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青磁社通信第十一号VOL.112005 年 2 月 発行

巻頭作品
野葡萄

宮 英子

冬向ふ奥多摩山の家づとにて藍いろ珠実の野葡萄のつる

野葡萄の小さき粒ら実蔓さきに五粒七粒なりゐて楽し

あるがうへに蔓からみあふ野葡萄の指にしたたかに刺すありし

難儀して野葡萄の蔓引きなづみ剪りたるならむいく筋からむ

小粒なる白い幼な実まじりゐておほかたの実は青磁むらさき

藍ふかき波斯の壺をとり出して蔓ながら野葡萄を贅沢に活けむ

ひつそりと住むといへどもわれは持つ山の野葡萄その実その蔓

エッセイ
しゃべる作者

坪内 稔典

 勤めている大学の研究室で、月に一度、句会をやっている。はじめは近くの高校の先生たち数名の集まりだったが、いつの間にか学生や近所の人たちも来るようになり、先日の句会は十五名にもなった。
 その句会に短歌をずうっとやっている人が来た。その日の帰り、つまり、句会が果てて地下鉄の駅に向かうバスのなかで、今日の歌人たちはよくしゃべった、という話題になった。Sさんが、
  「坪内センセイが皮肉を言うかな、と思っていたのに、言われないで笑っていましたね。私たちはかつて大分言われましたよ」
と感想を述べた。
  私が何を言ったのかというと、ほぼ以下のようなことである。
 自作について解説する人はまだ俳句のうまくない人だ。あるレベルに達すると、解説をしなくなる。要するに、くどくど自作を語るのはまだ駄目な人である。実際、句会を重ねていると、次第に自作を語らなくなる。
 なぜ自作を語ってはいけないのか。どのように作ったかではなく、どのように読めるかが、句会のポイントであり、また、俳句の要諦でもあるから。作者がどのような意図でどのように苦心して作ったかなどはどうでもよい。だから、句会では作者名を伏せて投句し、だれの作かわからないものを選んだり批評したりする。
  もちろん、どう作るか、ということは大事である。その努力や苦心は大いにしなければならい。でも、その作る過程は、菓子職人が努力、工夫して工房にこもっている過程と同じ。その過程そのものは菓子ではない。菓子職人は菓子を売るのであり、俳人は俳句を売る。作る過程の話などは職人仲間、俳人仲間の、いわば研修に過ぎない。
  作者が自作についてよくしゃべるようになったのは、おそらく近代的現象であろう。短歌や俳句が作者という個人性に根ざすようになったとき、作者は作品の表にしゃしゃり出てしゃべり始めた。作品そのものでも作者はしゃべり、そのような作品が境涯、生活、人生などの用語で評価されるようにもなった。
 私の印象では、歌会や歌集の批評会などにおいて、ともかく歌人たちは自作を熱心に語る。逆に俳人たちは、句会などでは黙っているが、語りたい願望が強くあり、本のかたちで自作を語る。ある俳人の協会などは自作を語る本をシリーズ化して出しているほど。
 突然だが、玉城徹の最新歌集『枇杷の花』(短歌新聞社)へ話題が移る。枇杷の花が好きな私は、この題名にひかれて歌集を買ったのだが、次のような歌に出会って買って得をした気分になっている。
  町かげにタネツケバナのきよらなる過ぎてかくのごとく歩みはおそし
  二、三もと高三郎の町みぞに花ひらくかな立秋過ぎて
 タネツケバナも高三郎も私の好きな道端の草である。この歌人は町を歩きながら、これらの草と一体化している。それらの草に気分のうえで化しているのだが、これは歌人や俳人の注目すべきしゃべり方ではないだろうか。ナマで自分を出さず、物に寄せて自分を出すこの方法は、短歌でも俳句でも伝統的であった。
 ちなみに、玉城の歌集にはスズメノカタビラ、風草、メヒシバなども出る。玉城の評論を読んで、理屈っぽくてやや狷介という印象をもっていたが、いいナ、町中の溝のそばで高三郎としゃべっている歌人は。
 さて、冒頭で述べた句会だが、次の句が人気を集めたのだった。
  うつむいて歩く賢治の冬帽子   加藤彦治郎
 賢治の句は、あの帽子を着用して歩いている写真で見慣れた賢治を思わせる。つまり、いかにも賢治らしいので人気だったのだが、意見が出た。
 これは冬帽子が季語である。そうすると、眼前に冬帽子があり、それの感じを、うつむいて歩く賢治の、と形容したのではないだろうか。
 ただちに賛成意見も出た。賢治のことを詠んだとしたら、それはあまりにも写真をなぞり過ぎ。私は、うつむいて歩く、で一度切れていると読みたい。つまり、うつむいて歩くのは自分で、その自分が賢治が着用していたような冬帽子をかむっているのだ。
 この日、この句の作者は欠席だった。作者はどのように対応しただろうか。日ごろ、私は、作者の思ってもいない読みが示され、それにはっとしたり、いいなあと思ったら、その読みに作者はのればよい、と主張している。彦治郎もきっと、途中で一度切れるという読みにのっただろう。

風の吹く歌
古川裕夫歌集『沙羅』

書評 芦田 美香

沙羅

 『塔』八月号の対談記事を読んだ後、立て続けに古川裕夫さんの最近の歌集を三冊読んだ。この三冊、毎年のようにまとめられている。そして今回も前の歌集と間を置かずの出版であることに、また驚かされた。医師としての診療活動と患者としての闘病生活という大変な日常を、決して湿っぽくも愚痴っぽくもならず、同時に科学者としての冷徹な眼差しに貫かれた作品は、どの歌集にも見られる特徴であろう。加えてこの第六歌集『沙羅』は、そうした歌の合間を吹き抜けるように、風の歌が配されている。様々なときに吹く様々な風が、とても印象的な歌集だ。
  木の葉揉み風が過ぎ行き彼方には湖の青深く拡がる
  寒き風我吹き過ぎぬ対岸の三上の山まで吹きて行きしか
 吹く風の行方は古川さんの住む街を取り囲む豊かな山や湖である。しかしそれら自然は包み込むようなものとしてではなく、風から置き去りにされたような古川さんとは遠く隔たった存在として描かれる。
  フロントがきらりと街の片隅に光るを見たり病室の窓より
  生くるとも死ぬともこの身に関わらず夕顔一輪片隅に咲く
 部屋の内と外、命の有限と無限。繰り返される手術のたびにいやおうなく外の世界と遮断され、命の終りを強く思い知らされる、その時々の実感こそが、古川さん自身を周りとは隔絶した存在であらしめる。
  三年前顕微鏡下に覗きたる奇怪な模様が脳裏に踊れり
  切られゆく患者となりて入るメスに反応をする意識確かに
 そんな隔絶された自己を客観視するもう一人の自分の存在は、医師としての古川さんゆえ、顕著な現象なのであろう。闘病に没頭することが出来ない、切られている自分を手術中に意識するなど、私に推し量り難い恐怖だ。それを苦痛とも思わない程に、医師としての生活は古川さんを鍛えたのだと思う。
  轟音を挙げつつ列車過ぎ去れば水無月青葉の風が舞い去る
  風たちて鳴き続ける夕暮れに来て見よ遠く森揺れており
  里芋の楕円の大葉広がりて葉裏が返る風に誘われ
 歌集の後半から、再び風の吹く歌を引用した。特に二、三首目は、歌集全体を締めくくる二首でもある。詠まれた季節にもよるが、冒頭に引用した二首(歌集前半より引用)に比べ、随分風が和らぎ、穏やかになった気がした。吹き過ぎて私を置いていってしまうのではなく、私の周りの木々や葉を揺らす風に、古川さんも「誘われ」ているかのようだ。
 これほどの長い病に、安直な物言いはすべきではないと重々承知の上で。後半に吹く柔らかい風が、もう少し安寧に生きられる現実の場所に古川さんを誘い出してくれたら、と願ってやまないのである。

鼓のひびき
中村福子歌集『法度 』

書評 吉保 佳子

法度 

  百歳に一年足らぬ恋狂い小町の舞を一期とぞ舞う
  無我夢中養老水波舞い納めし笛に誘われ矢のごと舞いき
  吾にあらぬ力も添いて打つ鼓天鼓の舞の袂すがしく
 鮮やかな能衣裳に舞われる著者の姿が見える。その舞の刻々を、たえまなく鼓が打ちつづく。〈一期とぞ舞う〉の一期に、こめられる舞のこころ意気が歌集全体にみなぎっている。
 あとがきに、九十年に亙り生きて来た標としてと書かれている。歌集『法度』は、九十歳を過ぎて編まれた。
 長い年月には、夭折された愛嬢、夫君の死、震度七の阪神大震災にも遭遇された。傘寿過ぎての地震は大変だっただろう。
  今を昔卒塔婆小町を舞い納む地震に堪えたる老いのひたすら
  地震にも負けず娘の鎮魂を両肩に西行桜舞いすすめゆく
 〈西行桜〉は、老木の桜の精の翁が、京都の春の景色を語る能である。満開の桜のもと、〈鎮魂を両肩に〉秘めて舞われる、両肩の具体が人のこころに浸潤してやまない。
 著者の能面の下には、喜怒哀楽をおさえた素顔がある。
 素材・表現に個性があり、己の心にせまる。陰の内面を抒情にのせ、悲しみを悲しく歌うことで、ご自分の中で、悲しみが濾過されるのであろう。さらなる歌。   
  なけなしの貯蓄尽くるも悔いのなし手向けの舞は法楽の境
 〈手向けの舞〉に〈貯蓄尽くるも悔いのなし〉これぞ法楽の境であると、著者は歌う。
 明治生まれのいとはんが育んだ気魄がいたるところに満ちる。著者の屈しない精神力は、著者自身を奮い立たせるばかりでなく、魔性を秘めて、読者に感動と勇気をあたえてくれる。
 この魔性を秘めもつ感性はどこから湧くのだろうかと歌集をさぐってみた。夫君を、ご両親を、人間を深く恋い、愛される思いに魔性はやどるのだろうか。
  ひとつの恋抱きて過ぎし生涯をたったひとつの誇りともする
  卒寿過ぎてなおつのりゆく父母恋や額埋めたきかの柔き肌
  ライラック紫匂う 新月は吾が母の眉摩耶山上に
 著者の夫君、ご両親を思慕され、敬われるこころに羨望すらおぼえるのである。  本の題名になった、『法度』の歌は巻末近くにあった。
  法度なき老い迎えたしひたすらに心は奔馬天空行かむ
  エジプトの極彩色の棺に寝る王妃の夢はいつまで続く
 多彩な素材で老いは歌われる。
 老いの言葉はご法度なのだろう。老いるきびしさが、痛いように伝わる。
 明治・大正・昭和・平成を生きた著者の、魂に呼応した歌群は、既成のものではない。著者の人生が、歌にこめられて詩情が漂う。
 ライラック紫の高貴な色の表紙に、三二七首が納められている。

夕顔の莟の外は
冬道麻子歌集『五官の束』

書評 中川 佐和子

五官の束

  いつの世に何ゆえ封じ込められし果実のなかの無花果の花
  サルビアのもゆる緋色をみつめおり強さを好きになるかもしれぬ
  爼板の上にごろんと冬瓜よこんなに生きてきたのかおまえ
 歌がしんと響いてきた。さりげなく、気負いなく歌われ、詩的な切り取りが、いい。一首目、無花果の花をその果実のなかに「封じ込められ」たというように捉える繊細さ。二首目、サルビアの緋色のはげしさと向き合い、「強さを好きになるかもしれぬ」には、「強さ」への単純な憧憬だけではなく、なじめないという複雑な思いがほのかに見える。三首目、俎板の上の冬瓜の「ごろんと」という放胆さ。「こんなに生きてきたのかおまえ」と精一杯生きてきた冬瓜へ親しみをこめる。豊かな実りを感じさせる冬瓜なのだろう。そういう豊かな実りを歌う一方で、歌集中に「コスモスの花咲くまえのさみどりを枯らす日照りのかんかん太郎」というように、勢いのある「日照り」の自然の酷さをなんでもないように歌い、奥行きを与えている。
 この第四歌集は、平成五年から十二年までの作品四四七首を収録。著者冬道さんは岐阜に在住で、後書きによれば親戚の水田大輔氏が描いたという表紙は、夢のなかにまぎれこんだようで印象的である。
   点滴の沁み入るあたり冷たしと深まる秋を感じつつおり
   おはようときょうの始めの笑み母と交わしてこんな仕合わせもいい
   わが部屋の何処に置くとも八朔のあかるさ春の核のようなり
 病を得て長い臥床の日々のことが歌われている。身辺の題材を広げるべく、工夫している。一首目、点滴の冷ややかさにより季節の移りに気づく。こういう切ない澄んだ冷たさを身に引き受けている。二首目、「ユーモアと煙草のにおい慕いては」と歌われている難聴の父、「果てしなき在宅看護その無理が母の誇りとなりますように」と歌われている母。その父母との生活をいとおしむ。三首目、何処に置いても目に入ってくる、「八朔」の鮮やかな黄に春の勢いを描く。
   木曽川にすなどりなしにゆくところ白鷺一羽そのまっしぐら
   夕顔の莟の外は雨なれどきょうと決めきてひらき始める
 一首目、白鷺のひたむきさが美しい。「すなどり」をなすために飛ぶ白鷺と木曽川との取り合わせが、心に残る。二首目、「夕顔の莟」と「ひらき始める」との間に差し挟まれた「外は雨なれど」がつぶやきのようであり、「きょうと決めきて」という夕顔のひとつの覚悟は胸に届く。ひたむきさと柔らかな感触が深く沁みてくる一冊である。

「ああ」と言う時の間
藤元靖子歌集『コスモスの種』

書評 紀野 恵

コスモスの種

 読み始めたとき、モノクロームな感じがした。
  はこべらは白い花一つずつ頂けり 春されば春の光の中に
  みぞれ雪かろくなりつつ降り積みて 夢の中一面まっしろとなる
  十薬のつぼみほどきてああなんという生れしばかりの白を拡ぐる
  わたくしが吐きしとていかにもわたくしのものにはあらず
   寝返れば霧
色彩のない茫漠とした広野の中で、心細げに佇んでいる人。
 一冊は第一章と第二章に分かれており、それぞれの章の初めのほうに春、夏、秋、冬という一連がひとつずつ配されている。
 第一章のモノクロに対し、第二章の春夏秋冬は明らかに違う。
   片言をよせあうごとく花つけし枝垂桜も余れば零す
   ゆめとうつつ糾いながら花零す九重桜 春の散財
   迷うというかたち見ている草原に蛍青く浮き青く沈む
   荒みたるにあらねど荒く窓放つ ああことし柘榴の花美しき
   てのひらにころがす黄色のタブレット ためらえばもう嚥み下せない
色彩が溢れている。動きもある。
 二つの春夏秋冬の間には、息子たちを歌い、兄が歌われる。
   もういいという捨て台詞母と子で日に幾度言う よくなどなくて
   イスラムの聖金曜日ゆえ主治医居らず救われざりき 兄にて悔し
   湾岸以後直行便のなくなりて行くにも帰るにも二十七時間
心の振幅の大きい作品が並ぶ。
 私には、冒頭のモノクロームな心象風景が、一冊の底にある作者の根源のように思われた。そこから、色彩と活動、感情が渦巻く世界へ出てきて、その世界を生き、また再び色のほとんどない静かで深い場所へ帰っていくのではないか。 また、文体として特徴的なのが、一字空けである。圧倒的な頻度で、一首は一字分の空白により、二つに分断されている。
   まぶしいと翳すてのひら 見たくないものは見たくないのです
   シーソーはカタンと下りて上らない ああ誰か乗ってください
「ああ」という感嘆詞も目に付くのだが、「ああ」と言う一瞬の時の間、一字分の空白こそが言いたくて、歌を作り続けているのか。そのためには破調を厭わないらしく、字余り字足らずもまた頻出する。「自ら吐く息そのもののように、うたは私の身近くに在り続けたようである」と語られる、最も幸福な関係にあっては、それもまた良いのかもしれない。

一粒の重み
若松恭三歌集『一粒萬倍 』

書評 扇 龍子

一粒萬倍 

 『一粒萬倍』は種苗店を営んできた著者の第一歌集である。
  算盤の珠を指もて払い除けこの商談をご破算にする
  パンジーの生えぬ小言を聞きながら受話器のコードの捩れを直す
  生えるたね売って呉れよと何時来ても皮肉をぬかす髭面男
  八、九月休むことなく商えり休めば明日の来ぬ思いして
 現場での所作や罵言を衒うことなく表出して臨場感があり、諦観や憤慨、忍耐力等作者の心の起伏が読みとれる。そして、切々とした心情の吐露に死活に関わる不安感が伝わってくる。
  さわやかな朝の目覚めに醤油樽の栓をきりりと締めるは妻か
  膝の子と月かげあおき縁側に影絵の犬を遠吠えさせる
  泣き虫の母親なりき半眼のおもて撫づれば瞑りてゆきぬ
  五尺三寸十七貫の父なりきひと匙ほどの遺灰の還る
 新妻への信頼と充足感、幼子との接触により引き出される純朴性は清々しい。今際の母への労は深く彼岸へ発たす掌は温かい。また、戦死した父への無念は、生前の父の体重と遺灰の量を具体的な数値で比較するかたちで表され胸を打つ。
  絹ごしの豆腐にホーク刺すごとくツインタワーにテロ機突っこむ
  日暮れきて旋回なせる椋鳥ら投網打つがに刈り田に墜ちぬ
  近江路の萌ゆる丘陵を脱皮せし縞蛇のごと「のぞみ」通過す
 意表を突く喩に九・一一の驚駭を想起する。「投網打つがに」「脱皮せし縞蛇のごと」も独自の視線で捉え、こうした斬新な言葉の選択にも商人として培われた度量の大きさが窺える。
  志願兵となり征きしわれと聖戦に死にゆく少年と何が変わろう
  君が代の二節目から声出して斉唱の中に加わりており
  付き添われ一票投ぜし老い女の票も混じりて市長の決まる
 一国の庶民である私達は、生きる時代に少なからず翻弄される。アフガニスタンの内戦に挑む少年に、かって志願して戦いに赴いた自身を重ね、その是非を問い続ける作者は、ささやかな自己主張として「君が代」の一節目を外して唱う。身体の不自由を押して投票に訪れた老いた女性もまた時代への協調を余儀なくされてきた人であろうか?投じられた一票は重い。
 「一粒萬倍」の信念の基に半世紀以上を商って来た作者は一粒の大切さを、その重みを識っている。〈個〉を意識し民主国家のあり方を認識する作者の肉声を聴くような作品群である。
  高原の果てにポストひとつある唯一この世の接点ならん
 彼岸の父や母と交信する為に作者の裡に佇つポストなのかも知れない。骨太い作品群の中、視界の明るむポエトリーである。

人を恋う気持ちに揺れて
小潟水脈歌集『空に吸はるる 』

書評 松村 正直

空に吸はるる 

 「りとむ」所属の作者による第二歌集。十五年以上にわたって作り続けてきた作品を再構成して一冊にまとめている。
   袈裟のごと月光受くる石仏かたはらに見て自転車引きゆく
   プリンターの音はたと止みソルビン酸もろともに食む焼き肉むすび
   鳩出でて時刻の数だけホツホーと言ひたる後のロビーの広さ
 歌集の前半から三首引いたが、いずれも巧みな歌である。一首目は「袈裟のごと」という比喩が眼目。月の光が石仏の身体に斜めに差している様をうまく伝えるだけでなく、「石仏」と縁語的な関係になっていて相性がいい。二首目は、コンビニなどで売っているおにぎりの歌だが、原材料名に記されている合成保存料「ソルビン酸」も一緒に食べているという認識に、鋭い考察が感じられる。三首目は結句にロビーの「広さ」を持ってきたところに実感がある。ここが「静けさ」であったら陳腐になってしまうところだ。
   ふつか とも あめ でした ね に おくられ て し の くつ の よこ の あかちや の くつ はく
   先生が出てゆきしあとのレッスン室モロヘイヤの包みもなくなりてをり
  男には首のサイズがあるといふ歌思ひつつ見る美容師の首
   右クリックちがふこつちとわが指に書類に触れるやうに触れ来る
 富山に住む旧師に会いに行く一連や、フルートのレッスンを受ける一連など、この歌集では、人を恋う気持ちが非常に印象的に詠われている。また、随所に登場する青年美容師の歌からも異性を恋う気持ちを感じ取ることができるし、四首目のような職場の歌にもそうした機微が表れている。
  交はらず産まずとふこと想ひゐる海へむかひて直線の道
  紅葉の木々吐く冷気かに沁む殺むるほどは人恋はず来し
 作者の人を恋う気持ちは、一方でそれをあらかじめ断念する気持ちとの間に微妙な距離を取りながら揺れ動く。人を恋いつつも、そこに突き進むことのできないためらいが、作品に微妙な陰翳を与えている。歌集には、母・妹との三人家族であることや離れて暮らす父を詠んだ歌もあり、こうした事情も人を恋う気持ちの底流にあるのかもしれない。
  父といふ独居老人呼吸するシャトー萩原402号
  二十年わが見ぬ父の風貎を結婚前夜の妹が説く
 最後に、作者の好んで用いる「空」の歌から、気持ちのいい一首を引いて終わりとしたい。
   たはむれにとらへてしまつた夏あかねアンダースローで空にかへせり

老いて知る寂しさ、強さ
木檜喜代子歌集『葉桜 』

書評 前田 康子

葉桜 

  ぱあーっと陽がさし込むように娘が来たる盛りなるもの強く美し
 木曾喜代子さんの歌集を読ませていただくと、つくづく女というものは不思議な存在であるなと考えさせられた。娘、母、祖母、その役が、生きていくに従って自分のなかで常に音楽が鳴り響くように重なっている。もちろん妻であったり、姉や妹というのもあるだろう。それよりも縦の血のつながりというのがやはり濃く、母や娘の気持ち、祖母の気持ちを、わかりすぎるほどわかりながら老いを迎えて行く。
 この歌は、嫁いでもう別々に暮らす、娘が会いに来たという何気ない歌なのだが、私にはとても驚きであった。常々、私などはいつまでも母には頭が上がらない、いつまでも、昔の親子関係が続いているような気持ちなのだが、母親の方で知らないうちにそれは変わって来ているのだ。
 しかしこの歌集は冒頭のような歌がメインでなく、章題のひとつにもあるように「老老介護」の日々のなかで詠まれた歌が軸にある。
  寂しくてふるえると言う母の手を両手に包むこの小さき手よ
  究極の言葉なるらんタスケテと母の呼ぶ声今もうつつに
 この頃は、介護の歌を読む機会が、増えてきている。親であったり、つれあいであったり、男性、女性とさまざまなケースの介護の歌が発表されている。そのなかで、介護する人もされる方も「寂しさ」というのが一つの大きなテーマとしてある。老いと共に来る「寂しさ」とは計り知れない。震えるほどの寂しさ。包み込む手にそれが激しく伝わって止められない、どうしようもなく悲しい歌である。介護に明け暮れながら、母の心がわかり過ぎるほどにわかって、精神的にあまりに近い所へ行ってしまう作者に危惧さえ感じる。二首目は「究極の言葉」というのがなるほどと思う。このタスケテという言葉は、真っ暗な絶壁の前に立たされて、何の考えもなく発語された動物的な一言として心に残る。誰に向かって発しているのではない。もし誰かがいるのならそれは神のみであろうか。
  幾千の墓は南に向きて立つ海を見渡すさまに並べり
  藤棚の下に憩いて解き放ついくすじのひもわたしの時間
 老老介護の歌の間にこのような歌もある。一首目には作者のなかに隠された、強さのようなものを感じる。よく見かけるような墓地の光景だが、壮観でそれでいて温かみがある。上の句の男性的なリズムを下の句の流れるような柔らかいリズムが受け止めている。二首目はゆっくりとほどかれていくような感覚の歌。藤の蔓といくすじの光のような時間の流れが意識の中で交差しているようで美しい。
  失いし若さなりけり身をよじて激すことなき寂しさにいる
  まざまざと夜の鏡に見る裸身男でもない女でもない
 また自らの老いを厳しく直視した二つの歌にも注目した。これは歌集の冒頭の一首だが、老いてやってくる寂しさ、孤独にどうやって人は耐えて行くのか考えさせられてしまう。泣いたりわめいたりして寂しさを消化できてしまえる若さは本当に大切なものであるのだろう。また二首目は女として、抗い難い現実を詠み、どきりとさせられた。しかし作者はそこを目をそらさずにしっかりと詠んだ。そこに老いから来るさまざまな変化を、自分で乗り切ろうとする強さを見た。
  母上の代よりありしこのむし器手の取れしまま使い継ぎおり
 最後にこの歌も好きだった。私の家にも祖母の代の和箪笥と大鍋がある。それを使っていると不思議ななつかしさと安心感が得られる。

妙なる音色
かざまきみこ歌集『雨垂れ 』

書評 山本 司

雨垂れ 

 著者の第三歌集『雨垂れ』とその抒情質は、淡く、静寂であると共に、やすらかな時の移ろいの中に、己の存在感を表出しているのが特徴といっても、過言でない作品群であった。時に、おずおずとした冒険を覗かせてはいたが、それらも含めて一首一首が歌集名の“雨垂れ”の一滴一滴のようで、まさに、雨垂れを聴くような歌集とも言えよう。それは多分、作者の人柄や人生観の反映そのものによって、成されたのだと思われる。
  少年の心が昇降するやうにわが部屋に聞く階段のひびき
  二人暮らし始まる我ら誰からも余所の人なり子の家族にも
  終までを会ふを拒みし友のため笑まひやさしき写真を選ぶ
  吊り革を持ちゐる人の間に見ゆる薄暗き目が光を帯びる
 日常生活における階段の響きを〈少年の心が昇降する〉ように聞いている作者。子の家族との二世帯住宅での生活を、〈余所の人〉と言う距離をおいた関係。会うを拒んだ友人の遺影に〈笑まひやさしき写真〉を選択。電車の中での〈薄暗き目〉の恐怖感。等々を見ても、表現は実に落ち着いていて淡い。
 非日常的情景の作品等は極めて少ないが、それらの作品から、
  茶の会を了へきて回す洗濯機足袋ゆうらりと浮き上がり来る
  雪ゑくぼ深みて樺の木立群樹液湛へし幹が艶めく
  枝垂れ桜の幹は柳に似てゐると告げたきことも思ひに終はり
  帽子被るカルザイ氏に似る祖父なりしさとの井戸辺の柿の木の下
を挙げてみた。茶道の教授と言えども茶の会は非日常の行為で、洗濯機を回して足袋が浮かび上がってくるのは、日常への回帰であろう。冬の樺の場景の旅行の作品も非日常である。まして、〈告げたきこと〉も思いに終った相聞や、故郷の回想も非日常と言えよう。これらの非日常の作品や非日常から日常への回帰等においても、作品は実に沈着冷静とも言える、徹底した自己の感情を抑制した作品群で構成されていた。その事によって、作者の人柄や感情が作品にほのかに滲出して来て、時の移ろいに距離を置いた、作者の存在感の陰影が感受させられた。
  舳先揃へ米艦護りゆくイージス艦原爆知りて五十余年の後
  もみぢ葉の照りあふ並木抜けて来て染まらぬ我はとうとう独り
 これまで述べて来たことが、くきやかに形象されているものに、極めて少数ではあるが、ここに抄出した社会的事象を詠じた作品や自己を凝視した作品を挙げる事が出来る。そこには、客観的事実のみの詠出で、他と隔絶した己の確立があった。
 本歌集は、一見、穏やかで慎ましく覧えるが、さりげなく作者の芯が徹っており、微妙な雨垂れの音色を聴く事が出来る。