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青磁社通信第九号VOL.92004 年 1 月 発行

巻頭作品
雜之歌

森岡 貞香

景の無き場になりぬるを われのみの息遣ひくるしくなりたる時に

佇みてをりたる少時この道の並木の黄葉胸に掛かり來

冬のねむりに入るべくなりてがまがへる彼はわが庭の落葉のうへ

むかごころぶ庭の樹下にきのふ見てかのがまがへる今日は見えずも

鴨鳥の渡りこしかば街なかの濠の水面の揺れうごきゐる

水の面を出でこし鴨の歩きやう彼の水掻きの色に感じのあり

へだたりてかの日ありにきこの濠の道添ひに今日散る鴨脚樹の黄葉

エッセイ
きせる乗車の日本文化

鶴見 俊輔

 昭和二十四年四月一日から、私は、京都大学につとめた。
 私は小学校卒業で日本の学歴を終えているので、日本の学校とはつながりがなく、友達は少ない。京都に移ってきても、土曜と日曜は行き場がなかった。
 そういうとき、私を自宅にさそったり、外食にさそったりされたのは、高安国世夫妻だった。
 高安さんは、京都大学のドイツ文学の助教授であり、私は人文科学研究所の助教授だったので、学問上のつながりはない。それでも、そのころの京大は、ひとつの小さい大学だった。戦争に負けたということが、この大学を小さいものと自分たちに思わせた。  本を借りるにも、大学図書館の索引箱でたしかめてから、ちがう学部の図書室にさがしに行くことがあった。バーコフの『美の尺度』が数学の図書室にあり、ペリーの『価値の一般理論』(哲学の本)が経済学部の図書室にあって、読まれることなく、そこに眠っていた。
 小さい大学だから、工学部建築学科の西山卯三先生のとなりにすわることもあったし、経済学部の青山秀夫先生がなんとなく私の研究室に話しにくることもあった。記念祭のときに、明治時代の東洋的社会主義者小島祐馬先生が土佐から出てこられたのに出会ったことさえあった。
 文学部ドイツ文学の高安さんが、夫人と一緒に私を夕食にさそうのは、それでも、めずらしいことだった。それは、高安さんの御子息のひとりが聾だったので、そのことを入り口として、聾の記号の世界について、夫妻ともに考えることが生活上の問題だったからだろう。私の話が、高安夫妻の参考になったとは思えない。しかし、言語以前の人間の記号について、私は考えていた。話題を共有することはできた。
 夫妻ともに、短歌の結社の中心におられ、短歌には、言語を仲だちとして、言語の外の世界への気配をとらえようとする修練がある。  「青磁社通信」六号に、

   ヒトの語とひきかえにわれは失いし子が雀らに語りいることば  森尻理恵

 があって、そういう修練が、家庭内の日常を、ひろく表現の問題として夫妻の前に置いたのだろう。
 私は短歌を作らないので、結社の外にいたが、高安夫妻は、なくなられるまで、私に声をかけることを続けた。ドイツ語訳の歌集が送られてきて、そのとき、私ははじめて、ドイツ語に訳された短歌と、日本語として書かれた短歌とのちがいに、気づいた。ドイツ語では行分けとなるが、日本語として、短歌は一行で表現されるという本質的なちがい(短歌をつくる人にとっては自明なこと)が私に明らかになったのは、それ以来のことである。
 その後御子息は、画家としてあざやかな世界をつくられ、その作品を見ることもできた。
 やがて、「塔」を高安国世さんから受けつがれた永田和宏さんが、私の家の近くに住まれるようになり、私は、途で時として会うことを通して、永田さん御一家と近づきになった。
 東京生まれの私としては、京都の町を背景とした、このつきあいは、あたらしい。あたらしいとは言っても、昭和二十四年以来、ここに住んでいるのだから、古いはずなのだが、それでも、私にとっては、まだあたらしい。
 それは、十五歳で日本を離れて、一度、日本語が頭の中で消えたからである。満二十歳で日本に戻ったときは日米戦争の中であり、私は家族とともにいても、また軍隊の中にいても、どうかすることのできない自分を感じていた。その気分は、戦後も私の中に残っている。日本語に戻ってから六十二年たち、もはや英語をたくみにあやつることができるわけではないが、日本語に対する別のものという感じは、今も残っている。
 自分が八十歳をこえて、もうろく語をあやつるようになってから、その中に日本語も英語も流れこむ。そのようにして人間の言語に達し、やがて、これもたくみにあやつれないところまでくると、人間とはちがう存在語に行きつく。こうして、一度断たれた日本語との関係は、断たれた痕跡を、私の中に保ちつづける。そういう予測をたてるのは、私がまだ、存在語の中に暮らしてはいないからだ。
 存在語の気配に向かう短歌がある。

夕飯を呼びにゆきしがこれの世に夫と交わせし最後となりし  河野君江

まなざしと対話
内藤定一歌集『スローグッバイ(3刷)』

書評 兵頭佳恵

スローグッバイ(3刷)

 内藤定一歌集『スロー・グッバイ』は、著者の妻が抱えるアルツハイマーという難病と向き合った、著者の十九年という年月の記録である。高齢化社会、在宅介護、その様な言葉では簡単に括り得ない現実の重さ、精神の深みが、絵を描く著者の精密で真摯な筆致により描かれている。
   痴呆後の空の広さをわれ知らず異なる思いに妻と歩めり
   失語癖はげしき妻の目を見つむ かすかに意志をみせる目の色
   たましいの余剰の部分切り捨てて痴呆は妻に笑顔を遺す
   夕立に車椅子押し駆け出せば珍しく痴呆の妻がはしゃげり
 一首目は、著者が妻の見ている空を想う作品である。自分よりも純粋な存在であれば、妻の見ている空は自分の見ている空よりも広く澄んでいるに違いない。しかし、生活の中に感じること、月日の思い出を共有したいと願う気持ちは切実であり、妻の空が広く美しいことを願う一方で、共有できない空が著者には言い様もなく遠いのである。
 その様な中で、著者が奥底から求めたものは対話(会話)であった。言葉が駄目なら笑顔、また、目の表情を読もうとする。微笑みは最小単位の会話であると言ったのは誰だっただろう。集中には、共有や会話、或いは対話を希求する思いが多く詠われている。しかし、この歌集を読み終えた後、この一冊の本が共有と対話に満ちていることに気付かされる。
  霧の朝きらきら光る灯を点し大きな船の港に入り来
  朝早く船の破片を焼くが見ゆ廃船処理場のある港町
 また、この歌集には、この様な光景のデッサンが、介護の歌の合い間合い間に詠われてゆく。絵を描く著者の、対象に迫る観察力と描写力は介護の風景の中にも生きている。
 一首目、疲れた著者の目に、ゆっくりと入港する船の灯はどんなに美しかっただろうか。二首目、船の破片といった捉え方は繊細で、朝の透き通る空気の中の光景は痛いほど切ない。
   永遠の愛をいうとき輝けり〈レンブラント・ライト〉の中のサスキア
 レンブラント・ライトとは、暗い背景から人物の表情が光に浮かび上がる、レンブラントの絵の中に射し込むあの不思議な光である。サスキアはレンブラントの最愛の妻。自らの生涯において身辺の愛しいものを描いてゆく、画家も歌人も結局のところ大した違いはないのかもしれない。そこにはもはや時間は介在せず、愛情とまなざしが残る。
 「スロー・グッバイ」……ゆるやかなさようなら……周囲の人との間でゆっくりと、少しずつ為されてゆくさようなら。アルツハイマーはその為の大切な時間なのだとこの一冊は語る。

確かな生の証明
大橋久仁子歌集『峡の風景』

書評 香川 ヒサ

峡の風景

 大橋久仁子歌集『峡の風景』を一読して感じたのは、著者がくきやかに今を生きているということだった。この歌集の何がそう感じさせるのか、あらためて読んでみたい。
  梅の香に送られ家出で木犀のかをれるときに戻り来たれり
 家の新築が成って仮住まいから戻った時の歌である。木犀の香る今が、かつてそこに漂っていた梅の香を思い出すことで、一層鮮やかになっている。今という時空に過去の情景を重ねて、その差異において今を認識するという、丁寧な、余裕も感じられるようなものごとの捉え方がされていると思う。
   木々の芽にみづ雪光れり飛び交へるふくらすずめの声変り来ぬ
   この岸に桜の咲けばホームレスのテントは向かひの岸に移れり
   葦原をとび発ち行きし鶸の子ら風しづまればまた来てひそむ
   一献に酔ひて歌ひて袈裟忘れ帰りにし僧けふ導師なり
 一首目、ふくらすずめの声の変化にいち早く気付いた時に見た春の兆しの瑞々しい情景である。二首目、桜の咲く前そこにあったホームレスのテントが、桜が咲いて向こう岸に移された今も、その場に重なって見えて、自ずからアイロニー漂う歌になっている。三首目、葦原をさっき元気よく飛び立った鶸の子らだから、静かに潜んでいる今も存在感があるのである。四首目、導師にその過去の失敗が重ねられアイロニーが籠もるが、上句の韻律のよさによってむしろ作者がそれを楽しんでいるような感じさえある。大橋のこのようなものごとの感受の仕方は、当然その在り方と関わってると思われる。
   青くさきトマトに砂糖、夏みかんに重曹かけて母はくれにき
   鋸屑と松葉の蚊やりのけむりゐる草屋のゆふべ父母もゐて
   神鳴り様地の神井戸神亥の子さま祖母の言のは光つて消ゆる
   われはあを妹は赤きビロードの服を着し春昭和のはじめ
   奥の間に永く臥しつつお祖母さま〈大本営〉と呼ばれゐたりき
 母、父母、祖母、幼き日の妹と自分の記憶が歌われているが、鮮明なイメージが伝わってくるのは、砂糖を掛けたトマトや「あを」いビロードの服などと、いずれの歌にも具体的なものごとが詠み込まれているからである。しかも、それらはみな戦前の光景だ。大橋は、「お祖母さま」が「大本営」と呼ばれながら奥の間に臥していたような時代のものごとの感触を、まざまざとと記憶しているのである。そして、このように覚えているのは、それぞれは断片であっても、それらの記憶が基本的な体験だったことを示している。つまり、この見えないフォルムのようなものが、作者自身の生を根拠づけたのである。言い換えれば、幼き日に生の根拠をしっかりと掴んでいたればこそ、今の大橋が在るのではないか。そう思った時、『峡の風景』において生き生きと歌われている自然、家族、折り折りのできごとは、まさに大橋の確かな生の証明なのだと了解したのであった。

今は昔の物語
信ケ原綾歌集『浮雲 』

書評 藤井 マサミ

浮雲 

 「今は昔」と語り始める物語がある。今となっては昔の事であるがとおおむね解されているが、今を昔にし時空を超えた時点に話を閉じこめ、諷刺、象徴としていつどこにでも起りうる話として人々が共有出来るもの。と私は思う。『浮雲』は乙訓の地に老いた夫を守って暮らす現代の妻であるが「今は昔」的な不思議なゆとりのある雰囲気がある。それはどこから来ているのであろう。巻頭の歌
  方徐けの神を祀れる森くらし置き忘れたる夫の如意棒
また
  夫の杖失くせし森の青味泥森青蛙の産卵つづく
をみると、背景があり、点景があり人物がいる。背景の森、点景の如意棒、森青蛙は風土に根ざした古くからあるもので、これから失われてゆきそうで、人々の心の裡に存在しているなつかしいものである。背景部分、点景部分の描写、叙述の分量が過剰でなく、程よく薄いので舞台装置効果よろしく人物をくっきり浮き上がらせる。これが物語化の一つの要因になっているかもしれない。この歌は全篇の導入部として静かに展開し、テーマである恍惚の夫に到る。
   いつよりか夫の身ぬちに巣くひたる小法師ありてわれにさからふ
   全天の雲灼けゐたり惚くるは夫かわれかも見さかひつかず
   この夫をその父母にかへさむか欅の大樹日あたりてをり
   ふとも来て座敷わらしのごとくにも冷蔵庫など開けてゐたりし
作者は私的感情を直訴しようとせず、詠む対象として夫をのべるので読み手は同情同感といった俗的感情をもたずにすみ、作品として鑑賞することが出来る。これも物語化の要因であろう。物語化、民話化は作者の意図された方法であるらしいと、読み進むに従ってはっきりする。「民話」という篇もあるのである。先の「小法師」「座敷わらし」又「鳥獸戯画」「病草紙」「木簡」といった古い材料が全篇に適合し、作者の詩的世界をつくり上げている。「ビルマ戦線」「戦後」「老兵」「復員くづれ」といった生ま生ましい材料さえ、この物語世界に吸収されているようである。
 「貝の口」篇には京都の地名、店の名が次々にあげられている。「北山」「大将軍」「西加茂」「丸善」「駸々堂」……。これらは京都在住のものにはなじみ深いものであるが、なぜこれが出てくるのか、作者の私性がないのでわからないまま巻を閉じなければならないのが残念である。
  日暮れくる一乗寺辺り裏道に天然酵母のパンを焼く店 は心に残った。記すのに外れたが私の愛する一首。
   夫の立ちわれの立ちゆく夜のゆまり月あかり窓に差せるを言ひて

楽しい言葉、輝く昭察
岩井明歌集『カニノタテバイ 』

書評 水島 晴子

カニノタテバイ 

  ちょーうれし、今日で阪神八連勝、喜べるとき喜んどこや
 十八年ぶりの優勝に湧いた今年の阪神タイガースではない、つい二年前までのダメトラ。気が向けば勝ち進むがすぐに呆気なく負けがこんで、ぬか喜びの言葉そのままだった頃の歌である。若者言葉と大阪弁を駆使した作の背後に見えるのは、素のままの作者の姿と心のありようだ。微笑に満ちながらも、生きる上で自他をはっきりと見きわめる冴えた力が感じとれる。哄笑のあざとさとは無縁のほほえみであり、シニスムからは最も遠い。大方の人は、阪神ファンであってもなくても、「わあ、たのしいなあ」とこの歌を読み、作品との出会いをよろこぶのではないだろうか。さらりと詠まれた次の二首などにも、作者の人間通ぶりは、独特の把握を通して滲み出ている。
   岩手路のそのまた端の久慈に来て海胆と昆布と琥珀を知れり
   海鞘を食う旨い不味いは別として小沢一郎瞼に浮かぶ
 内科医として研究、診療の第一線に携わってきた著者が作歌を始めたのは七十歳代の半ばであり歌集出版までの七年間に詠んだ歌数は五千首を越えるという。集の基盤でもある古典の知識の涵養には、幼時からの家庭環境もあずかっているようだ。
  合歓の花睫毛を閉じて地に落ちぬ大原の里に夏死する見ゆ
 合歓の花が散る頃はまだ夏のはじめ、だがこの歌の下句には文学的な必然性といったものが感じられる。建礼門院の大原を懐い、ひいては平家一門の興亡と結びついた〈無常〉を思うからでもあろう。美意識とことばが結合して濃い雰囲気をかもしている。伝統を負う言葉の働きで一つの世界が展かれている。
   いららいら いらいらいらら いららいら 一匹二匹 羊を数う
   駅は晴れ四条は曇り 出町雨北山時雨れて八瀬細雪
   鹿跳ぶと見れば岩なり瀬田川のしかと岩見る鹿跳の渓
   茶畑に蒟蒻にょきにょき植えられて帰りたるかなわれふるさとに
 最大の特色ともいえる自在な言葉づかいによる歌をさらに掲げた。一読びっくりした後でふき出してしまうような一首目。さながらに京都の街すじを辿ると思わせて鮮やかな筆捌きの第二首。語呂合せへの執着に止まらない感の三首目。第四首では、聞き馴れた擬態語が作の中心に大胆に据えられている。
  海望む坂に杜あり女たち登り来たりて太鼓を叩く
  三輪山の奥津磐座神籬に神遊ぶらし雲のたなびく
  うつせみの身は鴻毛の神の国葉書一枚われを拉致せり
  その一代虹に向かいて訥々と歩み続けぬ長き影曳き
  三点を確保し一歩また一歩 カニノタテバイ 剱岳の先へ
 柔らかな受容の心につねに光るような照察が輝く歌集である。

出口のない明るさ
小谷博泰歌集『α階のS』

書評 今井 恵子

α階のS

  ものまねのインコさへづりひざし白しまうすぐ春となるガラス窓
 作者の第四歌集『α階のS』はこのような明るさに始まる。春の予感のなかの小鳥の営みが、際やかな言葉の輪郭をもって何気なくおかれている。誰もが毎年その季節になると味わうだろうと思われる眩しさである。それは、ほんのりとした暗がりからふっと屋外に出た瞬間におそわれ、すぐに忘れ去ってしまうような淡い明るさでもある。明るさは、歌集の通奏低音となって、
   山も海もかすむ五月をリラ咲いてからつぽのやうな明るい時間
   雪つもる庭に朝日のさしてをり蜂蜜をパンにぬりをはりたり
   一本のポプラを風が過ぎてゆく高くそびえてざわめくみどり
のようにうたいつがれる。
 夏の到来のころに特有の空白感。雪の朝の清浄な明るさのなかで、パンにたっぷりと塗る蜂蜜。ポプラの高枝を渡ってゆく風のざわめき。これら三つのイメージは、その明るさや清浄や空白感にすこしの瑕瑾もないという点が、共通している。それぞれが一つの極みであるといえるだろう。しかしこの明るさは、ふつうにわたしたちが考えているような、太古へのなつかしさや自然への憧憬を思わせる開放的な文脈で語られているのではない。
   予告なく死はおとづれてこんなにも明るい昼にひつぎ出でゆく
   泣き声がエレベーターでおりてゆく高層ビルの夜の明るさ
   雪の道にともれる自動販売機 どこかで人の声がしてゐる
 極まった明るさは、予告なくおとずれた死も泣き声も瞬く間に呑み込んでしまう。人間存在は瞬時にして明るさの彼方へ姿を消してしまう。こうした歌の抱えこむ世界が、読者に不気味な戦慄を呼び起こすのは、人間が卑小であるからでも無惨だからでもない。何の表情もなく均一に明るい世界が、人間と同化せず、しかし際限なく続いているということが、得体の知れない恐怖感をもたらすのである。
   人間の顔の野良犬があつまりて寒し寒しとからだよせあふ
   舌だけが生き残りたりいま磯をなめてゐるのはわが舌である
 『α階のS』にとっての明るさは、このようなおどろおどろしさと背中合わせにあるが、だからといって自然と呼ばれているものに感情移入をするのではない、というところに作者の認識世界の特色はある。それは精緻で隙のない文体と一体である。「二〇××年」小題に、
  ベルリンの壁が崩れて五十年たつたがどこもかも壁のなか
の一首がある。明るさは、〈出口なし〉なのである。

みずみずしい混沌
宮嵜亀句集『未来書房』

書評 内田 美紗

未来書房

 『未来書房』はちょっとヘンな句集だ。もちろんヘンとは簡単には語れないオモシロサということである。まず集名からしてヘン。一瞬、刊行した出版社名かと思ってしまったが、作者の中のロマン、文学性、稚気、テレ……などを象徴して見事。当然その志向は作品世界にも現われていて、ジョーシキ思考の読み手をとまどわせる。たとえば、ページを開いてすぐに出会う次のような句。
  レンジにてチンして殺そか薔薇の花
  君は科学者蛞蝓は哲学者
  たよりなきものにくらげの腕ずもう
 一句目、便利な道具を殺しの道具と見る発想は特異だし、一転して美しい薔薇と配する感覚はシュール。二句目の、蛞蝓と哲学者を同等と捉えることで科学者であるわが身を自嘲する視点と、三句目の、あっけらかんとしたおかしさにはズレがある。
 かと思えば、次のような素直で若々しい句も散見する。
  噴水やきれいな脚が通り過ぐ
  青空に四月のスーツケース置く
 失礼ながら若いとはいえない作者だが、実社会で重要な立場にある人には珍しく(?)少年っぽさが垣間見えるのは、
  満天の星空鼻先に登山靴
  秋の石ひょいひょい踏んで山頂へ
 などの句に窺える豊かな時間を持つ山男ゆえかもしれない。
 一方で見落とすわけにいかないのが、
  極月の波止に巻き貝洗われる
  春の雨帽子濡れてるベルボーイ
  春寒の闇に転轍機うづくまる
  三月の窓に鳥来る授乳室
  廃坑に水溜まりたる二月かな
 のような、なにげない情景に託した繊細な心理描写。
  七人の敵はさておき蜆汁
  我思う故に我ありところてん
 の斜に構えたユーモアも捨て難い。こうして読んでくると改めて、多彩と一言では片付けられない、まさに“くらげの腕ずもう”のごときヘンな句集だ。それは思うに、作者の俳句のスタートが固定観念と無縁だったからだろう。その結果の小賢しいテクニックから解放された清潔感がいい。なにより全体を通して物欲しげな視線のないのが好ましい。
 けれど、いつも物静かで穏やかな作者が時に見せる笑みには“お約束ごとはつまらないよ”という創作者としてのこだわりも読めるのだ。トリックに満ちた集名のように、うかうかするとヘンな世界にかどわかされそうな句集である。
  春の昼未来書房に行き着きぬ

春待つこころ
上田緑歌集『遊心 』

書評 松田 基宏

遊心 

 われわれはいつも自分の心を満たしうる日々が来ることを期待して生きている。自分の過去や現在が過酷であればあるほどその思いは強く胸中に鳴るであろう。人は性格や思念によりその表情は明るかったり暗かったりする。
 『遊心』には常に原爆の被爆体験が底に流れている。それは拭っても拭いきれない体感になってしまっている。だからどの歌もそこを原点として、感じ、発想しているのである。その上に夫君の死がこの歌集のフィナーレとなる。しかし『遊心』は苦しみを歌っても悲しみを語ってもどこかに救いがある。それは作者が極めて過酷な過去を背負っているが故にかえって天性の明るさが表情となって表われているのだと思う。
  生くる支え探しあぐねてユトリロの雪のモンマルトルの町に入りゆく
 小題「春待つこころ」の中の一首。小題とともに生きることへの期待が感じられる。亡き夫君の希望で第一歌集を『遊』としたのであるが、著者が「心のゆとり」を底流させる資質を持ち合わせていることを読んでの上のことであったと思われ、いまなお、歌の中に夫君の存在を感じるのである。
 著者にとっては被爆体験は体感となっており、第二歌集である『遊心』においてもなお詠みつがれている。
   核廃絶運動もせず暖房の居間にぬくぬくと被爆者のわれ
   夕光にときのま燦然と顕れしビルのあいだの原爆ドーム
   折鶴を天に捧げて青銅の少女よ寂しからん月のなき夜は
   体調をくずせば原爆の後遺症を疑い死ぬまでわれに戦後は続く
  原爆投下の是非はともかく惨惨たる事実は孫子に伝えねばならぬ
 「事実は孫子に伝えねばならぬ」と歌いながら「居間にぬくぬく」と居ることを自責せずには居れぬ苦悩、被爆という大きな身心の傷を背負わされた上になお苦悩は果てず、著者の戦後は続いてゆくのである。理性をもって表現されているので、共感させる上に、戦争の惨禍について、あらためて考えさせる力をもっている。押しつけがましくないこのつぶやきこそが短歌文学の本領だと考える。
 いつも著者を温かい目差しで見守っていた夫君の死は著者にとって大きな衝撃であった。しかし、作品そのものは理性と明るさに支えられてこだわりなく読者に陰湿な負担を与えない。
  共に見んと約束せしが公園の桜をことしはひとりで仰ぐ
  まっ青な空に檪のわかば映え土に還りゆく君やすからん
 悲しみも苦しみも、明るさとやすらぎに変えてしまう。しかし批判すべきところはきちんと書いてゆく。作者はこれからも明るさというキーを押しながら前へ進んでゆくことであろう。

静かな視線
若松佐々美歌集『妻と住む家』

書評 大寺 龍雄

妻と住む家

 昭和二十二年に教職に就き、定年退職後、閑谷学校で文化財に携わって六十三年まで、昭和年代の作品でまとめられている。諸もろの事象に向かう静かな視線が、著者の物の本質に迫ってゆく姿勢のようである。
  教職への不信あらはに物言はぬ子と対ひゐて冷たき木椅子
  明朝に迫れるストに突入を期しつつ生徒らへの課題をつくる
  わが勤務今日を最後と日の暮れの構内巡視す一人静かに
 静かな視線が三人の子らへ、そして生徒らへ注がれてゆく。教師であるために、就学中の子への対応の難しさがあるのであろうし、労働者の立場、教師の立場に立った苦悩は、真摯に生きていれば居るほど重いもであったはずである。
 私生活に近づいてみよう。
  白墨とインクに汚れしわが指に吾子の手小さく柔らかきかも
  すこやかに明るき子等の声を背に朝朝霜を踏みしめて出づ
  警笛を鋭く鳴らし列車過ぐ吾子はねられて逝きしカーブを
  わが一代で終らむ家か息子を死なせ娘を嫁がせて妻と住む家
 生まれて間もないわが子の指と、働く自分の指がそこにあって、それが充実した存在のすべてなのだ。生命の息吹とその繋がりが美しい緊張感をかもし出している。健やかな声に送られ、そして迎えられる穏やかな日々はつづき難いのが常なのであろうか。列車に撥ねられて一人を亡くしてしまう著者。その軌道のカーブを「警笛を鋭く鳴らし」て列車が過ぎてゆく痛切な日々が続いてゆくのだ。年過ぎて、その機関士からの年賀状を受け取ったりする人の世の切なさが詠い出されたりもする。あとの子らは巣立ち嫁いでいって、妻と二人が残される。常の推移とは思いながらも、静かな視線で詠われてゆくと、心地よい親近感に包まれてしまうのである。
 紀行詠と思われるものが多いが、風景の中の人びとの営みが丁寧に暖かく捉えられていて、激しさを外に見せない静かな時の流れが美しい。
  簀を数多ならべて小さき魚干せり鮮やかに赤き一群は海老
  台風の余波に荒れゐる海ながらはろけき沖の平らかに見ゆ
  飛び去りて小さき飛行機西空にすでに沈みし陽を反したり
 一首目、小さな魚が干されている中の、これもまた小さな海老の、その赤が印象的で数多の命の今を考えさせられる。二首目、荒れている海の遥か沖の方は平らかに見えるという。言われてみると当然のことなのであろうが、一瞬、恐ろしさが背筋を走ってしまうのだ。三首目は西空の余光の中に陽を反す飛行機の小さな光。それを見送っている著者の静かなシルエットが見える。