者の得意とするところである。二首目は一年生になった子の参観に行く歌だが、下句のユーモアが愉しい。三首目は、隣の人と比べて自分の祈りの短さを反省しているのだが、このような人間観察は独特でおもしろい。四首目は、古い看板を見て一昔前の人間関係を懐かしんでいるのだろう。このように感性の働いた歌もまた、本歌集の魅力なのだと思う。

自然の歌と人事の歌
井家上和江歌集『生かされて』

書評 広坂早苗

生かされて

 平成十八年から令和四年に至る十七年間の歌を収めた文庫版の歌集で、作者自身のあとがきに「総仕上げ」とあるように、歌数千二百首を軽く超える充実した一冊である。題字を始めとして家族の書画が使用された装丁も美しい。

  蜂が来て蜆蝶来て蜻蛉来る木洩れ日揺るる庭辺の椅子に
  庭境の川の蛍の群とぶを今宵も愛でて眠りにつくべし
  空青し風もをりをり通ひきて二百十日のこの爽やかさ
  ゴーヤの葉群の下に鳥のはね一つ落ちゐて秋の風吹く

 庭先の植物や小動物を慈しむ歌に魅力があり、本歌集の基調を成している。一首目は、「来て」「来る」のリズミカルな繰り返しから虫の訪れを喜ぶ気持ちが伝わり、二首目からは、庭の境を川が流れ飛ぶ蛍が見えるという羨ましい生活環境であることがわかる。そこで眠りに就こうとする満足感。三首目は、流れるような調べに作者の心境が表れ、四首目には、一枚の鳥の羽根に季節の移ろいを感じる細やかな感受性が窺われる。
 他方、本歌集にはユーモアあふれる人事の歌も多く、作者のしなやかな心の働きが感じられる。

  目薬の近頃上手に入らぬは目蓋の弛みによるものかしら
  「ありがたうございました」おのづから言葉にでたり厠出るとき
  昼の間は思ひ思ひに過ごしゐて夕去れば寄る君と灯の下
  スーパーの食品売場に虫眼鏡持ちて値段を見てゐる嫗(ひと)あり

 一首目は手元の怪しさを言わず、目蓋の弛みかしら、ととぼけるところが笑いを誘う。二首目も、声に出して礼を言ってしまうところが可笑しい。三首目は長年連れ添った相手だからこその距離感が感じられ、四首目の人間観察には作者の旺盛な好奇心が窺われる。自然の歌の合間にあるこうした人事の歌が、本歌集のもう一つの大きな魅力であると言えるだろう。

文学的俳句とは何か
川口真理句集『海を醒ます』

書評 中西亮太

海を醒ます

 本書を読んだ際、どこか文学的なニュアンスを感じた。では、ある俳句に対して「文学的」と表現するとき、それは何をもって文学的なのだろうか。この「文学的」という評価は、日々取り組む俳句に限らず、日常的にも用いられる。

  柏餅さつと泣きたるあとの風  真理
  夜の耳の深く澄みたる七日かな
  星空の荷を積むこゑの涼しさよ
  初潮やまづ人肌のかがやきぬ
  竜の玉くもり硝子のねむくなる

 これらの作品は筆者が文学的だと感じたものの一例である。いずれの作品にもある種の解釈の余地が残されている。例えば、〈柏餅〉の句。泣いた理由はわからないままであるが、「さっと」「風」の措辞によってその涙の複雑なニュアンスが浮かびあがる。〈竜の玉〉の句。くもり硝子のぼんやりした感じは確かに眠さを喚起する気もするが、その理由はわからないままだ。
 つまるところ、「わからなさ」が程よく残された俳句が文学的な俳句なのかもしれない。そしてこの「わからなさ」はとりわけ取り合わせの中でより際立ってくる。

  どの椅子も飛ぶ鳥待ちぬ久女の忌
  学校のひきだしうすき鳥雲に
  チョコレート芯までかたきいなびかり
  水風呂の水のあかるさ盆用意
  十二月異国の黒のうつくしき

 俳句において象徴的な技法である取り合わせは、俳句を文学として位置付けるためのものなのかもしれない。そういえば、作者の師である田中裕明もまた取り合わせを駆使し、その文学性(裕明は俳句を「伝統詩」として位置付けることにこだわった)を追求した俳人の一人であった。

〈わたし〉ではない
大引幾子歌集『クジラを連れて』

書評 広坂早苗

クジラを連れて

 二十代から四十代半ばまでの作品を収めた第一歌集である。こうした歌集を編む際に削ってしまいがちな若い頃のよい歌が残っていて、よかったと思う。まず前半部から三首引く。

  腐刻画の森にきらめく風のごと汝が瞳の翳りもとどめおきたし
  冬の陽の届きていたる卓上にふつふつと雪のごとき粥置く
  「百キロも淋しかった」という吾子よ触れえざりその淋しさの端

 一首目の「腐刻画」はエッチングのことという。留めることができないと知りつつ、恋人の瞳の永遠を願う思いが切なく美しい。二首目は育児の一場面。「雪のごとき粥」が清らかで、幼子の存在が神聖なものに思われる。三首目は、知る限りの言葉で淋しさを訴える幼子のいとおしさ。いずれも繊細な感覚が生きた歌で、作者の感じやすい若い内面に心惹かれる。

  あめゆきと蓴菜の説明終えたのち空席の君に心は戻る
  bitch(あばずれ)って何?と問いたる女生徒の挑めるようなつよき眼差し
  教師という役を演じよいま罵倒されているのは〈わたし〉ではない

 後半から引いた。自死、事故死、犯罪、退学…心に傷を負う生徒が集まる学校の日常は、教師を深く疲弊させる。一首目は、国語の授業中に不登校の生徒を思う歌で、二首目は、どこかで「bitch」と言われたのか、猛然と抗議する生徒にたじろぐ思いを歌う。三首目は集中の圧巻である。〈わたし〉ではないと己を欺き、激しい人格否定に耐える心情。荒んだ生徒に傷つきながら限界を超えて寄り添う姿に、深く胸が痛む。勤務先の高校を歌ったこのような歌が、本歌集で最も心に残った。
 永田和宏、魚村晋太郎、山下泉による行き届いた栞がある。

存在し得ないものを
祐德美惠子歌集『左肩がしづかに』

書評 道券はな

左肩がしづかに

  蟻塚を壊してをれば驚いた蟻がしばらく砂に揉みあふ
  冷蔵庫にゴム手袋が冷えてゐて見知らぬわたしが置いてゆきしか
  百人の少女の爪の点検をなしたる夜のはなびら無尽
  痙攣が母を貫き終はるまで抱き留めてをり腕と其のいのち
  向日葵に笑顔がすこし負けてゐた幼いころの吾子が写真に
  画面には難民の列その中に子を抱くわれも紛れてをらむ

 一首目は、蟻同志がぶつかり合うだけでなく、砂に足をとられた蟻が砂そのものと揉み合っているような印象も受ける。蟻と砂が渾然一体となるような独特の読み味をもたらしているのは「揉みあふ」という動詞で、これはその景を凝視するまなざしがなければ選択し得ない。一方、筆者のこういったまなざしは、時に、そこに存在しないものをも捉えてしまう。二首目は置いた覚えのないゴム手袋に、いるはずのない私以外の私の存在を感じ取る。三首目は、主体は夜、花びらを見ているはずなのに、昼間に点検した少女の爪が花びらに重なって立ち現われて来る。
 これは筆者の得難い特色だが、母の介護や子育ての場面では目立ちづらくなる。四首目の「いのち」は、抱きとめた腕の手触りのような現実感があり、五首目も日常子どもと関わる親らしい冷静さに貫かれている。歌集の序盤では、筆者の眼前に存在し得ないものが姿を現すのは、筆者が自分の内面と向き合っている場面だった。しかし、母親の死を境に、存在し得ないものとの付き合い方は少し変容する。六首目、筆者は海外で起きているはずの光景に、「子を抱くわれ」の存在を感じ取る。自分の世界をより広く開き、他者に自分を重ねていくような、新たなまなざしを筆者は獲得したのである。

だからこそ前向きに
佐藤伴子歌集『ソースはロールシャッハ風』

書評 道券はな

ソースはロールシャッハ風

  葬式はせずにマーラー聴かせてと言ひ置く母の思ひはブレず
  「顔の傷関係ないのダンスだから」と改行をして妹の秋
  猫は目元と柏木言へりわが猫も成田屋に似ると聞きてもらひ来
  広島の繁華街めざましき一九五五年 ケロイド重き人の往来
  いつの世も走らせ競はせ産地から駿馬なる馬軍馬としたる

 家族、動物、古典作品等、題材は多岐に渡るが、肯定的なまなざしを対象に向ける歌が多い。特に家族を描いた歌は、彼らの性格を示すエピソードの選定に筆者の特質がある。
 一首目は、入院している母を訪問する主体を描く連作の一首。葬式をしないという選択も大胆だが、代替案として示されるマーラーの勢いが、母親本人の個性を思わせてユーモラスでさえある。二首目は、詞書に「コンテンポラリーダンサーで振り付け師」とある妹が、顔に大怪我をした際の発言だが、妹の舞台への思いを感じさせて凄みがある。三首目は、柏木と猫の取り合わせに源氏物語への関心が、成田屋の屋号に歌舞伎への関心が、それぞれ表れている。こういった歌からは、筆者の関心があらゆる他者に向けられていることが感じられ、読者として懐深く招き入れられているような印象を受ける。定型にとらわれすぎない韻律感覚も、この印象を支えている。
 また、戦争に関する歌も筆者は積極的に詠む。四首目は下句の景に戦争の暴力性が浮かび上がる。五首目は現代の競馬から、人間によって利用され、命を落とす馬たちを想起している。戦争の痛ましさを告発し、戦争に反対する思いは、他者を肯定して前向きに生きる筆者の歌の世界を、見えないところで支えているように感じられた。

ふるさとの経験
園田靖彦句集『曾良の島』

書評 中西亮太

曾良の島

 本書には冒頭、とある人物の略歴が記される。河合曾良。曾良といえば、「おくのほそ道」にも登場する芭蕉の門弟で、俳人を超えて広く知られている人物だ。略歴を読み進めると、どうやら壱岐の島にて亡くなったそうだ。ここで、タイトルの「曾良の島」とは壱岐の島であることが明らかになる。これはともすれば種明かしになってしまうかもしれないが、作者は幼少期から高校までを壱岐の島で暮らした。この文脈を捉えると、本書は作者によるある種の郷愁の一冊として読むことができる。
 実際、本書の際立ったテーマの一つに「ふるさと」がある。

  ふるさとの藁もて結へる目刺かな  靖彦
  ふるさとは湖青むころ初桜
  ふるさとの山河は青し洗鯉
  ふるさとの闇は底なし一人盆
  ふるさとの月にまぶしき鱸かな
  ふるさとの鯛や平目や今年米
  ふるさとは星湧くところ涼み舟
  ふるさとを捨てた男へ春の月

 いずれも自然に満ちた古き良き田舎の姿が描かれている。高校を卒業し上京した作者であるが、作品は都会的というよりは田舎景色を得意にしているように見受けられる。

  黒牛の喉(のんど)を走る山清水
  蹠の白きを残し海女もぐる
  風鈴売こなごなの音運び来る
  引き抜けば我に抱きつく案山子かな
  さつきから音一つなき良夜かな
  白魚のひかりは波にまぎれけり

 これらも壱岐の島での生活に根ざす作品なのかもしれない。そうだとすれば、「ふるさとを捨てた」作者であっても、経験までは失われることはなかったと言えるのではないか。

人生の至福  うたと人と山、美酒・食・紫煙、そして反骨
雁部貞夫歌集『鮎』

書評 結城千賀子

鮎

 「アララギ」終刊後、宮地伸一を継いで現在「新アララギ」代表の著者は、土屋文明と戦後の「アララギ」最盛期を知る数少ない歌人の一人である。さる一月の「塔」東京集会では、五味保義・柴生田稔・落合京太郎といった戦後「アララギ」の選者達を自在に語り、その人間性と作品の魅力を伝えた。この他にも、土屋文明の謎多き側面を知るところであるらしい。
 また、藤岡武雄氏が創設した「斎藤茂吉を語る会」の二代目会長を務め、毎回様々なテーマで多彩なゲストを迎えている。土屋文明の謎の一面も、この会で語られる日が来るだろう。
 更に、「茂吉の歌を実感したかったら、東北を識れ」と言う著者は、会津の出身。東北の風土文化への矜持が、茂吉の人と歌に対する洞察の深さとなっている。
 一方で、日本の山岳のみならずヒマラヤに何度も登った著者は、山岳文学者・深田久弥の愛弟子である。山岳関係の編著書や中央アジア・西域紀行の訳書も多い。スケールの大きい山岳詠やエキゾチックな西域詠が、今までも多く発表されてきた。
 そして、美酒と食と煙草。行くところ山や歌の友との交流があり、美味い酒と食を味わい、香り高い紫煙を燻らす…、となれば、これはもう人生の至福。歌集を読めば、酒・煙草を嗜まない者もその幸福を共有できるのである。
 さて、著者近年の第七・八歌集に『夜祭りのあと』(令四)と『鮎』(令五)がある。二冊を通しここ七年ほど、即ち七十六歳から八十三歳までの作品を収め、共に装丁が印象に残る。
 『夜祭りのあと』は、嶮路絶壁の「文字書き岩」に刻む野沢凡兆の句碑の写真を表紙に用いる。飛驒高山で度々催された歌会・吟行の余勢を駆っての句碑行は、風狂の徒の系譜に連なる面目躍如であろう。飛驒の夜祭りに「どしゃまくり」(招かれざる客)として参加した高揚感も詠われて、集の山場を為す。

  「どしやまくり」の客なる吾も声合はす夜祭り果てむ辻に「めでた」を
  凡兆の古き碑見むと伝ひゆく切り崖の径脚(あし)わななきて

 続く『鮎』は、装画・題字が秀逸。茂吉の「最上川の鮎をこそ食はめ」ならぬ飛驒宮川の鮎を堪能するのが集名の由来だが、

  さまざまに鮎味はへど苔香る飛騨の若鮎忘れがたしも

と、飛驒の縁(えにし)の讃歌であり、二つの歌集は地続きである。
 以下、引用の最初の歌のカッコ内に、夜・鮎と出典の別を小さく略記して、作品を挙げたい。
 まず何と言っても、アララギ史や先人の面影が興味深い。

  アララギ史にわれの知識の空白部東京亀原・赤彦の家  (夜)
  人に人格山に山格ありと言ひし深田久弥はなつかしき人
  西域の歌を待つよと君の声昭和終はらむ夏の会にて  (鮎)
  桐の箱開くれば墨の香漂ひて息づく如し文明先生の文字

 右作品の、島木赤彦の東京での寓居の謎、日本百名山の深田久弥の名言、「落としの落合」と恐れられた選者・落合京太郎の意外な浪漫的気質や、文明の貴重な「金剛山五十首」折り帖のことなど、まず著者にしか詠えまい。
 次のような作の、東北人としての茂吉への理解も頷けるし、「斎藤茂吉を語る会」での岡井隆氏は筆者の記憶にもある。

  東北人茂吉は東京の夏をかく記す来る日も来る日も「暑(ショ)にして汗(カン)」と  (夜)
  もの調べ詠むは楽しと吾に告ぐ「茂吉の会」にて岡井隆は  (鮎)

 また、山岳と西域を詠んでは、読者の思いを遥かに誘う。

  近々と北の浅間は煙はく裸百貫の貫禄見せて  (夜)
  大黄河のぼりのぼりて一望す菜の花畑の限りなき黄を
  崑崙の玉出づる河ふたところ白玉河(ユルンカッシュ)と黒玉河(カラカッシュ)と
  菩提樹の樹下に集ひて水煙草回しのみする長き黄昏  (鮎)

 そして美酒と食と紫煙。

  一年の胃の腑の疲れいやすべく白子卸しで先づは一献  (夜)
  祭り終へ路上の樽よりぐいと呑む飛騨の「氷室」のよく冷えし奴
  妻連れて目指す「う」の店「上らんしよ」会津の女(をみな)の声はやさしも  鰻の老舗(鮎)
  煙草より莨と記すを好む吾この偏屈を許したまはね

 酒も食も出会いが大切、煙草は友。人生悠々、達人の域か。
 しかし、明治新政府に最後まで抗した会津人の気骨は今も健在。次のような反骨の歌があり、まさに溜飲が下がる。

  パソコンもスマホも知らず地下の部屋本に埋もれて果てむ生(よ)もよし  (夜)
  会津人の食支へしを誇りゐし祖父鶴吉の白糸納豆  (鮎)
  世の中のどこに隠れてゐたりけむ俄か「万葉」店頭埋めて
  私淑する一人を胸の奥におけ「秘するが花」と古人も言へり
  締まりなき口語歌などは飛ばし読む「まこと」の歌を吾は求めて

 時代の利便性に流されず、祖先の誇りを忘れず、令和改元にも浮かれない。歌の真柱を心に立てた著者がそこに居る。『夜祭りのあと』あとがきに、「鮮烈な生の実感を得られる世界を捨てて省みない」と現代を憂える一文があるが、山行も短歌も仮想現実ではなく、まことの生の手触りあってこそなのだ。
 その『夜祭りのあと』一冊は山と歌の同伴者・輝子夫人に、『鮎』は、飛驒の諸友に捧げられている。

  わが嬬も長靴はきて頬かむり秘密の山へ三人近づく  (夜)
  大根卸したつぷり摺れと下命あり今年初めて秋刀魚の夕餉
  わがために飛騨小坂(をさか)にて釣りしとぞ確かに川の苔食みし鮎  (鮎)
  遠音より近きその声さらによし飛驒の木遣りを共に聴きしに

 楤の芽採りや夕餉の一齣のユーモアは心親しく、飛驒人の心尽くしと亡き歌友への想いは深い。喜びも悲しみも味わい尽くすべし、それが人生―と、歌集が語りかけてくる。

  西洋の諺一つパッセパッサンティ過ぎゆくものはただ過ぎゆけと  『夜祭りのあと』

具体と抽象
𠮷澤ゆう子歌集『緑を揺らす』

書評 道券はな

緑を揺らす

  いつしかに筋肉質になりたる子ぎゆつと抱けど隙間の多し
  湯上りのみづ湛へたるわが臍にふしぎな闇の滲みてゐたり
  遠ざかるほどにやさしき曲線の冬の梢(うれ)なりプラハの街に
  聞けどすぐ忘れてしまふ島影をまた父に問ふ指さしながら
  森として分け入るときにひかるもの鞄に入れて歩き出ださむ

 一首目、成長して身体が発達し、抱かれても親の体に馴染まなくなった我が子を描く。幼子のころは、柔らかく親の肉や骨に馴染むような肌質だったのだろう。この歌の魅力は、隙間の多さという具体的な身体感覚だけでなく、子の精神的自立など抽象的な範囲にも読みを広げられる点にある。こういった具体と抽象を行き来する感覚は、この歌集に多くみられる。二首目は臍の中の闇という具体的な景を描くが、「ふしぎな」「滲む」という語の選択により、主体も掴み切れない主体の感情のような抽象的な読みを引き起こす。三首目は、遠ざかると梢が曲線に見えるというのは具体的な景の描写だが、その見え方の変化は栄華と暗黒を経験したプラハの街の歴史も想起させる。
 また、この歌集には、プラハ、五十鈴川、宇治橋、硫黄島等、多くの地名が登場する。特に、父の故郷である硫黄島を詠んだ連作は、四首目のように、家族の歴史と深く結びついている。具体的な地名を示すことで、家族や子育て、チェロ演奏といった、筆者の生活がくきやかに立ち現れてくる。
 こういった具体的な地名のついた歌群は、最初の連作の、地名の明かされない「森」の抽象度を相対的に高めている。五首目、どこに分け入るかは明言されないが、「ひかるもの」を携える心情は、読者にしっかりと手渡されている。心象風景の提示と具体的な景の描写の均衡に、筆者の独自性がある。

日常の中の絵画・日常の中の音楽
清水泰子歌集『魁夷の馬』

書評 押切寛子

魁夷の馬

  フィンランドの湖(うみ)の蒼さよほとり行く魁夷の馬の染まらぬ白さ

 宇治市在住の作者のこの一首は「~東山魁夷の「緑響く」と題する名画を観ての作」と、神谷佳子氏の帯文にもあるが、集名『魁夷の馬』はこの一首からとられている。
 六十代で短歌を始めた作者の短歌の原点は、家族で遊んだ百人一首であるという。平成二十四年に神谷佳子氏の「薔薇の会」入会、その後「好日」入会、「かつら会」入社、歌に関わっての二十年の歳月を期しての上梓だが、体調を崩された、師の神谷佳子氏に代わって、本集の上梓に力を貸された前川登代子氏の心篤い跋に、「~日常に即して詠うのではなく、特別に感動したものを歌にしたいという思いをずっと持っていた作者~」と。
 それは例えば、絵画、音楽、旅であり、詠われた「絵画」や「音楽」は、枚挙に暇ない。作者の美意識の鏤められた本集、紙幅に限りあるため、ここでは敢えてそれらの範疇外の数首をあげ、本評の筆を置く。
 なお、本集の口絵「廃船」は亡きご夫君の作であることを記したい。

  引き揚げ船の着きし港に自衛隊の艦船泊てゐる ただに静けし  (舞鶴)
  黒猫のやうなフォルムのシンガーミシン昔むかしおじやみを縫ひし
  SLの「貴婦人」静かに停車せり 光る線路の交はるところ
  蛇、蛙蝶のさなぎも醒め出でてむつくり持ちあぐ梅林の土
夫描きし最後のいちまい 輪になつて子等踊りゐる マティスにも似て
山椒魚「井伏鱒二」の岩屋には居らず梅小路の水槽のなか

深く根を下ろして生きる
皇邦子歌集『居其可在處』

書評 押切寛子

居其可在處

 「~六十歳になった年に第一歌集『冬の花火』、七十歳には『チベットの鈴』を上梓した~」と本集のあとがきにあるが、皇邦子著『居其可在處』は、八十歳を迎えた著者が、満を持して上梓した第三歌集である。
 歌集名『居其可在處(そのあるべきところにゐよ)』は、四代続いた寺に半世紀、住職を務められた夫君が入手された、作家長与善郎の書幅の言葉からとられ、「いま自分の生きている場所に深く根を下ろして生きる」の意。すなわち、左記の一首が末尾に置かれている。

 光とも標(しるべ)ともなりてわれを照らす長与善郎(ながよ)の書幅「居其可在處(そのあるべきところにゐよ)」

 アララギに拠って四十一年、現在は「新アララギ」編集委員の作者だが、一集には、小谷稔、宮地伸一、清水房雄氏などの今は亡きアララギの先達が詠み込まれ、集に厚みを増している。

  「舌頭千転」の先生の教へ思ひ出づ結句の着地に迷ふ今宵は  宮地伸一先生
  居心地悪きパーティ脱けて来しロビーに清水氏いましき吾を待つがに  清水房雄氏

 県立高校の教諭、夫君を支えての「坊守」の易からぬ務めを果たし、エネルギッシュな作者八十歳節目(ふしめ)の本集には、カバー絵、装丁、本文中の絵、写真を子や孫が分担したという、温かな家族の企みが仕組まれている。

  十余りの恐竜フィギュアつぎつぎに手に取り名を言ふこの記憶力はや
  本堂も書院も庫裡も修築を終へてすがすがと夫住職を退く  二〇二〇年五月

 最後に、重厚な作品群の見逃せぬ一面として、あたたかく、ユーモラスな、そしてほのぼのと夫恋の一首を。

  往けば生(あ)るを信ずる夫と無に還ると思へる吾に冥婚難きか

肉の声
山田リオ詩集『ときのおわり』

書評 田中庸介

ときのおわり

 この三冊の詩集の著者たちは、みなどこかを病んだ経験を持っているようだ。山田リオさんは、臓器移植手術で生き延びたという死に至る病の経験をもっているし、君野隆久さんは、メンタルの治療薬の断薬の経験を詩にしているし、千種創一さんには、イスラム圏のどこかの国家で剣道を教えた経験を描いた詩があり、つまり「国籍」を病んだ経験があると言ってもよさそうである。このような「病」の経験は、著者たちの声をそれぞれの「肉声」、そう、「肉」から出てきた声へと引き戻すという共通点が感じられる。それは「哀しみ」にも似ているし、「圧力」にも「歪み」にも似ているが、そのいずれでもない尊さが感じられる。このような「肉」の声がどこかに感じられる詩は、とても良い。
(中略)
 山田リオ詩集『ときのおわり』は、あるとき死病を得た著者の感傷が、米国の酷薄な街の風物と重ねられて表現されている。詩「夢」は、夏の海に向かうバスに乗って、駅からひまわり畑の間を行くけれども、決して海には辿り着けないというオブセッシブな夢を描いたもの。「夏が終わる日の午後に/小さな駅から/海に向かうバスに乗る/やわらかい座席にすわると/窓からの風は潮のにおいがして/空には純白の積乱雲」との書き出しから、詩は「でも/夢はいつも/そこで止まってしまう」という「切断」のモチーフによって転機を迎える。そして「いつか/わたしの肉体が死んで/朽ち果てて/土に還ってしまっても/それでも/こころはきっと/あの小さな駅から/海に向かうバスに乗るだろう」という「永遠」、すなわち詩集のタイトルでもある「ときのおわり」へと向かうオブセッシブな主題へと行き着く。
 このオブセッションは、雨の降る初冬の米国の街で、「パブロ」のコーヒーショップに入るという詩「問い」へと継続される。「店に入ると中は暖かくてコーヒーのいい香りでいっぱいなのに、客は一人もいない。/顔なじみのパブロが一人で立っているから、いつものようにコーヒーをたのんだ。/パブロが「2ドル15セントだけど、今朝は特別に2ドルでいいよ」というのを、/小銭も手渡して、大きな硝子瓶に50セントのチップを投げ入れる。」という饒舌な文体が読者の心を湧きたたせる。「心の中で、なんとなくわだかまっていた問いに、/今、言葉ではない、でも、はっきりとした形の答えが返ってきている。/人生は、こんなかたちで自分の問いに答えを送ってくれるのだなあ。/そんなことを考えながら歩いていると、」の四行のリズムが特に目に心地よく、思いがけない人生の「展開」を予感させる佳篇となった。
 三冊の詩集のいずれも、ほのぼのとした雰囲気の詩が多いが、その底流にはガツンとした実存の姿が流れており、それぞれへの共感や少しずつの違和とともに、それぞれの著者の「心」がたしかに感じられた。あとがきにはそれぞれの著者から、社主の永田淳さんへの感謝が記されている。おそらく短歌系の出版社ならではの《人生の実相》への観入の見識が、内容がふわふわと流れがちな自由詩において、非常にインパクトあるリアリティを担保している。千種さんの詩集には他のところでも触れたが、この「あるんあるん」と回るケバブの「肉」の姿にすら傷つくような、血の通った繊細な生身が、あり得ないほどの鮮烈な感性を詩歌の世界で発揮されている。このようなイスラム諸国の悲劇的な政治状況をはじめとして、どの国でも人間の実存が鋭く追い詰められていく現代ではあるが、「肉の氾濫」を通して、自分が生きるための一人分の空間を無理やりにでも、みずからの肉体の中に確保しようとすること、そのための剛直な文学の場が、このような形で花開こうとしているのではないかと感じる三冊であった。

肉の声
君野隆久詩集『十二の月、十の道』

書評 田中庸介

十二の月、十の道

 この三冊の詩集の著者たちは、みなどこかを病んだ経験を持っているようだ。山田リオさんは、臓器移植手術で生き延びたという死に至る病の経験をもっているし、君野隆久さんは、メンタルの治療薬の断薬の経験を詩にしているし、千種創一さんには、イスラム圏のどこかの国家で剣道を教えた経験を描いた詩があり、つまり「国籍」を病んだ経験があると言ってもよさそうである。このような「病」の経験は、著者たちの声をそれぞれの「肉声」、そう、「肉」から出てきた声へと引き戻すという共通点が感じられる。それは「哀しみ」にも似ているし、「圧力」にも「歪み」にも似ているが、そのいずれでもない尊さが感じられる。このような「肉」の声がどこかに感じられる詩は、とても良い。
 君野隆久詩集『十二の月、十の道』の詩「断薬と魚」は、「十年以上ものあいだスルピリドという薬を服んでいた」とはじまる。それをふと断薬してみたときの、精神の変化。それによって見えてくる、日常の、風景の見え方の変化。後半にかかり、「古い本に/人間にとって水に見えるものが/天人には瓔珞と見え、鬼には猛火と見え、魚には楼台に見える/ということが書いてある」という故事の記述から「魚」の概念が出てくる。そこから「いま歩いている/荒物屋の点在するこの古い商店街」が、天人、鬼、魚にどう見えるのかという発想となり、「(いや、魚には水がない、道も見えるはずがない――)」という一行にたどり着く。
 最終連では、「かつて魚であった少年が/一顆の果実をもてあそびながら道をよぎる/はじまりの空気のなかで/彼の襟首は尖っている/そして春の風のなかを早足で歩きながら、硝子のような眼で/こちらを一瞥する」。「かつて魚であった少年」というのは、おそらく個体発生のなかで系統発生が繰り返され、魚の段階を経て、生まれ落ちてからまだ数年しかたっていないというような進化理論を下敷きにしているのかもしれない。その無垢な「硝子のような眼」には、「こちら」の複雑で、重層化してしまった人格は、どう映るのか。この「天人」「鬼」「魚」のあいだに乱反射した光線のきらめきが、古い商店街の午後を、思いがけなく美しく輝かせている。
(中略)
 三冊の詩集のいずれも、ほのぼのとした雰囲気の詩が多いが、その底流にはガツンとした実存の姿が流れており、それぞれへの共感や少しずつの違和とともに、それぞれの著者の「心」がたしかに感じられた。あとがきにはそれぞれの著者から、社主の永田淳さんへの感謝が記されている。おそらく短歌系の出版社ならではの《人生の実相》への観入の見識が、内容がふわふわと流れがちな自由詩において、非常にインパクトあるリアリティを担保している。千種さんの詩集には他のところでも触れたが、この「あるんあるん」と回るケバブの「肉」の姿にすら傷つくような、血の通った繊細な生身が、あり得ないほどの鮮烈な感性を詩歌の世界で発揮されている。このようなイスラム諸国の悲劇的な政治状況をはじめとして、どの国でも人間の実存が鋭く追い詰められていく現代ではあるが、「肉の氾濫」を通して、自分が生きるための一人分の空間を無理やりにでも、みずからの肉体の中に確保しようとすること、そのための剛直な文学の場が、このような形で花開こうとしているのではないかと感じる三冊であった。

見えない事物の解放
澄田広枝歌集『ゆふさり』

書評 押切寛子

ゆふさり

 一九五七年和歌山生、現在も和歌山在住の作者の第二歌集。三〇代初めより「氷原短歌会」に拠り歌を作り始め、二〇〇六年より「塔短歌会」入会。一読、集名『ゆふさり』に収斂されていく歌群が印象的な一集である。

  耳朶にくらい言葉をふきかけてあなたを日暮れに連れてゆくんだ
  読みさしの本にはさみし栞ひも そんな思ひの残し方あり
  誰にでもできてひとりできなかつたこと昔語りをあなたにしたり
  近すぎて遠すぎるひとゐるやうでゐなくなるひと 林檎がにほふ

 相聞とは、男女間で交わされる恋歌がすべてではなく、親子兄弟などの間で交わされたものもその範疇という。引いた四首も広やかにそう読むと集名そのもののように、温かく柔らかで、明るくも昏く、暖かく冷たく、在るような無いような…そんな湿潤な曖昧模糊の世界へと傾く。その危うさを二首目の「栞ひも」、四首目の「林檎の匂ひ」の具体が止めているが、一首目の「くらい言葉」、三首目の「昔語り」の含む時間軸に私は逡巡する。読み進み、「そのむかし水族だつたふたりしてうすくらがりのグラスに沈む」「ゆるされて陸にあがりし水族のごとくゆつくり傘を閉ぢたり」の「水族」という語に暫し困惑するのも、あるいは世代間の差違か、誤差なのか。折折に、その性急、概念化に戸惑いはするが、眼に見えるものに対する眼に見えないものの優越の宣言をおおいに宜いたい。
 この世で見たもの触れたものを、今後も更に見えない広大な世界へ、力強く解放して欲しいと願ってやまない。

  華やぎはどこか翳りをおびてゐて胡蝶蘭には薄紙巻かる
  秋天に置き忘れきし乳母車そんな思ひのゆふぐれにゐる

老いるということ
佐川真理子歌集『声を呑む こえ』

書評 三宅勇介

声を呑む こえ

 この歌集の大きなテーマともいえる、老いた父や母に関する歌の数々を読んでいると、最近の私の人生と、知らぬ間に照らしあわせていて、深く染み入るところがあった。すなわち、この筆者の父が亡くなり、認知症の進んでいく母を引き取る、という境遇が、最近父をなくし、認知症の母と向き合うことの多くなった私の現実と重なり合うのである。

  喪中はがき今年も出すという母に父はまだ彼岸に至らずあらん
  物忘れはげしき母と饂飩食むショパンの調べ今日はゆるりと

 私の母もそうだが、五分前の会話もすでに忘れている。こういう場合、会話は延々と堂々巡りを繰り返すことになる。昔のことは良く覚えているのだが、というやつである。しかし、かく言う五十代なかばの私自身もそうした傾向が出てきているので、将来は絶対こうなると思う。未来の自分を見ているのだ。

  横たわりされるがままの母の眼は何か訴う 足早に去る
  父の死を認めぬ母に嘘っぽき言葉かくるも耳に戻りく

 母を詠んでいるようで、自分を詠んでいる。いや、結局、老いた親との関係においては、こうならざるを得ないのだ。思考は親の事から結局は自分に跳ね返ってくるのである。
 
  夕餉すみ義歯を外せば吾の知らざる母らしき人そこに在りたり
  口をあけ歯磨き任せる母の顔その素直さに一瞬たじろぐ

 時として、良く知っているはずの親の、見知らぬ場面に出くわす。ほとんど他人に見えてしまうこともあるだろう。そうしたことは、元気なころの親でなくなり、向き合う日々が増えたからこそ増えるのであろう。歌を通して、人生の先輩の貴重なアドバイスをいただいたような気がする。

バケツ考
高阪謙次歌集『春耕』

書評 三宅勇介

春耕

 この歌集は大変面白く読んだ。というと、人生の大先輩に上から目線で怒られそうだが、まあ事実なんだからしょうがない。
 ある歌を、「ああ、この歌はわかるね」という言い方を良くする。だが、それは日本語で意味がわかる、ということだけではなかろう。つまり、「どうしてこういう歌を読んだろう?」ということが自分の中でしっくりくる、ということに他ならない。

  ぢいさんのやうになつたのやうでなくまさにこの身はぢいさんである
  看護師のあやすがごとき問ひかけに不機嫌さうに返事してみる
  ボタン押しまたお眠りの横の人「お降りのかたは」と運転手の聞く
  一首聞き「あははつまらん」妻わらふ作りはせぬが読みはするどし
  「かどつこのサークルKがまつ白な箱になつとる知らんとる間に」
  重宝をしてゐるブリキのバケツなり不思議とこいつは歳をとらない

 バケツといえば斎藤茂吉を思い出す。晩年、「極楽」と名付けて、尿瓶に使ったり、洗って野菜を入れたりして、重宝したエピソードは有名だ。最後に引用した歌はそれを彷彿とさせるし、多分筆者もそれを意識して作ったに違いない。とぼけた味わいや、隠れた反骨精神も実に良く「わかる」のである。「サークルK」の歌も、本当はただの他愛のない会話のはずなのだが、一首にしてみるとなんだか妙味がある。

  めくじらを立てなさんなと言ふけれど筋なんだから譲れませんね

子供と学び
杉本明美歌集『向こう岸に』

書評 三宅勇介

向こう岸に

 筆者の第二歌集。杉本氏のあとがきに、こう書いてある。
 「兄、母、妹を失ったのが一歳九ヶ月、二度の災害に遭い家族というものが判りませんでした。」絶句してしまうエピソードである。尋常ならざる人生で、私などには到底想像もつかない。
 さて、歌集を読んでみると、筆者の長男と次男に関する歌に特徴があるように思った。

  「誠実は破滅だ智恵がなければ」と書にかかれいて次男を思う
  ネットにて検索に会う子の名前遠くに学ぶ論文三つ
  この母を二人の吾子が奪い合いに「もて期」の写真をスマホの壁紙
  職を辞せし子の長き夜を母われも昼夜逆転庭木も萎れる
  雪雲の下に楡の木のシルエット寒くはないか遠く住む子は
  落さぬよう夢の途中を繕える吾子のズボンのポケットの穴
  時折りは恥かしくなる吾子といて真っ直ぐ過ぎる言葉と眼差し
  伸縮も申し分なしヒートテック下着と言わず子のマスク作る

 正直に言ってしまうと、少しこちらがタジタジとしてしまう歌もあった。
 筆者は、五十歳から文学に関する学びを始めたようである。そのことに関する歌も数多くある。

  非常勤の講師となる子に思いを馳す母も講義を受くる身なれば
  中世の資料多きと師の言いし朽木村より左京区に入る
  逝きませる教授に受けし講義ノートの背表紙「国境の越え方」仰ぐ
生まれたての月となるより他はなし教えを請えり孫ほどの院生に

有限の生、愛、死
俵田ミツル歌集『息のかたち』

書評 丸地卓也

息のかたち

  足元に影添はせつつ影持たぬ棺のひとを菊で埋めゆく

 巻頭の一首。生者と死者の隔たりは影であるという。完全には隔たれていないという把握は歌集に通底している。歌集を通読すると二十六歳で夭折した息子のことであるとわかる。

  阿修羅像なにやらいとほし夭折の基(もとゐ)親王がモデルといふ説
  羽根すぼめ転がつてゐる剥製の小鳥にわたしの秋はふかまる
  成鳥になれぬむくろを拾ひたり子どもの脳死の法案通過す

 一首目の歌に詠まれる阿修羅像は、やや顔をしかめ張りつめた若者の表情をしている。俵田は、阿修羅像は夭折の基親王がモデルという説を聞き、自らの子に重ねる。いや、その説を聞く前から面影を重ねており、その説で自らの心に確信を得たのかもしれない。二首目の小鳥は剥製だが、羽根をすぼめ憩っている。愛らしい様子だが、その小鳥はすでに死んでいる。俵田の思い寄せは、死を自然に通過して小鳥に及ぶ。三首目は子どもの脳死法案の通過を詠う。その是非を批判しているのではない。不特定の脳死してしまった子、そして、その子から臓器提供を受ける子の痛みを想像している。普段私たちは目を瞑っているが、有限の生と愛は死と分かちがたい概念なのかもしれない。俵田は目を開けてそれを見つめている。またその主題は近親者に終始することなく、社会に対しても向けられている。

  たみみなぼくが代はるとかみさまとやくそくしたよとふいに子が言ふ

 「思ひ出すばかりなのです」という散文から始まる三つの歌群がある。子が病や障碍を負いながらも、生活した様子が描かれる。あとがきに息子の生の痕跡として本歌集を上梓したとあり、またそれが約束であったと書かれている。心を打たれた。批評の言葉を尽くしても尽くしきれない抒情と存在感がある。

カミソリとさくら
千葉優作歌集『あるはなく』

書評 丸地卓也

あるはなく

  掌(てのひら)の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 風の雁來紅(かまつか)  塚本邦雄『星餐圖』
  釘を打つときにイエスの掌(て)の見えてわれに冷たしゆふべの雨は  千葉優作『あるはなく』

 連作「Transcendental Etudes ―超絶技巧練習歌集―」には注釈がある。フランツ・リストは超絶技巧のバイオリニスト、ニコロ・パガーニに憧れ、千葉にとってのパガーニは塚本邦雄だったという。引用歌は塚本の本歌取りだが、一神教は、血の滴るような掌の孔に支えられると捉えた塚本とは異なり、千葉の歌には柔らかい感性のもつ主体が存在する。

  カミソリに負けてる僕が「付き合つて」なんてあなたに言へるはずなく
  挿管は手早く抜かれ何事もなかつたやうに遺体が残る

 一首目のように、無防備な主体が核にあるように思える。二首目は、祖母の挽歌。斎藤茂吉の「悲報来」のように、病床へ駆けつけるまでの臨場感のある連作中にある。即物的な把握に、祖母の死を実感する前の現実感のなさが表現される。一首目の主体が時に塚本に憧れ、家族の死などの経験を経ながら、歌集が形成されていくところに読みどころがる。

  鶏卵けふも産み落とさるるしづけさや年に三万人の自殺者

 Ⅲ章はパレスチナの情勢不安や、日本の自殺者の歌もある。否応なくみえてくる理不尽な死に千葉は反応せずにいられない。そして、その時に塚本のような暗喩がずんと効いてくる。

  花の下にて死んでたまるかきさらぎの銀月アパートメントのさくら

 西行の本歌取りの歌、そう歌に死んでたまるかと思う。銀月アパートメントのさくらは綺麗だが、そこには生活がある。この二つの間に葛藤しながら折り合いをつける歌は強い。

音を吐く
小原由佳川柳句集『反対側の窓』

書評 中西亮太

反対側の窓

 はじめに断っておくと、筆者は普段俳句を作るだけで、川柳について何らか専門的な知識を持っているわけではない。ただ、本書を読んだときにふと、「川柳って俳句のように「詠む」と言うのだろうか」という素朴な疑問を持った。すぐさま調べてみると、シメた! どうやら川柳では作品を作ることを「吐く」と呼ぶことがあるそうだ。この観点に立つと、本書の特徴を語ることができるのではないかと直感した。
 本書を一読して思ったのが、「音」をめぐる作品が多いことだ。

  ヒャッホーと始発列車で出て行った  由佳
  おじさんの指パッチンもブルースに
  雨音が欲しくて傘を開きます
  ウクレレの聞こえるほうが休憩所

 例えばこれらの作品は直接的に聞こえる音が対象化される。一方で、作者の眼差しはより観念的な「音」にも向けられる。そして、これらの観念的な音は作者の感情を理解することを要請するかのように吐き出される。

  切り抜きが静かな紙になっている
  コントン混沌十三歳が歩く音
  なんでやねんがガムの歯型になっている
  うらうらと風に乗るのは嘘ばっか
  有識者会議伐採音がする
  平和の「へ」食べたいものを買いに行く
  マヨネーズ倒れる寒い冷蔵庫

 音は直接的に捉えられるものだけではない。〈切り抜きが〉は静寂の反対にある音を、〈なんでやねん〉は物体に残る痕跡が含む音を、〈平和の「へ」〉は文字に含まれる音を描き出す。そしてこれらの作品には、その音について吐き出さざるを得なかった作者の作家としての感情が込められている。

肉の声
千種創一詩集『イギ』

書評 田中庸介

イギ

 この三冊の詩集の著者たちは、みなどこかを病んだ経験を持っているようだ。山田リオさんは、臓器移植手術で生き延びたという死に至る病の経験をもっているし、君野隆久さんは、メンタルの治療薬の断薬の経験を詩にしているし、千種創一さんには、イスラム圏のどこかの国家で剣道を教えた経験を描いた詩があり、つまり「国籍」を病んだ経験があると言ってもよさそうである。このような「病」の経験は、著者たちの声をそれぞれの「肉声」、そう、「肉」から出てきた声へと引き戻すという共通点が感じられる。それは「哀しみ」にも似ているし、「圧力」にも「歪み」にも似ているが、そのいずれでもない尊さが感じられる。このような「肉」の声がどこかに感じられる詩は、とても良い。
(中略)
 千種創一詩集『イギ』は、イスラム圏のどこかの国の風物が、日本の武道家でもある著者の姿と二重写しになるような挑戦的な作品が多い。しかし帰国されて、おそらく阪神間の六甲から流れ下る短い川を追った「God, Lost」という詩に興味がひかれた。「この町川の河口を見たい/(別れませう)と言はれた瞬間にさう思つた/どう云ふ心の流れだか識らないけど河口を見たい」と詩ははじまる。「暗渠の道を下つて行くとやがて/空のどん底のやうな川面が現れる、開渠/犬が歩けるくらゐの浅い流れ」という写生の記述はとても良かった。
 そして詩は「ここは海の神と川の神の境界/汽水だつて何だつて良いから町川、いつか生きてゐろ//夕日逆光の中で跳ねた鰡らしき」と結ばれる。ここにもひとつの傷ついた心の「死と再生」の物語が秘められている。すると「この町川の河口を見たい」という直感的な欲望は、パートナーと「別れ」たあとの自分の人生行路を予見することで、それがすべて悲観的なものではないことをあらかじめ知っておきたいというような心の代償作用の表れだろうか。暗渠をこのような「別れ」の表象としてとらえた発想は非常に新しく、「冬の光をゆつたり流してゐる」ようなこの詩人の柄の大きさに、あらためて感銘を覚えた。
(中略)
 三冊の詩集のいずれも、ほのぼのとした雰囲気の詩が多いが、その底流にはガツンとした実存の姿が流れており、それぞれへの共感や少しずつの違和とともに、それぞれの著者の「心」がたしかに感じられた。あとがきにはそれぞれの著者から、社主の永田淳さんへの感謝が記されている。おそらく短歌系の出版社ならではの《人生の実相》への観入の見識が、内容がふわふわと流れがちな自由詩において、非常にインパクトあるリアリティを担保している。千種さんの詩集には他のところでも触れたが、この「あるんあるん」と回るケバブの「肉」の姿にすら傷つくような、血の通った繊細な生身が、あり得ないほどの鮮烈な感性を詩歌の世界で発揮されている。このようなイスラム諸国の悲劇的な政治状況をはじめとして、どの国でも人間の実存が鋭く追い詰められていく現代ではあるが、「肉の氾濫」を通して、自分が生きるための一人分の空間を無理やりにでも、みずからの肉体の中に確保しようとすること、そのための剛直な文学の場が、このような形で花開こうとしているのではないかと感じる三冊であった。

時の流れゆくままに
宮澤淑子句文集『港のある街』

書評 浅見忠仁

港のある街

 結社「氷室」に所属していた著者の意向を元に仲間が編んだ遺作集。
 表紙カバーに使われている虹のかかる海の景色が、まさに著者の作風を表しているように思われる。

  子を甕に葬る遺跡秋の雲
  縄文の火の跡へ行く蟻の列

 遺跡を題材にした句が多く、またそこに眠る過去の人々への思いが満ちている。海外も含め多くの遺跡を訪れている。そして、過去と未来とを繋げる象徴として詠まれるのが墓である。

  海霧ごめや教会跡のクルス墓
  金木犀散り敷く墓の主知らず

 このように多くの墓を題材にした句が詠まれているが、過去から連綿と続く現在に生きる我々もまた過去になり、未来へと繋がっていく時間の流れのなかのひとつの存在であることに気づかされる。それが歴史であろうとなかろうと。

  結婚の話にはかに虫のこゑ
  婿となる人を交へて初詣

 家族が増える喜びが滲み出た句であるが、これらも時の流れのなかの現在におけるかけがえのない時間そのものではないだろうか。

  父の背な追うてオンドルあたたかし

 著者は朝鮮からの引揚げの経験があったようだ。その経験が今見えている風景を越えて過去と未来を繋いでいるのだろう。

  黄落やグラウンドゼロに祈る人
  春寒や人見えぬ地に家遺る

 九月十一日と三月十一日。壮大な時間軸と眼前のささやかな瞬間を見つめる視点は最後の俳句鑑賞にもよく表れている。近年の混沌の時代を著者はどう詠んだであろうか。

古典と近未来
櫟原聰歌集『奈良彦』

書評 丸地卓也

奈良彦

 古典のもつ調べや、ロマンは、近現代の物質主義やリアリズムと相反する概念のように思うが、不思議に同居する歌集だ。

  石川の貝に交じりて死にしとふ虚構の中の人麿あはれ
  蔑むは褒むるに似たり異常なる力をもちて大仏をなす
  奈良大和天平の世に栄えたり異国人多く来て歌ひたる

 一首目は柿本人麻呂の妻だった依羅娘子の、亡き夫への挽歌「今日今日とあが待つ君は石川の貝……」の本歌取り。虚構と冷静に見ることに、ロマン性とリアリズムがある。二首目は奈良の大仏建立の立役者である行基の歌。行基は朝廷から弾圧を受けつつ慈善活動や勧進を続けた人物。朝廷が懸念するほどの影響力と、執念を異常なる力と櫟原は表現する。現代の権力者が活動家や知識人を嫌う様にも同じことがいえよう。三首目はインバウンド客が増える奈良を、天平時代と重ね合わせる視点が批評になっている。いわゆる伝統は近代以降につくられたものであるという言説がある。全てがそうだとは思わないが、歴史を遡ることでみえる現在の本質がある。

  コスミックアニミズムとは宇宙的花鳥風月われを行かしむ

 古典和歌も天体を詠んだ歌があるが、引用歌の宇宙的花鳥風月はスケールが大きい。SF映画「ブレードランナー」を思わせるサイバーパンクな取り合わせである。古典的な文学世界と、近現代から近未来的な主題、この二つが衝突するところに櫟原の作品は位置する。
 次に挙げる人間的なかなしさを湛えた歌も印象に残った。口語や古語にその時の息遣いが出ているようである。

  何か哲学、何か文学、何か何かなんにもないぞ介護の日々は
  安らけき母の死に顔この世にし未練のなくて逝きたまふかも

生きるということ
大倉潤子歌集『息災ですか』

書評 中津昌子

息災ですか

  子に本を与えるために父はきっと何かを我慢していたのだろう
  ねだったのか母の希望だったのかパーマ姿の五歳のわたし
  藤棚の下で物理を解く君の唇の線薄くなりきつ

 両親の歌を含め回想を多く歌う。三首目は翳りを帯びた恋の思いがみずみずしい。

  美智子妃は嫁ぐ前の日母上と草抜きしたとう無言のままに
  螢見に行こうと誘いし人ありてそれでじゅうぶん乱舞が見える

 「無言」を思う心の深さ、二首目の見なくても思い描けるという豊かさが胸に残る。同時にまた一方で、〈命日が明日だと聞きて庭の菊すべて手折りて友に渡せり〉のような、思いの濃さ全てを明け渡す面もある。心の幅は大きそうである。

  売れるために嘘もついたと芸人さん笑いの裏の生きるということ
  声色も肩におく手の感触も風の匂いも忘れてしまった
  抱かれたのか抱きしめたのか夢の中あれは確かにひなたちゃんだった
  虫捕りに行くのと問えばトンボだよもう秋だものと少年駆け行く

 人生を生き抜くことの険しさに及ぶ一首目。「芸人さん」とさん付けであることに、その生き方に対しての理解のあたたかさがのぞく。二首目は寂しい歌だが、次の「抱かれたのか抱きしめたのか」には、どちらであってもそれは変わらないというような、愛の形が見える。四首目、少年の季節に対する敏感さが微笑ましい。「虫捕り」といういわば決まり文句に、ひっかかりを覚えたさまを口語を使って自然なタッチで表現している。生きるということについてさまざまにものを思わせる一冊である。

かりりんこ
橋本成子歌集『かろやかな色』

書評 中津昌子

かろやかな色

  かりりんこ青森りんごかりりんこ雪の町からわが卓にきて

 巻頭歌。これから読むのが楽しみになる、明るく軽やかな一首だ。リフレインが効果的で、ちょっとした遊び心が見えるのも魅力的。

  セルロイドのようにひと日を咲く芙蓉萎れしのちに重さをもてり
  これほどに羽搏かなければ寄れぬのかハナカタバミにくる紋白は

 芙蓉のはなびらの質感をよくとらえた一首目や、次の自然界の小さなものに対する心寄せも心に残る。
 四章に分かれる内、Ⅰ章は「母のぬくみ」と題され、母の看取りを芯にして歌われるが、父母への思いも深い。

  亡き父の書斎に入れば気配濃く片付けできずにまた戸を閉める
  今日のこと忘るる母が枇杷の実の色づき初めしをベッドより言う

 「また戸を閉める」には閉めた後の気持ちまでを思わせるものがある。心というものはそう簡単には片付かない。集中には植物が多く登場するが、母もまた植物を愛したようで、その晩年にやさしい彩りを添えている。

  着ぶくれて犬に曳かれて行けるひと犬が止まればスクワットする
  蝸牛にニンジン与えて赤き糞させてみたきにカタツムリおらず
  微かなる風に流るる花びらに前足のせて休むアメンボ

 読んで思わず笑みが漏れる三首も、この著者ならではのもの。

  ハイウェーを跨ぐ夕虹石鎚の山より生えて瀬戸へと落つる

 故郷を詠む歌にもすぐれたものが多い。第二歌集。

家族のなかで
橋本恵美歌集『bollard(ボラード)』

書評 中津昌子

bollard(ボラード)

  大きうねり残して去ってゆく鯨見送るごとく二学期はじまる

 夏休みが終わって、また子どもを学校へ送り出すようになった時の気持ち。四句までを使っての、比喩の的確でダイナミックなこと。子どもといっしょのひと夏の時が、健やかに、だが確実に去ってゆく。
 歌われるのは、家族の中にあっての日々の思いであるが、家族を大切にしている人ならではのやさしさ、あたたかさが、一首目に見られるような感覚のよさをもって作品化される。

  朝ぼらけの海に投網を打つごとく向こうに寝る子に夏布団掛く
  おかあさん、見えなくなるってどんなふう あなたに見せたい星空がある
  生前の幾つ目の箸と思うとき蝶の遺骨のような軽さよ
  もう咳の起こらぬ朝が父に来てはなびらのような銀髪に触る

 少し離れた距離を、布団は軽く網を投げるかのようにしてかけられる。明け方ならではの抒情を歌の背後に漂わせつつ、ちょっとユーモラス。母へ語りかける二首目、三首目の遺骨のはかなさ、最後の亡くなった父を歌う一首には、咳がもう起こらないことに共に安んじるような、深く甘やかな愛情を感じる。

  ガスの火をふつっと消してしばらくを薬鑵の口に湯は滾りおり

 又、こうした歌には一人の人間としての孤独も滲んでいよう。

  生れたての仔馬のうなじのようにあり春のはじめの二上山は
  雨のまえ筍むっくり匂い来るむかし竹林たりしこの町

 自然詠にも優れたものが多い。第二歌集。

生まれて消えてまた生きる
有馬一水・妙句集『相老』

書評 浅見忠仁

相老

 結社「古志」に所属する有馬一水・妙ご夫妻の句集。書名通り「相老」の尊さを実感する句集である。
 まずは有馬一水氏の句から。

  鍬持てば背中より去ぬ春愁
  疲れ果て座れど右手草毟る

 引退し、農作業に従事されているのか、自然と格闘する喜びと大変さが随所に表れている。

  初蝶よはや執着を覚えしか
  働きて働き倒る案山子かな
  陣痛の牛におろおろ息白し

 自然との生活を日常としながらでしか気付かない視点が、そこに存在しない確かにそこにあるものを見せてくれている。

  冬耕や亡父の鍬の握り減り
  誇るべし八十の禿頭日焼皺
  月光や八十となりても父母想ふ

 自身も老境になることで、自らと父母を重ね、まだまだこれからの気持ちと衰えの実感が交互に押し寄せているのが伝わるが、老いることも悪くないのではないかという魅力がある。
 次に有馬妙氏。

  出ぬ乳をほぐしほぐせば春夜明け
  迸る母乳チュッチュッと黄水仙

 全国初の産後の母子ケア「サンゴ・ケア」を開設した著者の実体験から生まれた句だろうが、現場で必死に母子と向かい合った緊張と喜びがまっすぐに伝わる。

  盆踊り母の足だけ見て踊る
  松蟲や嗚咽も入れよ母の棺
  渾身で母を看取りて山眠る

 これからの人生に踏み出す母子を送り出せば、自分の母を看取る。命の崇高さを誰よりも実感する著者の思いは深い。

いくつもの自画像
高橋よしこ歌集『分散和音』

書評 天野陽子

分散和音

 作者は実に様々な顔をもつ。「分散和音」とは、和音を何度かに分けて鳴らす作曲法だが、そのように散りばめたいくつもの自画像を、ひとつの人格として束ねたような第一歌集だ。

  この国で何を急いで運ぶのか高速道路を駱駝が歩く
  摘む人は見えず日暮れの畑には棉花の白さばかりが動く
  この山を崩して辺野古の埋め立てに失われる樹々、獣、風景

 まず旅人の顔。赴いた国の文化や歴史を的確に取材し、独自の矜持で詩情に転じる。インドの風景にみつけた違和感にはどこか風刺的な視線を投げ、畑の花の白さのなかには、みえないけれど存在する労働を捉える。営みの裏にある働きへの眼差しを忘れない作者は、政治へも虐げられる自然へも声をあげる。

  絶対に指揮者がいるに違いないピタッと揃うカエルの合唱
  おばあちゃんおふろはあらってあるからねメモだけ残りみんなは花火
  こんな夜は悪女になりたい赤い月 月夜はおよしよと言われても

 日常から小さなメルヘンを見出す天衣無縫な顔。家族のなかでは祖母という属性にもしっくり馴染む。中島みゆきファンという顔になると、歌詞の世界が作者の女性性と絡み合い、妖しげな解放感が漂う。歌詞に準えた歌を探して読むのも一興だ。

  もくせいの冷たい朝に母が逝く私の中の娘を連れて
  あれはどこバッグを開けてまた閉める亡母(はは)には待ってやれなかった時間

 母という存在が娘を娘たらしめる。そんな当たり前の関係だから、喪失感が底知れない。デイホームでの従事で不意に再生される母の面影には、取り戻せない時間への悔恨が滲む。だが、どの顔であっても常に歩みを止めない強さがこの歌集にはある。

ねじれながら翳る
大西淳子歌集『火の記憶』

書評 天野陽子

火の記憶

 コスモス短歌会、COCOONの会に所属する作者の第三歌集。福岡から千葉へ転居、転職という変化の時期が作品化され、どこか屈折し婉曲しながら表れる抒情が特徴的だ。暮らしに、社会に違和感を覚えつつも馴染もうとする葛藤が通底し、崩れそうなほどの繊細さを秘めながらも潔く心情が吐露される。

  それぞれの窓にそれぞれ自我あれば引越しのたびカーテンを買う
  声色を用心深く聞き分ける躑躅と皐月を見分けるように
  転居するたびに新たな職を得てピサの斜塔のごとき安定

 一首目は歌集の冒頭歌だが、窓それぞれに所有者がいるような擬人化。カーテンは自我を護るためのものか。歌集の主題でもある「転居」への作者の向き合い方が述べられる。ものごとに微細な差異をみつける二首目、似て非なるものに注意深く接するのは、そこにある差異が見逃すべきものではないからだ。歪みながらも置かれた場所に身を合わせてゆく、冷静に自己を客体化する眼があるから、「ピサの斜塔」は安定を保てるのだ。

  葉桜と光がつくりだす模様さみしくなんかないとは言えず
  忘れたくなくても忘れゆく夏の忘却曲線たれかゆるめよ

 明るさや煌めきに接することで呼び出される寂しさや、夏という季節が含むかけがえのなさ。普遍的な抒情はねじれながら発せられ、作者に内在する葛藤が調べに翳りを与える。

  感情を鎮めんとして思惟(しゆい)する熟れ柿ひとつ夜の卓にあり
  致死量という量おもう七滴の青むらさきのうがい薬に

 ものと向き合い、内省する歌にも惹かれる。熟れてゆく柿から感情の揺れ動きを、うがい薬の七滴からは死の質量が引き出される。違和感や不条理というものが作者の詩情を刺激するのだろう。時に激情にも死生観にもなるそれらは、抑制された表現だからこそ、奥にある火種の存在感を際立たせる。

無常との対話
澤田直子歌集『記憶の海へ』

書評 天野陽子

記憶の海へ

 「白珠」所属の作者の第二歌集。失われゆく昭和という時代の手触りがそこかしこに刻まれている。令和の世に身を置き、平成、昭和を振り返る眼は、ものごとのありのままを受容しながら、時代の歪みをつぶさに切り取る批評家の眼でもある。長く教育現場に携わった作者だからこその審美眼といえよう。

  死にし親の年数へるもまた空し母の知らざる食洗機使ふ
  連絡船夜行列車を乗り継ぎて出張せし父の遥かな昭和

 亡き父母の壮年期とかさなる昭和。母が使うことのなかった食洗機から、父母の年齢に近づくにつれ遠ざかる時や記憶、無常を噛みしめる。いまは数時間の移動距離も数日を要した時代。口に出さずに苦労を背負う昭和の男が偲ばれる。

  教免のなき校長が十年ごとの研修課される教師を評価す
  学卒後誰もが正社員になれた頃の明るさ「結婚しようよ」
  殺した側殺された側も自分たちも同級生といふ子らの酷暑

 教職現場から見る社会の不条理や、フォークソングが示唆する足並み揃えた「幸せ」。令和のいまはどうなのかと、問いを突き付けられる。学校内で凄惨な事件も起こった。過酷な事実を直視できるからこそ、生徒たちが課された現実に寄り添える。

  中国人の会話の中身の気にかかる「できるだけ」のみ日本語なれば
  雑踏の中に幼の声響く何語か知らぬが母を呼ぶらし
  残業も寒さも漢字も辛からむ明るき顔の若者達よ

 日本語教師としての歌からは作者の耳の良さが伝わる。異国の人の発語で、日本語の特性とともに顔を出す彼らの心情。そこに敏感な作者は常に、習得する人の背景に真摯に耳を傾ける。

  三千年後の我らを見据ゑむか土偶の女の目の大きさよ

 本歌集に詠われているのは、時代の流れに介在する無常との対話だ。土偶をみる作者もまた、悠久の未来をまなざしている。

人生の至福  うたと人と山、美酒・食・紫煙、そして反骨
雁部貞夫歌集『夜祭りのあと』

書評 結城千賀子

夜祭りのあと

 「アララギ」終刊後、宮地伸一を継いで現在「新アララギ」代表の著者は、土屋文明と戦後の「アララギ」最盛期を知る数少ない歌人の一人である。さる一月の「塔」東京集会では、五味保義・柴生田稔・落合京太郎といった戦後「アララギ」の選者達を自在に語り、その人間性と作品の魅力を伝えた。この他にも、土屋文明の謎多き側面を知るところであるらしい。
 また、藤岡武雄氏が創設した「斎藤茂吉を語る会」の二代目会長を務め、毎回様々なテーマで多彩なゲストを迎えている。土屋文明の謎の一面も、この会で語られる日が来るだろう。
 更に、「茂吉の歌を実感したかったら、東北を識れ」と言う著者は、会津の出身。東北の風土文化への矜持が、茂吉の人と歌に対する洞察の深さとなっている。
 一方で、日本の山岳のみならずヒマラヤに何度も登った著者は、山岳文学者・深田久弥の愛弟子である。山岳関係の編著書や中央アジア・西域紀行の訳書も多い。スケールの大きい山岳詠やエキゾチックな西域詠が、今までも多く発表されてきた。
 そして、美酒と食と煙草。行くところ山や歌の友との交流があり、美味い酒と食を味わい、香り高い紫煙を燻らす…、となれば、これはもう人生の至福。歌集を読めば、酒・煙草を嗜まない者もその幸福を共有できるのである。
 さて、著者近年の第七・八歌集に『夜祭りのあと』(令四)と『鮎』(令五)がある。二冊を通しここ七年ほど、即ち七十六歳から八十三歳までの作品を収め、共に装丁が印象に残る。
 『夜祭りのあと』は、嶮路絶壁の「文字書き岩」に刻む野沢凡兆の句碑の写真を表紙に用いる。飛驒高山で度々催された歌会・吟行の余勢を駆っての句碑行は、風狂の徒の系譜に連なる面目躍如であろう。飛驒の夜祭りに「どしゃまくり」(招かれざる客)として参加した高揚感も詠われて、集の山場を為す。

  「どしやまくり」の客なる吾も声合はす夜祭り果てむ辻に「めでた」を
  凡兆の古き碑見むと伝ひゆく切り崖の径脚(あし)わななきて

 続く『鮎』は、装画・題字が秀逸。茂吉の「最上川の鮎をこそ食はめ」ならぬ飛驒宮川の鮎を堪能するのが集名の由来だが、

  さまざまに鮎味はへど苔香る飛騨の若鮎忘れがたしも

と、飛驒の縁(えにし)の讃歌であり、二つの歌集は地続きである。
 以下、引用の最初の歌のカッコ内に、夜・鮎と出典の別を小さく略記して、作品を挙げたい。
 まず何と言っても、アララギ史や先人の面影が興味深い。

  アララギ史にわれの知識の空白部東京亀原・赤彦の家  (夜)
  人に人格山に山格ありと言ひし深田久弥はなつかしき人
  西域の歌を待つよと君の声昭和終はらむ夏の会にて  (鮎)
  桐の箱開くれば墨の香漂ひて息づく如し文明先生の文字

 右作品の、島木赤彦の東京での寓居の謎、日本百名山の深田久弥の名言、「落としの落合」と恐れられた選者・落合京太郎の意外な浪漫的気質や、文明の貴重な「金剛山五十首」折り帖のことなど、まず著者にしか詠えまい。
 次のような作の、東北人としての茂吉への理解も頷けるし、「斎藤茂吉を語る会」での岡井隆氏は筆者の記憶にもある。

  東北人茂吉は東京の夏をかく記す来る日も来る日も「暑(ショ)にして汗(カン)」と  (夜)
  もの調べ詠むは楽しと吾に告ぐ「茂吉の会」にて岡井隆は  (鮎)

 また、山岳と西域を詠んでは、読者の思いを遥かに誘う。

  近々と北の浅間は煙はく裸百貫の貫禄見せて  (夜)
  大黄河のぼりのぼりて一望す菜の花畑の限りなき黄を
  崑崙の玉出づる河ふたところ白玉河(ユルンカッシュ)と黒玉河(カラカッシュ)と
  菩提樹の樹下に集ひて水煙草回しのみする長き黄昏  (鮎)

 そして美酒と食と紫煙。

  一年の胃の腑の疲れいやすべく白子卸しで先づは一献  (夜)
  祭り終へ路上の樽よりぐいと呑む飛騨の「氷室」のよく冷えし奴
  妻連れて目指す「う」の店「上らんしよ」会津の女(をみな)の声はやさしも  鰻の老舗(鮎)
  煙草より莨と記すを好む吾この偏屈を許したまはね

 酒も食も出会いが大切、煙草は友。人生悠々、達人の域か。
 しかし、明治新政府に最後まで抗した会津人の気骨は今も健在。次のような反骨の歌があり、まさに溜飲が下がる。

  パソコンもスマホも知らず地下の部屋本に埋もれて果てむ生(よ)もよし  (夜)
  会津人の食支へしを誇りゐし祖父鶴吉の白糸納豆  (鮎)
  世の中のどこに隠れてゐたりけむ俄か「万葉」店頭埋めて
  私淑する一人を胸の奥におけ「秘するが花」と古人も言へり
  締まりなき口語歌などは飛ばし読む「まこと」の歌を吾は求めて

 時代の利便性に流されず、祖先の誇りを忘れず、令和改元にも浮かれない。歌の真柱を心に立てた著者がそこに居る。『夜祭りのあと』あとがきに、「鮮烈な生の実感を得られる世界を捨てて省みない」と現代を憂える一文があるが、山行も短歌も仮想現実ではなく、まことの生の手触りあってこそなのだ。
 その『夜祭りのあと』一冊は山と歌の同伴者・輝子夫人に、『鮎』は、飛驒の諸友に捧げられている。

  わが嬬も長靴はきて頬かむり秘密の山へ三人近づく  (夜)
  大根卸したつぷり摺れと下命あり今年初めて秋刀魚の夕餉
  わがために飛騨小坂(をさか)にて釣りしとぞ確かに川の苔食みし鮎  (鮎)
  遠音より近きその声さらによし飛驒の木遣りを共に聴きしに

 楤の芽採りや夕餉の一齣のユーモアは心親しく、飛驒人の心尽くしと亡き歌友への想いは深い。喜びも悲しみも味わい尽くすべし、それが人生―と、歌集が語りかけてくる。

  西洋の諺一つパッセパッサンティ過ぎゆくものはただ過ぎゆけと  『夜祭りのあと』

病む母と過ごした時間の記録
杉山太郎歌集『花鋏の音』

書評 脇中範生

花鋏の音

 この歌集には二〇一一年から十年間の作品が収められているが、母を詠んだ歌が多く「母に捧げる」歌集であり、病む母と共に過ごした時間の記録の歌集でもあると言える。

  爪を切るために体を曲げている八十二歳の母元気なり
  内科医の鉄分不足という所見めまいの原因に母が安堵す
  下手な絵の湯呑みを愛用する母よ浮かび来るらし教え子の顔

 乳癌の手術を受けてから転移を知るまでの母との生活を常に気遣う息子の眼でやさしく見守る。

  怺えるという字に両の目が留まる母の転移と吾は向き合う
  美味しいと言ってはラーメンを啜る母の手元の箸を見ている

 乳癌が脳にまで転移していた老母を見守る姿が切なく伝わる。母に近づいてくる死に怯える息子、知ってか知らずかラーメンを啜る母、当事者だからこそより強く伝わる。

  満開の桜の下に母が立つ仏壇用の写真となりぬ
  死後もなお動き続ける腕時計母を過去へと追いやりながら
  柔かにキャベツを茹でて母に出すその習慣も思い出となり

 そして母の死後を静かに詠む。作者は十数年前に妻に先立たれているようで、以後男手一つで母に付き添っている。露骨に感情を出さず淡々と詠んでいるだけに、読者にはより深い悲しみが伝わる。

  レジという検問所ありて人々の食をみつめる今を見つめる
  肉まんは立ち食いが似合う中華街春寒の路に二人の少女
  ヒロシマとナガサキを話す小学生電車の中に八月がある
  コーヒーの缶に振るなと注意書き振る平成と振らぬ令和よ

 またこの歌集には作者が暮らす横浜の街の日常も多く詠まれている。着眼点の切り取り方が巧みで、感情を抑えた表現、どの歌もリズムが正確で情景がすぐ浮かぶ。

歳に制限なし、やれば出来る
篠山重威歌集『宇治の川風』

書評 脇中範生

宇治の川風

 著者は京都大学医学部循環器内科の第七代教授を務めた医学界の大先達である。

  医に捧げ遊びごころを知らざりし身が短歌(うた)知りぬ八十路を前に

 その大先達が喜寿を超えて短歌を知り、自分を表現する喜びを得た。永田和宏氏帯に「新しい可能性に挑戦するに年齢は関係ないことを実証する」と記している。

  病む妻を置いて死ねずと思ふとき六歳の歳の差の切なかり
  ほんのりと咲き初めし薔薇に水をやる妻が少女に戻る日の暮
  コーヒーのかをりほのぼの部屋中に満つれば妻の目を覚ましたり

 勉学に勤しみ医学の向上に没頭していた頃の著者を支えてくれた妻を老い、病みてより介護の日常を温かく詠む。一首一首が温かくそして切なく伝わる。

  茶畑にマンション建ちて陽の光風の色さへ変はりしわが街
  路地に沿ひ咲く水仙を切り取りて冬の溜息持ち帰りたり
  奥つ城と決めたる丘に妻と来て宇治の川音しみじみと聴く
  焦げつきし鍋を磨きて庭に乾し秋の日差しをたつぷり吸はす

 夫婦の永住の地と決めている宇治市周辺の叙景歌、身辺詠にも心惹かれる短歌が数多くある。特に本歌集の表題となっている、宇治川を多く詠んでいるのが印象的だ。身辺詠も一首しか引けなかったが、「おっ」と目を止めた短歌が多くあった。
 一冊を読み通して著者の短歌に向かい合う姿に感動を覚えた。歌歴の浅さは感じられるが、作歌の面白さを知り、歴史的なかな遣いも一から学ばれたのであろう。その気持ちに畏敬の念を抱く。著者よりいくつか若い筆者が「学びに歳の上限のない」ことを教わった一冊である。やれば出来るのだと。

往復に宿るもの
永松徳興句歌集『レンマひらめく』

書評 浅見忠仁

レンマひらめく

 歌人でもある著者の句歌集。あとがきによれば「レンマ」とは、「言語によらず直観によって全体をいちどに理解すること」を意味する。長年短歌で研鑽を積まれた著者にとって俳句はまさに直観で詠む詩であるのではないだろうか。

  秋日暮れ能ある人はせはしうす
  因果律の縛り解けて秋の暮れ無心になれば詩歌生まるる

 基本的に俳句と短歌が対になる構成が多く、発想はどちらが先かわからないが、この対となった組み合わせは現在に生きる我々と過去の詩人との対話のようだ。対になることによって、語られないことと語り足りないこととが互いに補完し合うかのように読む者に迫ってくる。

  目高飼ひ老いの繰り言きかせをり
  それぞれに思ひ異なり諍ひし昭和の父母は煮凝り遺せり

 これは対ではないかもしれないが、自らの老いの自覚とすでに存在しないであろう親への郷愁が目高を媒介として、煮凝りへと凝集している。
 俳句の抽象度と短歌の解像度がそれぞれ行ったり来たりすることで見えてくるものがある。句歌集ならではの楽しみ方だ。

  挽き臼のいまは庭石秋の雨
  野梅までぬかるみを踏みわけてゆく
  俎板にさくら花びらついてゐた
  パクチーの茎の伸び切る梅雨晴れ間
  根菜の土の力や鍋の中

 もちろん短歌と対になる句ばかりではない。短歌で培った解像度の高さは俳句にも生かされている。自然の何気ない風景への観察眼、季節を自らの懐へ引き入れる日常の確かさ。短歌と俳句の表現の違いを時に楽しみ、時に苦闘しながら往復し続ける先を見てみたいと思わせる。

土地の力を生かして
三和幸一句集『宇治川』

書評 鈴木牛後

宇治川

 著者の住まいは句集タイトルにある通り、宇治川にほど近いところにある。そこから紡がれる俳句は、宇治の風土に深く根ざしたものと言っていいだろう。

  花ふぶき川を背にして先陣碑
  琴坂の明るきところ濃山吹
  宇治山の夕風はらみ山法師

などの、宇治の固有名詞を生かした句にも惹かれたが、白眉は次の一句。

  鳳凰のとまりさうなる藤の棚

 この「鳳凰」は、言うまでもなく宇治にある平等院鳳凰堂の屋根に据えられている、一対の鳳凰のことだ。鳳凰堂のシンボルである鳳凰が、庭の藤棚に舞い降りて来そうだというのである。目の前の藤の花の素晴らしさとともに、国宝であり、また郷土の誇りでもある鳳凰堂を言祝ぐ一句となっている。

  葉桜や父の遺しし文字僅か
  苗札のところせましと母の畝
  妻病めり針の先にも冬の来て

 家族を詠んだ三句だが、いずれも季語やモノに語らせて、その背後に作者の思いを滲ませることで、読ませる俳句となった。このように、俳句の王道を行く作者の手腕は、叙景の句でも遺憾なく発揮されている。

  みづうみの波かさねあふ手毬唄

 「みづうみ」は宇治からほど近い琵琶湖だろう。かつて口遊んだ手毬唄を思いながら、波の打ち寄せる湖を見ているのか。「波かさねあふ」という措辞からは、波が寄せては返す琵琶湖の穏やかな情景とともに、波のリズムがいつしか手毬唄と一体となって、郷愁の念を呼び起こすさまが思われる。これも、土地の力を存分に生かした一句と言えるだろう。

ひらがな、口語表記の持つあたたかさ
𠮷川敬子歌集『琺瑯の赤の薬缶』

書評 脇中範生

琺瑯の赤の薬缶

 本歌集には「塔」に入会以来十六年間の厳選された歌が並ぶ。

  たわんだりねじれたりした歌がない 一首も詠まぬ夫が言いたり

 読み進めていてその思いを強めた一冊である。過剰な修辞や無理なルビもなく口語の素直な詠みぶりに一貫している。

  子の吾を忘れし母が犬の名をかわいい声に幾度も呼べり
  呆けるのが怖いと言う義母は新聞のクロスワードを真っ先に切る
  かあさんの声を聞いたらほっとする標語のような娘の電話

 父、義父母、息子、娘、そして認知症を患う母をしっかりと見つめ佳作が多い。そして圧倒的に多いのが夫を詠む作品だ。

  垂乳根の母をのこしてゆくことを詫びたる夫に笑むしかなくて
  茶碗割る乾いた音がひとつして柩の夫は家を出てゆく
  子も吾もメモ魔と夫を揶揄しいきそのメモ頼りに暮らしをつなぐ

 抄出した三首は夫が病んで亡くなってからの作品で、いずれも想いを誇張なく詠まれている。それが読み手の心に強い感動を残す。夫の死、作者にとっては大きな大きな節目であると思うが、その作品群がこの一冊の錘となっている。

  天辺にゆくほど撓う竹と竹かしーんかしーんとぶつかり合いて
  三万個の甕並びいて内黒くぷちぶくぷくっと酢が生まれおり

 ひらがなで表した独特なオノマトペが時折り見られ、作者の感性であろうが、読み進める中でのホッとひと息つくのもこの歌集の魅力でもある。またひらがな表記が多いのもそれを親しみやすくしている。第二歌集を早く読みたいとも思う。

思いの集積が映す時代相
佐久間𤄃子歌集『桜を拾ふ』

書評 池田裕美子

桜を拾ふ

 どことなく墨書の私家集を思わせる活字や組み方、歌われた内容の自身の感興に忠実とみえるアトランダムさも、独特な印象を与える作者像、歌集だ。
 冒頭からやや唐突に「悼 中村哲氏」として左を掲げる。

  画面には井戸掘る男映りゐて初めの水の飛沫を浴びる
  志半ばに斃れし映像は車の窓に手を振る破顔

 アフガニスタンで長年、国際人道支援に多大な貢献をした中村医師。特に命の水の重要を井戸や用水路建設で実践。報道された井戸水が迸りでた瞬間の現地の人々との歓喜の輪。一方は銃弾に倒れた、その偉業を称える追悼報道での人々に愛された表情だろう。おそらく折々の作者の社会詠的関心の一つの理想像、象徴としての中村哲氏だったのだ。そうした視点の原点に〝父の戦争〟があることも次第に明かされる。北支での父の陣中日誌を発見、その父の俳句や短歌に触発される。

  「透かし見る長城線や星凍る」父の陣中日誌に見たり
  戦争を憎む心が足りないと蝉がわんわん鳴いてゐるなり
  両の手に抱く地球儀傷ありて触れし痛みはどの国ならむ

 父を通して戦争の様々な悲惨、問題が我が事となり詠まれる。原爆、九条、イラク戦争、自衛隊の海外派兵、テロ等も。
 歌集後半は視点が一転、家族と故郷の歌で占められてゆく。

  この世で一番悲しい声よほうけたる母が母呼ぶ「おっかさん」
  墓を無くし祖を移して故郷にいよよ研ぎゆく漂泊の芯
  海へ還る死者達の為の線香を立てる浜辺もなくなりにけり

 親を見送り、故郷を懐かしみ振り返ると、永遠に続くと思われた家郷も様々に空洞化してしまっていることに愕然とさせられるのだ。個の時々の率直な思いの集積の歌集に、まざまざと時代相が刻まれる事も歌という表現の効用めいた力だろう。

夢幻と覚醒の往還
大久保明歌集『微睡』

書評 池田裕美子

微睡

  飢えもまた郷愁となりぬ水無月の垣根に茱萸は艶やかに照る
  野葡萄の熟れゆく垣に蟬声の絶えて抜け殻ひとつ光れり

 傘寿とあり、「飢えもまた郷愁」の把握が痛切なリアルである太平洋戦争末期生れ、幼少期は戦後の混乱と食料難という世代。感傷の隙なく彫琢された詩精神は、「飢え」と「抜け殻」という世情の〈無〉に対し、自然の果実が赤く「熟れる」再生の〈有〉を配置する。自生の実は子供の遊びや時に飢えを凌ぐ希望の灯でもあったろう。そしてこの二首に続き「無言館」に絵を遺し戦争に散った若者を詠むことで、一冊に先ず祈りの扉が開かれている。硬質な詩性の一方、次のような世界も魅力だ。

  亀の背に乗りて渡らむ春泥のとろりゆるりと艶めく蓮田
  中宮寺弥勒菩薩の肩の辺に吾をあずけて微睡(まどろみ)ており
  夢ふたつ一夜に見しは哀しきをいずれにも出でぬ人のありけり

 解題で真中朋久氏は中世説話等の影も示唆しつつ、これらの歌境に「半分は現実のようで、どこか夢幻の世界に広がってゆくような、微睡のなかに浮かんでくるものがある」とその「夢幻的な作品の魅力」を指摘する。これらは実は連作的に並ぶ歌ではない。が歌集題の「微睡」と共に、この歌集の一方の情感を繋ぐ物語性を紡ぐ。夢幻の中のエロス、例えば「中宮寺弥勒菩薩」は美しい微笑みで世界三大微笑と讃えられる。電車などで隣り合わせた美女に弥勒(乙姫)の面影を重ね、更に凭れての微睡に浦島太郎の境涯を連想する。春泥の艶めく蓮田とはまさに龍宮のイメージだろう。夢の歌は漱石の『夢十夜』なども連想させつつ、人生の生き得なかった傷や残像を曳く。歌が呼び合いつつより深い像やテーマに届く作家性を感じた歌集だ。

  ダリ風の時計を手首に光らせて八月六日駅へ急げり

人間のよく観えるひと
上田清美歌集『喜望峰に立ちたし』

書評 池田裕美子

喜望峰に立ちたし

 歌歴約五十年の、四十代後半以降に絞っての第一歌集。この若き日々を捨てる選択が逆に作者像の奥行きを深くしているか。

  中年てふ大き括弧に括られて数式のやうな毎日が過ぐ
  喜望峰にいつか立ちたし嵐吹く岬と知りてなほあこがるる

 前歌はおそらく作者の生活実感であり情感の現在地、そして後の歌はこの歌集が封印した作者のもう一つの半身、その夢や情熱だろう。この構図が意識されたものであることを示すように、五十代に入った頃と思われる作に次のような歌もある。

  俯きて歩みて来しかゆく雲のふくらむやうな夢は見ずなり
  落椿ひとつところに掃き集む白きも赤きも饒舌すぎる

 なだらかに巧みな歌意を描きながら、結句の否定に至る人生訓的自戒の言にハッとさせられる。歌集題でもある「喜望峰」に象徴される浪漫や非日常世界への憧れや情熱とは真逆のような、ある種それらへの諫めを深く内蔵した歌だ。
 実際にこの歌集が全体として描くのはとても豊かな家族像だ。夫婦愛の多彩、両父母の看取りの歌も温かい。子や孫への愛情深い秀歌も多く、何れにも細やかな尊重と立ち入り過ぎない賢明で家庭を包む真摯と充実の姿を歌集は写す。

  千本のバラの花よりひなげしの小さな花束下さいあなた
  特養の義父とすし食ぶ一生の大切の日とひそかに思ひ
  里帰りしたる娘がぽおぽおと小鳥のやうな寝息たてゐる
  クローバーをわが手にそつとのせくれて三歳言へりお幸せにねと

 それでも時に秘めた感性の鋭さ熱情に心揺れるーー「何事もなかつたやうな秋の空 私は何をこはがつてゐる」と。同時に純粋に没入できる美と羨望の傍らに、エゴと自意識の覚めた悲哀に気付いてしまう。多分人一倍、人間のよく観える人なのだ。

  必死なる人の姿の美しくときに不気味でかなしと思ふ

見えない君と歩く
ジャッシー いく子歌集『向かい干支』

書評 熊岡悠子

向かい干支

  君はうま吾はねずみの向かい干支 ふる里はきょう節分である

 歌集のタイトルでもある向かい干支とは、十二支を円に並べたとき対角線にくる干支を指す。向かい干支を持つことで自分に無いもの、足りない部分を補い合い更なる幸運が得られるという。作者はねずみ年で夫はうま年。その幸せな生活が唐突に断たれるところから歌集は始まる。「寝たきりにならず徘徊もせず あれでよかった」と人は言うが

  生きて七日脳細胞は全滅なりと 君に別れの添い寝をした日
  コンコンと硝子戸叩く音がしてたれそと見れば朝焼けの空
  今日もまた二人一緒に歩いております 見える一人と見えない一人が

 悲嘆にくれる日々、作者は亡き夫の靴やセーターを身につけ二人で歩いた道をたどり、鳥や花に夫の姿を重ねる。その切実な声は読む者の心を揺さぶる。やがて十八年間共に暮らしたアメリカでの生活を整理し、故郷に帰ってくる。骨壺一つ抱いて。
 夫君はユダヤ系アメリカ人のようである。

  運び来し色とりどりのヤマカありユダヤは君の根っこであれば
  命日の宵にろうそく灯すのは死者を弔うユダヤの流儀

 ユダヤ人の象徴であるヤマカを帰郷の折持ち帰り、ユダヤの流儀で弔う。この歌集には亡き夫へ捧げる英語訳、スペイン語訳自選百首が付録としてついている。
 ふるさとでも父母や叔父の挽歌が続き、一人である寂しさは癒えないが悲しみに暗く沈んだ一冊では無い。それは二人で暮らした時間の蓄積があり、見えない君と歩き続けて行くことを肯定しているからだろう。

神とつながる光の糸
柳さえ子歌集『ゆだねる』

書評 熊岡悠子

ゆだねる

 古稀を迎えられた時、柳さんは今まで繋がってきた人たちを思い返し、覚えている名字を書き出す。学校の先生、お医者さん、牧師、友人、日本語教師として交流のあった人達など約千人。なんと誠実な生き方をしてきた方だろうと感嘆した。歌集にもそれは現れている。「繋がりはすべて神さまの壮大なご計画」と受けとめ、これからも神さまに委ねていきたいと思い歌集名を『ゆだねる』とされたことを「あとがき」に記している。

  起き上がりこぼしのおもりに信仰を得て倒れてもまた立ち上がる
  雨に打たれ雨に染まらず「寛容」という花言葉の白き紫陽花
  神からの数多の糸にて動きたるマリオネットのごとく生きんか

 起き上がりこぼしや紫陽花という具体名を出して表現し難い信仰を詠んでいる。三首目、神とつながる光の糸が見える。

  娘2人授かりてより40余年幾万回も笑顔もらえり
  「考え中」そんなプラカード上げといて相談をするタイミング難し

 一首目にあるように歌はアラビア数字で書かれている。この歌集は横書きで組まれており開いた時は驚いたが、年月の流れや孫の成長など数字で読めてわかりやすい。二首目は「夫の歌」の項目から引いた。研究者でクラフォード賞など受賞する多忙な夫は帰宅後も実験の事を考えていて話しかけるタイミングが難しい。そんな子育ての中で笑顔を送られ続けた幸せを詠む。歌集の半分近くを孫四人へのそれぞれの歌で占められている。小さい事も話せる父母や姑を見送り娘そして新しい世代の孫へと詠み継ぐことは、作者夫婦の歩んできた確かな道のりの証なのだろう。

「ひかり」とは
永田愛歌集『LICHT』

書評 川島結佳子

LICHT

 作者の第二歌集で、二〇一四年から二〇二一年十二月までの歌が収録されている。

  しゃぼん玉をとばせるようになりし児が息吹けばひかりあまたうまれる
  空のいろの海へはきっと帰らない魚あかるいひかりを返す

 タイトルの『LICHT』がドイツ語で光であるように、光の歌が多い。一首目、しゃぼん玉のきらきらした光は子どもの成長と呼応する。二首目は水族館の歌。魚が「帰れない」のではなく「帰らない」ならば、魚が返すひかりはここで生きるという意志のことであろう。

  わたしより絶対先に逝かないで欲しいと言えず十指をにぎる
  殺めて、と言えばあなたは初冬のわたしの首を絞めてくれそう
  時間より記憶が大事なこともある わたしが死んでも覚えていてね

 死の歌も多く詠まれ、先の二首は並んで置かれている。相手に先に死なないでほしいと言えないのは、本当のことだからだ。「首を絞めてくれそう」と思うのは、「あなた」は「わたし」の思いを理解してくれているという信頼の証だろう。三首目、「こともある」の「も」には、「わたし」を忘れてほしくないという気持ちの他、あなたが寂しくないようにという思いがある。

  だれもかれもいつかひとりで逝くという事実 ときおり日照雨のように

 みな一人で死ぬという事実。しかし、日差しを反射して光る「日照雨」によって、一首の読後感は暗いものになっていない。
 本歌集のなかの「ひかり」は死を照らす、生命や希望のことであるのかもしれない。

歌の旅 半世紀
西田泰枝歌集『日月  健やかなる時も病める時も』

書評 熊岡悠子

日月  健やかなる時も病める時も

 長い間短歌を詠み続けてきて、ある機会に一冊の歌集にまとめるーーその宝のような行為から歌集『日月』が生まれた。金婚記念と夫の喜寿を期に、感謝の気持をこめての出版は歌の数も半世紀の年月に渡り(途中二冊の歌集を上梓しているが)目次の項目だけで二百を越えている。

  ありなしの風に樹々より散る雪の春めく明るさ新居への道

 一九七一年二月のこの一首を巻頭として『日月』は始まる。そして二〇二一年
わが腕に永遠の眠りにつきし夫最期さへわれを幸せにせし
が最終のページの歌になる。ていねいに今わの際まで生ききった夫、コロナの時期であったことが幸いして病の夫に寄り添うことのできた日々、その充実感が込められている。タイトルに「健やかなる時も病める時も」の副題がついている。

  女児なりし未熟のままに逝かしめて深夜窓打つ風雨(ふうう)ききおり
  わが翼拒める夏の三人児の貝殻骨を風光りゆく

 早産の後、三人の子供に恵まれる。二首目、母親の保護する翼を抜け出して成長していく子供達の後ろ姿がかがやく。「みぢか世とも思へど子を産み親送り孫を抱けば遥けしわが生(せい)」と作者が総括するように、文字で残しておきたいという日常が真摯に差し出されている。完成度の高い作品群をさらに豊かにしているのは、夫妻が好んだ樹々や花の香りであろう。夫が育てる薔薇の鉢が入院を待つ妻の身辺をうるおす歌もある。

  こんなにも綺麗だつたか夫の薔薇が入院待ちの日日を飾れり

 この歌集の扉に置かれているのは京の版画家の花の作品。「ほら見事に咲いたよ」という題がついている。
(歌集は新旧両方の仮名遣い使用)

太陽の明るさ
間宮伸子句集『桜鯛』

書評 鈴木牛後

桜鯛

 この句集の良さは何といっても明るさだろう。それは、「太陽」のモチーフが何度も使われていることからもわかる。

  太陽の匂ひしてゐる枯野かな
  名は太陽大輪にして冬牡丹
  信州の太陽どかと干寒天
  太陽に寿命あるとや麗らかな
  雪囲解かれ太陽招じけり

 いずれもさんさんと明るい太陽のイメージを最大限に利用している。中でも四句目が面白い。太陽に寿命があるらしいという話を聞いて、そこに麗らかさを感じているのである。太陽の寿命という途方もない長い時間を思うことが、すでに麗らかであり、気持ちを明るくするのであろう。

  昼寝せぬとは可愛げのなき人よ
  切り売りのはてに冬瓜なくなりぬ
  海鼠にも喜びの日のありぬべし
  箱で来て箱の好きなる子猫かな
  白魚飯無きに等しき骨も食ぶ

 これらの句の俳諧味も見逃せない。一句目は幼い子ではなく、おそらくは夫だ。昼寝でもしてくれればゆっくりとできるのに、という気分がユーモラスな一句に仕立てられている。
 一方で父母を詠んだ句には哀切の念が籠もる。とりわけ、死の間際の母を詠んだと思われる、

  母に死の翼の生えて夜の秋

は絶唱だ。衰弱していく母を見て「死の翼」が生えていると思ったのであろう。それは、まだ母にはここにいて欲しいという作者の痛切な願望であるが、同時に、翼を得て好きなところへ行けるというほのかな希望のようなものも読み取ることができて、俳句形式の力というものを感じる一句である。

まっすぐに立つ言葉たち
髙山葉月歌集『胸像』

書評 川島結佳子

胸像

 バレエの経験があり、現在はアルゼンチンタンゴのダンサーである作者の第一歌集。二〇一七年から二〇二一年までに詠まれた二一六首が収録されている。

  土を捏ね愛する人の胸像を創るようなり愛することは
  裸婦像は蹲りたり浮き上がる背骨に意志の強さを秘めて

 巻頭の連作から。一首目、初句から四句目までは比喩であるが、土の生々しい手触りが伝わってくる。「愛する」を二回使うことは、ややくどいようにも思えるが、愛の重さの表れである。二首目、蹲る裸婦像と言われると苦しそうな姿を想像するが、主体は背骨に意志の強さを見る。それは、裸婦像に苦しかった自分を重ね、その苦しさを乗り越えてきた経験があるからだ。

  九センチヒールに支配されぬようタンゴシューズを支配する足
  マズルカを踊らすように浜風が乾かしてゆく黒レオタード

 ダンスについての歌を引いた。一首目、九センチのタンゴシューズでは踊ることはおろか、歩くのにも転んでしまいそうだが、結句の「支配する足」という言葉にはダンサーとしての矜持が感じられる。二首目、バレエの時に着用されるレオタードは体に密着し、揺れることはない。ひょっとしたら、浜風は乾かしながら、レオタードにダンスの楽しさを教えているのかもしれない。

  ポアントで立つ足首をはたかれて揺らがない軸細くなりゆく

 ポアントは爪先だけで立つバレエの姿勢のことだ。不安定な足首を叩かれても揺らがない軸があるのは日々の鍛錬があったからである。しかし、それは主体の身体だけではない。本歌集に載っている歌がどれもまっすぐ立っているのは、作者の言葉と心に一本の芯が通っているからに違いないのである。

様々な人生の一場面
吉田淳美歌集『CLOUD』

書評 川島結佳子

CLOUD

 三部構成であり、Ⅰ部はコロナ禍の歌と社会詠、Ⅱ部は旅行詠、恋の歌、芸術の歌、Ⅲ部は身の回りの歌が収録される。

  はやり病で多くの人が死ぬことを忘れてしまって何年経つの
  かんたんに多くの人は死ぬのだよ死ぬのだとCOVID19

 Ⅰ部の歌から。コロナ禍前の世界的な「はやり病」といえばスペイン風邪を思い浮かべるが、主体はまだ生まれていないだろう。しかし主体は、人類の大きな記憶を持ちながら読者に語り掛ける。二首目のCOVID19はまるで一首目に対する答えとして、人類に死の記憶を呼び起させているようだ。コロナ禍が如何に暗い時期だったかが伝わってくる。

  二本の時あなたは遠のく一本だとかなり近づく 傘は持たない
  次の雨はほかの誰かのものだった 傘をさして森を後にした

 Ⅱ部の歌から。自らは傘を持たず、相手の傘に入れてもらおうとする姿に、「あなた」への思いが窺える。主体にとって雨は「あなた」に近づく絶好の機会なのだ。二首目、どんなに相手のことが好きでも別れはある。恋愛の比喩である「森」を、ひとり傘をさして去ってゆく主体の姿は寂しい。

  五歳のとき買ったガラスの靴を娘はリング・ピローに仕立てて嫁ぐ

 Ⅲ部の歌から。リング・ピローは挙式で指輪を交換する際に使用される、結婚指輪を置くためのものだ。シンデレラの人生を好転させたガラスの靴は、娘の希望ある未来を暗示する。
 編年体ではなく、テーマ別であるからこそ、主体の人生の一場面がより濃いものとなっている歌集である。

フィールドワークのように
英保志郎歌集『平城山の風に』

書評 黒﨑聡美

平城山の風に

 二〇一五年に終刊した「青樫」の編集・発行人を十五年間務めた作者による、十年ぶりの第二歌集。「平城山」は「ならやま」と読み、奈良の歴史と季節にふれた歌を多く収める。

  平城山は夫恋ふる人の眠る墓二重(ふたへ)の濠を廻らし祀る
  首伸ばし首をすくめて千年の水面にコサギは影を映せり
  「お水取りが始まつたら寒うなりましたな」今年も交はす奈良のあいさつ

 周囲に濠をめぐらせた巨大な前方後円墳、ウワナベ古墳とコナベ古墳。仁徳天皇の後妻である八田皇女がウワナベ古墳の被葬者、妃の磐え媛がコナベ古墳の被葬者と考えられており、フィールドワークのように知をもとに現地へ赴き歌に詠む。また聖武天皇の陵所である佐保山南陵を詣でた際に目にした「コサギ」の姿には遥かなる時をみる。毎年三月に行われる東大寺のお水取りは奈良に暮らす人にとって大切な伝統行事であり、「あいさつ」の平仮名表記に人々の豊かなつながりが伝わる。

  雲梯と名付けし人のひらめきの少年の眸に映るなかぞら
  鳴き龍を鳴かせる僧の手馴れたるしぐさに天井の龍鳴かさるる

 いきいきと他者を写し取る。「ひらめき」の語の明るさが雲梯をする少年の動きとなり日に何度も拝観者に「鳴き龍を鳴かせる僧」の説明や動作の一連の滑らかさを「な」の音でうねるように表す。また、父を詠んだ歌も印象に強く残った。

  酒呑めぬ父は村の寄り合ひにとつとつと下駄の音のこし行く

 巻末に、城南宮「曲水の宴」献詠歌十九首と、「『青樫』時代の塚本邦雄」という小文も掲載されている。草創期の「青樫」に入会した塚本と妻である竹島慶子の出会いの頃の歌など貴重な資料であり、作者の「青樫」への深い思いも伝わってくる。

『おくのほそ道』と古典芸能
藤英樹句文集『わざをぎ』

書評 鈴木牛後

わざをぎ

 句文集『わざをぎ』は、古典文学や、歌舞伎・能などの古典芸能の世界に、いかに著者が心を傾けてきたかが窺える一書である。中でも、『おくのほそ道』の吟行句の数々には、心惹かれるものがあった。

  関越えん世の知らぬ花さがすべく
  殺生石きつねも遊ぶ良夜かな
  霜ざくざくと中将の落馬道 (「藤原実方」と前書)
  壺の碑(いしぶみ)氷の如し春の風 (「多賀城」と前書)
  高館に立てば鯨波の秋の風
  龍となり月山の霧襲ひくる

 著者は千住から一関、平泉から象潟と徒歩で旅した。旅の動機は、加藤楸邨の「芭蕉は足でたどり、芭蕉は足で疲れつつこの線上で物を見たのである」という言葉だったという。古典や能の世界と芭蕉の俳文、さらに現代の風景が交錯するところに立ち上がった句群は、意識が朦朧となるほどの疲労の底から得たという点も含めて、価値あるものと言えよう。
 評論「初代中村吉右衛門と俳句」も読み応えがあった。吉右衛門は明治末年から戦後の歌舞伎の名優だが、同時に虚子に師事した俳人でもあった。本書によれば、吉右衛門の俳句は決して「余技」ではなく、「人間修行、延いては俳優修行の意り」だったという。そんな吉右衛門と虚子との俳句の師弟としての、そして一個の人間としての付き合いの深さについての記述からは、「真ッ正直」というものの力を改めて感じた。

  雪の日や雪のせりふを口ずさむ  中村吉右衛門

 著者はこの一句に、吉右衛門の「何でも人間は腹で行くこと」という言葉の本質を見る。雪の台詞を口ずさむとき、その周りは俳優にとってつねに雪の日となるということだ。私たち俳人も、その心構えを持って俳句に臨みたいものである。

草木から精神へ続く径
溝川清久歌集『艸径』

書評 黒﨑聡美

艸径

 「塔」に所属する作者の約二十年にわたる作品を収めた端正な第一歌集。『艸径』の名の通り、数多の草木の歌が並ぶ。

  水張田に数ふる程の穂先見ゆすずめのてつぱうと確かめて過ぐ
  ひかり到る樹かげに花を咲かしめて節分草は名より小さき

 雑草という名の草は無いというが、水田に生える草が「すずめのてつぱう」だと見極め、早春に咲く白い「節分草」の花の小ささや気品を「名より小さき」という把握によって表現する豊かな感性と巧みな技術と豊富な知識を持つ。また「ひかり到る樹かげ」はさりげないが丁寧で確かな描写だ。
 草木を愛し名も知りスケッチもする作者。しっかりとみるその視線は動きをもたらす風をも捉える。

  昼の風を貯めをりしごと樹々の葉の夕べしづけき中に散りつぐ
  手づくりの切手に色を付くるごと木梢(こぬれ)のさきへ風吹きいたる

 散りつぐ樹々の葉も若い枝先の木梢も、風が吹くことによって伸びやかに見え方が変わる。まるで世界が更新されたかのような清新さで、「昼の風を貯めをりしごと」「手づくりの切手に色を付くるごと」の比喩にはふくらむような空間が感じ取れ、落ち着いた文体がそれを支える。読後も歌の中の時間が続く。

  渡り切れば彼岸と此岸換はりゐつ橋のたもとに樹のかげ探す
  しら梅の散りはじめたる水ぎはに失ふ日日を春と呼びをり

 橋を渡り樹のかげを探しただけ、白梅の散りはじめに水際にいただけ、のことが草木をみる確かな目は世界の深部を感受する。どこまでも静謐であり、作者の精神へ続く径を教えられることで読者もまた、自身の精神へ続く径を歩み出す。

人との関わりにおいて
王生令子歌集『夕暮れの瞼』

書評 黒﨑聡美

夕暮れの瞼

  間にあわない不意に思えば夕焼けが鳩尾あたりに燃え上がってくる

 二〇一五年に「塔」に入会した作者の第一歌集は、生のエネルギーに溢れた一冊。特に人との関わりにおいて暴力的とまで言えるような気持ちの強さが発露される。

  繋ぐ手がないから拳握りしめ時々人を殴りたくなる
  さようなら 別れた男の人型を道路にチョークで描いている夜

 怒りや悲しさ、別れのときの自らの内部を驚くほど率直に詠み上げる。「時々人を殴りたくな」り、別れてもう会うことのない男を交通事故死に遭ったように思うことは、自らの心を守るようでありながら同時に傷つけてもいるアンビバレントな状態であり、それを隠さない。短歌という器への大きな信頼があり、短歌との出合いで辛い過去と向き合う。

  一言も我を褒めずにまた一段母は黙って飛び箱を足す
  ひやっとする 涙のたまる内側を母がこっそり覗き込んでる
  通り雨 いつまで我はあの人の娘でいるのか 水滴払う

 母との確執の歌が多い。母に一言でもいいから出来たことをただ褒めてほしい娘と、娘の出来たことに対して黙って更に難易度を上げる母。涙のたまる娘に過剰な反応を示す母と、それに気づく娘。互いの心情が理解できずにいる。露悪的になりがちな難しいテーマをウェットにもドライにもなりすぎない文体でたくましく表現し、読み応えがある。

  夕暮れの瞼の中で開かれる亡き人だけの朗読会あり

 巻尾より二首目の歌集名となった歌。確執や葛藤を経てようやく素直に「亡き人」を思う気持ちが「朗読会」に込められている。亡き人の声を聞く時間は静かに満ちているのであろう。

好奇心に溢れた眼
一色さくら歌集『二本』

書評 永守恭子

二本

 歌集タイトル『二本』に合わせて二本の樹木を描いた表紙の油絵は作者の作品。光の具合による木の肌の色や枝分かれする細い枝の動きが写実的に描かれて美しい。写実は作歌の姿勢でもある。

  がらんどうの長き牛舎の傍らを桃太郎という名のトラックが過ぐ
  野焼する女の影が夕暮れの中に消えてはまた現れる

 見ることにおける作者の発見はユニーク。空っぽの牛舎の傍を過ぎてゆく「桃太郎」という名。その組み合わせのおかしみ。夕暮れに野焼きをする女の影の明滅。独自の眼が捉えた景である。

  雨あがり鉄製の竿に銀色のしずく止まれり居場所を持ちて
  石の下に生れしばかりの百足の子脚の付け根を動かしており
  診察を終えて去りゆく原付の籠に光るは草刈鎌の刃

 雫に焦点を絞ってゆく眼の動き、結句の認識。百足の子の脚の付け根。往診を終えた原付の籠に光る草刈鎌の刃。好奇心に溢れた眼は対象へ迫ってゆき、文体はシンプルだが的確な把握がある。

  さくらさんが素手で涙を拭いたる化粧っ気なしの顔は本物
  糊づけの白き座布団さしだして逝きし息子を語る女(ひと)よ
  やぶれ傘の穴より見える冬の月わたしを見てるそうわたしだけ

 最も興味を持って見つめるのは人間である。何気ない瞬間を見逃さず、そこから人間の本質を読み取るようにして描くどの歌も面白い。見てばかりの私が見られている歌が一首だけある。

今日を生きる喜びの実感
藤木こずえエッセイ集『子規の絵』

書評 永守恭子

子規の絵

 女郎花と鶏頭を描いた子規の絵がある。赤い鶏頭が頭から血を流しているようで鮮やかな色彩の生々しい絵だと長い間思っていた。この度、子規が仰臥したまま画板を吊り下げて動かしてもらい、絵の具も筆につけてもらって描いていたと知った。また、漱石への葉書に描いた東菊の傍に、絵がまずいのは病人だからと思いたまえ、嘘だと思うなら肘をついて描いてみたまえと書いていることを知り、絵がどのようにして描かれたのか理解した。こうした時々の心境を含め、知っているようで知らなかった子規の細かな事実がちりばめられていて実に興味深い。
 本書は著者の『草花帖』の絵との出合いから始まる。子規の絵には「描くことが好きだったというだけでは説明できないもの」があるとして強く惹かれたと書いている。子規が絵を描き始めたのは亡くなる三ヶ月前。死の際までモルヒネの力を借りて描き、『果物帖』『草花帖』『玩具帖』三冊の写生帖がある。そうしたことが、著者自身も癌を病み、末期癌の姉の苦しみを具に見たことと関係していたようだ。最期の時を病苦と闘いながら「子規はなぜ絵を描いたのか」についての考察からは、知りたいと思う熱意が伝わってくる。多様な文献を読む中で、文学革新における写生論の成り立ちや子規をめぐる人々やその他つれづれを友人たちとの様々なエピソードも交えて紹介しており、幅広い視野からのアプローチによって人間子規が新たに現れる。
 例えば、子規が仰臥して描きながらも納得する色が出せるまで何度も塗り直してできた画用紙のささくれ。それに目をつけて語る大岡信の言葉をあげ、そこまでしてなぜ描こうとしたかと中川一政の「写生道一」の「私のとった道は写生道である。生を写すことである」を取り上げる。写生する草花が生きていることは、つまり自分が生きていること。子規が絵を描き続けたのは今日を生きる喜びを実感することだったという著者の言葉に納得した。

山霧の白く湧く道
西堤啓子歌集『あるがまま/スマイル』

書評 永守恭子

あるがまま/スマイル

  執拗な怒りの続く真昼間の白き世界は風も死にたり
  山霧の白く湧く道たどりゆくどこへ行くのかナビもないまま
  対岸に渡ったままの人がいて平行線は哀しき図式

 歌集に頻出する「白」。色彩豊かだった日常は、脳炎の後遺症で高次脳機能障害という人格障害症が残った家人の「執拗な怒りの続く」「白き」世界に変わり、やり場のないしんどさを抱えた日日は「山霧の白く湧く道」。「哀しき図式」はさびしい自己認識だ。

  防潮堤にたたずみ夕陽目に追えば背(せな)に沈める千本松原
  うちつける雷雨の向こう立つ影は吾を見守る若き日の人
  身も髪もやせて炎暑の風に立つズッキーニ光り夏は動かず
  あなたから剥がれ落ちたるやわらかな羽を返せと叫べり何に
  カボチャのようにただ抱きとめてほしかった崩れんとする私の何か

 千本松原の重さ、炎暑を耐えるズッキーニ、内側から崩れんばかりのカボチャ。苦しむ私を様々に喩えて自己憐憫なく作品化し、昔のあなたを想う。「歌を詠むことが救ってくれた」と作者は記す。

  「おのれを心から軽蔑する」と言われ「ありがとうございます」と答えるパンダ
  幸せだったことの手ざわりあるがまま鏡に今はアルカイック・スマイル

 時間の経過の中で、厳しい現実を乗り越えるための模索が見える。来し方の幸せだった手触りを感じつつ今はアルカイック・スマイル、ありのままで微笑んでいたいとうたう。歌集掉尾の歌。