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青磁社通信第三十二号VOL.322023 年 8 月 発行

巻頭作品
ブラームスはお好き

島田 修三

並木製作所の銘ある中華鍋 春秋いくつ厨にあり経る

胡麻油熱きに抛るにんにくの香を立てながら鍋はけぶるも

重たければ鍋を返せぬ腕ぢから偲ぶたまゆら六年は流れき

器量よき猫を抱ける万太郎のうつしゑ消ぬがに浮かぶ寝ねぎは

昨夜より疼くこころはなほ疼きいやありありと歯痛のごとし

鼻孔巨きに歌の巧きの多きゆゑ硬貨もて拡げ励むとぞ まことか

ブラームスはお好き とはいへね交響曲三番ばかりは涙腺が ちよつと

エッセイ
肉筆と肉声

西村 和子

 新型コロナウィルスによる感染症の流行が、やや落ち着きを見せた頃から、吟行会や対面の句会を再開した。疫病の流行下も、私には俳句があってよかった、と心の底から思い、自分にとっての俳句を見つめなおし、改めて俳句の魅力に気づいた人々が再会し、句会を共にすることになったので、喜びもひとしおだった。
 五月から政府の感染症の分類も、二類から五類に引き下げられ、句会場の人数制限もなくなり、各地の行事も三年ぶり、四年ぶりに復活し、これで元通りに俳句を楽しめるようになるだろう、と誰もが明るい気持になった。
 ところがそうはゆかなかった。久しぶりに句会を行なってみると、誤字が多い。俳誌への毎月の投句にも誤字脱字仮名づかいの間違いが増えた。
 句会の基本形は、まず出句短冊に自分の作品を無記名で書き、集めたものをシャッフルし、再び参加者に配り、清記用紙に他人の句を清書する。選句の際は各自のノートや予選用紙に書き写し、最後に定められた句数だけ選句用紙に書いて披講者へ提出する。
 筆跡によって作者がわからないようにするためと、自作が他人の筆によって記されたものを読むことで、客観性を養うことができ、実によく考えられたしくみだ。このように句会とは即ち書く作業の連続だ。他人に読んでもらうための配慮が欠かせない。特に他人の句を清記する時は一時もおろそかにせず書き写さねばならない。その緊張感と集中力と注意力が、自粛生活のうちに衰えてしまったのだろう。加えて等しく年をとった。
 思いこみがはげしくなり、自分の表記に自信がある。筆圧が弱くなったことに気づかない。視力が衰えた。辞書や歳時記で確かめる手間ひまが億劫だ。これはそのまま私のことでもある。
 しかし、私たちの表現手段は言葉であり、それを伝える手段は文字だ。表記の間違いをささいなことと見逃していいはずがない。最後に肉声によって作品を耳で味わう「披講」のためにも、乱筆や誤字はあってはなるまい。よき披講のもとによき名乗りを聞く時、ああ本来の句会が戻って来たと、充実感を覚えるのは私だけではあるまい。
 肉声と言えば、疫病流行のあいだ息子たちにも孫たちにも会えない時期があった。以前もそれほどしげしげと会っていたわけではないが、月に一度くらいは夕食を共にしていた。特に育ち盛りの孫たちと会うだけで元気がもらえた。
 そこで提案されたのがラインによる食事会。週に一度夕食の時間にそれぞれの食卓をラインでつなげ、乾杯をして雑談する。大人だけだと間が持たないが、小学生の孫たちは、歯が抜けた口を大写しにしてくれたり、母親の背を追いこしたと背くらべをしたり、プレゼントした揃いのシャツを着て食卓に着いてくれたりと、ラインの有難味を存分に味わった。
 そのうち話題が尽きて、少年たちはいつの間にか画面から消えることが増えたので、一計を案じ、食後の朗読会を始めた。きっかけは、『ハリーポッター』の豪華本を欲しがったので、私が習いたてのアマゾンで注文して、孫の元に届けた、つもりが、何の手違いか(私のどじで)同じものが二冊届いてしまったという。一冊は私の元に引き取り、食後に同じ本を見ながら孫に音読させた。
 ずっと昔に息子たちに毎晩読み聞かせをしてやったものだが、それを孫にしてもらう、という感じ。声変わりする前の少年の肉声で『ハリーポッター』を聴くのはいいものだ。気が乗らないとお座なりに一ページだけ、あとは来週ね、と本を閉じ姿をくらます。気が乗ると二ページも三ページも読んでくれる。こちらは絵に見入って、読めない漢字だけ教えてやる。
 それを毎週続けているうちに、すらすら朗読できるようになってきた。国語の成績も上がってきたとか。六年生になった頃、塾の長文読解を音読させてみて驚いた。ほんとに長い長い文章なのだ。速読の訓練も必要なら、設問対応のコツも大事そうだ。それは塾に任せるとして、その基本は音読だと、信じている。これがまさに老婆心というものか。
 疫病流行の間に保育園から小学生になった弟も、朗読の仲間入がしたくてたまらない。はじめのうちは絵本を読み聞かせしてくれたが、小学校に上ると、『銭天堂』を買ってほしいと言う。今度は上手く注文して届けることができた。子供向け物語と見くびることなかれ。けっこう難しい語句がさり気なく用いられている。国語辞典も贈った。『銭天堂』は十九巻まであるとか。まだ当分のあいだ楽しめそうだ。
 今春中学生になった上の子は、先週は文庫本の『クオレ』を声変わりした声で呼んでくれた。

悲歌を受け継ぐために
岡野弘彦歌集『岡野弘彦全歌集』

書評 黒瀬 珂瀾

岡野弘彦全歌集

 やはり思い返すのは二〇一五年、第四十九回迢空賞が選考の結果、「受賞作なし」となった折のことだ。

文語が、若い人たちに身近な形で、心に染みいる形で、そして自分の魂を表現するための文体としてありえなくなってきているのです(略)この日本の非常に微妙な、しかし古代からそれぞれの時代の情熱をこめて、歌われ、むしろ歌われるほうが先にたって、そして定型の作品になり文字に書かれ、活字に組まれてそして心に触れてきたその短歌の文学性と実質が、重く圧力を受け何か力を失いつつあるという風な思いがするのです。
その年の角川「短歌」九月号の巻末に、選考委員を務めた岡野弘彦による右のような談話が掲載され、随分と話題となった。ここには〈文語の衰退〉への悲憤がある。

 その年の迢空賞の候補には文語調の使い手の歌集が並んだ。だが、岡野にとってはその文語は、おそらく、違ったのだ。それが察せられるのは、この岡野の言説の中にある、「自分の魂」「時代の情熱」という二つのフレーズのゆえんである。

現代語というのは事柄の説明には非常にいいわけで、今朝もテレビでノーベル賞を貰った科学者がさわやかに話しておられましたが、ああいう事柄のことを言うのには非常に現代語というのは役に立つ(後略)

 そしてその年、岡野は再び、文語衰退への悲憤を口にする。右は「現代短歌」同年十月号、「岡野弘彦氏に聞く「牧水の歌」」(聞き手・伊藤一彦)から引いた。岡野曰く、短歌とは「日本人の叙情の魂の表現である定型詩」、文語とは「日本人の深い心の伝統、叙情の伝統を支えていく」ものであり、だからこそ短歌は文語で詠まれねばならない。だが、現在の短歌は「事柄の説明」に長けた「ストレート」な「現代語」ばかりが用いられ、「日本語の一番大事な部分」が抜け落ちてしまった、という。
 今回、岡野の重厚な歌業を通覧する『岡野弘彦全歌集』を手にして、彼の言う「自分の魂」「時代の情熱」とは何なのか、を再び考えてみたくなった。

  うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし  『冬の家族』
  辛くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか
  あまりにもしづけき神ぞ血ぬられし手もて贖(つぐな)ふすべををしへよ  『滄浪歌』
  さらばひていづちゆくとも我は生きむひもじき心ややに定まる
  若き日を異土のいくさに戦ひてやまとをぐなの如く死なざりき  『海のまほろば』
  村びとのありのことごと死にはてし焼け原のうへに石ひとつ据う
  ぼろぼろの戦艦大和またたきの間(ひま)にし見たる蒼きされかうべ  『飛天』
  人麻呂も息あへぎつつわがあとに蹤(つ)きて走れよ大和国原  『異類界消息』

こうして秀歌を書きぬいていけばきりがないが、ひとつにはどの歌にも、言葉の躍動がある。たとえその内容が悲痛悲哀に溢れるものであっても、しずかな高揚がある。そしてもう一つには、どこかで〈個〉の立場をはみ出してゆく詩情。たしかにどの歌も岡野弘彦個人が詠んだ歌だがどこかで他者に、若き戦死者に、古代の誰かに繋がったり成り代わるかのような感情がある。右一、二首目、第一歌集の代表作だが、少女の清らかさ、阿修羅のまなざしの鋭さは、己が求めつつ体現しえないものとしてある。それは、自らは狡かったがゆえにあの戦を生き延びたのだという心の負い目に直結する。三、四首目は伊勢神宮に参拝した折の歌。何年経っても心は敗戦のその日に戻るのだ。六首目は沖縄での作のようだ。結句の所作に万感の思いが宿る。一方で時に八首目のように爽快な歌が混じるのも岡野の特徴で、己の心身の有り様を喜ぶ歌は集中に多い。なかでもこの人麻呂と一緒に大和を駆け抜ける感覚はユニークだ。
 現在の短歌を思うに、自分自身だけの世界や苦悩を精緻に詠むべきだという価値観は確かにある。勝手に他者の苦しみを解ったふりをし、大きく叫ぶことは一種の暴力でもあり、互いに小世界を詠み続けることで少しずつ共鳴するのだという姿勢は、確かにある。誠実であると思う。だがそれで抜け落ちてしまうものが確かにあり、岡野はそれを見つめている。それはすなわちーー悲歌のことではなかっただろうか。

  特攻機つらねゆきたるわが友の まぼろし見ゆる。天(あめ)のたづむら  『バグダッド燃ゆ』

 悲歌こそは、「自分の魂」「時代の情熱」の発露、それは歴史の、社会の悲憤を見つめ続けてきた人間の抒情である。他者の無念を代弁しつつ、生きのこってしまった自分という魂を見つめる孤独で悲痛な営みである。そして、他者の代弁はやはり、依り代としての古語文語により普遍性を得るのではないか、と岡野の歌業を読み進めるうちにそう思っている自分がいる。
 本書では一九八六~二〇〇四年、二〇一二~二二年の計二十八年分もの歌が二篇の「未刊歌篇」として纏められている。そこに、岡野の短歌への遺言と祈りのごとき作を見つけた。

  戦ひを生き経し者のなげき歌のこしか置かむ後の世のため
  坂の上に湧く夏雲のいちじろく息衝きて念ふ歌死なずあれ  「未刊歌篇Ⅰ」

 今や短歌作者のほとんどは戦後生まれ。だが、岡野が『バグダッド燃ゆ』で詠んだ中東の戦禍のように、世界の悲劇悲憤は今も絶え間なく続き、誰かの魂が震えている。それを悲歌として世に伝えることこそ歌人の役割ではないか。『岡野弘彦全歌集』が現代に差し出すこの問いに、我らは応えねばならない。

くっきり醒めた「私」の景
土屋秀夫句集『鳥の緯度』

書評 鴇田 智哉

鳥の緯度

  一度だけ訂正できる真葛原

 真葛原、の渾沌の何を訂正するというのか。間違い探しは、他人には分かりようもない。密かな訂正は、ほかならぬ自分だけが知るのだ。

  まだなにか言い足りなくて梨の芯

 今、自分が言葉にできたこと。そして今、自分が言葉にできていないこと。梨のみずみずしさのあとの芯、この白い芯に、むずむずが籠っている。

  鼻歌を形にすればラフランス

 ひとりでに始まる鼻歌の調べは、ラフランスのあのいびつなる輪郭をたどる。読者も思わず、ふふふんと、なってしまう。

  さわりつつさわられている春の水

 もどかしさ、ぎこちなさからの嬉しさ。安易な一体感ではない、お互いにそうだ、という感じ。繊細な把握である。

  マネキンの脚十本と積乱雲

 社会の果ての、廃墟のような、それでいてくっきりと清々しくもある、古いカラー写真のような光景だ。

  ソーダ水注ぐ度遠い悲鳴して

 色のついたソーダ水をとおして、ふと地球の向うのことなどが、頭を過るのか。炭酸の泡のちりちりいう感じと、空耳のような悲鳴。この二つはどこかで、通じているのではないか。

  いなびかり原寸大になる私

 等身大でなく、原寸大、と即物的にいうことで、「私」の把握がクールになった。クールな眼差しといえば、次の句も。

  生年と没年だけの秋あざみ

 清涼な空気の中で棘のある秋薊は、生ある人間の存在感を思わせるが、一歩引いて考えるとそれも、生年と没年に解消されてしまうものだ。「私」もまた、そういう存在かもしれない。

日常の五十センチ上で
沢田麻佐子歌集『レンズ雲』

書評 江國 梓

レンズ雲

 二十代の頃に所属していた「塔」に時を経て二〇〇七年に復帰。そこから十四年間の作品を収録した第一歌集である。

  不可解な矢印は夢につづきたり朝(あした)の舗道に描かれてありしを
  とりどりの夕焼けはじまる窓々に何も映さぬ一瞬がある
  しろじろと冬の河原に大小の水たまりあり流れを持たず

 夢と現が混在し、夢に見た矢印が現実の舗道に描かれ、行く手を示す不気味さ、夕暮れ時に一瞬現れるブラックホールを覗く感覚、滔々と流れる河の傍らにある水たまり=主流ではないものへの心寄せ。これらのような日常から五十センチほど上で詠まれている感じの歌が散見され、独特の透明感を放っている。

  ふるふるとやさしい音をききながら受話器の闇に人を呼び出す
  見覚えのあるような薄いてのひらがひらりと夜のポストの口へ
  樫の木の傍えの電話ボックスにひらいたままの電話帳あり

 電話によって相手の生活圏へ突然に踏み込むことへの不安は「闇」に象徴される。ポストへ投函する「てのひら」を切り取ることによって手紙という通信手段にも危うさが醸し出される。死語に近い「電話ボックス」は取り残される不安の最適な場面設定となり、「ひらいたままの電話帳」からは永遠に繋がることのない関係の虚しさが立ち昇っていくようだ。

  この次はわたしが確かにいなくなるへやを視ている窓のくすのき
  しゃぼん玉は風の産卵 四階の窓を声なく流れてゆけり

 二年ほど前に他界した夫の廻りを詠む歌には、寂寥感の中にも俯瞰した死生観が垣間見える。「産卵」という表現を透明な寂しさに、存在の儚さに結んでいける歌人なのだと思う。

ブラックコーヒーの気骨
佐藤遵子歌集『チューニングフォーク』

書評 江國 梓

チューニングフォーク

 大学の短歌クラブにて十九歳から歌を詠み、現在は「白珠」に所属する著者の第一歌集。

  友が皆笑ひ合ふ中ひとりわれ埴輪の形に笑みてゐたりき
  調律を怠けしピアノを弾きまくる外れし音を愛撫しながら

 談笑する友人たちの中で一人見せる埴輪の笑み、調律を怠ったピアノを弾きまくる音。外れたものへの心寄せは寂しげだがどこか温もりもあり、マイノリティへの共感が見え隠れする。

  この言葉大事ですよと力入れ書く黄のチョークボズツと折れる
  いつまでも恐い教師になれないと力不足を隠しつつ言ふ

 結婚や子育てに中断されながらも長年教職に携わってきた著者。教育への熱意の腰を折る「ボズツ」のオノマトペが絶妙である。生徒に迎合しがちなのは自信のなさから来ると分析しながら、それを見せない矜持を併せ持つ自己への視点も冷静だ。

  体中カバンになつた男居てひとつの童話が始まつたらしい

 カバンは仕事の象徴だろうか。カバンを使う人間がカバンに凌駕される恐ろしさを下の句の「童話」へ繋げることによってユーモラスな軽やかさに転じた。この歌が収録された「鞄」の一連は、他とは異色な光を放ち、歌集に奥深さを与えている。

  このワイン芳醇だねと慇懃に言ふ男達みな嘘くさい
  コーヒーに必ずミルクを入れる君に従ふ私はブラックコーヒー

 フェニミズム的な歌にも、歌集全体に通底する一刀両断の潔さとそこはかとないユーモアが感じられる。「慇懃」と結句の「噓くさい」という平たい口語に思わず「あるある」と苦笑してしまう。「君に従ふ私」のアイロニーは、交わす知恵でもって生きてきた女性の立場を感じさせ、構わずブラックコーヒーを飲む姿の小気味よさを引き立てている。

正しい猜疑心と達観
安部洋子歌集『続・西方の湖』

書評 江國 梓

続・西方の湖

 宍道湖の畔で生まれ育ち、今年卒寿となる著者の第五歌集。「未来」会員、「湖笛会」編集委員である。

  城山の池はしずかに衰えて洗う馬なきことのやさしさ
  湖底に沈めかねたる執念は蚊柱のように死後に立つかも
  生れくるものを待ちいん湖はいままざまざと砂漠のごとく

 湖との語り合いから歌が生まれ、湖が自身に重ねられたり、代弁者となることもある。一首目は、塚本邦雄の歌が下敷きか。洗う馬もあやめるまでの恋もない老境のしずけさを「やさしさ」に着地させている。その一方、現生への執念を死後に蚊柱として立たせる。この緩急の付け方に読者は著者の揺蕩う心情をリアルに享受する。時に湖は「砂漠」の様相をもって誕生前の渾沌を思わせ、同時に死後の渾沌を予感させるのである。

  気迫もつがに咲きたる桜花まなこ離さば闇に変らん
  吹雪くなか鈍色の森つづく道謀られいんかそれもよしとす

 圧倒的な満開の桜は実は幻かもしれない、森へ進むこの道は本当は謀られているのではないか…。既成概念を妄信せず、正しい猜疑心をもって詠もうとする心と、「謀られ」が見えていながら「それもよし」と達観する心。これらが年齢意識の感じられる歌の多くを普遍的な世界へ開放しているように思う。

  永らうは死者の眼に囲まれて孤独と言うを失うらしも
  わが骨を砕きてくるる手にあらんハンドル握る指太き子の手
  うなだれし花首切れば香りたつ香らずありし冬の牡丹が

 オールド・ブラック・ジョーとは対照的な思いに救われる。二首目は葬儀の骨上げを想像しているのか。ハンドルを握る子の指からの発想がシュールだが、恐ろしさよりユーモアさえ感じさせる力技がある。冬の牡丹の最期の香は凛とした気概が感じられ、死をもって完成される生であることを思わせる。

伸びやかに現世を慈しむ
長谷川櫂句集『太陽の門』

書評 青木 亮人

太陽の門

 往時の文筆家、佐藤春夫は「しやべるやうに書く」ことを目指し、膨大な執筆量を経た末に作為を感じさせない文体を身につけた。華麗な表現や巧みなレトリックではなく、何気ない表現が雅致を帯び、ふくよかな気息を醸す佐藤春夫の文体は、数え切れない原稿用紙を費やした後に醸成されたものだった。
 この点、句歴数十年に及ぶ長谷川氏の文体にはえもいわれぬ雅致が醸されている。〈花びらや今はしづかにものの上〉〈山の水桃が浮いたり沈んだり〉〈刻まれてなほ蠢めくや桜烏賊〉等、奇抜な措辞や劇的な出来事を詠まずとも一語一語が息づくように定型に安らい、しかも現世に生きている実感が宿っている。底光りするように磨かれた措辞は伸びやかに句を支え、それは〈饅頭の中に大きな栗眠る〉〈幽かにも息をしてゐる枯葉かな〉〈せんべいに焼かれておぼろ蛸の顔〉のように、この世の些事に驚きつつ愛惜するようにユーモアで包んだ句にも濃厚である。
 無論、原爆の地に触発された〈炎天や死者の点呼のはじまりぬ〉〈黒焦げの花のブラウス夜の秋〉等の調べは鋭い声を響かせ、あるいは北海道の川を鮭が遡上するさまを詠んだ〈皮は破れ肉は抉れて鮭泳ぐ〉〈もう鮭に非ざるものや流れ寄る〉〈鮭の魂白き山河へ帰りけり〉等の連作には哀切さが濃く滲み出ていよう。同時に措辞の闊達さは失われておらず、加えていかなる世界像を詠んでも句に気品が漂うのは特筆すべき点ではないだろうか。かような文体を身につけるに至った時間や労力に思いを馳せる時、長谷川氏の俳人としての身の処し方がしのばれる。
 氏は、平成元年に次のような一文をしたためた作家であった。「小さいころから一頭の黒い獣を飼っている。(略)こわそうにしていると、その生きものは近づいてきて、『こわがらなくていい。私はおまえのものだ』と言った。(略)私がおとなになると、その黒い獣は、たびたび私の前にあらわれて、私が大事に育てたものを、こわすようになった。家族や仕事や友情を踏み荒らし、私の書くものに唾を吐きかけた。私は怒り、泣いた。しかし、私の最良の句は、どれも、この獣のおかげでできたものであることも知っている」(「毎日グラフ」別冊)。かような作家が〈ころがして風のなきがら竹夫人〉〈真白な怒濤のサマードレスかな〉と興がり、あるいは沖縄戦に思いを馳せて〈夏草や誰が屍か蝶あまた〉〈人間を曳きずる音も炎暑かな〉と詠んだのである。「黒い獣」とともに品格すら帯びた文体で、伸びやかに。
 〈暗闇を叩けば螢こぼるるか〉〈打ち延べて羊羹にせん秋の暮〉といった句には、先の「黒い獣」と無言の存問を感興とともに交わすような何気なさが漂っており、まるで現世に生きる哀しみと喜びが淡く漂うかのようだ。次の句のように。

  一つ死に一つ買ひ足す金魚かな  櫂 (『太陽の門』)

名前を詠むこと
千村公子歌集『ふるさと開田』

書評 山川 築

ふるさと開田

 二〇〇五年から二〇二〇年までの作品を収録した第二歌集。

  棒の先に鋭き石を括りあり縄文時代の手業の極み
  鹿の角にて黒曜石を割りしといふ縄文人の技術たたへよ

 巻頭の二首。これらの歌に見られる嫌味のない畏敬は、歌集に通底している。

  黒鶫啼くかと見れば吾がかたへ鳥笛を吹く青年がゐる
  孔雀羊歯の若葉揺らして降る雨に今日の心のいくらか和む
  針槐の木々傾きて暗き沢はせせらぎの音とわれの足音

 動植物への解像度が高い(と、思うのは筆者の解像度が著しく低いこともあろうが)。一首目のように、実際にそこにはいない鳥を想起する際にも、「鳥」ではなく「黒鶫」というより具体的な種が意識される。それもまた外部、自然への畏敬の表れではないだろうか。
 地名、人名も多く詠み込まれている。

  鳥居峠の径に散りぼふ栃の花いにしへの人を心に踏みぬ
  荒れし田を見て来し目には和ましき大潟村の稔り田広く
  この一年亡くなりし友五指にあまり哀しむ中に遠山貞さん
  産みの母義理の母二人と信仰の母には杉山筬江先生

 具体的な名詞が繰り返し詠まれることで、「この語り手は現実の世界に存在している」という印象を非常に強く与えられる。短歌の「私」は往々にして作者と同一視されるけれど、それはお約束だからというばかりでもない。
 引用したものを含めて、集中のいずれの歌も歌意に迷うところはない。凝った修辞はほとんど見られず、想念、感情を素朴に表現することに力点が置かれている。
 最後に、最も心に残った一首を挙げる。

  短歌衰微キリスト教無力と今朝は読む吾が一生を恃まむ二つ

大震災を超えて
大塚洋子歌集『冬のつばさ』

書評 田中 教子

冬のつばさ

 第五歌集。二〇〇八年から二〇二〇年までの約十二年間。東日本大震災や関東東北豪雨、コロナ禍などを生き抜いた七十代の歌。巻頭に次のような一首がある。

  ぽつかりと口開けて眠る少女ゐて車窓に凪ぎたる海の広ごる

大震災が来るとは思わなかった頃。眠る少女の「ぽっかりと」開いた口に、あどけなさ、無防備な油断が見える。この「凪ぎたる海」がやがて大津波の大災害をもたらす。

  大地震(なゐ)は水をも奪ひてゆきたるかひゆうひゆうと乾く地面もわたしも

「二時四十六分」と題された一連の中の一首。二〇一一年三月十一日二時四十六分に発生した東北大地震から数日後の断水状態の日々。ひび割れた地面をふく乾いた風と作者の内面の空虚が切ない。

  冷凍の解けたるものもなくなりてけさは最後の乾パン開ける

食料もなく、電気が来ず、冷凍の解けた食料もなくなり、最後の乾パンを開けるという。被災の現実がありありと迫ってくる。
海の面を宥めるやうに大いなる太陽のぼる深き底より
恐ろしい津波で大災害をもたらした海に、このまま鎮まってくれという祈り。

  車窓より見るけふの海凪ぎゐたりあの日よりまだ浜には降りず

年月が経ち、海は凪いで静か。しかし震災の大津波の日以来、まだ浜には降りていない。降りられないのか、降りたくないのか。多くの命を奪い、生活を奪った津波の記憶が薄れることはない。そして、二〇二〇年からは、コロナ禍である。茨城県に初感染者が出たという報道の歌の後に、亡き父の死の歌がある。

  手触るれば父の額の冷たさよ死をはじめて見し十六の冬

人生で出会った最初の「死」の衝撃は今も忘れられないのだ。

距離のはかり方
野田かおり歌集『風を待つ日の』

書評 山川 築

風を待つ日の

 二〇一一年から二〇二一年までの作品を収録した第一歌集。
 あとがきの通り、非編年体で季節を一巡する構成である。新型コロナウイルス流行が随所に詠み込まれていることもあってか、おおむね明るくない印象を受ける。

  納豆に辣油をたらすこの春は戦争にたとへられてばかりで
  たくさんの死に囲まれてこの暗き年に降る雪眺めてをりぬ

 一首目、粘り、べとつき、辛味が鬱屈した気分を効果的に表す。二首目は目立つ歌ではないが、歌集の一面を象徴している。

  中盤に記憶喪失率高し韓国ドラマにやすらぐこころ
  まばらなるひとのかたちの美しく浜辺の春は過ぎにけるかも

 相聞歌も収録されているが、筆者の印象に残ったのは、語り手が人との距離をある程度保つことを意識している歌であった。一首目、記憶喪失は劇的な展開のために多用されているのだろう。語り手はそこに安らぎを感じている。失うことへの憧憬もあるのだ。二首目は美しさを見出す場所に独自性がある。
 職場である定時制高校も歌の題材となっている。

  「先生はポーカーフェイス過ぎ」女生徒は白兎のごと言ひて去る
  舌下にははりつめた月を眠らせて俯く生徒の尖る耳見ゆ
  Somedayと書かれしシャツの生徒から解答用紙は渡されてゆく

 一首目は自らの姿勢を宣言しているようでもある。動的な下句との対比におかしみがある。二首目、「はりつめた月」は錠剤だろうか。下句では秘めた激しさを感じさせつつ、結句で耳に焦点を当てるところに語り手の冷静さが見て取れる。三首目、シャツの字は未来の象徴のようで、しかしテストは淡々と始まるのだ。

端正さとその周辺
北辻一展歌集『無限遠点』

書評 山川 築

無限遠点

 二〇〇三年から二〇二〇年までの作品を収録した第一歌集。
 一読したときは、端正な歌が並ぶ歌集だと思った。

  大学にある千の窓その窓のひとつ灯して実験をする
  かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる
  薄き影のごときブリキの如雨露より花に光の糸を垂らしぬ
  夕闇と夜ほどの色の違いある靴下が対にたたまれており

 一首目は巻頭歌。引いた視点から「ひとつ」へ展開されることで語り手の孤独感もクローズアップされ、「灯す」からは周囲の暗さが想起されてそれを補強する。「マウス胎児線維芽細胞」の詞書のある二首目は、細部への視線が命のない眼の哀切さを捉えて印象的。「かたちほぐして」もさりげなくうまい。三首目は水を「光の糸」と表現したのが美しく、上の句の直喩も巧みで明暗の対比が鮮やかだ。四首目は微妙な色合いの差異を時間に重ねて表現することで抒情を生んでいる。
 これらの歌も魅力的なのだが、集中には端正さから少しはみ出すような歌も見られ、そちらの方にも惹かれた。

  滔々と話す子といる子に化けた狐だろうかと怪しみながら
  陽だまりに眠る猫いてふり返れば陽だまりごと失くなりており
  とおいとおい海辺の町を思うとき睫毛がすこし伸びた気がする

 一首目は怪しむ根拠がよく見えない点がむしろ味わい深い。二首目は少し怖いが、陽だまりの猫というのどかさがそれを中和する。猫のみならず陽だまりも消えるという時空の歪んだ感じがおもしろい。字足らずもよいと思う。三首目、遠さと睫毛が伸びることが微妙に関連しているように見えつつ、説明しきれなさが残る。その割り切れなさも歌を豊かにするのだ。

プラスマイナスの可笑しみ
米岡隆文句集『静止線』

書評 鴇田 智哉

静止線

  瞬間蠅叩き付自動人間

 すかさず蠅叩きで蠅を打つこの自分。蠅叩き、の道具としての奇妙さ、ネーミングの可笑しさに改めて気づかされる。

  薄荷負う虹の架橋を渡るとき

 薄荷、という言葉の不思議さを知らせる句だ。薄い荷物、という意味はないはずだが、何だかそういう荷物を背負って虹を渡っていく、というストーリーに読者として引き込まれてしまう。それもきわめて自然に、気負いなく。

  切干を真水で戻すように愛

 そうか、愛、ってそういうことか……と、思わず納得しそうになる。水でなく、真水、がいいのだろう。

  かざぐるま風がまわっているんだね

 そりゃそうだ当たり前……と、思ってはいけない。いやいや、風は回っていないから。次の句はどうだろう。

  たくさんの今が分れてしゃぼん玉
  夕霧ののちの世に立つ針葉樹

 作者は素直に見えて、実はものをかなり批判的に見ていると思う。それでいて、根にはあっけらかんとしたところがある。

  一撃の斧の空振り銀河は鬆

 「鬆」は、たとえば「大根に鬆(す)が立つ」というときの「鬆(す)」である。重たい斧が大きく空振りしたその瞬間、銀河の全ての星々が鬆と化した、と私は読んだ。体積と質量をもつ星がプラスだとすれば、鬆はその正反対のもの、マイナスである。理がありながら、妙にすんなりと懐に落ちる感じがある。鬆、という日常的な言葉の効果なのだろう。
 五・七・七の片歌の試みも注目で、次のような句に魅力が。

  本番の出番がなくてさみしい案山子

 案山子への親しみの表れとして、下七がよく効いている。

素朴に澄む人間味
平尾福句集『百福』

書評 鴇田 智哉

百福

  秋の街尾を失くしたる人ばかり

 尾を失くしたる、という把握に、人々の拠り所のなさが思われる。句の主人公は街にいて、同じ街を行き交っている一人一人に、静かな寂しさを感じているのだろう。

  押入れの奥から冬がやつてくる

 押入れの奥はいつも暗い、そして、家の中にあっていつも季節が無いような場所だ。そんな暗がりからたんたんとして冬は訪れ、暮らしは続いていく。ほんのりと懐かしい句だ。

  雪となる何かを思ひ出しかける

 押入れの句と、どこか手触りが似ている。空の何かがほつれるかのような雪の始まり、に気づくとき、あ、何だか思い出すことがある、と改めて感じるのである。純粋で繊細な感覚が、優しい言葉で簡潔に表現されている。そうした傾向は、

  宇治山の緑そのままかき氷
  雀らも気に入つてゐる案山子かな
  あちこちに雪を残して川急ぐ

といった句からも感じられる。素朴な把握の中に、ほんのりとした人間味があるのである。

  秋風や象の鼻にも穴二つ
  秋の空大きな耳を澄ましけり

 穴二つ、大きな耳、というシンプルであっけらかんとした言葉に、ひんやりした秋の空間が感じられる。

  水を出てまた白桃に戻りけり

 この実の見た目や手触りのありようは、水中と外であきらかに違う。そのことをまさにそのまま、言い留めた。

  つばくらめ正義の顔をして来たり
  鳴きながら眠つてしまふ田螺かな

 身の周りの生き物たちもまた、素朴でとこか、可愛らしい。

凜とした空気の香り
斉藤真知子句集『香水瓶』

書評 渡辺 誠一郎

香水瓶

 『香水瓶』は作者の初めての句集。一九九四年に「古志」入会だから、俳歴は長い。句集から凛とした空気が伝わり、作者の抑制された確かな視線が印象的。それは認識の明快さでもある。

  けふ海の涯までしづか沖縄忌

 沖縄忌にあって、作者の視線は「海の崖」に及び、「しづか」と捉える。「沖縄忌」としているが、改めて「けふ」と詠む。それはまさに鎮魂の深さそのものだ。
 次の「イサムノグチ庭園美術館」を詠んだ句。

  魂の一塊として灼くる石
  月涼し庭中の石眠るころ

 「石」を石の存在を超えたものとして捉える。「魂」として、「眠る」ものとして。石の命の奥底まで作者は降り、魂を掬い上げる。アニミズムの世界。時間は永遠のように動かない。

  花びらのとけかけてゐる牡丹かな
  散りてなほ花芯のほてる牡丹かな
  さつきまでひかりあひたる蛍かな
  飛び去りし鳥帰り来ぬ屏風かな

 牡丹の花に流れている時間から醸し出されるのは、命そのもの。蛍の光の余韻に、命の鼓動を感受する。屏風から飛び去った鳥の軌跡に幻想する。そのことが美しい。
 花といえば桜、桜といえば西行だが、次の句にも作者の時間感覚が生きている。

  散りはてて花やすらへり草の上
  西行忌だれもをらざる花の下

 散り果てた花へ「やすらへり」と視線を送り、「草の上」を差し出す。花の心に添うような作者の姿に感銘を覚える。花の下に人の姿を消し去ることで、西行の姿、世界を強く浮かび上がらせる。句集名にあるようなほのかな香りすら漂っている。

見えざる明日と酒
家門正歌集『流れゆく時と共に』

書評 田中 教子

流れゆく時と共に

 齢七十にして短歌創作をはじめ、余裕ある精神の深まりとともに味わいを感じさせる歌。

  半夏生に蛸食む習わし守りいし母はあらねど季節めぐり来

京都人であった亡き母は、「半夏生」に蛸を食べる習わしを守っていた。蛸の足の吸盤のように、稲の苗がしっかり根を張るようにという古人の願いである。
 そしてまた、家門さんには酒の歌が多い。

  紅い灯に誘わるるまま蛾となりて今宵さまよう木屋町あたり

京都の高瀬川沿いの二条から五条間の木屋町は、風情ある料理屋や飲み屋が軒を連ねている。「紅い灯」に誘われ「蛾」となるのは、酩酊した気分で、現世の向こう側にある世界へと意識は及ぶ。

  地球軸傾きてこそ四季がある酔いて傾く吾も死期あり

地球軸の傾きと、酔っている自身。「四季」と「死期」を掛けた歌。大いなる自然の摂理と対比し、軽やかに「死」を捉える。

  不確かな明日を思えば今宵飲む酒の苦さの募りゆきたり

人生の残り時間は誰にもわからない。明日どうなるかわからないからこそ、今宵は酒を飲む。そして、苦悩は募りゆくばかり。

  「ヨイショコショ」淡海節の合の手に君を偲んで飲む「不老泉」

「淡海節(たんかいぶし)」は、大正六年に喜劇役者の志賀廼家淡海(しがのやたんかい)が熊本の大和座の劇中で初めて唄い、その後、花柳界を中心に大流行したという。今、目の前で、合いの手を入れた淡海節が唄われ、「君」との思い出が蘇っている。「不老泉」は滋賀県高島の銘酒。思い出の中の「君」は永遠に老いることがない。
 世に酒の歌は多い。家門さんの酒の歌は、近づく死を軽やかに見据え、円熟した人生の味わいがある。

  杯に寄り道したるを飲み干せり花の筏となるひとひらを
  底冷えは老いゆく身には辛過ぎる言い訳重ねお猪口重ねる

自然の霊、花
田口朝子歌集『朝の光の中に』

書評 田中 教子

朝の光の中に

 この世のならざるものの存在は、科学文明の進んだ現代では、遠ざけられ、忘れ去られがちである。だが、田口朝子さんの歌にはこの世ならざるものが次のように見える。

  たんぽぽの綿毛を吹きぬ幾本もいくほんもふく闇が来るまで

たんぽぽの綿毛を吹くという、一見、明るい情景。そこから「幾本もいくほんも」という繰り返しに狂気が滲み出し、最後に「闇が来るまで」という。「闇」は、昼間の明るさから夕方暗くなるまでの時間経過をいうと見えて、悪しき神を呼ぶ。この「闇」は、彼女が人生の中でめぐり合わせた、どうしようもない苦悩や悲しみから生まれた「心の深い闇」と重なっているように思う。

  青葉梟の声きこえ来てふり向けば黒々と杉の巨木立つのみ

青葉の爽やかな季節に渡ってくる「青葉梟」。鳴き声に振り向くと、そこにはただ杉の巨木が立っているだけ。「黒々」と異様なこの巨木は、人の目にはただの樹木にしか見えないが実は、森の精霊なのだ。

  生け終へて数歩さがりて眺めたり花がしづかに私を見てゐる

自分の生けた花からも逆に見られているという。これは、花と自身が命あるもの同士、対等であるという意識。田口さんは長く生花教室の先生をされている。田口さんの花の命と自らの命を対等に置く感覚は、華道の精神からくるものに違いない。次のような歌もある。

  いけばなは花の命をもらふこと私の中に花が入り来る
  花ばさみ庭のどこかに置き忘れその夜しづかに雨降りはじむ

命を生けるという華道の精神が歌に深みを与えている。

花束の揺れが生む翳り
三木裕子歌集『ひかりの花束』

書評 勺 禰子

ひかりの花束

  ため息はつかぬと決めたその日から空き瓶に咲くひかりの花束

 終盤の一首から書名を採った、「コスモス」所属作家の第一歌集。光と風を描くイラストレーター、内田新哉氏の水彩画とフランス装のうつくしい造本が、〈背くらべせむと我が肩引き寄せて包みてくるる背高き夫は〉、〈子の撒ける如雨露の水の落ちる先あさがほの青きはだちてをり〉等の作品群を具現してかろやかだ。三十年ほどの歳月を詠んだ歌群は、思わぬ別離、転職、転居、父の病と死へと大きく動いてゆく。

  をけら火の赤き軌跡を思ひつつひとりで生くるを徐々に決意す
  穏やかに聞いても聞いても首をふる離婚の理由は曖昧のまま
  とりとめのなき会話してお酌して元夫と過ごす初秋の夜
  「癌告知はしないと夫婦で決めてます」母の気迫に医師はひるめり

 取り出して並べると随分深刻なのに、清涼な読後感にやや困惑する。憤りや歯がゆさに結実させないのが、作者の(おそらく母譲りの)美意識なのだろう。しかし、次の歌のような世界の把握にこそ、詠み手の本心を垣間見る気がするのだ。

  一足す一が二でない人生まだ知らぬ子は足し算を好きと微笑む
  未来など意識に持たぬ明るさに方程式を解きゆけり子は

 心の空き瓶にひかりの花束のような楽しい思い出や希望、喜びや少しの悲しみを活けている気がするという作者だが、足し算が時に負になることや、意識した途端に生じる未来の不安も知っている。ひかりの花束が揺れて生まれる翳りのようなものが奥行きとなって、本歌集をより魅力的なものにしている。

何度詠んでもいい夫恋歌
菅谷弘子歌集『夕桜』

書評 勺 禰子

夕桜

 大阪倶楽部短歌部に四半世紀在籍する作者の、合同歌集を除く第一歌集。八十五歳を記念して編まれた。序文は江戸雪氏。

  音楽はつい琴線に触れ過ぎて夫死にしあとの楽無き月日
  目覚むるほど切なき夢を見しあとは夜が白むまで胸高鳴れり

 「生きた証として遺言のつもりでまとめてみた」という歌集には、圧倒的に夫恋が多い。六十六歳の夫を六十一歳で亡くし、前後して短歌に出合い、四半世紀詠み続けてなお枯れない想い。

  あふれつつ告げざりしまま逝かしめて罪なき身とは冬満月よ
  逝く時はやり残ししを夢の中夫を抱けば吾より熱き
  どの椅子もあなたが良しと買ひしもの座りつづけるあなたを見てる
  妻ならば喪服姿が美しと人は言へども夫は見られず
  君在さぬ我に遺りし二十余年子らと遺品を捨てる父の日
  夜空澄み我にまたたく青き星夫と思ひしあの日忘れず
  振り向けば墓石傾き始めたり吾を追ふかの竹風激し

 感性のゆたかさ、と書いてしまえば一般化されてしまうが、あらゆることを新鮮に受信する初々しさ、新緑のようなやわらかさが本歌集をかたちづくり、発見の現場に読者をいざなう。

  大鷲が今鴨咥へ飛び立てる皆見上ぐる中ああ落したり
  「痴呆が来たの」友は言ひたり息呑んで流れる雲の茜色見る
  まだ我に童心かくも残れるや流氷砕きし夜は眠られず
  花吹雪まともに受けてよろめける宇宙の創造なぜか感じつ
  ゲリラ雨に薙ぎ倒されし庭すすきみな立ち上がる十三夜には
  西空に木星土星並びゐて六十年後は星から見るやも

人生への深い感慨
南川閏句集『種袋』

書評 渡辺 誠一郎

種袋

 南川氏の第二句集。古希を過ぎてからの作品を収める。様々な労苦を経てきた深い思いが、一句一句に込められている。

  一匹になつて長生き金魚玉
  不忍の濁りがよきか都鳥
  散ることを教へられずに水中花

 一匹の金魚への思いは、傘寿を過ぎた作者ならではの感慨。同じように、不忍池に遊ぶ都鳥に、濁世に生きる自らの姿を重ねる。水中花に対する孤影悄然とした視線も同じ事だ。
 一方日常の中から、飄然たる作者の姿も読み取れる。

  お暑うと声かけて入る子規の家
  端のなき丸き地球や日脚伸ぶ
  海鼠揺れ大陸棚をころげ落つ

 子規の家の句からは、子規の応える声も聞こえそうだ。子規への敬愛の思いが、「お暑う」に籠る。「端のなき」や「海鼠」の句には、大らかな視線。諧謔が明るく生きている。
 特に最後の章「昭和日々」と題した九十六句が印象深かった。昭和は戦争が際立った時代。戦争はむき出しになって、一人一人の日常を激変させた。一句一句に昭和が凝縮し重い。

  背嚢の金平糖や五月雨
  十貫の母十貫の藷背負ふ
  遺骨なき墓念入りに洗はるる

 ここでは戦争や従軍した父を単に追憶するだけではなく、自らの人生の中に静かに包み込み、詩情とともに感慨が深い。

  かの世には生死なからん寒茜

 最後の句には強く共感を覚える。「かの世」からこの世へと視線を返すことで、戦争の無残さ、無縁さを詠む。この句集を一層存在感あるものとした一句である。

詠むことで近景になる
児島良一歌集『遠景』

書評 勺 禰子

遠景

 二〇〇〇年から二〇一二年の間に所属していた「塔」誌掲載歌を、二〇二一年にまとめた第一歌集。歌の原点になっているのは、昭和初期の少青年期に暗い影を落とした敗戦の記憶だ。

  霏々と降る大和の野面薄墨に村しずもりて門を閉ざしつ
  敗戦に傾(なだ)れゆく日々如月の法隆寺の塔黒く立ちいつ

 巻頭群にある一首目には、〈昭和二十年二月小学五年生の時、集団疎開先大和郡山町より法隆寺へ雪の行軍〉の詞書がある。二首目とあわせ、優れた水墨画を思わせる悲壮感ただよう歌だ。当時の奈良の冬景色は、瓦屋根の多さや風土や時代の閉塞感とあわせ、少年に暗い墨絵のように記憶されたことだろう。

  いくさ果てむ年のきさらぎ夕凍(じ)みに怺えいしもの飢えと悪意と
  なじみなき疎開の村のはずれにて桜ひともとひそと咲きいし

 花森安治が率いた暮しの手帖社による『戦争中の暮しの記録』で、疎開先での壮絶な体験を読んだことがあるが、それらをありありと思い出させる一連に胸が痛む。集中には作者の感覚のするどさ、確かさにハッとさせられる歌が多い。

  梅が枝に合格いのる鈴なりの祈文(ふみ)さりげなく宮司除(と)りゆく
  きょうだいの父を畏怖せる記憶にはそれぞれ少し温度差のあり
  まなざしをひたと定めて症状を聞き取る女医の声のやさしき
  道の端の舗装の隙に根を張りてすみれ小さく冬に入りたり

 巻末の「随想 忘れ得ぬひと『松田武雄先生』」がいい。「中学在学中に先生と会話したことはなく個人的な接触も全くなかった」先生を、「私のルネッサンスの火付け役」と追憶する。「遠景」が、詠むことで確かな「近景」として刻みなおされている。

山と旅と
伊佐九三四郎歌集『熱帯の山 寒冷の国』

書評 本多 稜

熱帯の山 寒冷の国

 世界を股にかけての山行を歌で記録する第一歌集。各章のタイトルを見ても、アフリカ大陸、南米、ヒマラヤとカラコルム、中国とモンゴル、ボルネオとカムチャッカ等、地球を広くカバーし、各地域の名山の名が並んでおり、目次自体が山好きには一篇の作品のようだ。筆者自身も、アフリカのキリマンジャロやトゥブカル、中国の大姑娘に登頂し、カラコルムのフンザやチベットには滞在したことがあり、とても親しみやすい世界が歌の空間として広がっているのだが、作者は一九七〇年代から世界の山を登り始めたとのことで、当時の交通事情を思うと、何という行動力なのだと驚くばかりである。

  朝日さすキリマンジャロの頂はあつき氷河に覆はれゐたり
  トゥブカルは姿見せねどアトラスの峠越ゆる日心楽しく
  テーブルマウンテン下るも楽し絶壁を転がり落ちる二日がかりで
  骨折の足腫れあがり山おりるパイネ山群何時の日かまた
  ラッシュファリの頂に立ち還暦の記念のしるしと一つ石積む
  三十一の文字にて詠ふこと難しあまりに広き西蔵の原

 作風は大らかで作者の包容力を感じさせる。高所登山は、肉体的にも精神的にも厳しい世界である。当時は、今と違って海の向こうの登山基地となる街に辿り着くまで大変であったと思われるが、この歌集に収められた歌たちは、明るさと希望に満ちている。歌に感動を閉じ込め、山への思いは色褪せることは無い。覇気と緊張、登頂の達成感、そして下山後の脱力感。歌が肉体を宿しているかのように一首一首の韻律は心地よい。作者にとっての作歌とは、山を、旅を、新鮮なままに歌の姿に変えていく行為なのだろう。この星の大自然を全身で楽しみながら作る歌。その喜びをわけてもらう。

時の豊かさ
尾崎知子歌集『三ツ石の沖』

書評 本多 稜

三ツ石の沖

 なんとも豊かな時間が流れている歌集である。タイトルとなった三ツ石は、神奈川県の南西の端、真鶴岬の先に並ぶ岩で、作者の住む湯河原の家から見えるという。関東地方と中部地方の境にあり、海を見渡せて背後には山もある湯河原は、かつては土肥と呼ばれ、「あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに」と万葉集にも詠まれた。「よにもたよらに」は、「世に絶えずに」という意味にとれるが、この歌集は、世代を繋いでゆく家族を生き生きと詠んで印象に残る集である。その時その場だけの一瞬の詩の輝きが一首一首に収められている。

  おかあさんのお手伝ひしてあげてね、うなづく四歳ふつと下むく
  おつぱいをたつぷり飲んでたちまちに赤子はをぢさん顔になりたり
  五歳児はウー語で弟と対話するうすもも色にゆるるコスモス
  アンモナイトの丸みをなでる幼なき手 博物館より海のひかりて

 お孫さんの歌の他にも、老いを詠んだ作品は、優しい視線ながらも程よく抑制され、滲み出る余情が味わい深い。

  褒めくるる人のみ信じる老い父が不自由な手でワンカップ飲む
  木の下の椅子に腰かけ本を読む叔母をセザンヌの絵ともおもひき

 植物を詠んだ作品にも注目した。一首が短編小説の要約のようで、その背景が想像されて作品世界に広がりがある。

  背高泡立草の黄の横つ面、じゆげむじゆげむと川沿ひの道
  どくだみのにほひ残れる手で割りぬ昼餉のための卵二つを

詩の息づき
本間真琴歌集『魚に言われて』

書評 本多 稜

魚に言われて

 新潮新人賞最終候補に残るなど小説も手掛ける作者の第一歌集。あとがきに、小説を書く理由として、「自分を絡め取っている蜘蛛の糸のようなものをほぐして、自由になりたかったから」とあるが、これを問いとするなら、作者の短歌作品は、その答になっている。一つ一つのコトバの重さと軽さ、品詞の選別、一首のリズムの緩急など、そしてその相乗効果を見るにあたって、作者のみならず読者もほぐされてゆくようだ。

  チューブにて命養う少年の幾種もの薬を慎重に計る
  あの人のやさしさは私への喜捨 すぐに溶けゆくレモンシャーベット
  ぐるぐるとココアかき混ぜ結局は依存と支配が愛だと気づく
  役割を奪い取られて老いし父見知らぬ人の貌(かお)を見せたり

 複雑な人間関係からなる社会構造を作者は把握していて、その透視図を見せてもらっているように感じるのは、作者が人と人との関りのあり方について、その本質を見抜いているからだろうか。包み込むような優しい視線もあれば、現実を抉るような厳しい視線もある。ここに挙げた歌はどれも、静的なものと動的なものが同居している。むしろ静謐な作品世界だが、一首に一つまたは二つ置かれた動詞に重力があって、読み込むほどに見飽きることのない一枚の絵画のようである。

  マイル貯めまた外国へ行くという友思いつつ布団を叩く
  大空はカーテン引くよう秋になり鳥の気持ちが解る気がする

 私的な感想になるが、作者は歌で旅をしているのではと思った。旅に出ることなく旅をする。正確には旅をさせる。旅の磁場は自分自身の内にあるということ。詩の息づきをその場で感じられるのであれば、動かずして歌で捉えれば足るのである。

熟度高い存在感
迫口あき句集『玉霰』

書評 渡辺 誠一郎

玉霰

  晴の日の晴の大空初詣

 巻頭に置かれたこの句に見るように、句集を一読して伝わってくるのは、熟度の高さとともに、すがすがしい世界だ。

  齢など宙に預けむ半仙戯
  さやけしや東京駅は鳳の翼
  千年のお指涼しき思惟仏

 「齢」を預ける先が、「宙」とはスケールが大きい。おかしみを連れ添うように味わい深い。東京駅は確かに「鳳の翼」。姿かたちもそうだが、旅の出発の場としても納得。「思惟仏」の指に、千年の時空の中に涼しさを捉える、ほのとした香りも漂う。
 次の俳句は、作者が生きた時代の空気が、伝わってくる世界。

  かつて軍港どんぐり不意に肩を打つ
  『資本論』読めとや沢庵噛み切れぬ
  逃げ水のやうな句集をひもすがら
  記憶こそ語ることこそ広島忌

 いわゆる時事俳句とは違う、あくまでも作者自身の身に添う世界。かつての「軍港」と「どんぐり」の動きによって、記憶が呼び覚まされる。難解で知られる「資本論」と「沢庵」を噛む音、嚙み切れぬ音がおかしくも切ない。「広島忌」の「こそ」の繰り返しが、鎮魂と後世へ伝える想いを深くしている。「逃げ水」には軽い自虐が籠る諷詠ぶりがなんともいい。

  天動説地動説よそに日向ぼこ

 句集の最後に置かれた句だが、天動説の話をあえて出し、そこに「地動説」に逆転させたのだ。作者の現在の境地であり、俳味が籠る。最後に置く句にふさわしい世界。
 読み応えのある存在感が確かな一集である。第四句集。平成二十五年から令和二年までの句を収める。

僕が僕であること
土岐友浩歌集『僕は行くよ』

書評 貝澤 駿一

僕は行くよ

  いないのにあなたはそこに立っているあじさい園に日傘を差して
  南天は花をつけつついないとはいないところにいるということ

 そこに「いない」誰かのことを思いながら、確かにその存在の大きさを感じ取っている。土岐はこうした誰かの「不在」を表明しながら、逆説的にその温もりや優しさを描き出すのが得意な作者という印象だ。それは第一歌集『Bootleg』から一貫する土岐のスタイルなのだろうが、本歌集ではその不在の感覚が他者から自己へと拡張され、過去と未来という時間軸のふくらみをもって描かれているように思う。

  十二歳くらいの僕が寒そうにゲームボーイで遊んでいるよ
  あ、僕とおなじ十四歳だって 夜のフェンスの奥の紫陽花

 かつての〈僕〉はここにはいないが、かつての〈僕〉の残照としての〈僕〉はここにいて、歌の中で過去と未来が行き来している。一首目、少年時代の〈僕〉の何とも言えない寂寥感が、当時流行した〈ゲームボーイ〉に滲み出る。すでに存在しない過去の〈僕〉の孤独や悲しみを、今の〈僕〉が引き受けて歌うとき、本当の〈僕〉の姿がはっきりと映しだされている。二首目は神戸で起きた連続児童殺傷事件の加害少年と同じ年齢であったことが背景にあるのだろう。平凡な〈僕〉にもありえたかもしれないその運命を、脳の形にも似た紫陽花という植物の存在感が暗示する。

  多摩川はやたらと広く僕という一人称の卑しさを知る

 河の広さは雄大で、それに対峙する〈僕〉の存在は何ともちっぽけなものだ。いなかった自分も、いるはずだった自分も、川の前ではたった一人の〈僕〉に他ならない。僕が僕であることの卑しさを、否応なしに突き付けられるのである。

拡散と集約
田中昭子歌集『白』

書評 喜多 弘樹

白

 白。純粋であり、無であり、明るく、そしてちょっぴり切ない色。いや、ほんとうに色といえるだろうか。空漠とした空間に何が在るのだろうか。そんな歌集名に惹かれながら、この歌集の世界を垣間見たくなった。

  夕あかね輝きわたる一隅にすこし残れる昼の水色

 開業医の妻となった頃の夫君を気遣い、愛する歌、たとえば「夜の往診重なる夫に着せかくる白衣の陰にお指ふれあふ」から始まる。この白衣の「白」も歌集名の原点だろう。その「白」という色は、人生の襞のように幾重にも変化していく。夕暮れ、空いっぱい広がるあざやかな茜色。しかし、作者は少しだけ残っている昼の水色が気になった。そこにひと日の心の残像がありはしまいか。かなしみなのか、喜びなのか、白から生じたさまざまな感情が投影している印象だ。

  諍ひ来て土堤を下れば菜の花と白き雲浮く空しか見えず
  樹齢二千年とふ楠の巨木今宵はわれのみ抱きてほしきに
  雲間より姿見せたる満月は兎逃がして黄のひとつ色

 どこまでも色にこだわり続ける作者のまなざしは厳しいようだが、どこかおおらかな慈愛に満ちている。心の熱量が感情の色となって、さまざまな形象を創り出していく。あまり多くの意味を求めるのは、かえって歌の世界を浅くしてしまいかねない。諍いも抱擁感も、兎を逃がした満月も、白色から際限なく広がっていく。
 白から拡散していった、さまざまな色がふたたび白へと集約していくような一首が掉尾を飾る。

  曇り空なべてを一つ色となす深呼吸一つそれも平安

底知れない三十一音の世界へ
伊藤一彦編著『伊藤一彦が聞く  牧水賞歌人の世界』

書評 鈴木 英子

伊藤一彦が聞く  牧水賞歌人の世界

 何を読むか、誰を読むか、私たちは出逢いで出来ている。
 一三〇〇年の短歌史。同時代をかすかに重なる人からどっぷり重なる人まで、星の数ほどいる短歌作者。その中で誰の作品と出逢うかで、興味の方向が決定されるのは自然なことだ。
 若山牧水賞受賞歌人として、伊藤一彦にインタビューを受けているこの一冊におさめられた歌人は八名。著名な人々であるとはいえど、歌集というもの自体が手に入りやすいものではないし、触れた深さはそれぞれだろう。だが、この本を読みながら、きっとひとりひとりに興味がわくことは間違いない。
 第一回受賞者である高野公彦の章では、高校時代に読んだ『宮本武蔵』の中に出てきた「いばり」が、言葉を面白いと意識したはじめであり、のちに古い言葉を短歌の形で残したくなったと語られる。明確な作歌の動機は好奇心を刺激するし、自らの作歌の目も開けてくれるだろう。また、師である宮柊二の選歌への姿勢が語られると、継がれる聖域に立ち入るようで、双方の作品を改めて読みたくなる。おまけに第五回受賞者の小島ゆかりの章では、小島が高野に受けた、作品を提出した際のエピソードが語られているので、宮、高野、小島という道のりの立会人にでもなったかのようにさらに引き込まれる。そう、この一冊の醍醐味は、八名のインタビューそれぞれが独立したものであっても、どこかで重なっていたり、繋がっていたり、同じ人物が重要な脇役として登場したり、それに読み手として、気づいてゆくことにもあるのだ。
 歌人の口から語られる、過ごしてきた時代も心を突くものだ。佐佐木幸綱は戦後、電車通学が必要な小学校に通った。電車の窓ガラスも割れて無く、ラッシュ時には幌もなくむき出しの連結器に、車両からはみ出した人は乗っていたと言う。寒い時には手がしびれてそこから振り落とされ、轢かれてしまう人もいたが、まずはむしろで遺体を隠すだけだったと。大きな歴史ではなく、死が日常の、小さな生活のリアル。それを知る人の作品から、では、この時代にどういう短歌が詠まれていたかまでこの機に踏み入ってみたくなる。
 他、収められた歌人は永田和宏、小高賢、河野裕子、三枝昻之、栗木京子。牧水賞を受けた歌人には、牧水を語り、書く場を設けるなど、賞の意義も併せて実感できる内容をもつ。

  あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中(いへぢゆう)あをぞらだらけ  河野裕子

 底知れない三十一音の世界。こうして一首引かれれば一張のスクリーンのように堂々とある。本書に引かれた短歌に、言葉を必要としないくらいの恍惚を感じたり、逆に語り続けたい高揚を感じたり、やはり短歌は凄い、と伝えたくてたまらなくなる。興味の範囲を拡げるのに絶好の一冊である。

泣いて笑って
丸岡里美歌集『笑っています』

書評 貝澤 駿一

笑っています

  親の亡きわれを母とし産まれたる子に見つめられ笑うと決めぬ

 孤児であった作者が結婚し、子を成し、子供とともに成長する。家族という典型的な物語に現れる屈託や喜びを、作者はひとつひとつ丁寧に、拾い上げるように歌う。

  十歳が笑えば八歳笑い出しとなりの一歳まねして笑う
  思春期を遺児と呼ばれたわたくしは三児の母です笑っています

 この歌集では〈笑う〉という語が頻出する。幼い子供の笑顔や笑い声は、その生を全方位から祝福され、肯われていることの証左である。大人に大切に育てられ、自己肯定感を高めていける子供ばかりではないことを、現代社会に生きるわたしたちは知っている。そうした意味では、ここに描かれているある意味で健康的で、模範的な家庭の姿は理想論にも思えてしまう。
 しかし、本歌集は作者自身が孤児として育ち、まさにそうした家庭という装置に屈託を覚えながらも前向きにその物語を生きていこうとする姿が印象的だ。そうした決意、自らのコンプレックスから子供たちの人生まですべてを引き受けて、家族という物語を作り上げていこうという強さが、引用した歌の〈笑う〉というモチーフによく表れている。

  思いきり泣けよわたしのみどり児よ抱ける時間は限られており
  譲り合い時には本気で取り合いて泣いて笑って子ら育ちゆく
  泣き虫が泣かなくなって小学生最後にもらった背番号3

 笑うことの対極には涙がある。母は母の、子供は子供の物語の中で、泣いて、笑って、それぞれの人生を築き上げていく。泣かなくなった子供の〈背番号3〉は、子供の成長だけではなく、母親の成長に与えられた勲章でもあるのだろう。

共鳴する歌ごころ
藤本寛・征子歌集『二輪草』

書評 喜多 弘樹

二輪草

 短歌はどこまでいっても一人称の闇が続くなどと昔考えていたが、二人称というのも味わいがある。一人の歌のこだまがもう一人の歌のこだまとひびき合う、そこに共鳴する美しい和音が生まれる。そんなひそかな楽しみが読者に与えられる。たとえば、平成二十四年の作。

  看取る人看取られる人さまざまの病棟照らす真っ赤な夕日  征子
  ガラス越しメダカの孵化に立ち会いぬはじけてぱっと命誕生  寛

 妻の歌が最初に並び、続いて夫の歌が並ぶ。妻の歌歴が四十年、夫が十年。お互いのテーマも詠み方も異なってはいるが、微妙に響き合う歌もある。ともに命というテーマを詠んでいる。妻は病棟の真っ赤な夕日に生死の意味を問いかけ、夫はメダカの孵化の場面に立ち会った感動を詠む。偶然などではないだろう。ばらばらの風景がどこかで収斂されていく爽やかさだ。
 平成二十七年には、三巡目の四国遍路の歌が並ぶ。同じテーマをどう切り取るか、お二人の心の縁を覗き見る思いだ。

  地蔵寺の五百羅漢は木製なり同じ顔なきをゆっくり巡る  征子
  助け合い譲り合い学びし遍路道山谷こえて千三百キロ

 妻の呼びかけに夫はどう応えるか。

  祖先からつながる命お四国の柏手高し朱の金泉寺  寛
  奉納の柄杓にわが名記したり緑さわやか結願所の風

 やわらかなしらべの妻の歌。対して夫は硬質なしらべ。このあたりが絶妙である。お互いの人生の立ち位置すらうかがわせる、微笑ましい作歌が連なっていく。

存在と非存在の間
中森舞歌集『Eclectic』

書評 貝澤 駿一

Eclectic

 タイトルとなった「eclectic」という語は非常に難しい。単純に訳せば「折衷的な」とでもなるのだが、作者は自らのその研ぎ澄まされた言語感覚の中で、世界に散らばるありとあらゆる存在の折衷、もとい調和のようなものを目指すのだろうか。

  瞬きのたびにみるみる育つ白 まぶしさの単位「瞬き」とする
  右目からあなたが滲み世界一小さな海の満ち引きを知る

 一首目、瞬きのたびに感じる、世界から目をそらすようなまぶしさ、それを〈単位〉というある意味ドライな体系でとらえようとしている。〈まぶしさの単位〉とは存在しないものか、仮にしたとして、筆者のような自然科学に縁のない浅学には到底理解できないものか、いずれにせよ、ここで描かれているのは存在と非存在の間で揺れる作者独自の感覚世界のように思う。
 二首目は、〈あなた〉の目の潤いを〈世界一小さな海〉と表現しているのだが、互いに離れがたく思っている相手とのたった二人だけの閉じた空間を思わせる。外部からシャットアウトされた二人は通常世界、つまり読者の側の世界においては非存在として扱われ、ただ互いを求めあう心だけが残っている。

  さよならの等価交換 プリズムとプリズムが生む色のない虹
  少年のボストンバッグが運ぶもの紐のちぎれたアディダスと骨
  フィラメント切れた電球まだ温(ぬる)くベツレヘムから声が聞こえる

 新聞歌壇の常連投稿者ということもあり、一首一首に独立した世界を展開する作者という印象だ。〈プリズム〉や、〈アディダス〉〈ベツレヘム〉、こうしたアイテムから感じるのは、限りなくそこにありそうでそこにはない、存在と非存在の間に潜む現代のドラマであり、鋭敏なことばの感覚である。

まなざしの確かさ
奥山祈梨子歌集『菩提樹の精』

書評 喜多 弘樹

菩提樹の精

 物怖じしない世界。自在で清新なこころの窓は多くのものを眺めてきた。かなしいもの、うれしいもの、傷ついたもの、希望の輝きに満ちたもの、絵画や音楽、そして身体など。
 宮柊二創刊の結社「コスモス」に所属し、歌作を続けてきた。作者はながらく高校の英語教師をしてこられた。あまり感傷的にならないのもそのせいかも知れないが、歌はどこかかなしみの相を深く湛えている。

  落ちついてくるから不思議大地の色まとふわたしは菩提樹の精

 菩提樹の精と自らをそう称する。その「わたし」は大地の色をまとっている。しっかりと大地に根を張りめぐらせ、さわやかな風を感じながら、何を感じ何を思っているのだろうか。たとえば、シューベルトの有名な歌曲集「冬の旅」を聴きながら。

  眉間にしわ寄せさうになれば目見深き秋篠寺のみほとけ想ふ
  島宇宙のいづこに父はともるらむ 流星とならず瞬きつづけよ
  魂の傾斜するほど倦みたれば陽あたる芝にしばしまどろむ
  いつぱいになりし器にあふれ出す水のやうなり若き旅立ち
  休日の学校しづかそれぞれの机、椅子あり列すこしずれ

 秋篠の伎芸天を詠んだ一首。かつて訪れた大和の風景、伎芸天はたしかに「目見深き」み仏であり、何度訪れても心休ませてくれる。きっと作者の苛立ちや怒りを鎮めてくれたにちがいない。島宇宙のどこかに灯って、私を見ていて欲しいと祈る二首目。日常を生きておれば「魂の傾斜するほど」倦んだ日もある三首目。おそらくは生徒たちの卒業に際して詠んだ比喩のみずみずしさを感じる四首目。そして五首目はさりげない日常の光景ながら妙にリアリティに満ちている。菩提樹の精のまなざしはつねに優しく、やわらかだ。

寒翁
金田伸一句集『山幸』

書評 田宮 尚樹

山幸

  ぐい呑みの猪大仰に跳んで春

 猪の跳ぶ絵のぐい呑みは春に相応しく言葉の弾みがよい。祭幟には、富士の巻狩で猪に跨った仁田四郎の活躍する姿がある。

  亀落ちておのづとおよぐ春の水

 石から落ちた亀がそのままおよぎだしたユーモア。亀は不器用なだけで当たり前の動きだが春の水で「おのづと」が生きた。

  郭公をはるかにつくる野菜棚

 「郭公をはるかに」で、周囲の景が伸びやかに広がってゆく。大方はきつい農作業の営みが牧歌的余裕の楽しみに変わる。

  カサブランカ真白き昼が来てゐたり

 カサブランカの名に先ず、かつての名映画を思いだす。真白きは、芳香の百合と、モロッコでの美女優バーグマンの容姿。

  信濃路や身丈をこゆる秋桜

 信濃路は郷愁を誘う地名である。若菜集であれ一茶であれ信濃の国で一気に空が広がる。それだけ地元愛が強いのであろう。

  地滑りの跡も見てゆく紅葉狩

 何十年に一度の大災害が毎年のように起こる近年である。行楽の際にも目にする地滑り跡の生々しさは、人の驕りを諫める。

  冷まじや林檎にのこる雹の痕

 自然の脅威は後々まで残る。収穫した林檎の雹の傷痕は商品価値を失う。自然相手の生業冷まじの本来の言葉と隣合せ。

  雪晴や墓点々と屋敷林

 雪晴の眩しさの中に屋敷林を構えた家であり、その内に代々の墓が雪より覗いている。終の棲家の景に土着の歴史を思う。

  数へ日といふといへども命あり

 色々大病をされたご様子が窺えるが、中七の「いふといへども」の言葉の綾に、山幸に依る晩年の救いの日々が感じられる。

加上
川口勇著『俳句的仏教的俳句』

書評 田宮 尚樹

俳句的仏教的俳句

 仏門の人から見ての選句内容があり一般には難しいが本文の一部を掲載した。一句に二頁余の文があり後は味読願いたい。

  橘やいつの野中の郭公(ほととぎす)  松尾芭蕉

 「遠い日の体験が今の現実とかさなる。それは歌の世界における本歌取りにも似た世界の現出とも重なってゆくようだ。」とある。この句にある山本健吉や加藤楸邨の評に仏教感はない。

  頓て死ぬけしきは見えず蝉の声  松尾芭蕉

 「この俳句を法話のなかでしばしば引用された上人がある。…この句を法話にとりいれられた意味の深さは、人間として生きてゆくうえでのいのちの絶叫とは何であるかを知らしめる。」

  灌仏やめでたき事に寺まゐり  各務支考

 「鎌倉時代の宗祖たちはその一つを選択して仏教を大きく進展させたのだが、それが却ってマイナス面をつくったのではないか。…仏教は釈迦のひらいた宗教だが、日本の仏教は釈迦仏教というより宗祖仏教になっている。…灌仏会を修する寺院はあるが、数としてはすくない。」

  奪衣婆のよろめき坐る雲の峰  飯田龍太

 「奪衣婆」は三途の川のほとりで亡者の衣を剥ぎ取る鬼婆とある。『十王経』に基づいた俗説である。立花隆は日本人の『臨死体験』では「お花畑と三途の川の出会が多い」と書いている。
 俗人には「橘や」の句に、形而上学的永遠を(九鬼周造『風流に関する一考察』)、「頓て死ぬ」に小さき物らへの愛を、「灌仏や」に、庶民の晴や褻、富永仲基の「加上」を思った。加上とは一人の思想家が先人を凌ぐため新説を打ちだそうとする試み。仲基は儒教、仏教、神道を的にしたが伝統や家元にも及ぶ。「奪衣婆」は雲の峰の衰えからの連想と思うが、龍太の感性と背景を思うと「蛇笏と芥川」→「今昔物語」→『羅生門』で、下人に着物を剥ぎ取られた「老婆」、の連想もできる。逆もある。

生きゆくに差障りなし
足立節子歌集『終点までを』

書評 浦河 奈々

終点までを

 作者は結社「水甕」に所属し、第二歌集より四年で、元気なうちに挑戦しようとこの第三歌集を上梓されたという。

  文系の孫にビールを勧めおり畑打ち呉れし早き夕餉に
  社会人となりて半年男の孫の靴紐結ぶ仕草が変われり

 孫の歌から作者のおおよその年代や境涯がつかめる。また二首目は孫の小さな仕草からその変化を感じ取る作者の鋭敏な感覚が、控えめな表現の中に光る。

  静寂のプールが突然動き出し幼の水泳教室始まる
  ほどほどの母が唯一測りしは沢庵漬けの糠と塩なり
  水溜りを飛んではならぬと友が言う整骨院へ今日も行くらし

 作者の観察眼はこのような歌にも活きている。この「幼」はきっと沢山の子供たちなのだろう。その子供たちの動きを「プールが動き出す」と捉えた上の句の表現がダイナミックだ。また二首目は「母」の存在が回想というよりも、現在に近く感じられるのだが、それは作者の中の母がそのように活き活きした存在であるということなのだろう。一首目とも共通するきわやかな表現で「母」の人物像を語る。「糠と塩」が印象的だ。
 また三首目はもう少し柔らかな雰囲気で、上の句の友のセリフ「飛んではならぬ」がおもしろい。その意味は下の句の「整骨院」で種明かしされ、ユーモラスな味わいがある。

  マーガレットの花殻無心に摘みている朝の静けさ吾の静けさ
  知らぬこと数多あれども生きゆくに差障りなし畑に草抜く

 さて作者を取り巻く家族や友の歌もいいが、自分一人の時間を噛みしめているような歌もいい。一首目は朝の静けさに、自身の内面の静けさを重ねた深みがある。また二首目は作者のむざねが感じられる潔い歌で、韻律にもしなやかな強さがある。

紅葉はじむ
仁瓶早苗歌集『そめゐよしの』

書評 浦河 奈々

そめゐよしの

 大正十五年生まれの作者は耳鼻科医として長くつとめ、同時に若くして短歌結社「白珠」に入社し短歌の研鑽も積まれたようだ。これはその実りとして二○○一年から二○一九年までの歌を数千首から選んだという第二歌集である。

  耳鼻科医も四十年たち患者達世代変りて子や孫も来る
  患者診るわが掌の皺が目立つなり医院廃業近づける冬

 一首目には開業医であった作者ならではの感慨がある。四十年という人生の時間の流れがここには詠み込まれている。また二首目は現在を起点として詠まれ、自身の掌の皺への着目と助動詞の「なり」に作者の生の気配を感じる。結句の「冬」も寂しい季節感が歌全体を包みこんで情緒を醸し出している。

  年相応の顔となりたり自画像は目じりを少し下げて描かむ
  針に糸を通せるけさの明るさよそめゐよしのも紅葉はじむ

 作者は絵画にも打ち込まれたようだ。歌集には作者の四点の絵画作品も掲載されている。一首目は自身の老いを自画像に表現しようとする作者の心の張りが思われる。また二首目も老いをみつめた歌だろう。今の作者にとって簡単ではない「糸通し」がうまくできた喜びが「けさの明るさ」なのであり、ここには晴れた朝の明るさのみならず「生きることの明るさ」が感じられる。そしてそれは下の句のそめゐよしのの紅葉と響き合う。桜は花ばかりでなく、紅葉も赤くてうつくしい。

  ステンレスの流しに白きやもりゐて朝(あした)の我としばし対き合ふ
  小指ほどに物干のきうり育ちをり梅雨の晴間の朝の光に
  生きかへりし海芋一本うれしげに持ちてゆきけり医院のスタッフ

 日常の植物や小動物、そして人間に向ける作者のこまやかな眼差しも印象的である。

十六島の岩海苔
小山美保子歌集『灯台守になりたかったよ』

書評 浦河 奈々

灯台守になりたかったよ

 風土性豊かな出雲に住む作者の第一歌集である。一九九九年から二十年間の作品から五百首を収め、自身の境涯をなぞる趣きもあるが、その中に作者の個性やその内面がかいまみられる。


  出雲人 十六島(うっぷるい)の岩海苔は雑煮に欠かせぬ高くても買う
  わが住める出雲の国は縦に縦に雲の生まれて雲の立つ国

 一首目は出雲在住の人には日常なのかもしれないが、出雲を知らない読み手の私は、初句の「出雲人」と「十六島」という言葉に不思議な力を感じた。日常を詠みながら日常を超えるものがあるようだ。固有名詞の力だろう。また二首目の「縦に縦に」も実際の観察からくる表現かもしれないが、そこに出雲人である作者の精神性が込められているように思う。

  雪晴れの空の青さよその深さ成層圏は五十キロもあり
  青空を直線に飛ぶジャンボ機の五百の足裏頭上を去れり
  カーナビは瞬時にわが位置示すゆえ狙撃兵の眼天より感ず

 この作者には肉眼で見えていない場所や物を、知識と結びつけてリアルに捉える洞察力があるようだ。一、二首目の数詞の使い方がそれで、「五十キロ」や「五百の足裏」という具体的な表示によって歌に実存的ともいえる立体感が生れている。
 さらにその感覚を押し進めると三首目の「狙撃兵の眼」になるのではないかと思う。この狙撃兵は危機的な現代を生きる作者の内面の蓄積から出現した象徴的な存在だろう。

  み仏の背(せな)に回りてほうと言う全く以て清潔な背
  たまごかけごはんを食べる度思う滋養じようと言いし裕子さん

 作者の明朗さのよく出ている歌も見ておきたい。一首目の「清潔」には明朗とは少し違うものも感じるが、その韻律は伸びやかで明るい。また二首目は河野裕子への心寄せに幸福感を感じる一首だ。作者の明朗さがきっと共鳴しているのだろう。

性欲と巡る旅
徳重龍弥歌集『暁の声、群青の風』

書評 北村 早紀

暁の声、群青の風

 歌集の序盤は幻想の中にあり、中盤より都市が詠まれるようになり、終盤はまた幻想へと帰っていく。同じ章の中でも一ページの掲載歌数は様々で、読者が歌と出合うリズムがコントロールされている。
 性欲という単語が直接的に入った歌が三首、そのうち二首は「性欲は」が初句で、関連の歌はもっと多い。この歌集の中の「性欲」が幻想と結びついているからなのか、都市や旅先、子どもを詠うときには「性欲」の存在は息をひそめている。

  うしがえるのごとき性欲やってきて人間のままきく天空の音
  性欲は薄靄のように一艘の舟かくしつつ沖へ向かうか
  性欲は泡立つように起きてきて咲くはな、はなを照らす夕光

 三首目の「性欲」の次の章で子が登場する。

  紅白の小さき丸餅幾たびも積みなおしたり黙しつつ子は

 その子の誕生によって暮らしの中ですれ違う様々な子どもが登場するようになることから、その子との出会いで作中主体の世界へのまなざしに変化があったことが感じられる。子の登場までには妊娠・出産をした人物に関する記述や、誕生についてや親になったという記述はなく、この時点では作中主体の子ではないのかもしれないという印象すらあった。

  沐浴の後入りくる風に当たりつつ子はひたすらに母の乳を飲む
  君も子もよく眠る昼ぎらぎらと鱗のようなものが外には見えて

 しばらく経つと、子と母と主体との生活が細かく詠われるようになるが、他人行儀というか、感情を敢えて込めていないように感じた。先に書いたように、最後は幻想に帰っていくのだが、生き生きとしていて、華やかな締めくくりだった。

  にんげんに尾がありし頃の感情にもどりて泣きたし夜の砂漠に

それでも生活は続く
小林真代歌集『ターフ』

書評 北村 早紀

ターフ

 作中主体が切り取る世界がその感情を浮かび上がらせるように詠っているからだろうか、読者と作者の対話によって歌集が完成するように余白を残して作られているように感じた。

  震度6に怯えて逃げし石田さんの犬いまどこをにげてゐるのか
  子らを逃がし老親と家に残る友しづかな家だと被災地を言ふ

 震災によって日常に大きな変化が起こり、その変化がいつまでも生活に居座り続ける。劇的に改善することなく続いていく状況に公私に渡って直面する中でも、子の成長は待ったなしで進んでいく。

  「解体をお願いします」硝子戸に走り書きあるを見るのみに過ぐ
  材料と道具といつしよにごちやごちやのバックシートに眠つて帰る
  セシウムは検出されず子の体一年前よりはるかに大き
  かなしいと知りつつ息子とみる映画 息子のはうがうまくこらへる
  福島から来ましたと新しい街で言ふだらうまだ寒い春の日に

 恥ずかしながら、題材によって感傷的になり、読みがそちらへ傾くことに身構えて読みはじめた。しかし、読み進めるとむしろこの歌集はそういう読みを拒んでいるように感じた。何が起こっても続いていく生活への愛が感じられる歌集である。

  他人の字で書かれたる我が名前など見れば立派な大人かと思ふ
  精米したばかりの米の温かさ両手差し入れ味はひてをり
  鳥たちは森に勝手に死ぬだらう人ならば心探らるる死を
  思ひつめたつていいことひとつもないぜーと煙草吸へなくなりしが笑ふ

美しい日々の記録
堤純子歌集『撓みたわみて』

書評 北村 早紀

撓みたわみて

 はじめは人生のよい場面ばかりを切り取っているのかと思ったが、読み進めると、美しい場面(それは時に悲しみや寂しさの場面でもある)に出合うたびに歌に写し取っていることがわかってきた。人生規模の継続の美しさ、その重みをこの歌集から感じた。

  眠るように母は冷たくなり給う 平均寿命欲すもかなわず
  弥生月夜半の産院に力ある産声を聞く女孫(めまご)たのもし
  ティータイム卓にひとりでコーヒーを微妙に孫と距離もちはじむ
  娘の家族(うから)わが背(せな)を抜き孫の三たりいつしか育ちて声の変わるも
  高原のロッジにつきて涼風のハイジさながら女孫は歌う
  育つさま目の当たり見守る孫の受験いつの時代も心落ち着かず
  振り袖のともがら居並ぶ成人式孫きわだちて見ゆるうれしさ

 また、読みながらスマホで写真を撮る世代とカメラで撮る世代が残す写真の違いについて考えた。どちらがよいということはもちろんないが、切り取るものには違いがあるだろう。

  二寧坂・産寧坂と登るほどに空に伸びゆく清水の塔
  物語の「車争い」目に浮かぶパイプ椅子にかけ行列を観る
  日の昇り朝霧たてる宇治川の水音しじまを深めて響(とよ)む

 この歌集で歌われる幸せは私たちの世代には望めないものだったり、望む形が異なったりするように感じた。異国の物語を聞くような、眩しさや少しの戸惑いとともに読み終えた。

  それぞれに仕事を持ちて生きてゆくわが経験のなき家庭の如何に
  夫の逝き妻の役割終えし今しどろもどろのわがための時間

住民の目線で
村山美恵子エッセイ『梯梧燃ゆ 沖縄復帰騒動記』

書評 名嘉真 恵美子

梯梧燃ゆ 沖縄復帰騒動記

 本書は沖縄の復帰調整業務を遂行するため転任した夫君と共に一九七一年から一九七三年まで沖縄に住むことになった主婦の見聞した記録と感想、そして巻末の短歌を合わせた歌文集である。現在では、公文書に書かれた記録以外では、直接聞くことは稀になった沖縄復帰前後の社会や人間が垣間見える。
 復帰時における通貨問題は夫君の仕事柄か一般の人以上の知識と判断力を感じる筆致であり、沖縄の人たちの混乱と失望をわがことのように熱意をもって書かれている。その他、米国人・沖縄の人との親交、沖縄の教育などについて文化や制度の壁を越えて向き合おうとする姿勢が清々しい。とりわけ混血児の問題は当事者への人間的共感の思いで書かれている。このように、沖縄の庶民の生活を見る目は一貫して生活者としての主婦の目線であるのが人柄を思わせて親しい思いがある。

  山積みの砂糖黍(きび)トラックの両側にはみいだしゐてさわさわと鳴る
  間をおきて海よりの風唸るなり常になにかを耐へゐる島に
  雑貨屋は「お釣り取つてよ」と掌に日本硬貨を広げ言ひけり
  名なきまま平和の礎(いしじ)に刻まれし胎児にも来つ七十回忌

 沖縄の復帰をどう考えるかについては沖縄県内でもさまざまな視点からの多くの人の論考があり、まだ整理できない段階にあるといわれている(『新聞が見つめた沖縄』諸見里道浩)。本書では祖国復帰をどう考えるか、地元の人にインタビユーした記事の部分があるが、当時の全ての考えを網羅する目的はないのであろう。例えば、「反復帰論」がある。この運動は復帰に反対ということではなく、「核抜き・安保見直し」の主張があった。ただ単に沖縄がどこに帰属するかという視点からではなく、沖縄や日本の国の未来の在り方を問う運動だったのである。

歌そのものと近づくために
秋月祐一歌集『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』

書評 井上 法子

この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく

 タイトルがそのまま短歌の一首となっている大胆さに、思わず引き込まれそうになる。まさにとつぜんどこかに「連れてかれてく」ような歌集。

  「錆」といふ漢字の「円」のとこが好き まだ子どもだと思つてゐたら
  おたがひの呼び名が決まつてない人とならんで海南(ハイナン)チキンライスを

 旧字や文語の体をのびのびと使って、語り手は自在に詩のうつわを満たしてゆく。その特殊な文体は、わたしたちの目を眩ませるためではなく、より歌そのものと近づくために、書かれた言葉(テキスト)をたぐり寄せているかのよう。破調や視覚効果の散りばめられた言葉のうえを、わたしたちは行ったり来たりする。

  踏み抜いた夢のうちそと ぼくたちはゐるゐるゐないゐないゐるゐない
  死ののちの死しののめのあめののち藍青(らんじやう)の空はつかに見えて
  こころはれる/こころこはれる 雲間からひかりこぼれる空を見てゐる

 そしてこれらは、ぎりぎりの、一種の切実さをともなって語られている。死や喪失を彷彿とさせられる言葉の多いことは、きっと偶然ではなく、語り手がおのれの無意識の領域にまで踏み込んでいるからだろうか。

  節足動物甲殻亜門等脚目大王具足虫の沈黙
  「うし」「うし」と書かれた習字飾られて天満宮は静けさのなか

 書かれた言葉に心惹かれている様子が手に取るようにわかってしまうのも、もしかすると、この語り手の巧妙なかたりによるものかもしれない。

世界の機微を掬い取って
岡本幸緒歌集『ちいさな襟』

書評 井上 法子

ちいさな襟

ふしぎと、読み手の耳(この場合は目、でしょうか)に残る、訥々とした、けれど緻密な語りが印象的な一冊。

  ゆっくりと近づいてくる夏の雲 雨もちしまま遠ざかりゆく
  読書灯ともしてできる手暗がり数行ごとにずらしてゆけり

 話し言葉が書き言葉に変わってゆくような、独特の調べ。敢えて硬質な文体の用いられることで、わたしたちは耳を澄まし、しんとした空間に、繊細な音の広がってゆくような響きを味わうことができる。

  枕元にカバーをかけて置いてある本の名前が思い出せない
  メビウスは深き紺色あのころのマイルドセブンを思い出せない
  何にせよ壊れるときは一瞬でもとのかたちを思い出せない

 歌集内では「思い出せない」というフレーズをしばしば見かける。名前のない、曖昧模糊とした存在と向き合って、「思い出せない」と指示する語り手。その視線は一瞬、伏せるような仕草を思わせながらも、実は世界に対してまっすぐに、誠実に注がれているのがわかる。

  朝顔の成長日記を思い出す要観察の文字を見るとき
  朝顔の几帳面さが日没の十時間後に花を咲かせる
  モノクロの洋画の中のタイピストちいさな襟のブラウスを着る

 決して「思い出せない」ものばかりではなく、現実を見つめながら、「思い出」しながら、細やかな記憶と言葉を辿ってゆく〈私〉。きっとその目がいっそう煌めく瞬間のひとつは、タイトルに採られている「タイピスト」の「襟」をかたるとき。そうして、気づかずに通り過ぎそうな世界の機微を、歌という詩型で掬い取っているのだ。

生命力の受け皿として
大森千里歌集『光るグリッド』

書評 井上 法子

光るグリッド

 これは〈手〉の歌集。一冊を通して、身体のどの部分よりも〈手〉が生き生きとしているのだ。

  ドーナツを十個選びし右の手にトングはひかる翅のごとくに

 まるで〈私〉ではなく、「右の手」がドーナツを選んでいるかのような語り。加えて、けっこうな質量のある「十個」の「ドーナツ」よりも、「翅」のごとくひかるトングのほうに、目と心を奪われている。〈手〉に特別な視点のあることは、この一首からも窺える。

  生ハムを一枚一枚めくっては盛りつけている静かな怒り
  苦瓜をスライスしつつこの夏の碧いひかりを真水にさらす

 そして、とりわけ料理をしている歌に煌めきが宿っている。それはきっと、この〈私〉の腕の見せ所でもあるのだろう。

  生きるためお膳に向かうひとたちが「いただきます」と合わす掌
  掌におさまるほどのお茶碗で白粥すする肺を病むひと

 語り手は、病を患うひとたち一人ひとりを丁寧に掬い、作中の〈手〉は彼らのための食事を拵える。そうして語り手や作中の〈私〉たちの〈手〉は、「「いただきます」と合わす掌」や「お茶碗」を包む〈手〉へと、ゆるやかに、そっと重ねられてゆく。

  やわらかなアボカドのような手触りで老いてゆくのか なまぬるい風
  手のひらは迷路のようで太き線細き線ありひかりに透かす

 生温いということは、冷たくはないということ。語り手は、老いや若さといった「手触り」までをも、わたしたちに差し出している。ここで歌は、まるで生命力の受け皿であるかのように息づいている。

静謐な世界へ
三田村正彦歌集『京都紀行』

書評 名嘉真 恵美子

京都紀行

 作者の第四歌集である。モノに語らせるストイックな文体の扉がなかなか開けがたい感じがしたが、筆者が立ち止まったいくつかの歌から作者の意図なり方法なりに近づけたら幸いだ。

  あけぼのは一人一人のものとして列車の客の顔(かんばせ)に照る

 曙の光が列車の乗客の顔に射した瞬間リアルな現実の世界が一瞬にして異世界の静謐な風景となる。前を向いている乗客の顔だけが光に浮かび上がり窓から見える。その無機的なイメージは突き放したような描写の仕方によるものだろうか。

  リハビリテーションリウマチ科の春の待合のうはさ話のこゑ

 音数律を無視したような一首、どう読むのか。仮に意味で区切ると、「~科の」までは一気に読める。以下はリズムよく「の」で小刻みに切られ最後の「こゑ」が強調される。一首からは情報が普通に考えられる。老人の多くいる病棟。暇を持て余しているだろう一人一人の顔。老人たちの噂話がさざ波のようにたえず囁かれる待合室。しかし、この一首はただ結句の「こゑ」に収斂されていって、他の夾雑物は無きがごとく静かだ。「春」の一語が短歌的情緒を醸し出している。

  消しゴムの屑を小指に払ひつつ昨日(きのふ)が上に今を生きてる

 昨日の作業の跡の消しゴムのカスを払いつつはたっと思い至る人生の真実。何気ない動作から下句の当たり前すぎる生の真実への感慨がリアルなものとして納得される。 

  海底(うなそこ)の大和しばらく幽魂の出入り許して幸福である

 戦艦大和は当時の最高の技術を装備した戦艦であると言われている。その能力に対して、現在の海底に朽ちていく様子を想像する。「許して」「幸福である」には威力というものが鎮まることへの静かな安堵感があるだろうか。同趣に「エメラルド海底深く落つる本踊りねぢれて無韻に戻る」がある。

呪文に満ちて
佐々木佳容子歌集『遠い夏空』

書評 名嘉真 恵美子

遠い夏空

  側溝より水溢れ出し坂道をくねりつつゆく低きを尋ねて

 当たり前の風景に何かを「発見」するという視点を感じた。結句以外は風景である。結句の「尋ねて」がすでに当たり前の事象を見ているということではなくなる。それに幻視という言葉をあてはめてみる。幻視は奇想にもなり、夢想にもなる。

  透きとほつた青色の壜 化粧水の呪文が満ちてゐるやうな青
  満月の朱く膨らみわが後を従き来てささやく「準備はできたか」

 化粧水には多くの女性の願いが込められ、たとえば「きれいになあれ」という呪文に満ち満ちていて美しい青色が禍々しく立ち上がってくるようだという。二首目は、ほんのりと朱に染まる円やかな月が自分の背後で、(おそらくは)死の準備ができたのかを聞いてくるという怖ろしい奇想である。

  焦げ痕が畳にひとつタバコ好きの父の苦笑がそこに残れり
  月のいろ吸ひたる魚を釣りたしと出かけし父ゐき待つ母のゐき

 一首目のくっきりした焦げ跡の現実感が濃い歌に対して、二首目はかつての父母の生活というより、むしろ昔話のお爺さんとお婆さんのように実在感が薄い、単純だが美しい父母の姿のように見える。
 最後に印象に残った作品を。

  不愉快な一日を終へしわたしからひたすら距離をおく飼ひ犬よ

 不愉快な気持ちのまま帰ってきた「私」とそれを遠目でうかがっている飼い犬のしおれた姿がよくわかる。普段の「私」と犬の様子も伝わってくるようだ。先の「焦げ痕が~」の歌とともに現実感の濃い作品が時おり存在感を放つ。

粋の行方
梨地ことこ歌集『鏡ハシル』

書評 田宮 尚樹

鏡ハシル

 自然な文章に、京都の人を思わす奥行きがあり、控えめなサービス精神と、時代をたどった面白さがこころよい。
 中村草田男の晩年の句に「父が遺品の梨地の時計文化の日」があり、「梨地ことこ」の名前に由緒が思われた。
 【夢想一会】には「流派とか関係無しの、ある茶会でね、幾つかの茶碗準備して、『どれでも好きなのを使ってください』って言ったんですけど、誰も使ってくれないんですよ。そしたら、やっと使ってくれた人が『楽さん、これ、あかんわ。熱つうて持てんわ』って(笑)。それは、アフリカの原住民の人たちが使っている盌に形が似ていて、高台がないんです。だから、底が熱くて(笑)」。楽吉右衛門と板東玉三郎の公開対談の話。玉三郎に心遣いする吉右衛門の、「笑い」を取る妙がある。
 【雨ふるも、八坂さん】には、しきたりや暮らしの異なる花街の人も含めた、京に生きる人たちの心配りの原点を思う。
 【愛みつさん】に「寒晴やあはれ舞妓の背の高き 飯島晴子」の句を思い出した。飯島晴子も確か京都の人であった。
 【ことこ 五十句】
  春はあけぼの木肌をなでる藤右衛門
  柏もち女系家族のお父さん
  カマキリの傷痍軍人めく孤独
  柿たわわ安藤忠雄の教会の
  曇る窓ぬぐうバスから冬の街
 これらの句には俳句の立姿がある。「藤右衛門」さんは桜との対話であり、「柏もち」は葉を剥いた餅の白さが女系に通う。「傷痍軍人」は戦後の街とカマキリ固有のぎこちない動き、「安藤忠雄」は無機物と有機物の有縁無縁の合体。「冬の街」は日常の安寧感であろう。感性とプロセスの作品の方が理解し易い。