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青磁社通信第十五号VOL.152006 年 9 月 発行

巻頭作品
燕 麦

稲葉 京子

サハラ砂漠の砂をいくばく持ち帰り砂時計をば作りたりとぞ

人の名を忘れ果てたり坂くだり来たるはやちに卷かれし時に

街ながら燕麦熟るる草生あり十羽の雀を遊ばせてをり

スニーカー・ナップザックのいでたちでわれの講座に通ひたる人

寒し寒しとつぶやきゐしがいかにせん唇はいつかさびしと言へる

車窓より不意に拡がり水無月の鬱をはらへるみなづきの白は

人を恋ふ力今しばしわれにあれ夕映えて雲ひとつ渡れり

エッセイ
歌は廃村寸前、かもしれない -短歌をめぐる私的なもの思い

三枝 昂之

  短歌の先行きは必ずしも明るくはない。
  今後について楽観的なことはいくらでも書けるが、短歌関係者が広く読んでくださる『青磁社通信』という場だから、あえてそのことを話題にしたい。
  樋口一葉生誕百二十年を記念して設けられたやまなし文学賞という賞がある。新作で応募する小説部門と研究評論部門の二本立て。十四回目となる今年の研究評論部門に私の『昭和短歌の精神史』が選ばれた。そのことを自慢したいためではないから、最後まで読んで欲しい。
  目崎徳衛氏や中島国彦氏など、いままでの受賞作品を見ると、この賞は精密な研究書を対象にした賞という性格を持っている。候補作の推薦依頼書が山梨文学館から毎年届くが、自分は門外漢という気持があり、いつも推薦をためらう。主催は山梨県と山梨文学館。今回の受賞には、山梨県出身者という地縁も多少プラスに作用したのではないか。
  さて問題はこの後である。授賞式は三月十七日。会場の山梨文学館の控え室での雑談の中で、私は短歌には疎いもので、といった敬遠付きで『昭和短歌の精神史』への感想を下さる研究者が多かった。そうか近代文学の研究者たちの視野の中には短歌は入っていないのか、と感じた。それが第一ラウンド。
  研究評論部門の賞は毎年二作品に与えられる。今年のもう一作は名古屋大学の坪井秀人氏『戦争の記憶をさかのぼる』。氏が十年ほど前に出した『声の祝祭』は戦争期の詩人たちの動きを克明に追った名著、私の今回の仕事も多くのヒントをもらっている。授賞式で隣り合った坪井氏と挨拶を交わしながら、「現代詩で戦争期を考察なさったのですから、ぜひ短歌にも対象を広げていただきたい」と水を向けた。ところが坪井氏、「いや、私は短歌を対象にしません」と即答。「機会があれば」と外交辞令で応じてもいい場面だが、その率直さに逆に好感を持った。理由を聞き損ねたが、それが第二ラウンド。
  授賞式では、選考委員を代表して学習院大学の十川信介教授が懇切な評を下さった。式が終わり、懇親会に移って、私は十川教授に「短歌は近現代日本文学の研究対象にならないのですか」と率直に尋ねた。女歌については学会でもしばしば議論されますが、それ以外は話題になりにくいのが現状です、と教授は教えてくださった。これが第三ラウンド。
  受賞で故郷へ錦を飾れるし、私はるんるん気分で山梨県入りしたのに、遭遇したのは、短歌は近現代文学研究の分野では実は僻地という確認ばかり。
  思い出すことがいくつかある。
  「短歌人」の若手研究者が近代文学の学会で短歌に関する発表をしたとき、何か異国のレポートといった場違いの反応をされた。短歌の研究ではもう聞いて貰えません。そんな嘆きを本人から聞いたことがある。五年ほど前のことで、名前を忘れてしまった。ゴメン。同じ嘆きは他の若手研究者からも聞いた。
  茂吉や啄木や牧水など、近代短歌の研究に広い実績を持つ元日大教授の藤岡武雄氏に、「若い世代の研究者は育っているのですか」と質問したことがある。「それがいないんですよ、困ったことに」が氏の答だった。
  二年ほど前にある国文学雑誌が斎藤茂吉の特集を組むことになり、依頼を受けて企画を手伝った。若手の茂吉研究者にできるだけ多く登場してもらって、新しい茂吉像の提示と研究の世代交代を印象づけたいと考えたが、こちらの情報不足もあってか、うまく実現しなかった。
  かくのごとく、浮かんでくるのは山梨文学館での私の体験と同じことばかり。
  紅野敏郎氏のように常に短歌を視野に入れた研究者はもう出ないのだろうか。村上春樹を語りながら小池光を視野に入れる研究者はもう不可能なのだろうか。もちろん今でもすぐれた研究者はいて、天理大学の太田登氏が出版したばかりの『日本近代短歌史の構築』はその一例だ。国際啄木学会といった存在も心強いが、全体的な層を問うとまことに心許ない。
  新聞の投稿欄やNHK短歌、そしてネット短歌やケータイ短歌。短歌はいよいよ広がって、歌人たちは選歌や講座、講演にますます忙しい。歌人とは、今では作る人であるよりも、むしろ選ぶ人。歌の先行きに不安はなにもなさそうに見える。
  しかし研究分野では、短歌は、誇張すれば、どうやら廃村寸前の山里。マクロに見るとそんなギャップが浮かび上がる。
  このギャップ、対処方法はあるのだろうか。

清純な感性・温和な詠風
別府敏子歌集『生涯遍路』

書評 飽浦 幸子

生涯遍路

   つぎつぎと息はづませて走りくる児等抱きとめて五月青空
   亀となり兎となりて児等と遊ぶ緑明るき陽光の中
  歌集『生涯遍路』は「龍」に所属する作者の第一歌集。作者は敗戦後、疎開先の神奈川県の山中より故郷、笠岡に戻り、やがて結婚、岡山県の豊かな農村地帯である清音村に住む。そこで子供を育てながら保育園に勤め、定年まで勤務。こうした生活の中で短歌を始めたのだが、歌柄は温和で着実。園児らを詠んだ作品には心躍りがある。
   娘の挙式事なく終り夫と見る夕べの月の美しきかも
   仏壇に明り点してみ祖に告ぐ嫁の今日より家族となるを
   たらちねの母より長く姑に添ひ教はりしことの数数想ふ
   嫁してより四十年にして初めての夫のプレゼント広辞苑一冊
  「あとがき」に「子や孫、兄弟、家族等に関わる歌を主に選歌した。」とあるが、この歌集の根底を流れているものは、家族への思いであろう。父母や係累を送った哀しみも又、この歌集のモチーフであり、人生の節目の重さがひしひしと伝わってくる。
   青みゆく植田に除草剤散布する夫に朝湯をたきて待ちをり
   勢ひつつ伸びゆく稲田の足跡の窪みに泳ぐ蝌蚪の一群
   耕耘機がしぶきあげつつ代を掻く後に従ふ烏・あま鷺
   黒き汗一斗流しても夏は去らず汗にまみれて畑の草を焼く
   きしきしと夜の厨に漬けてをり結球白菜わが畑のもの
  退職し、夫と農業に勤む日常を詠んだ作品の背後からは、大地に足をつけて歌っている作者の人生がほのぼのと立ち上ってくる。
   蘖(ひこばえ)の青く伸びたる土佐をゆく今日よりわれは遍路となりて
   やうやくに辿りつきたる剣山霧に覆はれて何も見えざり
  「夫の病、作者自身の病から癒えて、四国遍路を思いたつ、これはこの地方ではよくあることなのだが、遍路となって物を見る目に、生来のおだやかさに加えて、何だか諦念と覚悟のようなものを感じさせる。こういう境地は、あるひとつの事を続けて来た人が示すものなのだろう。」と作者の師である小見山輝氏は序文の中で述べている。
   今年限り今年限りと言ふ夫に習ひて林檎の剪定をなす
  思えば人生は遍路のようなもの。ひたすらに生きてここにまとめた六三二首。「継続は力なり」を正に地でゆく別府さんが、境涯詠を更に深めて詠み続けられることを切望する。

里の山桃
池本俊六歌集『櫨谷の風』

書評 森山 良太

櫨谷の風

  本来動物である人間は、みな固有のテリトリーを持つ。虎や熊のように餌を求めて原野を渉猟することこそないものの、仕事や家族、家や故郷などは、縄張りそのものである。そして、それらの要素は、その人となりを語る重要な素材となる。
  池本俊六さんは、長い間銀行マン、それも支店長を任されるなど、その職責を全うしてきた人である。巻頭の職場詠からも、その実直な勤務ぶりが推察できる。
   議事録を書き終えて見る冬の海舳先を上げて貨物船ゆく
   取り立ててニュースのあらぬ朝刊の利回りだけはメモ帳にとる
   昨夜よりめぐらす思索定まらず今日は金庫を丹念に拭く
  書き終えた議事録から目を上げた瞬間の嘱目。冬の播磨灘をゆく貨物船。波に逆らう姿に、自分を重ねているのだろう。一般には読み飛ばされがちな利回りを、メモ帳にしっかりと記録する姿。思いめぐらしながら、金庫を磨く姿。堅実な職場詠。
  外勤時にめぐる町工場や魚市場。その活気と喧噪を詠んだ歌も魅力的だ。
   頬を伝う汗も拭わず工員は真剣な目で機械を廻す
   吸盤を上向きにされ明石蛸売られておりぬこの足の良さ
  しかし池本さんは、単に生き馬の目を抜くような金融の世界にばかり目を向けていたのではなかった。
   櫨谷の風吹き抜ける端谷城馬の蹄の音
   しゃんしゃんと空気震わせ熊蝉の夏盛りなる暑さを沸かす
   赤蜻蛉目玉くるくる動かせて我に親しく話しかけくる
  作者は、「あとがき」で、生地櫨谷で農に従事し、自然に触れあいながらの半生だったと、自ら回想している。
  その池本ワールドをある朝激震が襲う。阪神淡路大震災である。体験した者にしか詠えない、迫力をともなっている。
   激震に思わずタンス押さえつつ何が何だか分からずにいる
   激震に波を打ちたる舗装路のタイルに足を躓きつつ行く
   余震にて我が戦きている時も神戸の大火テレビは映す
   斜交いに傾きているビルのあり壁に炎の形残して
   大火にて廃墟となりし市場なり骨組のみの看板残る
  必死にタンスを押さえながら、「何が何だか分から」ないのは、実感だろう。波打つタイルの路を作者は実際に歩いたのだ。テレビが映す被災地。傾くビル。作者は、今は廃墟の市場を、かつて営業のために回ったかもしれない。衝撃の大きさがうかがえる。櫨谷が被災しなかったのは、幸いだった。
  やがて迎えた定年。生地での穏やかな日々を、作者は大樹のように腰を落ち着けて、その確かな表現力で詠っていかれるにちがいない。自画像のような一首を引いて紹介の任を終えたい。
   どっしりと樹幹の太き山桃の葉は青々と里を見て立つ

記憶の滑車
金児玲子歌集『ジャカランダの賦』

書評 小林 幸子

ジャカランダの賦

  哭きし日も喚びたる日もあれゆるやかに春きざしなば座禅草咲く
 この一首と、「息子の肖像」と題された凛々しい青年の絵、(著者自身の作であろう)が見開きにおかれている。序歌であるこの歌は、また歌集の世界を統べる一首といってもいい。突然の悲運に見舞われた慟哭の日々。ゆるやかに春が訪れる頃水辺に咲く座禅草は、座禅する人を仏焔苞が包むような形をしている。それは苦しみのはてに得た祈りの形象でもあろう。
   瞬にして子を連れ去りしマッカイの蒼天の記憶つねに脈打つ
   生かさるる意を問うわれにのけぞりてかぶり振るのみかたくりの花
   伸びるなき髪のひとふさわが指の触れなば撓い反りて母恋う
   花の道しみじみゆけば葬れぬ記憶の滑車ふいにまわれり
  著者の愛息は留学中に事故で亡くなられたという。「蒼天の記憶つねに脈打つ」にずきずきと脈打つ痛みが象徴される。子を奪われることほど理不尽なことはない。二首目と三首目には「のけぞりて」「反りて」という動詞がある。それは産みの苦しみ、それにもまして引き離される痛苦の究極的な身体表現であろう。四首目は「記憶の滑車」という比喩にふかく納得する。少しずつ哀しみの薄れゆくころ何かのきっかけで一気に「記憶の滑車」が巻きもどされる。うたうとは常に、今ここに、亡きひとを現在形で顕たせることにほかならない。
   くちなしもでんでん虫も抱かれたる水無月の雨死者にやさしき
   やわらかく御衣(おんぞ)を返す露座ぼとけ死者も生者も紅葉のなか
 亡き子を一人の死者として自然の懐にゆだねている。くちなしやでんでん虫とともに死者の魂は息づいている。二首目には、個の嘆きをこえたいのちへのまなざしが感じられるだろう。
   変動の歴史にきしむ僧院の扉に入ればマリア子を抱く
   春雨の粒子光る目さし向けて木陰の闇よりもの問う鹿あり
   焦土にも野草芽ぶかむ光る目の母と子ふかく毛布に潜む
  子を亡くした母として、激動の歴史に繰り返される母と子の受難の風景をうたわずにはいられない。鹿には愛息の面影が重ねられていよう。遍在するいのちとしての亡き子に出会うのだ。四首目の母と子の光る目は生きぬく力を宿している。
   外つ国に逝きにし吾子との絆なるジャカランダの花歌集に挿頭(かざ)す
  愛息の留学先のブリスベンに咲きあふれていたジャカランダの花に、思いがけず駿河の古寺で出遇ったという。陽光をふりこぼすジャカランダの花は歌集の世界を象徴しているようだ。

この世の隙間が光る
田結荘ときゑ歌集『夜来香』

書評 川野 里子

夜来香

   パック入り蜆は白き足出せり押せば小石となりてしまいぬ
   高くなり低くなりつつ噴水はときおり錫の光を放つ
   内臓を抜かれたる蛸の吸盤がわが掌にひたと吸いつく
   氷雨降る昼の国道走りゆくトラックの豚何れも鳴かず
  田結荘さんは間違いなく長い時間をかけてこうした無駄のない、写実の技法を体得してこられた作者だ。見るべきものへ向ける眼差しの厳しい張りのようなものをこれらの歌は感じさせてくれる。身辺のものが、例えば蜆や蛸のような些細なものさえ、それぞれの位置で確かな存在感をもってこの世に応えている。噴水の輝きの色合いから、鳴かずに運ばれてゆく豚の沈黙の質感まで、作者は丁寧に感じわけ、そのものに自らの感受性をもって応えている。作者とそれらの事物とは物と人との関係ではなく、まして見下ろすような関係ではなく、対等の位置から向き合っている。こうした姿勢が田結荘さんにはよく似合い、また身に付いた表現としての落ち着きと余裕さえ湛えている。
  私はこうした作者に出逢うとき必ず興味をもってしまうのだ。この作者の目線を支えるのは何なのであろうか、と。ことにも女の写実には、独自のなにかがそこに付き添っているようで私はそこを訪ねてみたくなる。
   臨時議会の傍聴席の半数を女性が占むる小さき抗議
   ある時は菩薩ときには鬼女となる姑の面輪の変わる一日
   吾と姑と夫のいずれの白髪か机上に一筋光りておりぬ
   自が土地の境界線をゆずらざる男のセーターの糸ほつれおり
  『夜来香』の中でこうした傾向の歌はむしろ少ないかも知れない。しかし家族との関わりや、周囲との関わりを直接のテーマとしたこれらの歌には作者が歌に籠めてきた抒情の芯が見えるようで注目する。田結荘さんは女としての目線というものを写実の技法と同様にひっそりと鍛えてこられた作者ではあるまいか。女たちのみの臨時議会での抗議、同じ女として向き合う姑の老いの姿、他人同士がいつかひっそりと一つの家族となっている象徴としての白髪、土地の境界などに厳しく拘る人の思わぬほつれ。ここにはこの世の隙間できらりと光る真実への眼差しがあり、女であるゆえに見ることのできた何かが見取られている。それは決して声高ではなく、しかし、ここをきちんと見ることなしには人の生活を空しくするような何かである。
  田結荘さんのそうした目線の確かさの上に花開くようにこの歌集のタイトルともなった歌がある。これらの歌の柔らかさ、鋭敏さもまた作者のものなのである。
   望遠レンズに捉えられたる水芭蕉の花緩やかに開きはじむる
   隣室の夜来香の匂いきぬ昼間は咲かぬ小さき白花

静かにふかく
四方悠喜歌集『芽倶里』

書評 藤井 幸子

芽倶里

  昭和六十二年より「好日」に参加し、神谷佳子氏の指導のもとに作歌を続けてきた著者の、初めての歌集である。歌集題名については、年々の芽生えと倶(とも)にあるみずからの命、その命の在り処(里)、という思いの籠ったものであることが、あとがきに記されている。
  歌に携わる者の、作歌の契機はさまざまだが、著者の場合は、六十二年に父君が逝去された折、おのずと“思いが三十一文字の形を取りました”と、同じくあとがきで語られる。
   たっぷりと秋をあつめて色深む父の柚子なり添ふ思ひして
   ホースより柄杓好みてわが父は一杓ごとに花と語りぬ
  ひたひたと静かに迫る、けして声高でない哀惜の調べ。この静かで深いトーンがこの歌集全巻に流れる通奏低音と言えようか。彫琢の行き届いた言葉の構築が、その流れを支える。
   足ばやの医師の三人を吸ひ込める扉は暫し微動だにせず
   蝸牛宝物のごと取り出だす子らはかたつむりの歌を知らず
   老い母と並びて虹を見てをりぬ遠き日の子と母のごとくに
   五歳児が「小さい時」と語るとき遥けき空間いかほどならむ
   いく重もの配管配線取り込める家を砦と思ふ危ふさ
「見たものを受容する瞬間の感性と培ってきた知性が塩梅よく溶け合っている」と、神谷師の跋文にあるが、一見さりげなくやわらかな抒情を纏った日常描写のなかに、驚くべき奥深く鋭い知性の洞察の潜むこと、右の掲出歌に限らず一巻の随所で読者は知らされるであろう。
   目覚めたる真夜(まよ)部屋中に確かなる位置を占めたる影共にあり
   日曜を馬は走れりスイッチオフ馬消えたれど馬は走れり
   何げなく置きたるものの映す影たちまち異質の位置占め始む
  あきらかに目に見えるものや事柄から少し遊離したところに働く著者の感性も見逃せない。右の各首はほんの一部だが、ものの影というものに思惟を広げる二首に、最近アニメ化された寓話の、異質化した自分の影と戦う少年を思い出し、映像と現実の錯覚を衝く競馬の歌には眼差しの並ならぬ鋭さを感じた。
  一々の言葉の美しさ、比喩の巧さなど、挙げれば紙数が足りなくなるが、総括的に思うのは、年毎の新たな芽生えとは、年毎に冴える著者の表現者としての恵まれた資質と真摯な魂であろうし、その表現者魂に常に添うのは巡りの万象であり四方さんの歌の発展を支える短歌的環境でもあるのだろうということだ。最後に一巻に鏤められた、抒情の殊に美しい作の中より左を挙げて今後の御歌境の御盛栄をお祈りする次第である。
   月読みの光を敷きて臥しおれば身は軽やかに天がけりゆく
   言ふ程に思ひ離るるさびしさは別れきしより膨みてきぬ

憧れという原点
須山つとむ歌集『ダリの椅子』

書評 小倉 喜郎

ダリの椅子

  俳句はいったい何であるのかと自問自答したくなると、私はこの句集『ダリの椅子』を読むことにしている。
   パウル・クレーの絵皿の旅へ十一月
   椎拾う蛤御門のおまわりさん
  例えば絵皿にあるクレーの世界と、京都御所の蛤御門で椎の実を拾うおまわりさんは、ごく自然に彼の中にあって、彼をくすぐり、それは俳句となって読者に届く。
  須山つとむの専門分野がデザイン関係ということもあって、画家を中心とした人物の登場する句が多い。またこの句集は四章に別れていて、各章はそれぞれクレー、ダリ、エッシャー、マイヨールの句からタイトルがとられている。ずいぶん大胆な構成だと思うのだが、それが平然と行われている。
   上段からカフカ公房明易し
   極月やパブロフの犬公園に
   アンソニー・クインの訃報鉄線花
  画家に限らず多くの人物が登場する。俳句では固有名詞を用いると、とかくその人物一色の句となり、作者の存在が消えてしまうものだが、この句集では須山つとむの立つ位置がはっきりと見えるから不思議である。それは彼の俳句に対するひたむきな姿勢がそうさせているのではないか。否、俳句にひたむきなのではなく、彼を取り巻く事物に対して平等にひたむきなのである。この姿勢はまさに俳句の原点といえる。
  「ひたむき」という言葉が適切かどうかわからないが、彼の俳句の中に登場する事象は、全て須山つとむというフィルターによって浄化されている。
   ラディッシュ噛む伯父の話に初恋も
   枇杷を剥くハーレー・ダビットソンが来て
   サキスフォンを吹いてみたいと春の魚
   タッチダウンパスパーフェクト林檎噛む
  須山つとむしか書けない句なのである。彼の根源にある憧れとそれを追い求める作者を無理なく感じとることができる。また彼の優しさも次のような句から感じるのである。
   土匂う子猫がしっぽをピンと立て
   土踏まず摩れば浅蜊舌を出す
   虹消えて西京極の葱畑
  『ダリの椅子』はポップな句集である。作者は団塊の世代よりも少し上の世代で、個性豊かな世代の中の一人なのである。そしてその世代の先端を奔放にゆくのが須山つとむであり、俳人のあるべき姿の一つである。ふたまわり程年下の私はそんな彼の密かなファンであり、また私の世代に彼のファンは多い。
   夏の大三角口の味覚糖
   草案に手応え冬の大三角

かき氷できたよ
柳詰美代子歌集『校庭』

書評 池田 はるみ

校庭

   かき氷できたよという声に吸われるように遊ぶ子ら消ゆ
   ふらここの戦ぎしあたりやわらかき窪みとなりて水のたまりぬ
   絡み合う子ら引き剥がしひきはがす ほぐれぬ子らは熱線を持つ
   若菜摘みに飽きてふたり子倒るれば草もたおるる二人ぶんだけ
  校庭は誰の記憶にもある場所だと思う。大部分の人たちは大好きな場所だったのではないだろうか。柳詰さんは小学校の先生だったと序文に紹介されている。先生の歌集っておもしろいなと思ったのは、この一冊のなかには、作者がこどもだった時のことや、こどもの作者が親をみた歌や、親となった作者が自分のこどもを見た歌や、教職の作者が出会ったこども達など、自他ともどものこどもが描かれていることである。大人になってからも、こどもは様々な角度から描けるのだと思った。
  中でもおもしろいのは学校で出会ったこども達の歌である。
  かき氷の歌はわたしが大好きだった歌。なんでこどもはあんなにかき氷が好きなのだろう。わたしなど、今となってはかき氷に憧れるだけで食べることもない。こどもの遊びより好きなかき氷をよく見つけたと思う。ふらここの歌もいい。足で擦られて地面がいつもへこんでいるところ。「ふらここの戦ぎしあたり」の上手さを思う。三首目はけんかする子の歌。とっくみあって引き剥がせない子は、「熱線を持つ」という発想に独特のものがある。四首目も「草摘み」などと懐かしい遊びをするこどもがいる。ここに挙げられているこども達は遠い日本のこども達のような感じがしてくる。それだから、読者はだんだん現代のこども達を考え始めるのだ。
   林檎りんご硝子の器に盛りたればくらき窪みを傾けて寄る
   シーソーが風の重さをはかってる誰もいないだれもいない ふう
   冷蔵庫に「食べたらあかん」と貼り紙の実習用の蛸仕舞うなり
  林檎の歌はふしぎな感じをもたらせる。いくつかの林檎をひとつに盛れば傾くのは分かるが、それを「くらき窪みを傾ける」と捕らえる感性がある。シーソーの歌の最後の「ふう」はずっとわたしの頭のなかに残っている。孤独とかさびしいとか言わないシーソーがやわらかな溜め息をつく。冷蔵庫の蛸に「食べたらあかん」の貼り紙がおかしい。関西は大阪の河内長野市に住む人のとぼけたようなユーモアである。

共生感とユーモア
吉岡生夫歌集『草食獣隠棲編』

書評 大塚 寅彦

草食獣隠棲編

  著者の評論集『草食獣への手紙』の中の、奥村晃作を論じた文章の中に次のような一節がある。
  私たちがあたりまえとしている、そのあたりまえに揺さぶりをかけてくる作品もあるし、そうではなくて単にありふれた光景ではあるが、そこに共生感のわいてくる作品もある。いずれにしても、からくりまではみせてくれないにしても、眼でみ、耳できき、鼻でかぎ、舌であじわい、手でさわることができるということ、ものがあり、世界があるということ、それが私にとっては大切なのである。
  奥村作品について書かれた文だが、筆者自身の作品について述べたようにも読めてくる。書面通り筆者イコール「草食獣」とすれば、まさに批評というより自身への手紙という意識で書かれたと読め、作歌についての意識が鮮明である。
  「脱・特権化」というのが吉岡短歌の最初からの基調であるのはまぎれもない。肉食獣を自己実現のためなら何でも貪る近代的自我の象徴とするなら、「草食獣」という一貫したコンセプトが示すものは明快だ。「隠棲篇」とはいささか寂しいが、 もともと隠棲的な作者像からすれば驚くこともないのだろう。
   旧式の紐ひつぱればゐせいよく水のながれてかたじけもなし
   番犬にふさはしき犬愛玩にふさはしき犬すれちがひたり
   左手の受話器の声の早口をせきとめてまたせきとめて書く
   ひぢまくらして客を待つ信楽の狸もぐわんばらないを主義とす
  いわゆる「共生感」に溢れる歌は、この歌集にも多く見られる。ただ事と言えばただ事の世界だが、奥村晃作とはまた一味違ったナチュラル感がある。最近の若い作家で言えば、斉藤斎藤の自己と他者の境界の危うさがそのまま歌になっているような世界とも違う。自己というものが極めてフラットであるにしてもそこに確かに存在しているのが、世代的な違いというより吉岡の独自性としてあるのだろう。
   気にいらぬ作はこはしてかへりみぬ陶器のやうに子はゆかぬもの
   高円宮は保険に入つてゐるのかと母が言ひたりテレビを見つつ
   算盤をうち振りうちふるトニー谷もはるけくなりぬ秋の空だよ
   ざじずぜぞざじずぜぞとぞ移動するクロコダイルの口ひらくとき
  青年の子や老母の像は典型を出ないにしても、表現のユーモア感によって歌の中で存在感をもつ。トニー谷や鰐の歌についても同様なことが言えよう。特別な事物が存在しないことを特別な切り口で読ませる、作者の基本姿勢が健在の歌集である。