青磁社通信第六号VOL.62002 年 12 月 発行
巻頭作品
この頃のあれこれ
ふうせんかずらの花の米粒ふうせんとなりて緑がふうわりゆるる
垂れ下がる千の房々「ナイヤガラ」滝の雫のしたたるぶどう
どの粒もみどり寄せ合うぶどうの粒窮屈そうに稔りの季は
逆方向へ泳ぐ喜びかいつぶり不意に引き返し親の後追う
宙吊りの吊橋渡れば異界ならむ橋のむこうもいつもけぶらう
たそがれにすうっと寄りくる人さらい恐しかりき幼時幻想
息子に言う必要がなかった言葉両親が日本人とう言葉よ
エッセイ
ユーモアの歌
近代短歌は現代短歌に比べるとユーモアに乏しいと言われる。確かにそうである。だが、ユーモアのある歌人がまるでいなかったわけではない。
酒戦たれか負けむとみちのくの大男どもい群れどよもす 『朝の歌』
名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由々しかりけり
若山牧水の大正五年の歌である。この年、三十一歳の牧水は念願の東北地方を旅した。三月中旬からの約一ヵ月半である。右の一首目、「酒戦」の語がまず愉快である(と思うのは当方が酒飲みだからか。酒を嫌いな人には唾棄すべき言葉かも知れない)。日常的には酒合戦という。『日本国語大辞典』を引いてみると、「酒戦」の語は出ていない。ただし、酒合戦の語を引くと、酒戦とも言うと出ている。私には酒戦は陰々滅々とした感じがするが、「酒戦」は明るい感じである。そして下句の「大男」の「大」、「い群れ」の接頭語の「い」の大仰な感じが読者の笑いを誘う。牧水は笑いをねらったわけではあるまい。実感に即して言葉を選んだら、かくなる表現になったのであろう。おのずからのユーモアと思う。青森での作である。
二首目は秋田での作。宮城、岩手、青森と旅してきて、秋田に足を踏み入れたのである。そして噂に高い秋田美人の実物!に出会ってさすがと感動したのだ。「これ見よと居ならぶ見れば」もおかしいが、結句の「由々しかりけり」には思わず笑ってしまう。私は牧水と同じ宮崎の出身だが、小さい時に聞いた話がある。それは神武天皇が東征のため日向の美々津を船で出るとき、頭のよい男と美しい女は乗せてゆき、残った人々が宮崎県民の祖先になったという話である。県民からすればひどい話であるが、ともあれ牧水はこれまで日向その他で出会ったことのない美人にまみえたのであろう。「由々し」とは神がかっている。牧水は恐れ多くて、口も聞けずに早々に退散したに違いない。
黒岩のこごしき蔭に見出でつるこの海女が子を親しとは見つ 『渓谷集』
おもはぬに言葉はかけつ面染めてはぢらふ見れば悔いにけるかも
手くびさへ見つつし居ればこひしさのいま耐へがたしとらむその手を
岩かげにかくれてきけば海女が子のをとめどちして笑ふ高声
素はだかにいまはならなとおもへるごとその健かの顔はわらへり
口すこし大きしと思ふ然れどもいよよなまめく耐へがてぬかも
「海女」の連作から引いた。全部で二十一首ある。その中の六首。大正七年二月に伊豆土肥温泉に行き、一ヵ月近く滞在した折りに歌った。一々触れることはしないが、牧水の率直さがおのずからユーモアを生み出している。たとえば三首目の「こひしさのいま耐へがたしとらむその手を」。微笑ましいほど純情である。四首目は「岩かげにかくれてきけば」。岩陰に身を隠して海女たちの笑い声をひそかに聴いているさまは純情をとおりこして怪しげである。どちらも奇をてらうことなく、おのが思いを述べ、おのが姿を言い表わしているだけなのだが、読む者の頬の筋肉をゆるませる。牧水が構えていないからだ。五首目も面白い。海女たちが素裸になるのではないかとドキドキしながら期待している歌である。六首目の「口すこし大きしと思ふ」はわざわざ言わなくていいことのように思えるが、この上二句があるから「然れども」以下が読者には一層おかしい。
現代の短歌にも心をなごませるさまざまのユーモアの歌がもっとあっていい。若山牧水賞は、牧水の歌風を継承している歌集ではなく、最も充実した歌集に贈られるのだが、受賞歌集にはユーモアのある歌が多い。最近の受賞歌集から。
水鳥の水走る間の蹠のこそばゆからむ笑いたからむ
永田和宏『饗庭』
顔以外で笑えることを喜んでいるかのように犬が尾を振る
飛び出してゆきたる息子飛び出して行きたいわれが背後より怒鳴る
若鳥のさえずりに似て娘の友の名はあや、しおり、まい、あい、さゆり
小高賢『本所両国』
この「その」は何を指すのか受験期の娘にたださるるわれの時評は
月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く
小島ゆかり『希望』
思春期はものおもふ春 靴下の丈を上げたり下げたりしをり
二重瞼にあくがれわれを責めやまぬ娘らよ眼は見るためにある
ユーモアのある歌は現代短歌の最前線の一つと思う。
生への誠実
森尻理恵歌集『グリーンフラッシュ』
『グリーンフラッシュ』は「塔」に所属する著者の第一歌集である。同集には一九九二年から二〇〇一年までの約十年間の作品が収められている。歌集のタイトルとなった「グリーンフラッシュ」とは「水平線から消えようとする太陽が最後に放つ光」とのこと。鮮やかないいタイトルだと思った。
一瞬の閃光みどりに海をはしる赤道に太陽沈みきるとき 著者は地球物理学の研究者である。観測航海中にめったに見ることのできないこの現象を見て、「何かとても良いものを見た気がした」と述べている。掲出歌は、その「グリーンフラッシュ」の瞬間をうたった作品である。「日没」を詠んではいるが、従来の「夕暮れ」という時間感覚をふっきり、映像を描いた秀歌だといえよう。
刻々とデータ送りくる磁力計重力計の愚直さを愛す
青春と呼べる時間に巻き戻せば仲間と海を見し日々となる
集中には、このような観測の場面を詠んだ作品をいくつも見ることができ、歌集の世界に広がりを与えている。研究詠といえば、現代短歌の世界では永田和宏氏や坂井修一氏らの作品を想起するが、著者のこれらの作品の「愚直さ」もある魅力を生み出しているように思う。
しかし、集中を貫いているのは、むしろ「母」としての「我」の喜びや葛藤、そして職場での違和感などをうたった、次のような一連の作品である。
抱き方の下手なるわれによりすがり泣く子に不思議な温かさあり
ママというはプレミアと自分に言い聞かせ同僚の出張見送りており
母強し母は強しと求めらる母だけが親であるかのように
これらの作品から、私は著者の「生への誠実さ」を強く感じた。「抱き方の下手なるわれ」「母だけが親であるか」といった感覚は、「母性」というタームで括ることのできないものであるし、「ママというはプレミア」からは、現代に生きる家庭外で働く女性としてのリアルな声が聞こえてくるように思う。
また、集中の次のような作品に出会うときに、私は深い魅力を感じた。
ヒトの語とひきかえにわれは失いし子が雀らに語りいることば
この一首における「我」は「母」ではない。一個の人間として「幼い子」を見ているのである。そこには、「母の愛情」といった予定調和の読みを拒絶する力がこもっており、著者独自の作品世界の展開を予感させるものとなっている。
研究詠・家族詠といった範疇にとらわれることのない、独自の世界を展開する可能性を秘めている著者の新しい世界をこれからも注視していきたい。
薔薇の君と呼ばせて
髭野登喜子歌集『ポカラの夜』
サランコットの丘明けやらず紫にけぶらひてをり日輪を待つ
歓喜天そををろがみしたかぶりにポカラの夜をいねがたくをり
作者の十五年ぶりの第二歌集の題名ともなったネパールの旅の歌、その地への溢れる思いはコンパクトで力強い随筆に続いて九首詠まれている。
ふり仰ぐアンプルナの雪嶺に神や在しますときに翳れる
あとがきに「…私の人生の旅の中で一番心たかまる不思議な国。ネパールの旅。神に通ずる旅であった。」とあるが、作者の言葉の通りもっと知りたい思いにかられる。 作品六百四十二首は調べ良く、格調高く愛にあふれている。亡くなられた夫の君への思い、母上への思い、子息二人と孫たちへの慈しみの歌、引ききれない程に良い歌がある。
やきたてのパンのやうなる幼らと薔薇咲く道を歩むも異国
好と国際電話の孫の声つまんでみたしその低き鼻
(ほっぺが落ちそうに甘いが良いではございませんか。)立派に独立されている子息たちが居られ、河野繁子師より「夢殿」を引き継がれ、歌人としても充実した日々を過ごしておられる作者の時折のぞかせる孤独に触れるとき瞼が熱くなる。
子ら遠し母の日の空頻き鳴けるひばりの声に昏れてゆきたり 縦んば電話で祝われても心は納得しない、だが「子ら遠し」なのである。
卓上にばらの花首泛べるも死者の声など聞こえはしない
ああ今宵薔薇におぼれむ眠るまで誰の助けも求めはしない
深く愛したいくたりは果てのない旅路、夢の中でも簡単に会えないのだ。切なさが響く。自然、旅、寺社、能楽、芝居ほか作風の伸びやかさに感じ入るが花、特に薔薇の花には作者の感性が迸っている。優しい薔薇、荘厳な薔薇、華やぎの薔薇、情熱の薔薇、癒しの薔薇など春夏秋冬さまざまに香りを放っている。そしてついに作者の夢は高貴な『青きバラ』へと。
青きバラとまみゆるはいつ快心の歌なりしとききっとそのとき
心奥に抱きてゆかむ青きバラ神さへとがむることなどなさじ
ロイヤルブルーに輝く薔薇へのあこがれ七首を呪文のように唱える作者は今、花の乙女、こころは何にも囚われず自由の草原に遊ぶ。歌びとであることの仕合せのひとときを。
作者の人生のずっしりと詰まっている此の魅力的な歌集は『道』の項で納められている、静かに更なる高い境地を求めて。
河口には海より寄するあらき波徐々に穏しく川は流れる
立ち上がる情景
早川ミヱ歌集『夢ふた夜』
早川ミヱ歌集『夢ふた夜』を読み終え、その作品世界のありようを思った。当然ながら、そこにはさまざまな情景があり、出来事がある。そうした情景や出来事を一つひとつ思い描きながら、早川さん独自の、不思議なリアリティーを楽しんだのだった。
母の樹のもとにねむれるもみじ葉をいずくともなく風の追いゆく
指少しまがれるままに手袋の落とせし左手右手が拾う
キウイの輪切りのような断層の私の頭脳が私を見ている
これらは、単に作者の目に映った情景ではない。否、そのように作者には見えたのであるが、そう言われてみれば、読み手にも確かにそう見えて来るから不思議である。
たとえば一首目、「母の樹」とは何か。亡き母の好きだった木か、それとも母ゆかりの木か。詳細は不明だが、その木のもとにもみじ葉が眠っているのである。本当は、母の霊がもみじ葉のように眠っているのであろう。いずれにしても、母ともみじ葉の逆転の発想がこの歌の生命のように思われるのである。
また、二首目の「手袋」と「左手」との関係、三首目の「キウイ」から「私の頭脳」への転換も、一種のパラドックスなのである。これら、逆転の発想なりパラドックスが強烈なリアリティーを持つところに、早川作品の大きな特徴があるように思える。
なぜ、そのような不可思議なリアリティーが存在するのか。それはおそらく、たくさんの切実な〈死〉を見つめ続けた作者の体験と密接につながっているように思える。両親をはじめ、兄弟姉妹、親しい友人など、何と多くの死と直面して来たことか。それら身を裂くような体験をしながら、それらのことごとくを受け入れようとする時、その肉体と心はきりきりと軋むのである。
親鸞と聖書のはざまたゆたいて寺捨てし兄のひと世終わりぬ
亡き父母もはらからみんな若かりき吾のみ老いて夢に語らう
ぬばたまの檜扇の種子渡されし手のぬくもりをいまだ忘れず
こうした死を踏まえながらも、しかし、早川さんには静かに明るく情景を歌った作品群が数多くある。今、そんな作品群と接しながら、そこに秘められた深くて透徹した作品世界を改めて感じるのである。あるいは、こうした作品群に早川さんのもっとも良質な部分が隠されているのかもしれない。それらの一つひとつが、さながら生き物のようにありありと立ち上がってくるのを覚えるのだ。
螺旋階段かけ登りゆくスニーカー空に吸われて浮雲ふたつ
はんなりと枇杷の実熟れてそこだけは楽しき色に雨降りそそぐ
起ちあがれば吾が体のままくぼみたる白つめ草のあおき匂いす
白き杖マジックのようにあやつりて少女は雑踏に消えてしまいぬ
むずかしい顔をして読まなくていい
亀谷たま江歌集『雨上がり』
子ども子どもとわたしが叫び落ちつけと夫が叫びその後おぼろ
不可思議に静かに時過ぎ夜が明けぬ坂に見る街ああ火が上がる
余震来て机の下に抱き合へり子は静かなり卒論を抱く
余震待つ机の下の家族五人大きキャベツを剥がしては食ふ
灯の点かぬ街の弱さに押し寄せて夜があらゆる裂け目に溜まる
「阪神淡路大震災 一九九五年一月十七日」と題する一連である。あの衝撃的な大震災をこれらの歌によって、わたしは再び思い出していた。実際にあった人の、しかも七年という時間がたった後に、ようやく世に出た一連である。
わたしは、自分の姉や叔母たちが被災していたので、生命からがら助かった直後の、奇妙にあかるい生々しい言葉をたくさん聞いた。けれど、このように短歌になってみると全然違うと思った。「子ども子ども」と叫ぶ作者、「落ちつけ」と叫ぶ夫。後の「おぼろ」は耐えるのに必死であった時間なのだろう。結句がふっと途絶える五七五七七のリズムが切迫している。二首目は、火が上がるまでの街に、一拍置いたような静かな時間の過ぎ方が描かれている。多くの人が生きながら焼かれるという惨事の始まりの時間であった。三首目は、卒論を抱いている子と抱き合っているのである。四首目、家族五人が、机の下でキャベツを剥がして食べることの生々しさが非常時を告げる。五首目、電気のつかない街を「街の弱さ」という。その弱さに押し寄せるように夜の暗闇が溜まるのである。
こうしてみると、豹変した状況を捉えることに表現がどれだけ工夫されているかが分かる。身近な生活を描くのに巧みな作者が、身近でない生活を描くのに卓抜しているのである。
半壊の豆腐屋の二階カーテンを裂きて作りし綱垂れ下がる
突然の死に気づかずに手を伸ばす死者らのために垂れてゐ
る綱あの日より静かに垂れてゐるままの命綱あり冬日が溜まる
豆腐屋の二階から垂れ下がっている綱を歌った三首が怖い。二階から逃げようとして、綱に託した生命があったのだろうが、その綱はうまく機能することなく終わったようだ。綱が垂れたまま冬日が溜まる光景がなんともいえない気持ちにさせられる。
『雨上がり』というすがすがしいタイトルに騙されてはいけない。やさしいけれど、人生のかなしい状況がつまっているのである。この歌集は、むずかしい顔をして読まなくてもいい。歌がむこうから押し寄せるようにして読者のところへやってくる。これは短歌としては大層うれしいことではないか。
闇の世界の声を聞く
安田純生歌集『でで虫の歌』
古典和歌を専門として女子大で講義をする日々。ときおりは学生をつれて歌枕を見に行くこともある……というと、なにやら羨ましく思う向きもあるかもしれないが、そういうものでもないようである。
ともに来しをとめたちよりやや離れ春の岬に立ちて放屁す
この崖より身を投げし女も放牧の牛馬の糞を踏みつつ来けむ
をとめらを宿に残してたそがれの岬の町の路地めぐりゆく
べつに女性といっしょでなくても、近くにいて放屁することははばかられるが、とりわけ意識させられる場面ではある。性別も世代も異なる、まるで別の生き物のような群れに囲まれて、意識は彼女たちの次元とは違うところをさまよっている。だから、甘やかな身投げのものがたりも「牛馬の糞」で相対化してしまうことになる。深い孤独を味わい、それが日常化していくようなところがあるのだろう。
古き代の歌人みざりしうたまくらここと決められ浜に碑の立つ
仮名遣ひ誤れるまま彫られたる歌碑のかたへの白玉椿
歌枕についての著書も何冊かあり、それゆえ、そもそも都にいて現地を見ずに歌われた歌枕を町おこし的に「決められ」ることには、かなりの違和感を感じるだろう。紙の上の誤りならまだしも、石の上の文字の誤りは修正しがたく、そのことをわざわざ指摘するのも野暮なことと思われるということか。
そうやって読んでいくと、安田さんの視線は、しばしば「あの世」に起点を置いたものであることに気付く。歌われている対象には、あらかじめ手が届かないことが前提になっているようにも思われる。
うつし世を見たくあらずと街角の地蔵みづから首おとしけむ
目つむれば闇の世界の声となり「彼も死んだか」「コーヒー一つ」
首が転げ落ちた地蔵へのある種の自己投影。目をつぶったときに聞こえてくる声の捉え方は、やや厭世に引き寄せられつつ、彼岸の視点から見聞きしているようなところが、独特なのである。これもひとの声を傍で小耳に挟むというものであるが、
傍らのをんなふたりが噂するぐうたら男と話をしたし
この歌集全体、一読げらげら笑いながら読む。やや面白すぎるようにも感じるが、二度三度、繰り返し読むと次第に心に沁みてくる。十六年ぶりの歌集であるが、今回はその前半、一九九三年までの作品をまとめたのだという。そのあたりの時間的なへだたりも、微妙に陰影を帯びて感じられることの理由であるかもしれない。