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青磁社通信第十四号VOL.142006 年 7 月 発行

巻頭作品
青人草

馬場 あき子

青人草草莽(※正字)草の根草の原六十億ドル青葉がしみる

牡丹の香精神の香のごとく来てほのかに宿り去りゆきにけり

留守を見守る白き椿も散り尽しわが家開けば闇流れ出づ

夜の闇に沈める家の鍵穴に鍵をさし込む秘術のごとく

夜の底にぼうたんの香り沈みゐてもろともに深き存在となる

なめくぢもごきぶりも消えてしまひなば夜の厨のさびしからまし

花大根たけゆく春のあてどなき思ひに鴨の浮かぶ川あり

エッセイ
モスクワ往復の機内にて

高野 公彦


 三年前、用事があつてモスクワに行つた。飛行機に片道九時間も乗つてゐなければならない。機内禁煙だから、本でも読まないと手持ち無沙汰で悶死する怖れがある。さう思つて、新刊書を二冊カバンの中に入れた。正高信男著『ケータイを持ったサル』(中公新書)と、森銑三著『おらんだ正月』(岩波文庫)である。
  行きの機内で『ケータイを持ったサル』を読んだ。いま、周囲とのコミュニケーションを取るのが苦手な子供たちが増え、彼らは絶えず他人と繋がつてゐないと不安なのでケータイに溺れるのだが、そんな子供たちを作り出したのは、親たちの「子ども中心主義」の家庭が原因である-と、著者は述べる。正高氏は京大霊長類研究所に勤める気鋭のサル学者で、ニホンザルの家族の行動形態に対する綿密な観察の上に立つて、右のやうな分析をした。なるほど、と納得させられる所が多く、モスクワに着く前に読み終へた。しかし、近ごろ電車の中で「化粧するサル」をよく見かけるが、あれは一体何だらう、と思つた。もつとも、「棧橋」の批評会に集まつて五、六時間も歌のことを飽きずに議論してゐる我々だつて、よそから見たら「短歌するサル」かもしれぬ。
  帰りは、『おらんだ正月』を読んだ。江戸時代に医学・思想・地理学・数学・植物学・探検・発明・土木などの分野で活躍した先覚者五十余名についての伝記である。関孝和、杉田玄白、伊能忠敬、大槻磐水、平賀源内、間宮林蔵、高野長英などが取り上げられ、すべて平易な口語文で書かれてゐる。森銑三氏の若いころの著作である。
  江戸時代は、オランダが洋学の窓口であつた。蘭学者たちは太陽暦を知つてゐた。寛政六年(1794年)閏十一月十一日が太陽暦の一月一日に当たるので、江戸の蘭学者たちがその中心人物・大槻磐水の家に集まり、新しい元日を祝つた。これが「おらんだ正月」であり、そこから採つた書名である。
  子供向けの雑誌「子供の科学」に連載した文章なので、まことに読みやすい。伊能忠敬のことを書いた伝記から一部引用しよう。日本地図の作成をこころざして、暦学者・高橋東岡(とうこう)に入門した時の話である。 《暦学を学ぶと共に、一方には自分の家に新式の測量の器械をいろいろ備えて、天体測量の実習をしました。その頃忠敬は、午前中に外出しますと、正午前には帰って太陽を測り、午後外出しますと、夕方には帰って星を測るのです。(中略)時には東岡先生と天体の話などしている内に、もう夕方になったのに気が附いて、あわてて帰ることなどもありましたが、そんな時には脇差だとか紙入だとかが、よく置き忘れてありますので、ほかの人たちは、「伊能さんは、何というそそっかしい人だろう」などと笑いましたが、実は決してそそっかしいのではなくて、天体の観測にいつも心を奪われていたからだったのです。》
  こんなエピソードを混じえながら忠敬の生涯の業績を語つてゆく。伝記の長さは一人につき七ページ前後、気楽に読むにはこれぐらゐの短さが良い。巻末には、明治初期、苦心してマッチを製造し世に広めた「マッチの父」清水誠のことも書いてある。
  私は『おらんだ正月』を暗い機内灯の下で読みながら、晩年の著書『西鶴一家言』を思ひ出した。昭和五十年、河出書房から出版された本である。内容は、西鶴の作とされるもののうち、『好色一代男』以外は全て他人が書いたもの、といふ画期的な論である。当時、私は河出の編集者としてこの本を担当し、何度も森先生にお会ひした。その時の印象を、後日、「本すこし風呂敷に下げ長身の森銑三氏本郷を行く」と詠んだ(『雨月』)。先生は当時八十歳。これは本郷の反町(そりまち)弘文荘でお目にかかつた折の歌である。先生はいつも本を二、三冊、風呂敷に包んで持つてをられた。すらりとした長身で、話し方が柔和で、世事に超然とした人だつた。この先生が昔「マッチの父」について書いたなどとは、知らなかつた。
  この店にありと覚えて過ぎしふみけふはも見えず売れにけらしな   森 銑三
  古きふみまれには買ひてかゆすひてかそけく生くるわが身いとしも     同
  こんな歌があることも、当時は知らなかつた。「ふみ」はいづれも書物のこと。戦後まもない貧窮の時代に詠まれた歌である。これら六十余首の歌が、没後に出た随筆集『木菟(づく)』に入つてゐることを教へてくれたのは、刈谷市に住む鈴木竹志である。彼は、刈谷出身の森銑三を、書誌学者・伝記作家として限りなく尊敬してゐる。鈴木竹志が書誌学的な仕事をしてゐるのも、森銑三の跡を追ふ、といふ意識のあらはれであらう。

衰えをしらぬ震災詠
尾崎加代子歌集『新しい風のなかに 』

書評 中野 昭子

新しい風のなかに 

  手に足に触るるかぎりにまさぐれど上も左右も固き暗黒
  これの世にわが果すべき何かあらばこの暗黒を救ひ出し給へ
 巻頭には「一九九五年一月十七日」の題がある。夜明け前の午前五時四十六分、突然大きく揺れて、気が付けば崩れた家の中。阪神淡路大震災直後の暗黒世界である。「一年過ぎやうやく娘は言ふ母はもう死んでるものと瓦礫を除けた」という歌が示すように死を覚悟する体験であった。一首目の下句を一瞬、抽象的に感じた。しかし、特殊な体験の実感であると想像の及んだ瞬間、「固き暗黒」が上から左右からも空間を狭めて、圧迫感や恐怖感を確実に伝えてくる。
   自力脱出したる夫のイヤホンの外れしラジオが恐怖を消しぬ
   新しき朝が来たりぬ頭上低くコの字に細くかすかな光
 このあと救出されるまでの作品が続き、救出されて、
   四万十の水安曇野の水救援の水に身の裡すすがれて来し
 と、徐々に落ち着きを取り戻してゆく。緊張感の途切れぬ一連をここに掲出できないことが残念である。
 震災詠は、「青々とおだしき夏のオホーツクの海辺を歩む生命残りて」へ続く。北海道旅行で震災の傷も癒えたかと思うと、また、「草を引く土に混じれるガラス片潰えし窓のいづれのガラス」など、みずからの、めぐりの人の、街の、震災の傷あとを見つめて歌った作品となる。このように、国内外旅行の歌に挟むかのように、震災は歌い続けられる。
  震災後、詠まれた多くの作品と歌集。歌集『新しい風のなかに』はそれらとどこか違うと感じる。十年という歳月を経た作品にもかかわらず衝撃性を保っているのだ。記録性に富む短歌の特質を生かす工夫をしているということである。
  時事詠や旅行詠は受動的作歌態度を警戒して多少慎重になるものだが、そのような常識に挑戦するかのように震災詠と旅行詠を押し出した歌集である。震災と関わらぬ日常詠の中にあっても、震災の衝撃が薄れてゆく速度がおそい。日常の流れを旅行詠で切断しながら歳月をかけて震災と向き合っているからであろう。尾崎作品の震災詠の迫力は、震災を日常に埋没させてはならぬという意識の持続であると思える。
  家持も見にけむ伯耆大山の草生のなかの撫子の花
  放牧の牛ことごとく顎よりも大きカウベル剄にかけゐる
  いちはやく日差しの届く辺りより鳥の子色の馬酔木咲くなり
  新しい出会いに心を癒しながら、震災を未分化のマグマとして持ち続けてきた作者に、この後も震災記録は風化することはないだろう。そのように思わせる歌集、震災詠である。

神さまの大きてのひら
大塚洋子歌集『半開きの門 』

書評 中根 誠

半開きの門 

 『半開きの門』は、大塚洋子さんの第三歌集である。
   かつて姑(はは)と呼びたることあるその人の葬りにゆきぬ息子に従きて
   婚家を出でし者にてあればみ仏の親族に遠き位置に座りぬ
   夫がゐて子らと住みにきかつての家新築のため取り毀すといふ
  霞ヶ浦に突き出た景勝地出島に生まれ、隣りの土浦の高校に通い、やがてその街に嫁いだ大塚さん。三人のお子さんに恵まれたが、不幸にも夫君が若くして亡くなられた。大塚さんは、幼い息子さん二人と娘さんとともにその家を出ることになった。
  いろいろな事情があってのことで、それぞれにとって悲しいことであったろう。この三首は、婚家を出てからしばらくして姑の葬儀に参列した時の歌である。淡々とした表現の中に疎外・喪失の感情がこもっているのだが、それはこの三首に限らず大塚さんの多くの歌に低く、時に高く響いているものである。
   今宵聞く遠海鳴りの音高し終の住処と未だ思へず
   あなたにはあげられませんと鵯が四照花の実を全部食ひたり
   石の間にするりと入りゆく蜥蜴ゐて長き尾つぽがまだ見えてゐる
   雨の歩道に沙羅の花がら落ちてくる半開きなる門の上より
   神さまの大きてのひらが照らすごと山のひとところ陽に光りゐる
  県北の街に移り住んで既に十数年が経ったのだが、まだ落ち着かない思いがあるのは、海鳴りのせいだけではないのだろう。
  作者の目に映る鵯や蜥蜴、そして花さえも作者に疎外と親近の微妙なサインを送ってくるのである。四首目の「半開きなる門」は、歌集名になるものだが、そこに「均衡のとりにくい、日常の不安感」をこめた、と「あとがき」に記されている。
  それでも、「不安感」は、日々の生活と海も山もある自然環境の中に解消されていくように思える。「神さまの大きてのひら」を意識する作者生来の明るさが戻っているのである。
   お正月独りなりけり 泣き方のへたな女をテレビに見てをり
   あれこれと話す人形あるといふ面白いといふ 私は要らない
   まつすぐに風受けてゐる砂丘(すなおか)よ覚悟をしたる背中のやうに
  愚痴や強がりをうたっているのではない。人間の下手な慰めは要らない生き方を少し時間をかけて獲得したのである。
  家に続く風の海岸砂丘や故郷の湖こそが信じられるという思いが伝わる。豊かな自然を引き寄せて力にする大塚さんの優れて魅力的な感覚である。

誰かどこかへ
藤井マサミ歌集『もっとも青い所 』

書評 水沢 遙子

もっとも青い所 

 『もっとも青い所』は長い間その上梓が待たれていた藤井マサミさんの第二歌集である。一九八〇年頃から二十余年にわたる作品がおさめられている。集題の『もっとも青い所』はガラス工芸家のガレの瓶を詠んだ次の歌に拠っている。
   エミール・ガレの硝子瓶のもっとも青い所かのガレの息こもりたる所
  美しい瓶の「もっとも青い所」に惹かれ見つめている作者のまなざしにたちまち取り込まれて私たちは藤井ワールドにみちびかれてゆく。
  「見る驚きは喜びと同じ」という作者は、丘に住まう日々に出会うものや失われてゆくものを、しなやかに確かにうたいとどめている。が、歌集を読み進むうちに、作者の住む所そのものというより、丘の町に接して(あるいは少し重なって)在る界(さかい)を案内されているような気がしてくる。そこはたぶん作者の精神がほんとうに生き生きとはたらいている所なのだろう。
  木や草や風や鳥や虫や猫が登場するが、作者のまなざしは曇りがなく驚きやすい。が、それは子供っぽいものではなく、物語を案内する大切な役割を担う仙女のようなまなざしである。
   倒されし樹木のあとへそれぞれの鳥は帰り来金の眼をして
   さっきここに置きたる眼鏡があんな所に移っておりぬ秋冥菊咲く
   あれは夏噴水だったという穴は乾きし池に上向いている
  その界には老いた母の居場所もあるし、茶の猫も悠々と居る。
   衣類脱げばわが母匂う忘れいしたらちねの若き母の匂いに
   着せてゆくわが手に甘き汁したたる母は大きなくだものにして
   このひとはわが母なりと『白雪姫』を夜の寝床にくり返し読みにき
  このようなかなしく、またうつくしい母の歌を私は他に読んだことがない。「母はおおきなくだものにして」と言い得るまでの二人の長い時間を思わずにはいられない。
  仙女のような作者は時には世の中へきびしい批評の目を向けることも忘れない。
  朝の駅の人の流れに漂える誰かどこかへ失せゆくだろうか
  声揃えニッポンニッポンと連呼せりわが日本と異なるニッポン
  うれしげに手をつながれて幼な子は知らない人に殺されに行きし
  この歌集は五つの章、「紅の樹液」「さくらの丘」「よろこぶさくら」「今年のさくら」「太るさくら」から成る。さくらに過ぎた二十余年は、すなわち作者の界にすぎた歳月であり、作者の感受をいっそう柔らかくゆたかにした歳月でもあった。

強さと優しさ
田中義郎歌集『緋の寒牡丹』

書評 津山 秀夫

緋の寒牡丹

 著者の田中義郎さんは、政治家で歌人という異色の人である。何故異色か。私の師菊池庫郎(明治十四年~昭和三十九年。国民文学選者)は早稲田の商科を出て甲府商業の教員となり教職を一生の仕事としたが、昭和二十八年に〈政治家とならざりしかば命生きてかくここにありうれしとや言はむ〉という一首を残している。政治家は庫郎が見たように激職なのである。著者はその激職を昭和四十年以来通算三十八年にわたって勤め、同時に昭和二十三年から始めた作歌の方も休むことなく続けて第五歌集となる『緋の寒牡丹』を刊行した。これは凄いことである。著者と同学齢の私も昭和十八年から作歌を始めているが、仕事との両立はならず休詠欠詠を繰り返して歌集も一冊にとどまっている。著者は本書のあとがきで、三十八年間地方自治市民福祉に全力投球することができた、と謙虚に自負を述べているが、私の見るところ全力投球は作歌を含めた生活のすべてと思われる。当初本稿のタイトルを「外連(けれん)なし手抜きなし」と考えたのであったが、議会現場の直接端的で剛直な歌とともに、真摯で優しい著者の人間性が随所に見られる歌を再度読んで、〈強くなければ生きられない、優しくなければ生きている価値がない〉という誰かの言葉が浮び、「強さと優しさ」こそ著者の本質であると理解するに至ったのである。それらの歌から紙数の分だけ次にあげてゆく。
   三十元麦藁帽買い尾根越ゆる長城にたつ澄む空の碧
  現地に立てばこの歌のよさがよく分かる。
   金剛かつらぎ二上の山つらなれるこの山影をこよなく愛す
   家業なりし葡萄作りも議員となり栽培のなき農家となりぬ
   ボルドー液に青く染まりし作業服もいまいずこ背広着て葡萄摘む私
   背高く偉丈夫の祖父鉄骨の温室の葡萄持ちいる写真
   玄関の梅の古木と石に座る髭の曽祖父次松さんの写真
  これらは著者の人間形成を思わせる。
   大阪府と市の双眼構造つぶすべし府民のしあわせそこよりおこる
   凍る手のマイクは遠く駆けてゆけ胸深く打てわれの真実
  議員現職の歌は多いが割愛する。
   私の手におえなくなってきやった妻のいうねたきり母の日々介護
   夜中に起き母のオムツを替えにゆく妻粛々の日課となりて
   二十世紀も二十一世紀も変らぬ空オリオン冷たき三つの光
   男女共同社会づくりに女性専用車時代錯誤のごとく現わる
  多くのいい歌を残すことになってしまった。

適度な距離感
林泉歌集『本とフラスコ』

書評 後藤 由紀恵

本とフラスコ

 『本とフラスコ』は、「塔」に所属する林泉の第一歌集。作者は子どもの誕生とともに短歌を詠み始め、その子が十八歳で家を出たことをきっかけに歌集をまとめたのだという。家族はもちろんのこと、教師としての職業詠や各地への旅の歌、戦争への思いなど、歌の素材は様々だ。どの歌もやわらかな言葉で詠まれているが、その芯には対象への適度な距離感がある。これはとても大事なことだと思う。
   寄り添える家族の寝息のこもる部屋わずかひらきて深呼吸せり
   わたくしのかつての言葉に傷つきし生徒の証言とどまり止まず
   新聞紙にくるみし小菊を積む船は春の夕べの離島を縫えり
   展示さるる胴体ちぎれし零戦のひとり座席の背もたれ小さし
  一首め、季節は描かれていないが、何となく蒸し暑い夏の夜を思わせる。ふと目覚めると部屋に夫と子どもの寝息が充満しているようで、思わずドアを開いて深く息を吸う。深呼吸という実際の動作が、「夫と子ども」という「幸せ」への距離感にうまく重なる。二首め、人が人を傷つけるのに言葉は大きな力を持つ。たとえ何気ない一言だったとしても、言われた側がそれをどう受け取るかはわからない。この歌は言ってみれば教師としての負の部分を、自己弁護することなく描いている。
  旅の歌の多さもこの歌集の特徴の一つだろう。三首めは「瀬戸内の春」と題された一連からの一首。のんびりとした春の夕暮れ、小菊を積んだ船がゆっくりと離島から離島へ進んでゆく。飛行機から見た景色なのかもしれないが、船を縫い針に見立てた俯瞰的な視線が面白い。そして四首め、かつて誰かが乗っていたであろう零戦。その座席の背もたれが小さいことに気づくまで、どれほどの時間を見つめていたのだろうか。声高になることなく淡々と詠んでいる中に、作者の悲しみや怒りが十分に伝わる。
   いつもの辻にいつもの婦警が見当たらぬ今朝は左折が心もとない
   約束があるごと犬が耳立てて真夏の道のまんなかを行く
   胎内に収むるごとく冬越ゆる小さき鉢を部屋に入れおり
  また、日常生活の中でふと現われる不思議な感覚を掬った歌に面白いものが多くあった。もはや風景と化した婦警の不在や、まるで約束があるように道の真ん中を堂々と歩く犬、鉢植えを部屋に入れる時に胎内を思うなど、当たり前のことが少しだけ非日常になる瞬間を上手くとらえている。今後もやわらかな言葉と対象への適度な距離感をもったまま、新たな世界を拓いてほしいと願う。

豊かに澄んだ流れ
日刈琢史歌集『あめんぼう 』

書評 貞包 雅文

あめんぼう 

 福岡県の柳川といえば、北原白秋の名を思い浮かべる人も多いだろう。現在でも毎年“白秋まつり”と銘打って短歌大会が開かれるなど馥郁たる文化の薫り高き土地柄である。隣県に住む私なども、柳川という響きにある種の憧憬にも似た思いを抱いている。著者である日刈琢史氏はこの水郷柳川の出身。白秋を育んだ柳川の風土に氏も大いに感化されて育ったのではないだろうか。というのも故郷である柳川を詠んだ作品に一読して魅きつけられたからである。
   柳川の蜻蛉は人に親しかり歩いておれば肩にとまりぬ
   濁ることなき柳川の掘割りを砂捕り船は軋み下れり
   日の暮れぬうちに蛍の飛び交えり水の故郷宵の柳川
   柳川の訛今なお残りいて少し話せば里を知らるる
  氏の原風景として、蜻蛉や蛍が飛び交い砂捕り船が下りゆく澄んだ流れが歌の背景に立ち上がってくる。ことさらに奇を衒わない詠風も、柳川という豊かに澄んだ流れが背景にあると思えば納得がいく。
  あとがき・略歴によれば、氏は大正十年生まれ。五十代よりまず俳句に親しみ、次いで短歌も始めたとある。また生涯学習という言葉に感動されて以降は三味線、尺八、詩吟、民謡などなど多彩な趣味に励まれているという。歌集には折々に書き溜めてきたというエッセイも収められていて、まことに好奇心旺盛な作者であるということが伺い知れる。しかしながら「私の短歌は私自身の記録の為に歌った物」という作者の言葉通り、この歌集に収めてられいる作品は決して技巧に走ろうとはしない。生活に即した自然詠、旅行詠など素直で平明な歌がほとんどだろう。誰もが記憶の底に持つ、郷愁を呼び起こすような懐かしい風景に幾度も出会わせてくれる歌集なのである。
   野良犬の村のはずれの橋渡り冬の寒夜は村に寝に来る
   洗い場に人参沈む冬の川色もさだかに水澄みていて
   金魚売り去りたるあとの地の湿りしばし涼しき銀行の角
  一首目の、昔はどこにでもいた野良犬に寄せる眼差し。生活の一場面としての川を思い出させる二首目。金魚売りの来ていた町角の存在感を詠んだ三首目など、かつての暮らしの中に確かにあった手触りのようなものが、いずれの歌にもさりげなく息づいている。私はこれらの歌に、もはや失われた生活の温もりを、一抹の寂しさとともに感じるのである。
  そして、俳句の修練で培った観察眼の所以あろうか、からりとしたユーモアを感じさせる自然詠も見逃せない。
   若竹のたわみをくぐり外厠無断で借りる山の留守寺
   我が齢を越えたる如き老木の野に立ち枯れて蹴れば音する
   落ち葉踏む音に飛び翔つ山鳥のわれに驚きわれも驚く
  柳川という深く澄んだ流れが、この歌集の背後を流れている。

断念のしずけさ
藤重直彦歌集『黄に明る 』

書評 四元 仰

黄に明る 

 歌集『黄に明る』は表現の錘を琵琶湖という大きな容れものの中に深く沈めた自己省察の歌集である。含羞と抑制の意志をきびしく保ちつつ、歌うべきものと歌ってはならないものを峻別し限定して、みずから領域をひろげようとしない、一種の断念に似たしずけさがある。あらわれるかたちは純粋で簡明で、私のような未知の読者を限りなく鎮静にいざなう歌集である。
   枯れて立つ葦それぞれに穂を掲げ穂は川風の中に鳴りいる
   かすみいる湖静かにて葦群は冬に入らんと黄に明りたる
   揉まれつつ育ちゆくべし蒼葦の伸びゆく辺り水の濁りて
   黄に明りあるいは枯れて汚れゆく冬の葦叢一様ならず
   今年また同じところに枯れてゆく葦叢めぐり波がさわがし
  『黄に明る』という題名の由来ともなった作品を含めて本集には葦をうたった作品が二十七首ある。ことさら自然詠ときめこんだ型式美ではない。日常の延長としてありのままの眼で見た水辺のその折々の感情である。
  藤重直彦は、京都大学医学部を出た精神科の医師である。京大短歌会の先輩にあたる彼をよく識る永田和宏氏によれば、含羞の情強く自己主張の少ない半面、断念の強さにおいて頑固な側面のある人だという。先入主にこだわるわけではないが、第一歌集『湖影』のあとがきで藤重直彦自身が「もう湖しかうたわない」と書いているのを見ると、何か他人事ではなく、ひそかな共感さえ送りたくなる。そして言うならこの言葉にはまぎれもなく純粋な自恃の精神がひそんでいる。含羞をたたえた断念と自恃の精神はもともと表裏一体のものであろう。断念には苦渋が伴う。その苦渋を湖のほかをうたった作品に見てみよう。分類して言うなら職場詠というのであろうか。精神病理の臨床をうたう作品群である。
   的確に応えつつこころ病む故の深き諦念君は隠さず
   生まれきて青き空見し幸をせっぱつまれば語ることあり
   かかわりをあざ笑うごと自らの命断ちたり若き命を
   耐えがたき生きなりしかや早々と断ちたる命悼むにもあらず
   こころ病む者の傍らに在る日々は病む者のためはた自らのため
  声おもおもしく、おのずから沈黙を誘う作品群である。他者の容易に容喙しがたい精神の深い領域に属するもの、深く裡にたたみこむしかない人間そのものへの畏れがここにある。犯すべからざる「ひと」というもの。断念はそのことかもしれない。
   ひと夏のこと遺らわんにみずうみは常なる光静かに湛う
  頚椎の椎間板ヘルニアの手術から六年、医療現場に復帰した著者の慰籍としての湖がここに静かに光を反している。

フーガの世界
新川克之歌集『前奏曲と遁走曲』

書評 久津 晃

前奏曲と遁走曲

 新川克之が「熱情ソナタ」五十首で、第二十四回角川短歌賞を受賞したのは一九七八年、今から二十八年前の、彼が二十五歳の時であった。その同じ年に、彼は高安国世を慕って「塔」に入会し、今日に及んでいる。不勉強な私は、その後の彼の歌壇での活躍や、結社内外の実績を不文にして何も知らない。
  その彼が、このたび第一歌集を上梓した。雌伏十年どころではない。実に二十八年という歳月が、この寡黙な歌人の上に過ぎていった。歌壇ジャーナルは非情の世界である。新川の歌人としての軌跡の上に何が起きたというのだろう。
  この歌集は、タイトルからしてまさに音楽そのものである。「プレリュード」と「フーガ」、そして初期歌篇の「インヴェンション」。作者の捲土重来の思いが伝ってくる。
  彼は角川賞の「受賞のことば」の中で、次のように述べている。〈熱情ソナタの第一楽章は「運命の動機」をも秘めつつ、深くしずかにヘ短調の分散和音形の主題ではじまる。〉、〈疾駆する分散和音、たたきつけられるような和音連打、「強く生きよ」と叫んで熱情ソナタは曲を閉じた。〉と。
  その彼の、音楽と短歌の合体は失敗に終ったのだろうか。
   満月の夜も獣となれぬ吾なれば秘めやかに弾く月光ソナタ
   されどなお耐えて生きよと路地裏に漏れてきこゆる熱情ソナタ
  一首目はこの歌集の巻頭歌、二首目は角川賞五十首詠の最後の歌(受賞作は旧カナ)で、二首共、言はば音楽と短歌の協奏を夢みて、燃えに燃えていた時代の作品である。その道は苦難の道であったに違いないが、その軌跡は、この歌集の中に鮮明に描かれている。
   全身に夕日をあびてたつビルの小暗き下を人は帰りゆく
   午後六時ビルの彼方の夕映えを空想しつつ地下道をゆく
  この歌集の主旋律はあくまで音楽であるが、日常の風景や生活を詠んだものの中にも、通奏低音としての音楽が流れている。彼はビルや地下道をよく歌っているが、その夢みるような、くぐもるような調べは、思索的であり、抒情的である。
  作者の音符上に乗せられた主題は様々あるが、重要な核をなしているものに、妻子や父母等のうからやからがある。
   子のなきを罪のごとくに言う客にさりげなくセーターを売る
   おたまじゃくし未だ生れざる森の沼腹ふくらみし妻と見にけり
   泣きやまぬ子と屋上に妻はきて亡き母います天に語れり
  歌の原点は相聞である。万事に謙虚で、敬虔で、消極的な彼にとって、愛こそは何物にも換えがたい精神の砦である。愛をうたう時、彼の精神は昂揚し、静かに激しく燃える。