ご注文・お問い合わせ

ご注文の書籍は送料無料にてお送りいたします。
お電話・メールでご連絡ください。

TEL:
075-705-2838
FAX:
075-705-2839

info@seijisya.com

青磁社通信第七号VOL.72003 年 4 月 発行

巻頭作品
万羽の北帰行

岡野弘彦

夜を徹す氷雨にしとど濡れし身は 翼おもたく地に立ちつくす

なべづるのひしめく冬田 たけ高く歩むまなづるを 目放ちがたし

北をさし いま発ちてゆく鶴群の 万羽の声は 空をとよもす

去りがたく あけぼのの空翔びめぐり 鳴き交すなり。あはれ 鶴群

特攻機つらねゆきたるわが友の まぼろし見ゆる。天のたづむら

海に出て 群ととのふるたづむらの 大きうねりをはるか見まもる

めざしゆく北の荒野は 草萌えのまだ遠からむ。つつがなくゆけ

エッセイ
半世紀前の学生短歌

来嶋 靖生

 昨年十月、篠弘氏が「日本経済新聞」の「交遊抄」という欄に私のことを書いてくださった。新聞が新聞なので、歌人よりも学部(政経)の古い友人からの反響が予期せぬほど多く、おかげで何人もの友と旧交をあたためることができた。言われてみると確かに一九五一年五月、早大短歌会で相見えて以来のこと、実に半世紀以上にもなるのだ。そこでふと思い出した。昔の短歌会の記録など残っていないか。某日、屋根裏部屋に上がり、埃まみれの段ボール箱をいくつか引っ繰り返してみた。
 あった。昭和二十六年の早大短歌会の詠草記録が数回分、翌年東大で行なわれた大学合同歌会の記録が一葉、ほかに「槻の木」の月例歌会の記録が数回分、まさにセピア色になったザラ紙の紙束が出て来た。私は整理が悪く、この手のものはほとんど保存していないのだが、歌を始めたばかりのその頃は、至極まじめだったらしい。驚いたことに、早稲田の短歌会の詠草はほとんど手書き、つまり口述筆記なのだ。進行係が読み上げるのをみなそれぞれのノートや罫紙に書き取って、そこから議論をはじめたのだった。コピーのない当時、時間に余裕があれば大学合同歌会のように、あらかじめ謄写版印刷が出来る。が、貧しい大学短歌会、毎週月曜日というハイペースだから、いつもぶっつけなのである。私の属する結社「槻の木」では、当日集まった詠草を能筆の人が大きな紙に墨痕鮮やかに書きあげ、それを壁面に張り出し、その紙を見上げながらの批評会であった。今日の電子メールの歌会など、夢にも思えぬ時代である。
 そこで作品だが、これはあまり麗々しく書きたくはない。でも記録は記録なので、少しだけ紹介しておこう。私が出たはじめての早大短歌会は五一年(昭和二六)五月十四日、早稲田の喫茶店エリーゼの和室で行なわれた。上級生は数人で、あと新入生が十数人いた。都筑省吾、窪田章一郎両先生が指導講師として出席された。「まひる野」の高橋三郎、「槻の木」の高田敏、原田清といったところが顔役であった。私の出した歌は「胸のうち動揺おこれりこののちの生き行く道にうたがひもちて」という幼稚な歌で、互選の票は二票。ところで会がはじまってしばらくたった頃、小柄で眼光鋭い一年生が入ってきた。「遅くなりまして」などとしおらしく挨拶して着席した彼は、続けられていた批評の中にすぐさま割って入り、先輩たちと丁丁発止とやりあうのであった。隅のほうで小さくなっていた私はそのやりとりに舌を巻いた。その人の名は篠弘という国文科の学生で、何でも谷鼎という窪田空穂門下の高弟に、高校時代から学んでいるらしいとの噂であった。その時の篠弘の歌は「つややかにかがやく木の芽にひるの雨風すぢみせて春あたたかし」で、遅刻したために互選の票は入っていない。
 毎週毎週のことなので、やがて二人の仲も接近する。当時の早大短歌会は空穂系一色といってよい状態、とくに国文科学生の大半を擁する「まひる野」と、政経、商、理工の学生らの「槻の木」とが勢力を二分していた。会は活発で、時には東大や共立女子大の人たちを招いたり、先輩の武川忠一・植田重雄氏らをゲストに迎えたりした。そのうちに大学合同歌会が企てられ、東大の山上会議所や参議院議員会館などでしばしば歌会があり、のち大学歌人会に発展する。今私の手元にあるのは五二年(昭和二七)五月十七日に東大法文経四号室で行なわれた歌会で中野菊夫氏がゲストで出席している。

  オルガンの沈める楽が流れつつ昼闌けて濃き五月のひかり
                    中西 進(東大)
  触れてゐる髪にしめりの残りゐて美しかりし野の雨を言ふ
                    岡井 隆(慶大)
  ほつれ毛を気にしつつ妹の出でしあと散りかけのチューリップを窓下に捨つ
                    伊藤文学(駒大)
  痛みありて淋しきことを吐く母に咲きとげし桃の明るさをいふ
                     篠 弘(早大)
  夕刊にかなしき記事を読みにたり窓辺に口笛を吹きつつ堪ふる
                    来嶋靖生(早大)
 誌面の関係で歌はあげられないが、國学院阿部正路、学芸大金田正直、東大大塚恭男、中村嘉良、早大原田清、三木計男などなつかしい名が並んでいる。
 ちょっと注意したいのは、すでに人口に膾炙されている岡井隆の「抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う」(斉唱)の原形と思われる歌がこの会に出ていること。歌集の「抱くとき」がここでは「触れてゐる」であること、漢字ひらがなの表記が微妙に違うこと、歴史的かなづかいであることなど、岡井隆研究者には一資料になるかしらん、などと思った次第。
 これらを思い出したのも篠弘の「交遊抄」あってのこと、もつべきものは「友」である。

言葉をもたぬ 命へ聞く悲しみ
佐藤南壬子歌集『風が好き』

書評 米川千嘉子

風が好き

  多摩川におほきな満月輝けり 月のよこがほたれも知らない
 あわあわと舌足らずで甘やかなタイトル。そしてこの一首で始まる歌集である。(ほかにも、「ユリノキ通りの黄葉のした たれかてのひら落としてゐませんか」など、童話的でおっとりと大きな呼吸が魅力的な楽しい歌がある。)純でロマンチックな気分を失わないタイプの作者なのだろうか、などと思いながらまず読みすすめると、まもなく次のような歌々に会う。
  子の部屋は棺桶であり揺りかごでひきこもりたる四年の月日
  ただ家族であることも難く::家族機能研究所のドア高く軋める
  夫もわれも自分の苦ばかり言ひたてて息子は何も言はなくなつた
 部屋に籠もったまま「青年期」を過ぎようとしている子供の存在は、母親にとってどんなに辛いことだろう。子供や母である自分自身との葛藤の苦しみを必要以上にさらけだすことはしないが、「永遠のいのちをわれに売りに来る要らぬと言ひてわれは萎えるも」といった歌のなかにも、作者が日々堪えているものの大きさは十分知られる。
 「犬いるだけで家族を保つ」という大切な犬、あるいは烏、かたつむり、青葉木菟、蟷螂、守宮、家の傍の欅、ユリノキ。「籠もり子」という切実な現実の一方で、こうした言葉をもたない命が溢れるようにうたわれていることが、じつは『風が好き』のもっとも大きな特徴だろう。それに較べて、家族の他に歌集に登場する人間といえばほとんど、「蟷螂の構へのような手つきして福音」を、「永遠のいのちを」売りにくる人だけではないだろうか。人間の寂しい気配、その重たさに堪えがたい感情が、この歌集の底にはあるのかもしれない。犬や虫や鳥や木々、人間ではない命はあくまでも静かで、その静かな優しさに向かって、作者の心は解放され慰められることを願っている。
  「おみーみつないで」歌ひつつ犬の耳握つて歩くまだ暗き道
  樹木のしたでぽつんと濡れる ゆふぐれに呼吸を落とすは何といふ樹
  ぷつくりと指ふくれたる守宮かな裏おもてからしげしげと見る
 そして、次のような歌にある自然への同化の感情、あるいは、巻頭の月の歌などにこめられたものも、刺すような哀しみと祈りのようなものであることに、まもなく気づく。
  風が好き犬だけでなくわれもまた枯葉の匂ひ探る鼻持つ軽やかにけやき落ち葉の移動する小路にわれは積もつてしまふ

心の艶
竹島智子歌集『宿縁の花』

書評 岩田記未子

宿縁の花

 まず歌集のタイトルが『宿縁の花』とあって、私ごとき俗人には手ごわいのではないか、と思ったことである。はたして著者は仏門の人であった。しかしそこはかとない無常感が漂うものの全体に極めて明快であり、安定しすぎているともいえる。そして誰でもが多くの歌を一巻に纏めたとき、その体質とか癖とかが現れてくるものであり、良きにつけ悪しきにつけ個性を主張することになる。それらを一応胸においてひもどきたい。
 『宿縁の花』は「白珠」に所属する著者の第二歌集であり、昭和六十年から平成十四年までの十八年間の作品を年代順に収めている。一見して、いわゆる詠嘆詞や切れ字が目立ち古めかしい印象を受けるのだが、却って非常に真面目な人柄を裏付けるもののようである。どちらかというと、軽く器用にうたい上げる昨今の傾向の中では希少価値とも考えられようか。決して宗教性を押しつけるものではないがそれに通じる意志が、作品にある種の透明度を加え、またリズム感にも働きかけて、これが融合したときよい結果を招いているようである。
  しんしんとわが内面に響かひて心澄みゆくひぐらしの声
  現し世の悲喜こもごもと携へて歩みゆくかな雨後の蝸牛も
 この二首では、蜩の沁み入るような生きの声も、濡れぬれとした蝸牛の重い歩みも、四句までの心象と結びついて読む者を納得させる。少しも新しい言葉を使っていないのに、類型に拘束されない柔軟性があり、人生観も感じさせる。
  朝夕を花に水やる吾子のゐて命の重み伝へゆきたし
  涙もろき心ひとつをもてあまし母といふ身の寂しさに佇つ
  宿縁の花の咲くべき朝には人との出会ひもふぶくごとくに
 一首目と二首目は人として母親としての、知と情を詠みこんで心を打つ。その思い入れ、感情の揺れなど共感できる。三首目は歌集名にもなった歌であるが、この花は現実の花ではなく人との出会いであり、しかも宿縁だから前世からの約束ごとと採るべきであろう。それを吹雪のようだと表現するところに作者の美意識と複雑な感傷をかいま見るのである。
 集中に娑婆、煩悩、永劫、会者定離、浄土などの重い熟語が使われているが、あまり抵抗なく取り込まれ作品の陰影になっていないのは人徳といえよう。しかしながら、ここですっかり安定してしまわれるのも心残りである。人生後半に入ろうとする著者にとって、まだ充分な時間が用意されているのだから、さらなる展開を期してほしい。たとえば西行のような自在性を深めてゆくか。逆に法衣の下から鎧を覗かせる俗性をみせるも又よしであろう。そこで人生派を自負する著者の未来を暗示させる作品であり、私の好きな歌を記してこの稿を終えたい。
  秘め持てる心の艶の極まらむ暁ほのかに開く睡蓮
  危ふきに遊ぶ思ひの満ちゆきて吊橋渡る秋の夕暮

語られざる声
古川裕夫歌集『花は喜び花は悲しみ』

書評 廣西昌也

花は喜び花は悲しみ

  病みてわが生涯の仕事殆どは忘れられつつある日死ぬべし
  糖尿病と癌と結核身にありて我が生き得るは何時の日までぞ
 医師として、医学研究者として活躍されてきた著者が、患者として病と対峙しつつ生まれた第四歌集である。病院を仕事場とし、病気を扱うことを生業としてきた著者が、医師の立場では見えなかった風景、心象を詠む。
  絶え間なく落ちる点滴が光りつつ腕の血流に吸われ消ゆるも
  歯磨きが少しずつ減る単調な入院の日々繰り返すごと
  我が命つなぐ唯一のナースコール左手に触るるを確かめ眠る
著者は、それまで数限りなく点滴の指示を行ってきた。それなのに、目の前に点滴が落ち、自分の腕に吸われてゆくことに驚いている。あるいは、医師も看護師も知らないところで、患者の歯磨きが減ってゆくことに。息が苦しいとき、痛みが激しいとき、ナースコールはそれこそ命綱である。しかしそのことを知っていたが知らなかった。医師が詠んだ歌であるというフィルターをかけた上で読まれてしまうことを、著者は望まないだろう。しかし、深いキャリアのある医師が詠まれたということが、間違いなく作品の陰影を深くしていると思う。
 病院というのは残酷な場所である。死や痛みへの恐怖、不安がこれほど渦巻いている場所は、戦場を除けば他にあるまい。それなのに病院を職場としている医師や看護師は、「日常」として病院にいる。患者と医療者は出会わざるを得ないにもかかわらず、最終的にすれ違ってしまうような危機を常に抱えている。患者は病気を治すために病院を訪れるが、機械の修理のような完全な解決はむしろ少ない。医者が病院で聴く患者の声の多くの部分は、よくならない症状や病気についての報告なり思いであるというのは言い過ぎではない。しかし、患者の声に対して出す医者のリアクションと言えば、薬、注射、処置、検査といった具体的な対策でしかない。患者の声自体はどこかでスキップされていないだろうか。
  深夜二時扉に何か気配ありあれは紛うなく我への死の使者
  絶食の指示に空腹に堪え兼ねて薬服む水さえ楽しみとなる
 患者は常に語られることのない声を持っている。しかし掲出歌の紛れもないリアリティはどうであろう。まさに短歌でしか語り得ない声であり、短歌の根源力とでも言えるものではないだろうか。この歌集を手にした読者は、聴くことのできない声を聴くことができるであろう。そして人の声を聴くという現代失われつつある行為が、人間の本来的な営みであることを再発見するはずである。

頭の大きな神様
南村健治句集『大頭』

書評 中津昌子

大頭

  ぼうぼうと歯をみがきつつ桜散る
  辻々に日なたがあって沈む桃
  夕暮れへ魚がよりそう桜咲く
  目薬が暗くなったらリラの花
  にわとりを残して白い花が咲く
 どの句も光を含みながら、なにかが暗い。季節の微妙な感じをとらえながら、そのなかにまぎれもなく生をむっつりと抱えたひとりの人間が感じられる。にわとりの色は白なのだろう。だが、その白は、ひらいたばかりの花とは比較すべくもなく、日々を生きる汚れ、暗さを帯びている。白と白との対置。命のくらさを内に沈めながら、印象鮮明な作品にわたしはつよく惹かれる。
  ぶらんこが罠のようにある秋霖
  夕刻を揚羽蝶がつけてゆく
  玄関をゆるめて春の海とする
  百日紅ただよう母のあかんべえ
  母よりも眠い古代魚星月夜
 目の前にあるものだけを見るのではない。境界意識は薄く、そしてイメージも固定されない。この世ならざるところは罠のように待ち受けているかと思うと、また豊かに明るく玄関を浸してくる。時間も少年時代から死後、あるいは古代までと境目は設けられない。こうした作風のなか、血のつながりに対するこだわりにはひとつ目をひかれる。特に母の句は、息苦しいような気配を伝える一方で、何より離れがたい対象であることを伺わせる。生きることの始まりにある、母というネックをめぐって、思いは漂いつづける。俳句という最短詩型は、口に出すのであれば、たぶん誰にも言わない、南村の一番やわらかい、自身持ちあぐねているようなまとまりのつかないものを簡明に掬い上げている。述べる暇を与えない詩型において、滲みだすようにあらわれる人間を味わうのは奥深い楽しみである。ニヒルであるには、格好をつけず、正直すぎる。ロマンチックであるにはシャイで繊細。味わうに足る男が見えてくる。
  春の山ずるずると出る大頭
  夕暮れを包む白布を掛けておく
  神様は顔大きくて冬日和
 神様は、なんと顔が大きい。そのユーモアの加減に、ふふと笑いを漏らしつつ、ひろさとともに、ちょっとぐらいのことはどうでもええやん、というようなあたたかさを感じさせてくれるこの神様がうれしい。『大頭』と題された句集の、大きなものへの気持ちの傾きはこんなぬくみを持っていたことを思う。
 子どものようにまっすぐ感じる力を持ちながら、ちゃんとした大人である人の、そのバランスが魅力の一冊だ。

表現することの喜び
黒木孝子歌集『上空の風』

書評 吉村明美

上空の風

 『上空の風』は、塔所属の著者の第一歌集である。空を思わすすっきりとしたスカイブルーの装幀にまず純粋な若さが感じられ、今後どのような深みを持つブルーに移行するのか可能性を予感させる。
  ゆったりと筆持ち書いてみたいこと春ははじまる恋ははじまる
 巻頭の歌である。作者の姿勢や願いを象徴するかのような展開が始まる。まずはストレートな詠みぶりの恋の歌が並ぶ。
  会えなくてさみしい時は君の名を下から唱えて心を浮かす
  まだ吾は君のふるさとにはなれず空には空の青が居りたり
  会いたさを胸と両手にためながらうつむかずゆくことの苦しさ
  いつか君の自由さが好きと言えるまで冷たい廊下に素足で立つよ
 一首目の恋する女性の感性。二首目も、若い二人に下の句の青の色は利いている。三首目、会いたさが溜るのは胸と両手だ。会いたさを体感として捉えるとこうなるのかと納得させられる。四首目、「素足」が初々しくいじらしい。無防備すぎるともいえるほど率直な歌い方に自己を表現することの純粋な喜びがあふれている。
 そうした相聞歌のあわいから仕事の歌が顔を覗かせる。
  その厚さすなわち重篤であるというわかりやすさで届くレセプト
  何もかも投げ捨てたきにレセプトの角をそろえて美しくする
  もうずっと疲れていたのかもしれず熱ある中で安らいでいる
 事務的に処理してゆくのだが、その一件一件のレセプトの向こうに病む人間を、そして人が生きるということを捉えている確かな視点が見られる。心とは裏腹にきちんとこなしてしまう仕事に日常のむなしさを二首目は見抜いている。そして、律儀に頑張るしかない日々を熱の温みの中でようやく振り返るのである。下の句のなにげなさが静かな哀しみを誘う。
  縁側に足揺らしつつ母になる友と静かな風を見ており
  無言にて吾の重さをはかりたる後に上昇するエレベーター
 私の好きな歌をあげてみた。このような、二十代後半の女性の現実感に立ち止まる歌が多かった。
  明日にはまた開く傘それまでに残さず今日のしずくは落とす
 今日から明日へ渉る姿勢がきっぱりと示されたⅠ章の掉尾の歌。今後を大いに期待したくなる。