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青磁社通信第三号VOL.32002 年 4 月 発行

エッセイ
いとをかし

小島 ゆかり

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
  おお、懐かしいこの文章。かつて意味もわからず暗記した、かの『奥の細道』の冒頭部分である。意味のわからない頃にはやたらに暗記させられ、その意が心の奥底にまでしみわたるこのごろは、もう取り出して読むこともまれになったとは、考えてみれば不思議なことである。 ところが、つい最近、私はこの『奥の細道』で大いに笑った。俳聖芭蕉の名文『奥の細道』で笑うとはいかに。本当を言えば、笑ったのは、娘の中学校卒業文集の付録〈『奥の細道』風に綴る三年間〉。
  クラス三八名のうち三六名が一ヶ月ずつ分担して三年間のできごとを綴り、残りの二名が前書きと後書きを書いて一巻となっている。そして『奥の細道』風であるから、これがすべて古文で書かれているのである。現代文であれば格別どうということもない内容が、古文であるために、いとをかし。 たとえば、一年八月にはこんなふうに書いてある。

 葉月にて、学業にしばしいとまあり。あまたの友どち、部活動に、いとがんばりけり。

なんとそのすぐ前の、一年七月は、わが娘の筆。

 文月といへば、海の家なり。小学校のときとはいささか異なる友どちとの生活。くらげにさされる者あり、全身くろくなりたる者あり、あまたの思ひ出を心に刻みける。夜は、遠泳の疲れにてみな深き眠りにつきたると思ひしが、消灯ののち、にはかに秘密の会議開かれにけり。これによりて友情いたく深まる。

 なるほどなるほど。興味津々でだんだんやめられなくなる。が、よそのお子さんの文章を無断で引用するのも気がひけるので、以下、少々の抜粋をいくつか。
 
  一年十月
本年二度目の地獄来るなり。すなはち中間考査なり。悪魔のごとく勉学にいそしむ者もあれば、ただぢつと時が過ぎるのを待つ者もあり。いたく静かにて目の下を黒くせし者こそ恐ろしけれ。
  一年三月
来年度は二年生にならんとす。卯月には新入生が来るなり。ゆゑにわれら先輩は手本とならねばならぬが、少年老い易く学成り難し。春休みとて、さまざまなる遊びの誘惑に勝てず。古人も多く誘惑に死せるあり。
  二年十月
神無月のはじめ、学芸発表会ありけり。みな準備に励みけり。ときとして涙を注ぎ、またときとして喧嘩もしけるが、かかる苦難を乗り越え、われらの団結いよよまさりける。
 二年十二月
クリスマスとぞいふ外つ国の祭り近づくころ、白雪いと儚く降りたるに、われなにやらロマンチックなる気分起こりて、かねてより心に秘めし君へ、告白の文送りしが、君わが心を入れず。われ、外に出でて白雪とたはむる。
  三年一月
新しき年は来たれり。みな、進学の試みに向けて学問に励むかと思ひきや、さほどにもあらぬ者どももありて、あやしき気配こそただよひにける。
  三年三月
いよよ卒業の時は来たれり。さまざまなることありしかど、絶えずわひわひしきわが組なればこそ、別れに涙したり。
 そして、後書き。
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。さればわれらもこの学び舎を過ぎ行く旅人なり。こののちは、功名を立つる者、悪名を馳する者、いろいろあらむを、わが三年A組の友情は不滅なり。

  ざっとこんな感じ。きっと教科書に載っている『奥の細道』を頼りに、見よう見まねで書いたに違いないが、実にすばらしいではないか。この企画を考えた先生は偉い。よく考えれば、なにも古文古文と勉強にしてしまわないで、もっと日常に古文を用いたらいい。この文集から滲み出るそこはかとないユーモアこそ、現代にもっとも不足しているものである。 最近できたらしい「りそな銀行」(理想的な銀行の意という)も、そんな変てこな日本語を使わず、いっそのこと「諸行無常銀行」とでもしたらどうか。 諸行無常銀行に出で入る者ら、富裕なる者も貧なる者も、等しく「諸行無常」と書かれし通帳を携へにける、いとをかし。

発信ランプ
千葉玲子歌集『醍醐の里』

書評 神谷佳子

醍醐の里

 「ご苦労さま」と挨拶をかわす、その何気なく口にする言葉が、そう言いつつ深い共感を覚えたり、時には自分への慰謝のように感じられることがある。慣用化されている言葉の意味がふと胸をつくのも年を重ねたからであろう。日日の記録でなく、日日の心の記録としての短歌は、一首が文章の何頁分をも集約している。特に生活日常詠は、有無を言わさず人間の真情と機微をつきつけ、精緻なレトリックを越えるときがある。自ずから文芸の芸の極みと通ずる、象徴性を持つということもあり得るのではないか。『醍醐の里』を読みつつ、「表現」によって人が励まされ救われるという重さを改めて感じた。
  点滅する発信ランプを接続し月旅行のこと考えている
  内からの激しき思いを温めて発信ランプのブザーを押しぬ
最初の方に置かれているこの二首が、読了するまで心に残った。発信ランプとは何だろうと思いつつ、恐らく作者の内部にある始動をうながすもの、決断というようなものかと考えて、面白い喩だと思う。心中に点滅する迷いを断って、前進へと接続する時、月旅行へ出かける程の決意だというのであろう。次の歌は、つき上げる激しいものを和め発信にまでもってくる、ためらいつつ前へうながす決行のランプ。
  道化役者ひとりを常に住まわせて静かに閉ざす朝の三面鏡
  威勢よきことのみわれの誇りにて原付き自転車スピード五 十に
  女手に兄とわれとを育てたる月日も棺に入れて持ちゆく
  おもしろおかしく生きよと言いし母抜歯ののちの夢に逢いたり
  夫の後踏みて歩けばぬかるみも飛び越えていつ醍醐寺への 道
 やや自虐的に自分を投影している二首、しかし顕ってくるのは他者への優しさだ。道化の笑いは人間存在への深い憐愍、笑いつつ自らの足元を悟らせる。次の歌、威勢よくふっ切ってゆくそのふっ切るものの辛さを逆に思ってしまう。母上の挽歌は、嫋嫋と詠まず、下句の淡いユーモアをたたえた表現に哀惜の情が滲む。五首目は、作者の充足した人生の象徴的一首ともなっていて、ぬかるみと認識しつつも自然に越え得た喜びがある。
  近江より持ち来し真水土に浸む摩文仁の丘の悲話に聞き入る
  弾丸を木内に秘めて年を経しとっくり椰子の繁りていたり
  「湯どうふ」の旗寒風にゆれるなか合格発表見に走りゆく
  失いしものの記憶をたどりつつ昼の蛍を掌にねむらせる
  シベリアの寒気上空を覆い居り白き野良犬われを見上げる
  十五夜を子も見ていんかビードロの月はしずかに稜線離る  
 眼前に広がる景に体温が感じられ、いい歌だなあと思う。ひき受けるものは正面から受け、一つ一つ丁寧に一所懸命に生きる中で醸成される思念。殊更でない表現がゆったりと豊かな思いにさせる。日常詠の練達がもたらす実りを思う。

画家となりける戦中の姉
進藤多紀歌集『静晨』

書評 田井安曇

静晨

 巻のはじめの方にたとえば
  わずかなる飲食で足ることを知る山荘晴れて蝉しぐれせり
  くるみ栗成り年ならぬ山の家栗鼠は早やばや居を移しおり
 という歌を読み、何故だか安心する。筆を節して描くように、語を惜しんでしかも奥へ達している表現に、共感し安んじて一冊の中を逍遙できると判断したのだろう。
 日本画家の内面というものを全く知らないから、多分怖れてもいたのだろう。しかし
   セザンヌの絵のごとく古色に暖かき果物充てる今日の厨辺
 を読むと、あれを「古色に」といっていいいのか、などと少し動いてくる、楽しくなってくるものがある。
   楊貴妃桜苑に人なし杉田久女あわれ一世に句集なかりき
  庭苑に「楊貴妃桜」だけが一樹婉然と咲いて人影を見ない。作者にとって「杉田久女」は孤立しかつ搖らぐことなきこの桜樹であり、妃と女俳人は共に力に扼された受難者として一つのものであったろう。久女は昭和十一年突然「ホトトギス」同人を除籍され、これは殆ど俳壇追放に等しい破門の措置であった。二十一年失意のまま九州の病院で死去、はじめて句集が出たのは二十七年、敗戦を挟んで高浜虚子による破門から十六年後のことであった。
  久女を「あわれ」と把える文学の歪みについての鋭敏さは、「敗戦」を「改元」を自らの体験の底から掬いあげて
   手足失せて還ればいかに思うかとわが瞳見据えぬ征旅の前夜
   開戦に元首でいましき君にして朝より雨の寒き大葬
 と歌っている偽ることのない広い認識、民としての痛い感性・記憶に根差している。
  今、この集の特徴を言おうとしてやや小難しいところに入ってしまったが、個人的に嬉しい歌には、たとえば
   黄ばみたる土屋文明韮菁集定価七円掌の上にあり
  がある。百歳を越えて亡くなった旧師「土屋先生」をめぐってその葬儀前後の歌だが、「韮菁集」には書誌的にいろいろあるのだが、これは昭和二十一年札幌青磁社版であろう。戦中版から百首を削ってある。「定価七円」を不要と判じてはならぬ。統制下の値段でなく、また大インフレ下のそれでもない。まことにぴたっと戦後すぐを表現しているのである。作者はおそらくその頃土屋先生を尋ね弟子入りしたのであろう。渕源に位置する歌集を掌に置き、わが来し方を偲んでいるのである。
  音におくれて山雨来たりぬ釣舟草屈みて描く画布を濡らして
 こういう職業(?)の歌がいいのはもちろんだが、
   タオルがないと泣けないという男の子うろうろタオル探しておりぬ
  受験生と言えど長閑な顔をして少女は夏から眼鏡かけたり 等の家庭の、自身のしあわせを歌った歌がとてもいい。

エスプレッソの後味
中山陽右歌集『海の襟』

書評 横矢和則

海の襟

 セルバンテスがドン・キホーテでないことでこの物語の読者は救われるが、短歌という文学にはその救いは極めて小さい。それゆえに、重いテーマの場合それを相殺する救いが必要であり、そこに歌人としての技量が問われることになる。
   電話にて北海道を近付けぬ重きメロンの礼を言うため
   逆さまにされて目利きをさるる壺わが屈辱とどこか似てい る
  この歌集の作者、中山陽右は冷笑的ともいえる視線を持ち、作者特有のユーモア溢れる軽い文体で現実を詠う。詠風は確立されておりその技量は疑う余地もない。しかし、あくまでもそれは重さを相殺するものであると言える。この歌集の本当の美味みは読後感の哀しさなのである。高級な砂糖を入れたエスプレッソの後味、それを満喫したい。
   遭いし日日の唇、今はひからびて徐脈は続く細き手首に
  この歌集を貫流しているテーマは老いである。成熟というルビをふるような老いの理想像はなく、現実が年を追って詠まれている。その中で、興味深いのは老いに伴い(能動的な)愛という隠れたテーマが見えてくる点である。
  燃ゆるゴミ入るる袋へ拾いいる山茶花の赤、すぎゆきの愛
  愛を失うことは放蕩の果ての報いであると思っていた私に、この歌集は静かな叱咤をしてくれた。そもそも私は愛イコール恋愛だと決めつけていたのである。しかし、作者の眼差しはそのような狭義的な愛とは明らかに違うものであった。逝った友への愛、ダウン症の孫への愛、寡婦になった娘への愛、妻への愛、思い出に対する愛…、このような豊かな愛を持つ作者に、私は性愛への希求を止めない若者と同類のイメージさえ持った。それは、お互いにそれなしには生きられないという生への肯定的な姿と、逆説的に導かれる絶望という点で通じていると思ったからである。老いが深まる作者の中に、ますます愛は濃くなってゆく。それらは少しずつ「すぎゆき」となり、最後には「燃ゆるゴミ」と同じ運命を辿るだろう。死の前夜としての老いの現実、その重さ、『海の襟』はそれらを見事に表現し得た作者渾身の歌集である。
   老病死の歌をこれほど書き残し笑われちゃうよ早く死なね ば
   無宗教の別れの会に是非おいで、ノースリーブでさ、夏に 死ぬから
  太宰治の晩年の作品に見られる「軽み」を連想させる作品が歌集の後半、つまり近作の垣間に見えるようになる。この軽みが死へ近づくものの明るさを思わせ哀しい。   来年も花に会えるか問いかけるのみの意味にてわれへ花咲 く