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青磁社通信第二十九号VOL.292018 年 9 月 発行

巻頭作品
暑しと書く

池田 澄子

戸締りのあとや暑くて暑しと書く

夜の卓の氷の解けた丸い水

千代紙で鶴など折るな夏は暑い

戦没者忌たっぷり花に水を吸わせ

桔梗の絵燃やす桔梗の香と思う

名残惜しや送り火の灰うつくしや

草葉の露こころの露と合体す

エッセイ
小説の翻訳が楽しくない理由

金原 瑞人

 翻訳を始めて三十年以上になる。図書館の講演後の質問などで「翻訳をしていて、何が楽しいですか」とたずねられることがよくある。ここで人生の半分を翻訳して過ごしてきた経験をにじませた、かっこいい言葉が出てくればいいのだが、根が正直なもので、つい「翻訳って楽しくないですよ」と答えてしまう。
 原書を次々に読んでいって、「これ!」という本を見つけだし、要約をまとめて編集者に送りつけ、編集者から「おもしろそうですね!」という返事がきて、話がまとまり、出版の運びとなる……ここまでは楽しい。じつに楽しい。しかし、そのあとに待っているのは翻訳という、案外と退屈で、しんどくて、根暗な作業なのだ。
 早い話、「ちらりと自分の体を見て、清潔な服を着ていることに気づいた。どこにも血がついていないし、穴が開いたりもしていない。だれがわたしの体を洗って、着替えさせてくれたんだろう? ひょっとして、それもウォーナー?」とか訳していても、おもしろくはない。散文的だなあと思う。もちろん、訳しているのは小説、つまり散文なのだから、散文的なのはあたりまえなのだが、おもしろい文章ではない。サマセット・モームなどを訳していると、たまに、じつに皮肉のきいた嫌みたっぷりの文や文章に出会って、うれしくなることがあるが、それも、たまに、であって、全文がそんなふうに書かれているわけではない。散文、小説というものは、だれでも書けそうな文章で書かれていて、緊張感はあまりない。べたっとした文章、それが小説の信条なのだから。
 小説の歴史は短い。英語で小説はnovel。この言葉は、もともとは「新しい、新奇な」という意味だ。イギリスでは十八世紀に誕生した。じゃあ、それまでの文学はどんなものだったかというと、詩と演劇だ。だから、詩人や劇作家は、「小説」などという当世風の読み物が流行りだしたとき、眉をひそめて、「こんな文章、子どもにだって書けるじゃん! だっせー!」と(おそらく詩的に、あるいは劇的に)つぶやいただろうと思う。
 つまり、小説の文章そのものにはたいした緊張感はないのだ。小説の緊張感は、その文章が映し出す、情景や人物が編み上げる状況や物語にある。もちろん、戯曲や叙事詩で描かれる状況や物語もスリリングなものが多いが、こちらの場合、科白や文章も研ぎすまされてなくてはならない。断念と決意の言葉にしても、「昨日という日はすべて人間が塵と化す/死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、/つかの間の燈火! 人生は歩きまわる影法師、/あわれな役者だ」(『マクベス』小田島雄志訳)という調子で語る。ところが、これを現代小説のクライマックスで主人公が語ると、コメディにしかならない。リアルではないからだ。
 小説の言葉は、べたべたに(つまり平易に)、くどいくらい細かく(つまり的確に)、空間や時間、そして人間をリアルに描写する。なぜヨーロッパで十七世紀、十八世紀にそういうジャンルの読み物が登場したかというと、印刷技術と製紙技術が飛躍的に発達して、印刷物が安価に作れるようになったからだ。そこから(それまで印刷物など読むことのなかった)中産階級むけの読みやすい新聞や雑誌が発行されるようになり、それが小説というジャンルを産む。それまでは貴重で高価だった本が、読み捨てOKの時代がやってきたわけだ。そういう時代的背景を負って誕生したこの小説というジャンルは、それまでと違って、紙や印刷に遠慮することなく、いくらでも文章を書けるようになった。一方、読者にとっての読み物は、じっくり味わい、朗読し、好きなところを暗唱するようなものではなく、目で読み飛ばすものになった。
 なので、小説は訳すのがおもしろくないのだと思う。
 なら、詩を訳すのがおもしろいかといわれれば、おもしろい!……けど、難しい。いままでに一冊『あの犬が好き』(シャロン・クリーチ作)という詩の本を訳したことがある。散文詩の形で書かれている本文を訳すのも大変だったが、文中に引用される、ウィリアム・ブレイクやロバート・フローストの詩も、難しかった。
 そしていま、i see the rhythmという黒人音楽の数百年間を扱った絵本を翻訳している。黒人霊歌から、ジャズ、ブルース、R&B、ロック、ファンク、そして現代へ、という流れをじつにリズミカルな詩と、大胆な絵で描いている。この詩の翻訳が難しい。たとえば、最後の見開きはヒップホップなのだが、そこにこんな一文がある。
Don't-push-me-cause-I'm -close-to-the-edge!
 そもそも、こんな簡単な英語が日本語にならない。しかたなく、そのまま「押さないでくれ、おれはいま、崖っぷち!」と訳したところ、監修のピーター・バラカンさんからチェックが入ってもどってきた。そして相談して決まった訳がこれ。
「お す な お れ は キレ そ う な ん だ!」

効果的な比喩
志垣澄幸歌集『黄金の蕨』

書評 宮本 永子

黄金の蕨

 『日月集』に続く第十三歌集である。巻末近くの「高粱飯」に「志こそをうたはな菊の花垣になだれて朝雨のなか」がある。歌集に込められた作者の志が溢れている一冊である。

もうこの世の域をはるかに越えながら空の深みをひとつらの鳥
この星の地表を宇宙(そら)より撮りてゐる画面のはしに揺るる糸屑

 冒頭の二首である。鳥の名を定めぬことによって、悠悠たる宇宙の感じが深まった。二首目は、仰角=仰ぎ、俯角=俯く、として視線を対照させている。糸でなく糸屑で現実感が増した。

原発を作らざりし串間の碧き海野生の馬が崖よりのぞく
もう長く平和のつづきゐる日本いまが戦前といふこともある
戦争がそこまできてゐるやうな夜 花の祭をみて帰りきぬ

 作者は平穏な日々をいたわりつつ、戦争という過去の不幸な体験を語り継ぐ。一首目は風景の美しさだけではなく「生」の環境の大切さを無言に語る。碧い海を覗く野生の馬が環境のあるべき姿を象徴しているのだ。二首目。戦後の次は常に戦前というのは、言葉の綾ではない。同工異曲に「思ひがけずまき込まれゆくこともある戦争前夜のごとき星空」がある。三首目。渡辺白泉の、〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉を思い起こす。俳句も怖いが、この歌は花の祭と対比させて尚更だ。

九条を守れとふ長きデモの列冗漫な文のごとき後尾は
落したるペットボトルを拾ふとき怒れるやうに気泡がのぼる

 二首とも直喩だが、一首目は二重構造だ。長いデモの列の後尾は冗漫な文章のようだという、作者の鋭い見方が窺われる。二首目、作者の内面で炸裂している強い怒りを擬人化した一首。

スケーターの動く軌跡に似て描く鉛筆をはじめて握りし幼女
初任校のわれの名刺が出でてきつ亡き母の日記めくりてをれば
スクリューの音のひびける船底に三晩寝ねたり家族寄りあひて

 家族の歌などをあげた。幼女の歌の他にも目働きの佳い歌は多いが、この歌は特別だ。一首目。「はじめて」は何でも新鮮な驚きが、素直に感じられる。スケーターの軌跡に、女の児の生き生きとした感じがよく出ている。二首目。教師だった作者の初任校の名刺に偶然に出会った驚きが、素直に感じられる。三首目は引き揚げの情景。家族は励まし合って耐えたのだ。
 長く詠み続けてきた作者ならではの視点が、随所に感じられる一冊である。

香気をはなつ一冊
尾崎左永子評論集『「明星」初期事情晶子と鉄幹』

書評 林 和清

「明星」初期事情晶子と鉄幹

 青磁社評論シリーズの第三弾として出された尾崎左永子氏の最新評論集である。最新とは言っても、「明星」と与謝野晶子について書かれた旧稿をまとめたものだが、九十歳を目前にした尾崎氏の仕事の価値を再認識するためにも貴重な一冊である。
膨大な量と質をほこる晶子研究において、現在では常識になっていることも、探索された道筋として読者が知ることは大切である。とくに昨今、更新されたとたんに過去の履歴が消されてしまうことが多い中、過程をとどめておく意義は大きい。
 初期「明星」において表紙のビジュアルがあたらしい時代のシンボルとなっていたが、一条成美による表紙絵が、アルフォンス・ミュシャの模写であったことを発見し指摘したのが、当の尾崎氏であったことは一部ではよく知られている。それを発見したときの驚愕、興奮が一冊の中で、生々しく語られている。
 現在では、晶子の故郷・堺にミュシャのコレクションを展示したその名も「堺アルフォンス・ミュシャ館」があり、ミュシャデザインによるサラ・ベルナールの衣装や宝飾品をはじめ、めくるめく美の世界が常時観覧できるようになっており、堺と晶子とミュシャは切っても切れない関係のようにとらえられている。しかし、最初に発見されたときはひとつの事件のごとくであっただろう、と思われる。
 また、「鳳志よう」というひとりの女性が、与謝野晶子となるまでの筆名の変遷も綿密に検証されていて興味深い。これも旧知のように『みだれ髪』は鳳晶子の名前で出された唯一の著作であるが、それすら当初は「おおとりあきこ」か「ほうあきこ」、「おおとりしょうこ」「ほうしょうし」か、読者によって読み方がちがっていたらしい。そして与謝野晶子となることによって、ゆるぎない地位を築く。これは生身の女性が、最大の理解者であり、プロデューサーである男性と出会って結ばれ、大歌人となる過程の象徴的なプロセスをしめしているのだ。
 最後に収められている鼎談「素顔の与謝野晶子」も貴重なもの。晶子に直接授業をうけた金窪キミ氏や堀口大學の娘・すみれ子氏の証言は刮目される。わたしたちが目にする晶子の写真は、受け口で顎のいかつい印象がある。その生き方のたくましさと相まって、強い女のイメージを抱く人が多い。しかし、実際の晶子はぬげそうにゆるゆると着物を着て、かぼそい声で話す、そしてすいこまれそうな瞳をした魅力的な色白の女性だったという話。これもまた貴重な証言である。
 尾崎氏がライフワークとして追ってきた『源氏物語』や晶子をはじめ近代の女性歌人たち。どれもみなみやびなる香気をはなつものである。尾崎氏自身のもつ独特の香気と合わせて、若い世代にもおおいに興味をもってもらいたい。そのための格好の一冊となるにちがいない。

陽のそそぐ日々
前田康子歌集『窓の匂い』

書評 水上 芙季

窓の匂い

 二〇一二年から二〇一六年までの四四一首を収めた、作者の第五歌集である。集中、家族を詠んだ歌が多く中でも息子、娘の歌が群を抜いている。

俎板に刻む人参牛蒡葱どんな日暮れも子らをおもいて
夏の花の名前を持ちし恋人へ最後の手紙書いており子は
今日塾は休みといいてキムチ漬け気のすむまでを食べる娘は

 一首目、日暮れに子を思う母親像から、作者の愛情が伝わる。二首目、最後の手紙を書く子と、その恋人の〈夏の花の名前〉が詩的で想像を掻き立てる。三首目、娘の少々豪快なところを描くが、塾がある日は匂いを気にする乙女なのだ。二人とも思春期であるのに作者との距離が近いことがわかる。恋や将来について母親に話す子どもたち、それが健やかで心地よい。

楽器ならどんな音色がするでしょうひゅうがみずきに風が触れたり
いつ来ても遠くを見てるひまわりが振り向きそうな今日の夕風

 〈どんな音色がするでしょう〉という言い回しや、〈振り向きそうな〉という擬人化から、植物に向ける優しいまなざしを感じる。作者にとって植物は近しい存在であるのだろう。
 また、穏やかな中にも独特な感覚の表現にいくつも出会う。

地に立てば踵めり込む感じしてはるかみごもりいし夏の日よ
雀らの羽音につづき紋白もくす玉割れしごとく出で来る
パーティの人らざわめく後ろ側薪のように割り箸捨てらる

 一首目の〈踵めり込む感じ〉という身体感覚、二首目の紋白蝶がたくさん出てきたことを〈くす玉割れし〉という比喩表現、三首目の華やかな部分の後ろ側を詠むところなど的確で面白い。

にこやかに手渡されている街角で尿漏れパッドの試供品ひとつ
この世から200グラムの我が消え体重グラフなだらかなりし

 自分自身を詠んだ歌は少ないが、その歌は、事実が淡々と詠まれ、自分のことなのにどこか他人のようだ。一首目、〈尿漏れパッド〉という意外なものを渡され戸惑っている気持ちを反映した歌である。二首目の〈我が消え〉からは体重管理している何気ない歌であるが、自己愛が見える。
 集中の歌は真っ向から詠わず、ずらして物事を捉えなおす技が光る。自分で自分はよくわからない、周りの人を詠むことでおのずと自分も出てくる、という余裕のある細やかさを感じる。

窓を開け窓をまた閉め夫も子も知らぬ私の一日終わる

体温が伝わる本
三枝昂之
伊藤一彦
和嶋勝利歌集『シリーズ牧水賞の歌人たちvol.8三枝昂之』

書評 江副 壬曳子

シリーズ牧水賞の歌人たちvol.8三枝昂之

 本書は三枝昂之という一人の歌人を多角的な視野から丸ごと楽しめる何とも魅力的な、さらにファンにとってはたまらない一冊である。
 表紙の写真も含めて、特に幼少時からのアルバムはいい。人生の折々が一目瞭然に理解できる。多くの写真の中で、大学時代のアパートの部屋で、夕食前に小さな炬燵の前に立って腕組みしている写真が妙に気に入っている。現在と変わらぬ純情で茶目っけのある可愛い青年の風情である。また、編集者の和嶋勝利ならではの、聞きにくい質問に対しての構えない正直な答えも楽しめる。伊藤一彦や関川夏央との対談や、飯田龍太、今野寿美との鼎談、特別寄稿のエッセイ、また折々の三枝昂之を語る幅広い交友録とも言えるエッセイ等々に、人柄と業績が凝縮されている贅沢な企画である。
 〇歳から七十歳までの自筆の年譜の、特に五十歳頃からの精力的な仕事ぶりには瞠目する。姓名判断にいう総画二十三の頭領運で、「一介より身を起こして上長と仰がれ恰も凱旋の将の如くに大志大業を成就す。平素聊か進み過ぐる嫌いあるも感情鋭く壮麗の状あり。最も貴重の運命とす」の現れである。
 四年前のことであるが、日本歌人クラブの全九州短歌大会を佐賀県で開催した時のこと。私の住む九州の佐賀県は「葉隠」の精神が今も息づき、容易く徒党を組まない県民性であり、懸念されたが「三枝昂之会長来たる!」の下に見事な一致団結を見た。遠くまで出かけることは困難であるローカルの高齢者の多くにとって著名な歌人の謦咳に触れ得るまたとない機会だった。この大会の間、誰とも親しく接して、どんな願いにも応じてくれる心の広さと男気に、三枝ファンが一気に増えて、日本歌人クラブの佐賀県の会員数は九州で唯一の右肩上がり。
 代表歌三三三首には好きな作品が数多くあるが、繊細な硬質の抒情と、手の込んだ技巧のない整然とした惜辞による、明快な表白の清清しさに籠る静かな意志に惹かれる。

一合の酒に心をあたためる日暮れはしばし漂泊をする  『天目』
目の届くかぎり桜の花ざかりなんと孤独な私であろう
中庸という苦しみを選びたる男あり庭にねじ花が咲く  『世界をのぞむ家』
露の世のこころともかく言葉にす一月三日わが生れし日に
蕗の薹ゆうべの膳にそえられて孤高の人にはやはりなれない  『それぞれの桜』
 聖のような孤高の人になって貰っては困る。他人の心の痛みがわかる豊かな人間性に、多くの弱者は、これからを生きる不安な心を静かに寄せているのだから…。頁を繰る指先からじわりと三枝昂之の体温が伝わってくる貴重な一冊である。

知の視線
永田和宏歌集『永田和宏作品集Ⅰ』

書評 大井 学

永田和宏作品集Ⅰ

 一九七五年出版の『メビウスの地平』から、二〇〇九年の『日和』まで、永田和宏の歌集十一冊分を収載する。永田には、既に『夏・二〇一〇』、『午後の庭』という歌集があるから、今後作品集Ⅱ以降が順次、出されていくことになるのだろう。
 巻末に付された年譜は、短歌史的な視点からも非常に重要なものだ。歌人としての足取りだけでなく、研究上の記事も加えられていることで、将来、永田の歌を学術的な業績とともに解釈する際の基礎資料として用いることができる。なかんずく、永田の動静とともに書かれている歌壇的な状況も、歌人同士の交流の記録として貴重なものだ。作品集Ⅱ、Ⅲと続く限り、この年譜が追加されていくことを期待する。
 初期作品から二〇〇七年頃までの作品が、こうして一冊にまとめられたことで、改めて創作の軌跡が見える。永田についての論は、今までにも多く書かれ、また今後、詳細な研究がなされていくだろうが、通読して感じられるのは永田の眼を通して描かれる世界の一貫性である。もちろん、歌集ごとに表現上の変化があり、それによって見えてくる世界が少しずつ異なることは明瞭だ。けれど、それらの変化にも揺るがない認識の原型のようなものが、作品の背後に見えてくるように思われる。

見下ろすは見上ぐるよりもさびしくて空中茶房の夕日に対す  『無限軌道』
真上より人を見下ろすさびしさの、鳥にあるいは神にはいかに  『やぐるま』
高千穂の深き峡より見上げればはるかなり架橋を汽車渡りゆく  『百万遍界隈』
おたまじゃくし長く見ていて立ち上がる?陀多を見ていたような疲れに  同書

 人の視線は、その方向によって既に意味が規定される。見下ろすことと、見上げることとは、物理的には上下の方向の違いだけである。けれど言葉の、すなわち文化の蓄積はそこに一定の価値判断を含む。引用一首目、下句にはいくつかの解釈が可能だろうが、喫茶店のバルコニーのような、夕日がやや下に見える場所がイメージできる。普段は見上げるものを見下ろした時に現れるのは、「人」の視線ではなく神の視線である。俯瞰の位置に立つ〈われ〉は、日常の視点を離れて、〈われ〉ならざるものとなる。二首目を見ればそれは明瞭だろう。神または鳥の視点となった時、ひとである〈われ〉に兆すかなしみは、何であるのか。神や鳥もそれを感じているのだろうか。その問いに〈われ〉は軽々に答えを出しはしない。あるいは三首目のように詩的に昇華された世界が答えではないのか。高千穂は日本における神話的原郷であり、その深い峡とは日本の歴史の古層である。そこから見上げられるのは、近代文明が築き上げた鉄橋であり、その上を進みゆく汽車である。この高さ=深さを意識する位置に〈われ〉は在る。四首目も同様だろう。蝌蚪を見下ろす位置にいた〈われ〉は立ち上がる。?陀多を見ていた釈迦の疲れを身に感じつつ。生存本能という業を蝌蚪の可愛くふくらんだ頬に見ながら。

スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学  『黄金分割』
地磁気はつかな電流となり流れいん秋の宙航(ゆ)く候鳥のうち  『華氏』

 この二首も、先の四首と同様、視線の先にある空を見上げながら、その背後にある知の世界から現実の世界を見下ろしている。古典物理学に修正が加えられることで、現在の宇宙論はある。〈われ〉はそれを俯瞰できる歴史的位置にありながら、けれどかつて古典力学が構想された空の下で、その美しさを見上げている。渡り鳥はなぜ迷わずに渡ることができるのか、未だ謎ではあるが、鳥が地磁気を感じとり、それによって空間を認識しているから、という説がある。二首目はその仮説をもとに歌われているのだろう。見上げつつも俯瞰する〈われ〉の視線は、こうした歌にも一貫して生きている。

水族館(アカリウム) 水に映れるわが前をはるかなる〈時〉へよぎる洄游魚  『黄金分割』
波動論こそ親しけれ壜あまた並べる窓の晩夏の光  『無限軌道』
距離を測るに時間をもって為すことの視線やさしく潤(うる)める昴(すばる)  同書
一個ずつ光子数うる機器統べて漏らさば神の溜息のごとき  『やぐるま』

 〈われ〉にとって光と時は知によって変換可能であり、同時に知の境界を更新する力を励起するものだ。円環しつつ戻らない魚の洄游は、概念的な〈時〉へと回収されるが、葛原妙子の「晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて」への返歌として結実する。波動・粒子いずれの性格をも持つ光は、空間を把握する単位にもなる。波動として解された晩夏光も、粒子であれば数え得る。フォトン・カウンティングという計測法は現在の人知の限界と、溜息をつく神との間にある。

わが見つけわが名付けたる遺伝子をもてるマウスを手の窪に載す  『饗庭』
今年われらが見つけし三つの遺伝子に乾杯をして納会とする  『百万遍界隈』
我がみつけたる遺伝子七つわれの名ときりはなされて残りゆくべし 『後の日々』

 最近では「ヒート・ショック・プロテイン」という言葉をテレビでも聞くようになった。その一つHsp47は永田が一九八六年に発見したという。永田の歌にあって窪・凹は時間や心が滞留するやさしさに満ちた場だ。そこに載るマウスがいかに慈しまれていることかは、通読すれば自ずと理解できよう。
 作品集がⅠを端緒として増えていくように、遺伝子の発見が続くだろうこともまた、永田の作品であるに違いないのだ。

観察と詩情
山口昭男句集『木簡(2刷)』

書評 西村 麒麟

木簡(2刷)

 俳句は十七文字だけで読者にあらゆる景色を見せなければならない。山や海を、昆虫や植物、様々な四季の行事、そして人間を。目の前にないものを読者に見えるようにする、そのためには「写生」という術が有効である。今さら説明する必要も無いが、山口昭男氏は写生の大切さを力説した波多野爽波の「青」でしっかりとその写生術を学んだ人だ。『木簡』は写生の意義、詩情とは何かを再確認するためのよき教科書となることだろう。

薄氷の表の方が暗かりき
とんばうの顔とんばうの脚の上
大根に大根の葉のはりつきぬ

 ものをよく観察し、そのまま書き写せば良い、というのは俳人がよく陥る間違いだ。観るだけではもちろん駄目で、対象から新鮮な発見を掴み取って来なければ意味が無い。上記の三句、どれも読者が自分の目で見てきたかのように景が見えてくる。これが写生の術だ。

むづかしきことをしてをり金亀子
風鈴のよぢれて秋の暑さかな
裏返へりては春の水らしくなり

 俳句とは不思議なもので、感情を直接的に書かない方が伝わる部分が大きい、もどかしいが我慢が大切な文芸である。我慢がうまく成功した時、作者の感情は自然と滲み出てくる。山口氏はそのことをよく知っている人だ。春の水の句から喜びを感じとらない読者はいないだろう。
 山口氏の希望で十句提出の句会を複数回行った記憶がある。多作多捨のための根性の要る句会である。疲れ果て、頭の中が空になった時にだけ、理屈を越えた句がぽろりと生まれることがある。俳句の神様のご褒美かもしれない。山口氏はそうした句の価値をよく知っているので、頭を徹底的に疲れさせる激しい句会を好む。

鶏頭の欠伸の如く咲いてをり
水鳥のうしろ姿のあたらしく
山眠るパンに少しの干しぶだう

 田中裕明の「ゆう」にも所属していた山口氏は、裕明俳句の説明がつかない、魅力的な詩情を受け継いでいる。
 山口昭男氏の俳句の魅力は、写生と詩情を巧みに操ることが出来ることではないか。

鳥の目のぼんやりとある深雪かな
狐火を見る赤い服青い服

 我々の不幸は爽波の新作も裕明の新作も読めないことだ。しかしながら我々は山口昭男氏の『木簡』を読む事が出来る、嬉しいことだ。

木簡の青といふ文字夏来る

昭和短歌史の牽引者
石川輝子・
鈴木ひとみ編歌集『石川信雄著作集』

書評 森井 マスミ

石川信雄著作集

 一九三〇年代から六〇年代に書かれた石川信雄の作家論、歌論、随想、掌篇小説等を集めた本書は、歌集『シネマ』で知られる異才の全貌を明らかにする初の書であり、新芸術派短歌がいかに前衛短歌の先駆となったかを信雄自身の言葉で辿ることのできる、昭和短歌史にとっても貴重な一冊である。
 二十一歳の時「香蘭」誌上の筏井嘉一の作品に衝撃を受けた信雄は、彼の「推挽」によって幸運な歌壇デビューを果たす。一九三〇年その嘉一に蒲池侃、鈴木杏村を加え「エスプリ」を創刊。当時蔓延しつつあった左翼短歌、自由律短歌に対して「形式論内容論の両方からやつつけ、本当の意味での新時代の歌とはどんなものか作品で見てもらはうと言ふ意気込」をもって刊行された「エスプリ」は、「末期アララギ流歌風をも排撃しようとしたネオ・ロマンチック運動の色彩をも帯びて」多くの賛同者を得る。東京では「同誌の外廓団体として「新芸術派歌人クラブ」」が結成されるが、その錚々たる顔ぶれ(「心の花」の前川佐美雄、齋藤史、「橄欖」の小笠原文夫、「香蘭」の木俣修、神山裕一)を見れば、当時の熱気が伝わってくる。
 筏井の脱退によって「エスプリ」は終刊するが、続いて「相棒」と呼ぶ前川佐美雄とは、十数年にわたって「短歌作品」「カメレオン」「日本歌人」等の雑誌を発行。佐美雄に対する信雄の信頼は厚く、「佐美雄論などといふものは、同時に信雄論のやうなものだから、心の深い秘密を打開ける時のやうなおつくうさもあり、解きわけにくい心の姿を不完全に外に持ち出してしまふことへの恐怖があつたことも否めない」と語っているのも面白い。
 また「短歌作品」の発行資金を得るために開催された「夏のヴァラエティ」(昭和六年、於朝日講堂。内容は講演と劇と映画)で、講演予定のサトー・ハチローが姿を見せず、佐美雄が聴衆であった尾山篤二郎を急遽演壇にひっぱりあげたというエピソードなどを読むことができるのも本書の魅力の一つである。
 ヴァレリイやコクトオを視野に定型詩を論じる信雄の短歌論は、和歌から短歌への歴史を的確に通観し、かつ未来へのビジョンも明確である。「今日の歌壇に於ける革新運動は、奇妙なシチエエシヨンに立たされる。歌そのものが古いものである所へ持つて来て、大正初期以来島木赤彦とその一統が復古主義をジヤンジヤン流行らせて来たのだから」、「革新するにはハイカラにするより仕方がないのだ」「新浪漫運動といふものを考へた時、僕は我々の作品を、その現代派的昏迷と非現実性から、単純な力強い生活感情に根ざした抒情主義の方へ引き向けたいとねがつた」など。
 逆説的に真理をついた茂吉論、啄木論、吉井勇論なども読みどころである。

憑依して地獄を詠む
長谷川櫂歌集『震災歌集 震災句集』

書評 橋本 小たか

震災歌集 震災句集

 長谷川櫂。誤解の多い人に違いない。
 先人である大岡信もまた誤解の多い人だった。「大岡信ことば館便り」第10号、丸谷才一と三浦雅士の対談によれば、大岡信の詩の特徴は「幸福感を歌う」ことであり、「薄汚い感じ、汚れた感じがないと、実感がない」詩壇に受け付けられず、「大岡信のそういう大らかさは一般の詩壇では大岡信は能天気だということになる」。しかし、「能天気だから晴朗な詩を書いているわけではない。逆です。ほんとうは陰陰滅滅の塊みたいと思ったほうがいい」。
 まこと長谷川櫂にも当てはまる評であって、長谷川櫂はまるで帝王や古代の天皇のような「能天気」な詠みぶり、自分を何様だと思っているのか、という調子で語られる。
 例えば、「バーミヤン大仏破壊を嘆く人に」と前書のある

億万の春塵となり大仏

に対して、人は、なんと他人事な、なんと能天気な、と思う。ここに誤解なり、齟齬がある。強靭な知性とマッチョな風貌が重なり合って、俳句界においてわけても自の強い人という印象が強い長谷川櫂だが、そうか。「葉先より指に梳きとる螢かな」を評して『新 折々のうた』で大岡信はいう。「普通俳人は、何らかの気分を言おうとして対象を丹念に描写しようとするものだろうが、この俳人の手続きは違う。対象を前にして、自分の気分を中心に動くのではなく、逆に虚心になろうと努める」。
 また『俳句の宇宙』の解説において三浦雅士は「言語の本質は憑依にある、あるいは立場を自在に転換しうることが言語の本質」として、「荒海や佐渡によこたふ天河」に対して、芭蕉は「天河」を擬人化したのではなく、自身が「天河」に憑依しているのだと説き、暗に長谷川櫂の技法を明らかにした。
 一般的な印象と異なり、長谷川櫂の作句手法の急所は私意を混ぜず、憑依することにある。バーミヤン大仏においては、大仏の身になれば爆破されて宇宙の塵となってみるのもいいじゃないかという実感的憑依が「億万の春塵となり大仏」という句になった。眺めたのではなく、憑依したのだ。

花屋も葬儀屋も寺も流されてしまひぬと生き残りたる一人の男
酒飲みて眠りてあした目が覚めて夢だつたかといへたらよきに

 これらの短歌は長谷川櫂がテレビの映像に憑依することにより、なった。発表当時の物議をよそに、今読んでかなり正確にテレビの前にいた我々の姿を代弁しているだろう。
 『震災歌集 震災句集』は「能天気」で「晴朗」な長谷川櫂が、「生きながら地獄をみたる年の逝く」というように、地獄に憑依して描いた一冊。句集より圧倒的に歌集が優れている。

清新なアララギ像
大辻隆弘講演集『子規から相良宏まで』

書評 楠 誓英

子規から相良宏まで

 二〇一〇年から二〇一五年までの講演を基にした著者初の講演集である。したがって、著者の情熱や息遣いまで伝わる。内容は、これまで論じられてこなかった「アララギ」の一隅に焦点を当てており、革新的である。
 まず、興味深かったのは、「浅野梨郷と初期アララギ」である。浅野梨郷(一八八九~一九七九)は、名古屋出身の歌人で、純情でロマンチックな歌を詠み、伊藤左千夫に高く評価される。
 しかし、大辻の記す左千夫の梨郷の添削歌があまりにひどい。大辻は、「当時二十二歳の若者であった梨郷の感覚と、江戸時代生まれの当時四十七歳になっている伊藤左千夫の感覚の違いです。(中略)左千夫の歌と感覚は古かったと言わざるを得ません。」と述べている。このような、世代間による感覚の断絶は、現代の歌壇でも問題になっており、興味深い。
 梨郷は左千夫へ敬意を持ちながら、左千夫と斎藤茂吉ら若手歌人との対立に巻き込まれ、「アララギ」を去ってしまう。その要因を大辻は梨郷の就職に求めていることもリアルである。
 「高安国世から見た近藤芳美」は感慨深い。高安の近藤に対する羨望と劣等感とが書簡や歌を通して如実に書かれている。近藤は、歌に社会性を求めており、主題制作と言って良いだろう。これに対して、高安は近藤に強く惹かれながらも、後に前衛短歌を取り入れるなど、表現主義に傾く。これは、「未来」と「塔」の特徴となっていく。「未来」は岡井隆によって、表現主義に傾くが、「未来」の中にも近藤の弟子も存在する。現在の「未来」と「塔」を考えながら読むと、味わい深い。
 圧倒されたのは、「相良宏――透明感の背後」である。岡井隆から送られた相良の遺品をもとに、新たな相良宏像を構築している。相良宏(一九二五~一九五五)は、東京生まれの歌人であるが、今回大辻によって父方の祖父は海軍の高官であったことが判明した。相良は、肺結核と周囲の思惑によって、受験に失敗してしまう。名家出身と病という現実との落差がどれほど彼に劣等感や絶望感を与えたのであろうか。
 今回の収穫は、歌日記から、院内の様々な女性に恋心を抱き、歌を詠んでいたことだ。また、福田節子への相聞歌にも新資料が提示されており、そこには劣等感や嫉妬が表出していた。これまでの相良宏像が揺さぶられた。
 相良は、手痛い失恋の後、透明感のある歌を次々と発表していく。その歌は、抽象的で美的感覚に溢れている。大辻は、「相良は短歌といういわば「整流器」を使って、その混沌を清らかに澄んだものに変えてゆく。」と述べている。
 一冊を通読して、「アララギは写実主義」というイメージを覆された。特に、近藤や高安の問題意識、相良の歌は、評価すべきである。「アララギ」は常に柔軟で革新的な結社であったのだ。最後に、相良の歌を取り上げ、稿を閉じたい。

無花果の空はるばると濁るはて貧しく灯る街もあるべし

人間への絶望と祈り
岩井謙一歌集『ノアの時代』

書評 生沼 義朗

ノアの時代

核による滅びを書きし『渚にて』未来のどこかに置かれてあらん
十年後なにが起こるか知らねども貧は溺れて貧は渇けり
なにもかも知っている空に尋ねれば間違い知らぬゆえに間違う

 『渚にて』はグレゴリー・ペック主演で映画化もされたネビル・シュートの小説で、核による放射能汚染で人類が滅亡するまでを描いている。岩井謙一はあとがきで旧約聖書のノアの方舟の話を引いた上で、「私は長らく人類が滅びるとしたら核戦争であろうと思ってきた。しかし今は気候変動によってそれは起こると考えるようになった。その時もう一度箱舟が造られたとしたら、すべての種を乗せたのち、地球を支配してきた人類はノアと同じく箱舟に乗るのであろうか。それとも別の選択をするのだろうか」と問う。ここに端的に現れる通り、自然をスケール大きな視点で描きながら、自然への畏れと危機感が一首の核に据えられている歌が多い。

明日などという重きもの思わずに羽をつくろうセキセイインコ
乾ききり命のあらぬ土なればほかの名探せどやはり土なり

 身の回りの事物に自分の心情や思念を託すのは言わば短歌の王道だが、岩井はその対象が動植物や鉱石などの自然であることが眼を惹く。特に、飼っていたセキセイインコを題材にした歌が多いのもこの歌集の特徴だ。そうした身近な自然を通して人智を超えるさまざまな事象を見つめることで、そこに自然の理を見出そうとしているかのようである。

春来たと思えば春なりまだ来ぬと思えばいまだ遠き春なり
ノア見たる海のみの世界こんどこそノアすらおらずはばたけよ鳥

 人間社会や科学技術への疑義も濃厚に漂う。一首目は悲観的というよりはむしろ楽観視などできるわけがない、という方が正確だろう。静かな諦観と怒りが滲んでいる力作だ。二首目は、言葉と意識の相関関係のみならず、急激な環境の変化になかなか順応できない人間の暮らしぶりを簡潔に描いている。

弁当のふたゆっくりと開ける日のなんとなく来てなんとなく過ぐ
美しきカレン・カーペンターの声聞きてやがて消えたりまた再生す

 仕事の歌は数として多いわけではない。むしろ意識的に第三者を描かないようにしている気さえする。だが掲出歌には、いきいきとした人間の営みが刻まれている。人間に絶望しながら、人間の行く末を祈り、人間を愛してやまない人物の姿が浮かぶ。読者はその人物と歌集を通して相対する。

接近して把握する
宮澤明壽句集『そらまめ』

書評 堀田 季何

そらまめ

 「炎環」「雁坂」等に学んだ作者の、平成二年から同二十八年までの句を収めた初句集。

そら豆や黙認の眼となりゐたり
てにをはのない子のはなし豆の花
身に骨の戻りつつあり昼寝醒
冴返る夜の耳殊に大きかり

 明壽俳句の一つの特徴は身体認識ではなかろうか。「そら豆」を食べながら対峙する相手の眼差しを「黙認の眼」と把握した感性は鋭い。「てにをは」では聴覚的認識がある。「豆の花」という取合せも好い。自身が対象の場合は、肉体そのものの感覚が詠まれ、昼寝から醒める状態を「身に骨の戻りつつあり」と表現したのは手柄である。「冴返る」の句は、他者の耳の大きさの微小な違いを視覚的に見出したという解釈も成立するが、作者が自身の耳に触れて普段との微小な違いを触覚的に感じたという解釈の方が、対象物との距離が近くて一層素敵だ。

囀りにふくらみ切つてゐる一樹
胡桃の実なに考へてゐるのやら
綿虫の綿の重たくなりてきし
白鳥のいま白をもて闘へる

 人間以外の対象物に接近して把握する姿勢も特徴である。「囀り」の鳥たちが止まっている「一樹」は「ふくらみ切つてゐ」る。「胡桃の実」の句は「襞のふかみで考へてゐる夜の胡桃」(能村登四郎)の本歌取りのようであるが、明壽句は考えが読めないけど読みたいところに焦点が当たっていて、登四郎句よりも対象物に近づいている。さらに、「綿虫」の句や「白鳥」の句では、対象物に接近するあまり、自他の区別さえも消えている。作者は、宮澤明壽という人間であり、綿虫であり、白鳥でもあるのだ。特に後者は本句集最高の句だと思う。

時代の危機の中で
三枝昂之編
吉川宏志編歌集『時代の危機と向き合う短歌』

書評 屋良 健一郎

時代の危機と向き合う短歌

 本書は、二〇一五年九月に京都、十二月に東京で行われたシンポジウムの記録集である。この年に大きな議論となっていた安保法制に吉川宏志が危機感を抱き、短歌に何ができるかを考えたいと歌人たちに呼びかけたことで開催されたそうだ。
 「時代の危機に抵抗する短歌」(京都)での吉川と松村正直の挨拶、三枝昂之の講演、中津昌子・澤村斉美・黒瀬珂瀾の鼎談、「時代の危機と向き合う短歌」(東京)での三枝の挨拶、佐佐木幸綱の言葉、永田和宏の講演と今野寿美のトーク、吉川を司会とする染野太朗・田村元・三原由起子によるパネルディスカッションの様子が収録されている。
 「時代の危機」に対して短歌に何ができるのか。短い詩型で読者も少ない短歌は無力ではないか。正直、そのような思いが私の中にあったが、本書を読んで永田の次のような言葉に少し救われた気がする。「忘れさせようという外からの圧力の中で、いかに詠い続けられるか。忘れないか。」「一般の人々にいかに言葉を届けられるか。歌人の内部だけで通じ合うような言葉で語っていて本当にいいのか。」(一二七~一二八頁)危機感を詠い続けること。それを歌壇の外にも届けること。そうして届けられた短歌は「時代の危機」に立ち止まるきっかけになるかもしれない。忘れていた「時代の危機」を思い出すきっかけになるかもしれない。短歌に何かできることがあるかもしれない。
 ところで、社会や時代を詠む時、スローガン的ではない言葉が短歌には求められる。そのような詠み方を考える上で重要な発言が本書には見られる。たとえば、澤村は清原日出夫の安保闘争の作品を評価し、「個に戻って詠うところに、批評性を保つヒントがあるのではないか」(四九頁)と述べる。また、染野の「作者として何ができるかといったときに、個の行動を描くことなのではないか」(一五九頁)、吉川の「日常の身体感覚を使って、どういうふうに時代を詠うか、そこがいちばん難しい」(一八四頁)という発言も「個」の大切さを表していよう。スローガンや観念的な言葉ではなく、「個」に根差した言葉を紡ぐことで、歌は「個」としての他者の心に響くのだろう。
 今回、本書を再読して、三年前のシンポジウムで議論されたことが、今なお短歌にとって重要な問題であるように私には感じられた。それは「時代の危機」が今も継続しているからであろう。本書に記録された二〇一五年の成果を踏まえ、短歌や文学の在り方について今さらに議論を深めていく必要があるのではないだろうか。また、本書の副題にもある「原発問題・特定秘密保護法・安保法制」といった問題について、時間が経つにつれて考える機会が自分の中で激減してしまったことにも気付かされた。問題意識を風化させず、熱を維持するために、詠い続けるために、本書をこれからも大切に読みたい。

〈小笠原詠〉の魅力
池田行謙歌集『たどり着けない地平線』

書評 鯨井 可菜子

たどり着けない地平線

 『たどり着けない地平線』は、池田行謙氏の第一歌集。前半では、おもに都市を舞台とし、ゆらぐ心のありようが描かれる。

東京タワーと卵を交互にみていれば寒空の下あなたに会いたい
溜息を飲み込むようなキスをしてカナカナが鳴く もう一度鳴く

 印象的な相聞歌を引いた。一首目、鉄骨から成る東京タワーと壊れやすい卵という硬軟の組み合わせが、不安定な恋心を思わせる。二首目ではカナカナの鳴きかたの特徴をうまくとらえて、夏の日暮れの濃密な一瞬を切り取った。一字空けも効果的だ。

「漁師風スパゲティ、三種のペンネ、シーザーサラダ、それでいいです」

 ここでは、選択という行為に対する居心地の悪さを表出している。洗練されたメニューの名前からは「私」が好きなものを選んだように思えるが、それは店から提案されたものに過ぎず、本当に「漁師風」が食べたいかどうかは、自分でもわからない。何でもある現代社会で何かを選び続けるというのは、実は少し疲れることなのだ。
 後半、作者が小笠原諸島の父島に着任してからは、歌の風景が大きく変わる。

熱しても固まらなくて海亀の卵白の食べ方が分からず
花蜂の羽音に満ちている風に素足の指のあいだをひらく
雨の気配が気配のままに消え去って一度に二つ実を落とす椰子

 食材としての「海亀の卵」や風のなかに広げる足の指、椰子の実の落ちる瞬間など、離島ならではの具体が豊富に登場し、少しずつ島の暮らしに馴染んでいくさまが綴られる。「私」のフィルターで加工しすぎず、見たものや感じたものをそのまま手渡してくれるようで、楽しくページをめくってしまう。
 さらにこの歌集における〈小笠原詠〉の魅力は、仕事の歌があることだと私は思う。

捕獲した猫を内地に連れてゆく船を幾度も乗り換えながら
波の高さ六メートルに酔う猫を短く励まして退室す

 第十六章「猫」より。島の生態系を守る仕事のなかには、捕獲された猫を内地の里親につなぐべく、千キロの船旅を共にするというものもあるそうだ(吉村実紀恵氏の栞文に詳しい)。「猫」への安易な感情表現には流れない、簡潔で抑制のきいた歌である。仕事として誠実に生き物と向き合う姿が浮かんでくる。
 その後、連作のなかで「竹芝」、つまり内地への接岸を示す言葉が出てきたとき、私はかすかな緊張を覚えた。それほどまでに私は、この歌集の〈小笠原詠〉に没入し、島の空気を満喫していたということなのだろう。

時間を背負うひと
藤原明美歌集『積乱雲』

書評 中山 洋祐

積乱雲

街角をいま曲れるはわれならむ細き肩先に見覚えのある
思ひ出せば「どこへでも行け」と叱る母行くなと言つてるやうに聞こえき
半ば呑まれて鳴ける蛙を救はむと蛇を打てればともに死にたり
雇傭促進住宅も古くなりたれば灯(とも)らぬ部屋が増えて来る秋

 寂しさのなかに円熟を、ある達成を感じさせる。観念ではなく五感を通じて老いの深まりを捉える。細やかな父母の記憶や目前の残酷で鮮やかな命の消滅、衰退する地方都市の現実など様々な事象を俯瞰しながら生きることの寂しさ、寄る辺のなさへ収束させてゆく。それは嘆きに似ているが、人生を誠実に過ごした者の伸びやかな時間の感覚、調和の風景でもある。不安や後悔、死への不穏な予感を秘めつつも心を固くしない柔軟さは多くの苦難に立ち向かい、乗り越えた者の証でもある。

出征兵士の幟と葬儀の銘旗(めいばた)と似てゐしと思ふともに還らず
奉安殿の前通るとき敬礼を強ひられし記憶の中の天皇
原爆投下を正当化しつつこの日まで生き継ぎて九十二歳の機長
祖国の為死ねよと言ひき身体髪膚毀傷せざるが孝とも言ひき

 戦時下の少年時代の歌も印象深い。三首目は正当化、との言葉の選びに複雑な心境が覗く。機長への怒りは人間の存在そのものへの懐疑にまで向けられているようだ。咀嚼を繰り返すように過去への問いを続けることの苦しさ、痛みを思う。

父母の墓地より遠く見ゆる海水島コンビナートの向かうに光る

 教師として郷土倉敷、人々を愛し、人生を尽くした著者の誠実さが歌集の隅々にまで行き渡り大きな魅力となっている。

声がする歌集
池田はるみ歌集『正座』

書評 大西 淳子

正座

 飛び出す絵本を開くと、絵が立体となって立ち上がってくるが、この歌集を開くと、声があちらこちらから聞こえてくる。

あかんでの「で」の抑制がうつたうしいあほなことしたらあかんでの「で」
ばあばわれ幼き者ににべもなししやらくさいなあ女の恋は

 方言がユーモアを交えて使われており、親しみやすい。鬱陶しいや洒落臭い(=生意気である)は、使い方を間違えれば、冷たい言葉に聞こえるが、この歌の中ではとても温かい。
 声以外にもさまざまな音が聞こえる。それは、どこかで聞いたことのある音だけれど、この場面でその音という意外な取り合わせが、新鮮である。

バス停の日溜まりぶうと音たててみんなみんないつてしまひぬ

 義妹の十三回忌で集まった十三人のなかで、自分が女長老だと気づき、感傷にひたる場面、ここで「ぶう」である。幻のレトロなバスが死者達を乗せて行き過ぎたかのようだ。

わからない赤子に安心すべからずよつこらよつこら考へてゐる

 「よっこらせ」は行動を起こそうとする時に発する掛け声。これを、赤子が考えている様子に使った。ひょうひょうとしながら一生懸命な姿が伝わる。
 また、食べ物の歌は実に味わい深い。

箸立てに箸が咲いてるゆふまぐれ二本をぬいてうどん食ふひと
和歌山がわらひてわれに寄る気配かうやどうふがよく炊けてゐる

 うどん、高野豆腐、他にもたこやき、柿、らっきょう、おでん等々いずれも肩肘張らずに食べられる日常の食べ物を詠み、実家に帰ったような安堵感に包まれる。
 更に、相撲好きで有名な作者。『お相撲さん』という短歌エッセイ集を出版するほどだ。この歌集では「大鵬とその父」「初場所中日」などの連作が印象的であった。

黒白の画面に大鵬りんりんと白くひかりて土俵入りせり
がつと立つ大砂嵐まへに出て砂塵のなかを突き落したり

 にぎわいのある歌集であるが、時折しんと静まる瞬間がある。その時、読者はこころをきゅっと掴まれるのだ。

さつきまで元気であつた夕映えにわたしはふつと手を合はせたり

 二〇一〇年から二〇一五年の作品を収めた第六歌集。方言の歌、ユーモアの歌、孫の歌、食べ物の歌、相撲の歌、それぞれに古き良き日本を再発見することができる。文学の学の高さより文芸の芸の平らを着実に究めている。

あざやかな転結
新井瑠美歌集『霜月深夜』

書評 前川 登代子

霜月深夜

老杉のしんと神坐(ま)す山に来て風といふ名の刻が流るる
稜線をくつきり見せてあしびきの山は伸びする白雨のあとを

 あとがきによると作者は、結社〈椎の木〉に二十余年を在籍されたと書かれており、美意識に裏打ちされた掲出の歌は、師である安永蕗子氏への敬慕から生まれたのではと推察される。
 一首目、風は目に見えないものの象徴であり、神の在わす山では刻も風のように変幻自在なのであろう。また夕立の後の青々と見える稜線は「伸びをする」と擬人化され、雨に洗われた清々しい空気まで見えてくるようだ。

煮え花といふ日本語のあたたかさ夕べの椀にはうとゆるびぬ
掌より掌に雉子の卵の五個ばかり食べよと言へり青きぬくみを
夏菓子のぷるんと喉にすべり込み午睡の夢の何であつたか
牡丹鱧白きが椀にひらきをり柚子一片を転結として

 食に係わる作品も多く、いずれを読んでも美味しそうだ。椀の中味は何であれ「煮えた花」という言葉のもつはんなりとした懐かしさ。身の芯からまさに「はう」と温まりそうだ。そして「ぬくみ」なら暖色、という思い込みを覆しての寒色「青」の意表を突く使い方。三首目のぷるんと喉にすべり込んだ物はゼリーか、あるいは葛まんじゅうか。その冷やっこさに夢すらも忘れるひと時が描かれている。また鱧椀に浮んだ吸い口の柚子。その香りが「転」であり、その味が「結」となって、すっぱりと小気味のよい読後感がある。
 最後にその比喩に圧倒された一首。

レゲエ派の男の髪は百の蛇揺りて夏夜を汗したたらす

 ジャマイカで発祥した音楽、レゲエ。曲に酔うように身体を揺らす男の髪は編み込まれ、「百の蛇」のようだと言う。まるでメドゥサの頭を思わせ、凄味のある一首。「揺りて夏夜を汗したたらす」にうねるような、気だるいレゲエの曲を思わせる。

「感情」の行方
千種創一歌集『砂丘律(4刷)』

書評 齋藤 芳生

砂丘律(4刷)

手に負えない白馬のような感情がそっちへ駆けていった、すまない

 もう何度読み返したかわからないこの歌集を再び読み返しながら、改めて「大きな」歌集だなあ、と思う。その「大きさ」を形作るものは、中東に渡った作者の日本との距離や風土の違い、とか、作者が日々向き合っている中東情勢の厳しさ、といった表層的なものだけではない。まさにこの一首に歌われている、揺れ動く「感情」の激しさそのものなのだろう。一首一首読み進めてゆくと、作者の激しく大きな「感情」が、口語を基調とした文体から今にもあふれ出しそうなのだ。

煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか
ばかみたいに鮮やかだった。君のいない世界へ金属探知機(セキュリティゲート)ぬければ
あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の

 これらの歌は、いずれも破調である上に句読点が多用され、すんなりと定型に収められていない。一首目はそれによって一首全体の「先輩」に対する呼びかけが「煙草」や「カロリーメイト」という名詞と相まってより現代日本における若者(学生)の心象――「生きづらさ」や「切実さ」と呼ばれる――をリアルに表現することに成功しているし、二首目の「ばかみたいに鮮やかだった。」という独白も、「金属探知機(セキュリティゲート)」という無機質なイメージと音の響きと重なり合って、その孤独感をより詩的なイメージへと昇華させている。三首目の「あっ、ビデオになってた、」という歌い出しは、おそらく誰もが一度は経験しているであろう些細な出来事をすくい取ったものだが、この大胆な破調ゆえに、君、あるいは自分たちの若さゆえの不器用さや初々しさをこの一首からはっきりと感じ取ることができる。結句の「海の」までの展開も鮮やかだ。これらに説得力を与えているのは、まさに作者自身が「手に負えない」と歌った、「感情」なのではないか。
 巻頭の〈瓦斯燈を流砂のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか〉や〈映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる〉など、多くの話題を呼んだ歌の数々にも、やはりこの「感情」は強く流れている。思えば、この歌集の献辞には「Y・Yへ 限りない感情を」とあるのだった。
 千種創一という一人の歌人の、今も続いているのであろうその歩みの現在と、「白馬のような感情」の行方を思う。きっと今も、私たちに向かって走り続けている。

唇の乾きに冬を知ることが、手紙はここで二枚目へ行く

日向の人
赤崎敏子歌集『もう此処の人』

書評 前川 登代子

もう此処の人

ふるさとの三河に二十年日向(ひむか)には五十年住むもう此処の人

 巻末の一首から採られた書名『もう此処の人』五十年という年月は、すっかり作者を日向の人にしてしまった。しかし古里三河も数多く詠われている。

箱膳を六つ並べて食べてゐた父のは白木母は赤塗り
「やっとかめ」秀吉の母がドラマに言ふ古里三河の「お久しぶり」を
味よりも思ひ出うまし山桑の熟れ実に指を染めながら採る

 箱膳という懐かしい調度品。厳然とした家父長制度のあった時代であるが、白木と赤塗りの色彩が家族の円居を垣間見せる。そして「やっとかめ」の方言を聞いて心浮き立ち、また桑の実は味よりも幼友達と食べた思い出が美味しいのだと納得される。
 また亡き夫への思いの深さは、魚類学の調査に同行したこの何気ない一首からも見て取れる。

水温は十三度五分測定後君と両手を浸けし感触

 夫を思いつつ、再び耳川を訪ねた折りの歌。

龍神の住むとふ大斗(おせり)の滝に来つ落差七十メートルの白
村人の円座に入りて飲む龍神そんな日来よと想ふたのしさ

 大斗の滝の雄大さを龍神伝説に繋げて詠み、結句の「白」が印象的である。村人と共にあった龍神へ抱く親近感は、宮崎にどっかりと腰を下ろした作者だからこそではないだろうか。

栗ご飯大きな半?(はんぼ)にたつぷりとつくることなどもう来ない秋

 夫が逝き、子供達も独立された。穏やかな暮らしの中の一抹の淋しさを、家族のためにたっぷりと炊いた栗ご飯に込めて詠われ「もうこない秋」と収めて余情が醸される。

冷汁に青紫蘇こそは必需品バッタの残しし葉を刻むなり

 宮崎の郷土料理である冷汁は青紫蘇が入ってこその味わいであり、バッタの食べた葉であろうと、なくてはならない風味だと言う作者。確かにもう日向の人であった。

からだに包まれるものに
宿久理花子詩集『からだにやさしい』

書評 蟹澤 奈穂

からだにやさしい

 この詩集を手に取って、本当に「やさしい」感じの本だと思いました。ひらがなのタイトルと、薄桃色の中をカエルが一匹、どこかに泳ぎ行くようにも見えるし、ただぼんやりと漂っているようにも見える。若い女性らしい作りの本です。
 本の中も小さなフォントに細い書体、女の子らしい関西風の口語体で描かれるのは、「電車」や「ポスト」や「誰もいない部屋」「骨」など。その詩の世界は、とらえ難くままならない夢のようでもあります。
 「からだにやさしい」という詩集のタイトルとは裏腹に、作品中の「からだ」とは、骨であり、くちびるや手足であり、部位はクローズアップされても、肝心の「からだ」を持つその人自身には到達できないもどかしさがあります。また、そのからだも、優しく扱われているとは言えません。
 単語は改行で分解され、リズムは意図的に崩されて、読み手は饒舌なそのことばの分量を勢いにまかせて読むことも容易ではありません。
 その違和感と共に中ほどまで読み進めたところに置かれた次のような作品は、ようやく喉を潤すおいしい水のように私の中に、すんなりと入ってきました。

暦と数字のあいだを
縫ってきたんです ボートを
出したんです
(略)
舳先が4にぶつかって
揺れている ボートにつかまってください
どうか
逃げたら撃ちます
(略)
鳴かない鳥でした
乗客はあれきのうもいたな
飛びかた全然上手じゃないよねいっつも思うけど
の言葉の端々で 羽を
手繰り寄せ奪い合う芸当の真っ最中です
岸は見えないです
  (「暦と数字のあいだを」)

 暦=カレンダーの世界を、孤独なカエルのように頼りなく舟で漕ぎ進む冒険譚は、実感を伴った表現やイメージがつながって、とても面白いと思いました。これは他の作品とは少し違い、素直で落ち着いていて何かに触れたような手ごたえを感じます。
 作者にとって心を包む「からだ」とは、詩の語法として用いられている話しことばであり、私はそのさらにもっと奥にまで、思い切り手を伸ばし触れてみたいのだ、と思っています。

色鮮やかな新生の標(しるし)
山上秋恵歌集『オレンジの墓標』

書評 西橋 美保

オレンジの墓標

よその子のぬいぐるみにはよその子のにおいがついていてさわれない
その町は洋服だんすと鏡台の隙間にありて人は入れず
せっけんの香りのついた消しゴムにくらくら酔っていた二年生
不安だからどこにいても不安だから私は逃げる私の中へ
初めての手術に臨むその前に友達の名をひととおり唱える

 さわれない、人は入れず、逃げる、などのさまざまな悲痛を経ての五首目が切ない。友といえば「友の書いた詩集を静かに読むために今夜は雨が降ってくれたのだ」といううつくしい一首もあり、〈よその子〉への違和感に苦しみながらもあきらめず築いてきた、作者の人生の居場所の層の厚さに思いは及ぶ。

死ぬ時は化粧してるかしてないかスカートはいているかいないか
定型にまもられている少女たち体育座りのままうずくまる

 ひりひりする傷の存在を予感させるような表現は自由でみずみずしく、しんと見据えるように定まった視点がたのもしい。

戸棚には咳止めシロップ愛のない優しさほどの甘ったるさの
あの夏のオレンジ味のキャンデーの「当たり」の棒が僕らの墓標

 二首目には「三十代までの病弱で不安だらけで薄暗かった時代を葬りたい、という気持ちも含まれています」という歌集名がある。一首目の〈愛のない優しさほどの甘ったるさ〉のない、〈オレンジ味〉の少しビターな清涼感。つらい歌も多いが力強い読後感に心が押されるのは、〈僕ら〉にも見える他者や自己への信頼や肯定感にもよるだろう。「当たり」棒の〈墓標〉は、生きる勇気と色あざやかな新生の標(しるし)だったと信じたい第一歌集。

色はいのちの輝きの色
吉保佳子歌集『さみどりピッピ』

書評 西橋 美保

さみどりピッピ

毬栗のいがいがのとげに力あり抵抗するは青き色する
にわとりの鶏冠を立たせ冬天のま昼を鳴きつぐ玉子うみました
わが歩く櫟落葉の茶のひびき崩れる音色も土へと還る

 〈主に郷里に戻っての作品を自選〉という第三歌集。〈緑の色の怪しさに魅了され、癒された折々の歌を集めました〉という本歌集には緑の色だけではなく、それを縁にさまざまな色が息づいている。トゲの厄介さを〈抵抗するは青き色する〉と詠み、新鮮な若さをどこかなつかしい気持ちで愛おしむ一首目。具体的な色名はなくても見えてくる、冬ならではの力ある、鶏冠や玉子のいのちの色があざやかな二首目。三首目の〈音色〉の言葉にも、しめやかに匂いと色は響いている。

「あなたという私を証明して下さい」運転免許証パスポートなく
花びらの数の人らが花に酔う花ござ二時間五〇〇円也
ガンジスにおのれの五濁の炎のあかく蝋燭灯る花籠流れる
サイフォンに落ちる滴のような秋 原稿用紙の枡目を埋める
白地図に夫とたどりし旅のあと空白しずかな浮雲となり

 平明で丁寧で、たのしむような余裕のある視点が面白い。

『長くつ下(した)のピッピ』またも読む窓辺 楠の大木の影に捕らえられ

 これを機にわたしもリンドグレーンの児童文学『長くつ下のピッピ』を読んでみたが、その不思議な面白さにたちまち夢中になってしまった。歌集名にもある〈さみどり〉は具体的な色だけではなく、全てを自分らしく乗り越える少女ピッピのいのちの輝きの無心さと、それをこよなく愛する作者のみずみずしく、いつまでも色あせない生き方そのものの色なのだろう。

歌を投げかけるということ
久保茂樹
小川ちとせ
歌集『箱庭の空』

書評 西橋 美保

箱庭の空

 久保茂樹と小川ちとせ両氏による〈ほぼ同時期にそれぞれ単独に作った歌を並べた歌集(久保)〉。

ゆうちやんもう帰るでといふ声にふりかへる子がゆうちやんであらう  久保茂樹
十月のすっぱい蜜柑にむせながら ワタシガ、ツクルヨ 箱庭の空  小川ちとせ

 黒い活字は久保、青は小川と色分けされた歌はさまざまな組み合わせで配置され、その結果生じる歌の姿は従来の一首の歌の縛りを離れた、よりダイナミックなものとなっている。

フラゴナールの少女が遊んでゐたやうな花満開のときは過ぎつつ  久保茂樹(巻頭歌)
ああこんな温さと強さ たしかめて わたしの闇がすこし酸っぱい  小川ちとせ(巻末歌)

 例えば巻頭歌が十八世紀フランスのロココ時代の画家の代表作「ぶらんこ」ならば、巻末歌はそれに呼応しているようで、一冊を読み終えたあと大きな循環のなかにいる気分になった。

お父さんと呼ぶ子の声にときどきはねえが付きまたなあが付きたり  久保茂樹
生きたがる身体は闇を怖がって暮れ始めたらかーさんと呼ぶ  小川ちとせ

 頁も違うし背景もよくわからないが、共に誰かに呼びかけているこの二首は、久保の日常の平穏と小川の生存をかけた不穏のなかに互いへの影響が感じられる。作品と発表の場の祝祭のような関係と必然性に改めて気づかせてくれる歌集といえよう。

かうべ垂れ眠りゐる人の膝のうへ赤福の字のかすかに読める  久保茂樹
おしなべてなつかしいものは青い色おとなばかりの家族で暮らす  小川ちとせ

作家兼批評家の弊
長谷川櫂句集『沖縄』

書評 橋本 小たか

沖縄

 丸谷才一は『日本文学史早わかり』で詞華集による時代区分を試み、各時代の指導的批評家を定めた。いわく、紀貫之、後鳥羽院、芭蕉、正岡子規。
 意識してかどうか。長谷川櫂もまた今現在の指導的批評家たることを我が宿命とし、活動しているように見える。
 あるいは、風雅という非情から説く芭蕉論。あるいは、即事・平気という精神の解放から見た子規論。あるいは『四季のうた』『国民的俳句百選』などの新たな詞華集。
 大物を順番に片づけてゆく過程で、次は恐らく俳句史だろうと待ち構えていたところ、池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』十二巻の「小林一茶」で、一茶論と俳句史を同時にやってのけ、古典の素養からの脱却に終生苦しんだ芭蕉に対し、その素養が無いゆえに生(なま)の言葉で句作するしかなかった一茶を近代俳句の祖と位置付け、子規から出発する従来の俳句史の修正を図った。
 かつて、俳人は散文が上手ではなかった。夏石番矢編『俳句百年の問い』に対して小説家の倉橋由美子が、言葉を職とする同業者とは思えないといった悲鳴のような苦言を呈したように、思わせぶりな精神論、禅問答のような独り言が幅を利かせて、読むに堪えなかった。その中で、明晰でスマートな文体と、実の詰まった話柄で、俳句界に主宰からの御託ではなく、一般読者が読むに足る散文をもたらしたのが長谷川櫂である。
 しかし、作家兼批評家の弊というべきか、批評家としての力量が勝りがちになることがある。それは批評家・長谷川櫂の先人というべき丸谷才一(小説より『新々百人一首』など)や、大岡信(詩より『折々のうた』など)の仕事を見れば分る。
 『沖縄』もまた、持論の、宇宙、間、非情などを形にしていながら、読者の身には響きにくいものになってはいまいか。

草生(む)す屍草となりゆくこと涼し
水漬(みづ)く屍水となりゆくこと涼し

 『俳句的生活』において長谷川櫂は、句集『古志』では「「孤心」の砦に立てこもって人が近寄るのをひときわ厳しく拒んで」いたが、「『果実』『蓬莱』『虚空』の三句集の花はどれも私と人との間にある」と語るが、今や「私と人との間」を越えて、天地や死者との間の自在なコミュニケーションとなってい、その前提を知らない読者は置いてけぼりをくらうことになるだろう。あれほど一般読者を意識して批評を書く人が、作品の読者を顧みないことを惜しむ。かつてアジア諸国に「レキオの人は礼儀正しく、素晴らしい」と褒めたたえられた大交易時代の琉球王国=レキオの現代を、もっと一緒に眺めてみたかった。
 『沖縄』の名品は、このふたつ。

魂の銀となるまで冷し酒
かつかつと兜鳴らして蝦蛄怒る

旅する歌人
雁部貞夫歌集『『韮菁集』をたどる』

書評 松村 正直

『韮菁集』をたどる

 本書を読んでまず思ったのは、土屋文明の大陸歌集『韮菁集』を論じるのに著者が最も適任なのではないか、ということである。「アララギ」を経て現在「新アララギ」の選者を務める著者は、歌人として文明の系譜に連なるだけでなく、パキスタンとアフガニスタン国境のヒンドゥ・クシュ山脈に幾度も登った登山家であり、ユーラシア大陸に対する強い関心を持っている。まさに打って付けと言っていい。その両面があって初めて、この一冊が生み出されることになったのである。
 著者は「のべ十一回、二十五年に及ぶ辺境の旅」に『韮菁集』を常に携えて行き、それが「ラジオも新聞もない踏査行の無聊を慰める唯一の伴侶」であったと言う。自宅で机に向かって読むのとは違う、言わば肌で感じる読書体験といったものが本書の基になっているのだ。
 土屋文明・加藤楸邨・石川信雄の三名の旅の行程を、『韮菁集』の短歌や楸邨の句文集『沙漠の鶴』によってたどりつつ、著者はこれまで明らかでなかった部分や謎だった点を一つ一つ解き明かしていく。
 例えば、楸邨と石川が訪れた内モンゴルの最終到達地「トフミン・スム」の位置である。現在でも詳しい地名の記された地図がなく特定できずにいた場所を、著者は昭和十八年の支那派遣軍の地図をもとに「北緯四十二度三十分、東経百十一度三十分」付近であることを突き止める。また、三名の旅に深い関わりのあった秋山邦雄中佐(大本営報道部課長)、須田正継(綏遠総領事館嘱託)、幽経少佐(特務機関指揮官)についての話も、これまであまり知られていなかったものだ。戦時中の日本の大陸政策とも関連して非常に興味深い内容である。
 『韮菁集』の歌についても重要な指摘がある。

「黄河の賦」制作に際し、文明は綏遠から包頭に至る車窓からの光景は全て切り捨て、いきなり黄河の大観をつかむところから、この連作を歌い起こしている。

 これは私たちが旅の歌を詠む際に参考になる部分だろう。出発点から順に一つ一つ詠む必要はないわけだ。また「楸邨の記述と較べると、文明の作品の配列は、必らずしも目にした事実の順に並んでいないようだ」との記述もあり、事実と作品との関わりを考えるヒントを与えてくれる。
 旅の歌をどのように詠むかに著者は深い関心を持っている。歌人の間で旅行詠の扱いが低いことに意議を唱え、「この分野はもっと積極的に取組みたい領域なのである」「旅も又、生活の重要な一部なのである」と主張する。歌人であり登山家である著者にとって、ここは譲れないところなのだろう。そして、刊行後七十年以上が経った今も、『韮菁集』は旅の歌の最良の手本となっているのである。

四角形の部屋に丸い心で
酒井万奈歌集『橋』

書評 尾崎 朗子

橋

 住み慣れた土地を離れ、施設に入居した作者。本歌集は九十二歳のときに上梓された。

老ゆること死すことかくも難しとは浅き眠りの一夜明けくる
四角形の部屋に寝起きし一日も四角形のごと過ぎ梨一つ食む

 一首目の上の句は実感だろう。医学の進歩と共に病気を抱えても生きられるようになってきた。寿命が伸びるのは喜ばしいことだが、心のほうは科学に置いてけぼりにされているのかもしれない。施設での生活を「四角形」に喩えたのは秀逸で、結句の「梨」だけが心に近い丸形なのだ。

この後のことは誰にも判らない朝どりトマトを夫と分けあう
「おやすみ」と部屋を出できぬ野の中の寂しく立つ木に告げきしように
切開されし咽喉より短く出でし筒ことばとならぬ声の噴き出る
君のハーモニカ吹けば澄みたる音放つ雪ふりやみて蒼める空に

 共に施設に入居した夫に病気が見つかり、看取ることとなる。この間、作者は侵襲的な治療を受けさせるべきか否かで悩むのだが、夫の命をあきらめきれず、手術を決断したのだが……。作者の悩みは、これから私たちにも訪れる悩みであり、悲しみでもある。
 作者には〈梔子の素枯れし垣に添う歩み日暮れはこの世を少し逸れゆく〉〈玄関の扉開けばつながるかこの世のポストぽつりと立てり〉のような異界への親和性を感じさせる歌もあり、魅力的だ。

不在が非在に
谷口純子歌集『ねずみ糯』

書評 前川 登代子

ねずみ糯

 書名に採られたねずみ糯とはマンションの窓近くに茂り、四季を通して夫君と共に眺められた大樹。穏やかな暮らしから一変して、その最愛の人を亡くす事となる。

蝉声のはげしかりけり人の世をくるしみながら君抜けし夜
研究室のドアの名札ははずされて不在が非在にかわる今日から
夏帽子すこしうつむく日盛りの言葉にすれば本当になる

 苦しみながら旅立つ夫。見守るしかない作者に一途に鳴く蝉の声は、焦燥を煽るようでもあり、叱咤されるようでもあっただろう。そして何より、否応なく突き付けられる現実の声でもあったのだ。
 二首目の「不在」と「非在」。似て非なる言葉の残酷さ。淡々と述べる事で尽きることのない哀しみが伝わってくる。
 「言葉にすれば本当になる」言霊を怖れる三首目。作者はうつむく事でじっと堪えた。夏帽子に隠されたのは無念の表情だけではなく、夫への深い恋情であったろう。

ドレメ式のドレメはドレスメーキング ヘップバーンカットが似合えり母は
秋の日は真上から射し小さき手の髪梳きおえし待賢門院

 髪を詠って明暗を分ける二首。
 母君は洋裁をされる人だったのか、ドレメ式の型紙で縫い上げた服にヘップバーンカットが眩しく、自慢の母であったに違いない。「ドレメ」を三回重ねて軽やかなリズムを作り上げ、懐かしい時代を甦らせている。
 鳥羽天皇の中宮であった待賢門院には、虚実さまざまな噂が付きまとう。その背景に思いを巡らせつつ読めば、髪を梳きおえて彼女が待っていたのは鳥羽天皇か、白河法皇か。そんなことまで想像させる一首だ。「小さき手」が自らではどうしようもない運命の哀しさを言い当てているように思える。

大きなものに誘われる感覚
森本悠紀子歌集『登檣礼』

書評 清水 亞彦

登檣礼

春の夜すばるを見むと起き出でて南西の空衿かきあはす
若きらがマストの桁に並び立ち挨拶くるる埠頭は小雨

 巻頭、巻末に置かれた「星は昴」「登檣礼」から引いた。すばる(プレアデス星団)は、清少納言の時代から、変わらぬ親しみと憧憬の対象。登檣礼(帆船の桁にずらりと列んで行なう)は、その清々しさで観る者の胸を打つ儀礼。大きなもの、遠いもの、爽やかなもの、に誘われる感覚が、作者には一貫しているようだ。「出雲国風土記」に材をとった一連でも、

人々が土器に塩得て調味せしうからら寄れる宴たけなは

と、下句の臨場感をもって歴史の中へと入り込んでいく。こういう基盤を、つねに持ち続けているからだろう、身めぐりの日常を詠った作品には、ときに不思議な味わいが添う。

石楠花が鉢に満ちたりかく吾を驚かす仕掛けありとはこの花毬に
経口補水液とふを処方に作りて何やら威儀を正してをりぬ
大丸に購ひたる眼鏡身に添ひて二十年経ていよよ見易き

 一首目、鉢植えの石楠花がいつの間にか満開となった。歌意そのものは至ってシンプル。作者はそれを5・7・5・12・7の破調で、自然の手品の如くに描く。二首目も歌意は良く判る。が、こちらも9・7・4・7・7の破調で、一つの行為をめぐっての「ある感じ」を際立たせてみせるのだ。三首目は下句で立ち止まる。二十年使い続けた眼鏡が、一層見えやすくなるとは(?)と考え、けれども、順接「て」の繰り返しと(こちらは)正調のリズムとに、納得させられてしまうのである。

耳鼻科にも皮膚科にも放つとけば治りますと言はれ空に彗星(すいせい)

 そして、こんな一首もある。集中には、結句を「疎句仕立て」にしたものも多く、その飛躍の大きさが強く印象に残る。

光をみつめて
小澤婦貴子歌集『月光の牧』

書評 尾崎 朗子

月光の牧

 この作者は光への感度が高い。夕陽、月光、さらには黄色の菊や赤い椿にまで光をみつける。これは作者の美徳の一つだ。

山上に夕陽溢れてその余光冷えのきざせる湖に及びぬ
光源となりてゐるのは黄菊なり秋ざれの庭のくまぐま照らし
血の色の椿の花がゴミ袋透かして赤き光を放つ
月読は電線のあひに揺れにつつあをき果実の表情をせり
この家の夕闇いつか深まりて洞窟の中にわれ一人なり

 山から溢れてくる夕陽、その光を追っていくと「冷えのきざせる湖」へとたどりつく。ひととき夕陽は晩秋の信濃の湖に温みをもたらすのだ。このように光への感度が高いのは、闇を知っているからともいえる。夕方、家に一人でいる場面を詠んだ作品では、家を「洞窟」と喩えている。夫を亡くし、高齢の義父母を介護する作者の奥深いところにある孤独がここにはある。そして、その孤独は次の一首に詠まれたように他者の哀しみにも敏感である。

〈月の沙漠〉唄ふ姑なり金のしづく銀のしづくを零しながらに

 また、この一冊はユーモアに通底している。蠅退治をする懸命な姿を、ふと冷静にみつめ歌にしているが、真面目で手を抜かないからこそ面白味があるのだ。蓼科山を力士に喩えるなんて、ほかにはないだろう。

浴室に蠅を追ひ込み打ちてゐるわれの姿を鏡は映す
蓼科山雲をどすこいうつちやつて力士のごとくどつしりとあり

 歌集には、塚本邦雄を本歌取りにした作品もおさめられている。このようなチャレンジにも作者の真面目さをみることができる。

されど言葉を信じて
渡英子歌集『龍を眠らす』

書評 江國 梓

龍を眠らす

 二〇〇八年から二〇一四年の歌を収めた第四歌集。息子の結婚と孫の誕生、そして東日本大震災が主に詠まれている。

「龍の子太郎」聴きて眠りしひとりごに婚の日は来て発ちてゆくなり
龍をふかくふかく眠らすみちのくの水棺とならむ原発四基

 「龍」は、十二支の中で唯一架空の動物だが、その辰年に生まれた著者にとって、自分の分身のような特別な思いが籠められているのかもしれない。一首目の「龍の子太郎」は、欲ばったために龍の姿になってしまった母にその眼の玉を与えられて育った太郎が、北の湖へ盲目の龍(=母)を探しに旅立つ話である。「母」の業と自己犠牲が象徴されており、この物語は取り換え不可の選択だったに違いない。二首目の龍は、伝説上の神獣の一つ、東方を守護する青龍だろうか。原発事故は、ある意味、神の領域に踏み込み、怒らせてしまった結果なのかもしれず、人類の一人として鎮魂を祈る切実さが「ふかく」のリフレインに籠められていよう。龍の怒りはまた著者の怒りでもある。近代以降の文明の発達は、こうした怒りを眠らせてきた上に築かれたものではないかという問題提起を孕んだ一首だ。
 この眠らされた怒りは、近代を研究してきた著者の視点、〈子規の硝子、漱石の硝子かすか歪む明治の窓に燃ゆる雁来紅(かまつか)〉のような近代文学者たちへのオマージュを随所に編み込むことによって、遙かな時間軸の中に捉えられていく。
 そして、過去の時間へのサーチライトが著者のひと世を照らすとき、歌は次のような温かな調べを奏で始めるのである。

労りあふ齢(よはひ)となりて亡き父母が溺愛をせしあなたをゆるす
いつだつて侃々諤々にぎやかで人間好きで権力嫌ひ

 一首目は、両親の愛を独占してきた弟への積年の嫉妬から、長い年月を経てやっと解放されたのだろう。救われたのは、赦された弟より赦すことの出来た著者自身だったのかもしれない。二首目は小高賢氏への挽歌だが、その人物像を見事に捉え、連帯感やリスペクトの滲み出た温かな挽歌となった。
 さらに、歌集は生死をも超えた軸に捉えられ、異次元への不思議な奥行きをも見せてくれる。

死はしづかな私の伴侶吊りさげて柿の実を売る無人スタンド

 誰もが死と寄り添いながら生きており、そんな現世の日々に、柿を売る無人スタンドの張り詰めた静寂がある。柿の実の朱がさみしい希望のように読む者のこころに灯るのである。
 著者はあとがきに「歌の言葉が祈りとなって届くこと」への願いを記している。過去から未来への遙かな時間と死という異界から汲み上げられた祈りが、誰の心にも棲む龍への鎮魂歌となり、言葉の再生を信じる勇気を与えてくれる一冊である。

一連ごとの多彩な興趣
井澤洋子歌集『なほなほに』

書評 清水 亞彦

なほなほに

一斉に黒い日傘の炎天下白汕頭(スワトウ)のパラソルひらく
谷風に押されて見放く果無山(はてなし)に?垂布(むしのたれぎぬ)なすやしらくも

 「絵によむ古事記」「けふ過ぎぬ」から引いた。それぞれ、青木繁展に出向いての一連、熊野古道を旅しての一連である。いずれも「白汕頭」(刺?入り高級レース)、「?垂布」というカナメの言葉が、歌に香気を添えている。雲を?垂布に譬えることで歴史を今に引き寄せる後者。白日傘をひらく行為に矜持の気息が籠る前者。こうした歌の作りは「あとがき」にも記されているように、長く親しんだ古典の素養と、中部短歌会での研鑽によって齎されたものなのだろう。豊富な語彙、取材の広さ、一連ごとの多彩な興趣。「豊かに深く」の小題下には、春日井建への挽歌を据える。

師が柩の上なる鉄線むらさきに永久(とは)を思ひき燕忌ちかし

 「整理など捨つるに及くなし」と言いながらも、子どもと拾った巻貝や、錦裂地の巾着から出てきた「肩叩き券」を、九泉(黄泉(よみ))まで携帯すると決める「断捨離」の一連。神田神保町の記憶をベルリンの鴎外記念館へ、自身の青春回想へと繋いでいく「お玉とエリスと」。現地の風物に濃やかに反応し、パンアメリカンハイウエーが地上絵を毀つ眺めを描く「インカ残照」等々。知と情感の配合が、様々に読み手を愉しませてくれる。中でも心に残るのは、十年間、湯治に通う三朝温泉を詠った「やまあひの四季」。そして叔母の死を詠んだ「クオリティ・オブ・ライフ」から続く、巻末の三編である。

日野川の流れを染むる銀杏羽いづれが番と知れぬ大群
帰りきて下車する駅の改札バー開かぬ気がするいつも一瞬
側に来て杳きみたり子右、左、前にころころ遊びゐたりき
筧の水鳴る静寂に白秋のデスマスク小さきを思ひてゐたり
境内に人かげのなし利生など望まねば強くもどり鐘つく

自身の胸中を慈しむように
伹見美智子歌集『杜の灯火』

書評 清水 亞彦

杜の灯火

実家の戸は夜も少しだけ開(あ)きてゐき今年も燕くる頃となる
漆の盆を紅絹(もみ)もて拭けば映る顔母になつたりわれになつたり
黄ばみたる米穀通帳を屑籠に入れむとしまた箱に仕舞ひぬ

 ツバメが通れる程に戸口を開けた儘で、夜を過ごすことが出来た昔。漆に映る輪郭に母と自分を重ねる、擽ったいような血縁の感覚。苦労つづきの戦中戦後のシンボルとも言える米穀通帳――自身の胸中を慈しむように、作者は歌を紡いでいく。それは一方で、今の世相に対する違和感を生み、一方で、変わらぬ市井の暮らしへの共感に繋がっていくのだが、共に、大らかなユーモアに包んで作品化する処に、作者一番の美質がある。

壊されし風呂屋のあとに舌を?みさうな名前のマンションの建つ
花博のケースのなかのラフレシア写真に撮ればケーキのごとし
道をゆく園児の列につきそへる保母のリュックに小さな箒
由布院の裏通りにて似顔絵師の色紙に収まる金婚カップル

 また、かつて少年飛行兵だった夫が亡くなった、その後の時間を詠む「夫恋い」の諸作も、モノに即して描かれる分だけ、いっそう心に沁みてくる。

唸るなら捨てるぞと夫に言はれゐし冷蔵庫静かわれ独りとなり
音荒く摩り下ろしたる大根の甘きになほもひとり苛立つ

 二人で暮していた頃は(数多の食材を詰め込んだせいか)、おかしな音を立てていた冷蔵庫。それが今は妙に静かだ。乱暴にすり下ろしても、一向に辛くならない大根おろしも、どこか張り合いのなくなった暮しを、象徴するようで腹立たしい――そんな風に詠うことで、作者は自身を鼓舞しているのだ。

機知の深み
夏井通江句集『リビング』

書評 曾根 毅

リビング

 著者は昭和三十年、岩手県生まれ。三十代の関西在住時に俳句を始められ、句歴は二十年を越える。現在は岐阜県にお住まい。あとがきに「鮮やかで豊饒なる自然に包まれて生きていきたいと思います」とある。そして、巻末の季語索引を見ると、時候、天文、生活、動物、植物と偏らず、幅広い対象物に向き合って句作されていることがわかる。現在は「古志」に所属されていて、「古志」らしい大柄な句風を基調とした、生活実感を踏まえた伸びやかな俳句表現に注目した。

蕗(ふき)煮るやひとり暮らしに憧れて
あたたかきことのうれしき掃除かな
夫を待つ灯のなかにゐて茄子を焼く
やはらかな視線の冬日床磨く

 日常生活の中でふと我に返る瞬間、対象物を介して私と向き合う心。不自由のない生活の中にあっても、人間が孤独な生き物であるという存在の不思議。そのことを普遍で表す技術がある。個の特殊を季語の情感に転化し、作品化する。
 日常詠にとどまらず、俳句定型の機能を生かした飛躍や機知の句、遊び心のある俳句にも注目したい。私は作者の個性を、この知性による機知に見た。

吐く息の氷りて生れし俳句かな
花の字ののたうつてゐる墨書かな
月の字のはしごにも似て倒れさう
稲妻で髪結ふ金剛力士かな

 まず、言葉好きであることが伝わってくる。物を見て作るというより、物から派生する物の気配や言葉の持つニュアンスをうまく掴み出して作品化している。イメージをユーモアと誇張で上手に加工し、情感で読ませる技術。二句目などは、現物以上のリアリティーを感じさせ、懐の深さがある。

観察眼から生まれるユーモア
米澤義道歌集『鯨尺』

書評 三宅 勇介

鯨尺

 題名からして素晴らしい歌集であるが、歌も大変面白く読ませていただいた。著者は、情報工学の科学者であったというが、その透徹した観察眼から生まれる歌はユーモラスである。斎藤茂吉も科学者であったが、時々変な面白い歌を詠んだ。それに通ずるというか、着眼点が普通と違っていて、ある種のパターンから違ったものを見つけ出す眼力はさすがとしか言いようがない。
 さて、この歌集から少ししか紹介できないのは残念であるが、詳細な解説は本書の跋文を書いている池本一郎氏の分析でよく分かるので、私が素晴らしいと思った歌を少し挙げさせていただく。

借りてきた小津の映画に不意に出る百匁の重さ知っている我
散瞳薬点眼のとき慣れし口調お口は閉じてよろしいですよ
堅きもの噛む時どこを見ていても許されているような気がする
もうひとつ手前の山の存在を間より湧く雲で知りたり
はくしょんはしたくなくてもしなければその直前に覚悟を決める
どの品を買っても同じところから差し出す自販機は一礼強いる
その時は透明なのかこの我が身真正面に進んで来る人

 しかしこの人のユーモアは詩的にジャンプする事はない。どちらかというと身の周りに普通に起こり得る事を題材にしながら、どこか日常からはみ出すものを見つけだし、結果それが、そこはかとない可笑しみを醸し出す。それがこの人の歌の特徴と言えるのではないか。

世の中は今日は休みかそれだけを確かめてから今日を始める

 こういう所に著者のへそ曲がり気質を感じ、面白いのである。

逆境の中での土佐女の矜持
藤本満須子歌集『江古田の森』

書評 三宅 勇介

江古田の森

 著者の第二歌集。題名から親しみが湧く。なんとなれば、私は中学、高校と江古田近くに通学していたからだ。あとがきを読むと、この歌集は、悪性リンパ腺腫が見つかったり、両腕を骨折したり、生活の激変の中での歌をまとめたものと分かる。

駅近く斎場のあり喪服着て茶髪の男ら通りすぎたり
大仏の説明きかず少女らは仄暗がりにケータイつつく

 まず、近頃の若者に対する違和感を感じた歌。でも、なんとなく控えめな抗議だ。著者の人柄ゆえか。

霜月は歌集上梓す年明けて古希迎うるに癌みつかりぬ
蝉の声激しくきこゆ朝まだきリンパ腺腫は夢にふとりて
ポジティブに治療受けたるわけでなく曖昧模糊と癌を認めて

 癌が見つかるとはどういう気持ちなのだろう。やはりこればかりは安易に、「分かる」とは言えない。著者のように、ただ事態を「曖昧模糊」と認めているうちに、あるいは認めないうちに、どんどん周りの状況に流されて行ってしまうのではないだろうか。生々しい手術中の歌などもあって、やはりこの歌集の中で、癌の一連の歌歌が一つの重要なピークを為している。

右ひだり腕の手術の六時間犀の放尿しきりと浮かぶ
骨折の腕をかかえて見ておるに男は山を真赤にぬれり
麻酔効き行方知らずとなる腕よ今どこにありますかと問いぬ

 今度は両腕骨折の際の歌。本当に辛い出来事が重なる時は重なるものだと思う。だが、それらの出来事の中で、著者はどこかユーモアを失わない。自分の境遇を客観的な目で見る事を忘れないのである。
 高知県出身らしい著者は、土佐への郷愁も隠さず歌う。土佐女としての矜持が歌集全編を貫いている気がする。それが、度重なる不運もがっちりと受けとめて逞しく切り抜けていく原動力のようである。

老いと自然
後藤美子歌集『残果』

書評 三宅 勇介

残果

 傘寿を迎えた著者の第五歌集。夫との穏やかな日々、亡き父母や祖父への思い。日本語学習支援のボランティアグループでの外国人や、歌友との交流。老いていく事への感慨、北海道の自然。それらが、日々の暮らしの中で綴られていく歌集である。

「今日からは八十歳です」胸に札下げようかしら文月来る

 この宣言にも似た感慨。本人にもそうであろうが読者にも結構ズシンと来る。しかしこうした一見強がりとも取れる表現とは裏腹の歌もある。

仇敵のごとく白髪を抜き捨てし日々もありけり八十路ちかづく
来年を疑はざらむと自らにいひつつ閉づる雛の桐箱

 老いは誰もが経験しなければならないもの。だからこそ身近な家族が老いていった時、どうであったが思い出される。

こゑひくく「阿波の鳴門」をうなりゐき少し飲みたる晩年の祖父
うさぎ飼ひ川沿ひに畑耕してくちかず少なく祖父は老いゐき

 死はすぐ近くに感じられる。読者もいずれは体験しなければならない。

きれぎれの短き夢に人は来て死にたる友のことを言ふなり
おもひでのいくつをたどりかなしめりながくあはざるまま友逝けり

 人は消えてゆく。だが自然は残る。

あいまいを許さずふかき冬青空木肌かがやき白樺は立つ
ななかまど色さしはじめ虎杖の花闌けにたり河川敷は秋
戸を引けば皓(かう)とつめたき光あり明日全円とならむ月読
ひらききらぬまま朝顔は昼を迎ふ最低気温六度となれば

 北海道の自然が、人が老いていく事に対して際立つ。月並みな言い方ではあるが、人は自然に還っていくのである。

生々しいリズム
森有子句集『だんご虫』

書評 曾根 毅

だんご虫

 「どんなに小さくっても(短くってもか)、表現することはすばらしい。何がすばらしいって、自分が解放されるから」。あとがきにあるこの一言に、私は立ち止まった。短い俳句を短い言葉の塊として真っ直ぐに捉えた清新な言葉だと思う。二〇〇七年の夏に俳句を始めたということだから、本句集は句歴八年の集大成ということになるのだろう。彼女の句を読んで、一貫していると思えたのは、胆の据わった自己肯定。自己の範疇には、我に関する状況のすべてを、目を背けることなく見つめようとする眼差しが含まれる。

麦こがしあしたはあしたの手のにおい
日向ぼこ見知らぬ人があたたかい
五月病かもと短き手紙くる

 一見、他人事のように対象を突き放した詠み方だが、「あした」も「見知らぬ人」も「五月病」も、情況として我が身に引き付けられている。また、五七五定型でありながら、口語調でどこか自由律俳句を思わせる独特の言葉のリズムにも注目したい。想いがリズムを支えているかのような、言葉が深層に触れているような、生々しい言葉の感覚がある。

盆踊り前とうしろは双子かな
草色の靴下選ぶ遅日かな
豆ごはん食べてむくむく雲になる

 これらは、俳句定型の機能を踏まえた飛躍の句。感性で徹すこともできる人だと思うが、俳句型式の強みについて、無関心ではいられないのではないか。一句目、盆踊りの輪があの世とこの世に通じている不思議を、双子の前後と重ね見る不思議。二句目、草色の靴下に見る遅日との感覚的な類似。三句目、豆ごはんの味わいが、肉体感覚をもって雲に転化する物の飛躍。次の時代を見据えた、新鮮な言語感覚がある。

とけてゆく寂しさ
井川まさみ歌集『桜の家』

書評 森 水晶

桜の家

 『桜の家』という書名のとおり、桜の木がある家に住む作者の家族詠を中心とした歌集である。猫も加わり、とても仲の良さそうな素敵な家族の悲喜こもごもが描かれている。
 ここで、逆のことを述べるようだが、ひとは誰しもひとりぼっちである。ひとりで生まれひとりで死んでゆく。だからこそ縁ある家族や友人、知人を大切にしなければならないのだが、大切だからこそ、他者と自己とを「完全なる同一視」してはならず、賢明な者ほど孤独を意識して生きているのだ。
 そのように考える度に短歌というものの素晴らしさが思われる。ひとが短歌を媒体にし、会ったことも話したこともない他者と通じ合うことが出来るのだ。「自分も同じようなことがあった、感じた」或いは「自分とは違うけれど、そのようなひといるよねぇ、そう感じる気持ちもわかる」と思うことはどちらも共感である。「秀歌」の条件の一つとして、多くの読者が共感できる歌ということがあげられるだろう。『桜の家』には「共感」の歌が沢山あり、選ぶと付箋だらけになった。これは作者の物を見る眼の繊細さと確かさ、難解さを避け、やさしく作る(実は一番難しい)という作歌方法を実践している所以と思われる。
 読者に向かって、大きく手を広げ抱きしめるようなあたたかさがあり、ユーモアもあり、読み終えると、この世を生きる寂しさがとけてゆくようで、とても穏やかな良い気持ちになれる。

男性に共通したる人の良さ存分持ちて夫熟睡す
子の植ゑしミニトマトの下仰向けとなれる怪獣の人形一つ
同時多発テロのニュースを聞くゆふべ家族無言に蟹の身ほぐす
無数なる車の中の一台へと地下駐車場に響く靴音
桜花風に散る様見つめゐる猫は窓辺に定位置占めて
苺・苺と念じて振れど出できたる薄荷ドロップ缶に戻しぬ

音が聞こえる歌集
原雅子歌集『白き繊月』

書評 森 水晶

白き繊月

 『白き繊月』を何の予備知識もなく手に取った者は、まず驚くことだろう。青と銀の静謐な装幀の歌集は、形態としては最もオーソドックスな四六判であるのだが、本を開き頁を捲ると、一頁に一首が活字ではなく、美しい墨書で記されているのだ。これは冒頭の飾りとして置いたものではなく、間に折々挟む挿画として存在しているものでもなく、一冊まるごと全ての歌が著者の手による書で成り立っているのである(左隅に墨書で書かれた歌と同じものが小さめの活字で記されている)。
 短歌とは「歌」である。大切なのは調べであり、リズムである。耳で聴いて心地よいものでなければならない。しかし、視覚も大変重要で、例えば「薔薇」と「ばら」と「バラ」では、読者は無意識に異なる調べを受け取っているのだ。漢字では明確に、平仮名はやわらかく、ゆっくり、カタカナは軽く、少し速めに、というように。そういった意味で、書によって表現されている短歌はその書の在りよう、墨書の姿のごとく感受されると言える。強弱、濃淡、曲線、払いや留め、擦れ等々によって調べやリズムが表現され、一首一首の音が聞こえ、姿が立ち上がる。例えば震災の歌などでは、「怖れ」「震え」の調子が伝わってくるのだ。
 無論、美しい自然、歴史、文化、文学などを題材にしている作品にも効果は大いに発揮され、古典に対する信頼、親和を基に選ばれた言葉と融合して、作者の世界観が立体的に、宇宙的に広がり読者を楽しませてくれる。

天災が人災の非を炙り出す多重苦受くるゆくへや知らず
詠とはと自問を重ぬ心音は自然を映す水面の奥と
初物の枇杷の命の種二つ四つのもありて果汁に光る
赤き薔薇風にそよぎて在りし日の心やすけき想ひめぐれり
群青の空の三日月照り映えてゴッホも糸杉に黄金月を添ふ

重層な時間の堆積
長谷朝子歌集『古墳の森』

書評 中山 洋祐

古墳の森

 著者は商都、堺に住み長らく経理の仕事を続けてこられた。今もそうだが、当時にあっては女性が正社員として働くことは決して平坦な道のりではなかったと思われる。歌集は引退後の日常詠が中心ではあるが、男性中心の社会の理不尽さを耐え抜いた自負と本来の人柄の混在する独特のリズムが魅力である。

走り過ぐる特急ラピートの風圧に吸ひ込まれたき衝動のわく
声立てて笑ふを忘れ暗闇に力を込めて喇叭吹きたし
どう見ても歩行者信号の人型は女でないと立ち止まり見る
畑なかに手鏡のごとく伏せてゐる古墳に秋のひかり移ろふ
こつそりと弔ひ済ませたる人といつも通りの会釈をかはす

 現実的なバランス感覚に優れた人のようだが、仕事や社会との関わりのなかに形作られた分別のよい自分自身への繊細な気づきがあり、歌の細やかな感覚は人や社会への鋭い視点となる一方で自己本来の姿の回復への穏やかな指向へも向かう。その振幅が歌集の魅力であり老いの歌のパターンを外す力ともなっている。古墳の形状を伏せた鏡に見立てる感覚はアンバランスさを感じさせながらも、どこか地に足のついた説得力がある。
 おそらくは堺という街の歴史、風土の息吹、四季を愛し続けた著者の身体的な体験が投影されているからに思う。歴史の実体としての巨大な仁徳天皇陵、街の焼失と再生を繰り返しつつ生き延びた庶民や商人のしたたかな意地。利休、与謝野晶子など文人たちの記憶。今につながる重層的な時間の堆積としての街の力を著者は信頼しており、繊細な気づきと大胆な見立てを両立させる歌の美へのバランス感覚とも繋がってゆく。

江戸の代の米屋と刻む祖先(おや)の墓風をさけつつマッチ擦りたり

 災禍を生き延びた庶民の意地と美学を感じさせる歌集である。

風と光と
ますいさち歌集『風船蔓』

書評 森 水晶

風船蔓

 深く美しい精神性、霊性が感じられる歌集である。道浦母都子氏による「跋」に、作者がヨガの教師であることが書かれてあり、納得した。
 作者の身体と心と魂はヨガの実践によって、また長年続けている田植え作業で自然と接することにより、限りなく透きとおりゆき、「空」になった場所には、きれいな風が吹き、美しい光が差しているようだ。その世界には限界や境目がなく、亡き友人、祖父母を題材とした歌などでは、あの世とこの世は確かにつながり、同じ風と光を共有していることがわかる。
 後半に多く収録されている旅行詠の中には「パワースポット」と称される場所が沢山あるのだが、寧ろ、普段の生活の場所を詠んだものの方が精神性が強く、パワーを感じられるのは作者自身がそのような存在だからなのではないだろうか。
 「あとがき」によると、ヨガを教え、農作業をこなし、世界を旅したパワフルな作者は、数年前に難病の宣告を受けたとのことである。稀有な精神性を持ち、自身がパワースポットのような作者は、きっと力強く快復に向かっていることと思う。
 どうぞお大事になさって、さらに深く、高い精神性に満ちた第二歌集を作られることを心より願う。

不揃いにうねる青田を見ていれば風よおまえの手足が見える
くちなわの去りし草生のぬくもりよ物言わぬものが残したるもの
曼珠沙華ともして父があの世から稲穂のふくらみ確かむる今宵
如月の庭より切りしさざんかは一輪になれば増す力あり
賜りたる燻し銀色のひのくれに吾を置き去る吾を放つ
ガード下の荒地に一本月見草ゆうべの月光は届きましたか

農村のある一日
横田益代歌集『夏草を刈る』

書評 甲村 雅俊

夏草を刈る

 生活の歌が多く収録されている。山間に生きる典型的な兼業農家の暮らしぶりについて、読者は作品を通じて追体験できる。

猪の親子捕らわるる傍らに屠殺ナイフのぶきみに光る
乳飲み子の瓜坊前に村人は親の処分をしばしためらう
目の前で母殺されし瓜坊は身を寄せ合いて吾らを見つむ

 猪の屠殺の様子を詠んだ歌が、まずとても興味深かったので引いた。生き物の命をいただいて私たちが生きているという事実から離れてしまうと、全てが嘘っぽくなるだろう。現代の都会の生活には美しい嘘や醜い嘘、巧みな嘘や稚拙な嘘があふれかえっているが、短歌は嘘であってはいけないのである。

むら雲の広ごる空のあわいより待ち侘びし春の光が届く
石段を振り返りつつ子猿行くわが丹精の茄子をくわえて
ひとつ聞きふたつ聞きたる雨音を両手ひろげてさらに確かむ

 農村でもインターネット回線の普及やさまざまなIT技術の活用によってインフラが整備されている。パソコンやスマホを利用した家族の心の交流も当たり前に行われるようになった。そして、家族を思う気持ちを素直に詠めば必ず秀歌が生まれる。

仲良しになれないままに帰りたる孫の動画の声に安らぐ
離れ住む未だ独りの子を思い土手に土筆をひとつ摘みたり

 次の歌は著者にとって大切な歌友を亡くされたときの作品であると思われる。このさみしさは私にも伝わってきた。

もの言わぬあなたの柩まえにして白き芙蓉はただに揺れいる

 今日も全国の農村で暑い日が照りつけ、陽が落ちやがて夜になる。永遠の循環の中に存在する一瞬の光景を歌は捉える。

草むらの青き光に飼い犬がそろり手を出す 蛍見つけて
月の夜を遊び疲れて眠る犬かたえに赤きゴム鞠ひとつ

弱きものへ心を寄せる
池田幸子歌集『繭のような白き時間』

書評 中山 洋祐

繭のような白き時間

境内ゆ移植されたる荘川の桜の記憶に集う風たち
蛇口の向こう 取り返しのつかぬ故郷を沈めし水に人参洗う

 著者はダムへ沈みゆく村の下流に住みつつ利便性と引換に失われる自然と人との営みへ思いを馳せる。それは政治的な抗議の意識、不公正さへ怒りを伴いつつも、人間としての痛みや失われゆく時間、営みを惜しむ心への共感が大きく、思索性の深みのみならず、他者への開かれた感覚が魅力の歌集である。

夏空に煙たちゆく 満杯になって苦しんでいた鉛筆削り
遊ぶことは働くことに似る両の手にバケツを下げて砂を運べる
貴族死す自分の中の治癒力を信じ続けしひとは死したり
息を引きとる際に一気に尿(ゆまり)いで弛びてゆけりまぶたの浮腫も

 著者のまなざしには消えゆくもの、弱く負けてゆくものへの慈しみが強く、ひと時の感情の移ろいとは異なる冷静な人間愛が込められている。観察の鋭さと共感のみに歌を背負わせず、一旦距離を置くことでかえって詩的な距離を深めてゆく。

緘黙のかなちゃんの声は卒園式を包みて湯気の立つような日だ
園児からつるりとまさやの顔になる迎えの母の胸にゆくとき
アンフェアーなこと多きこの世は砂のようにずり落ちてくる眼鏡か押し上ぐ

 職業は保育士なのだろうか。魅力的な子供の歌が多い。プロの目線が端々に感じられるが、愛情と観察を込められた距離の保ち方に著者の人間の立ち直る力への信頼の強さを感じる。人間への希望を捨てない感性の弾力が爽やかな読後感を残す。

見立ての力
栗木京子
伊藤一彦
吉川宏志評論集『シリーズ牧水賞の歌人たちvol.9栗木京子』

書評 佐々木 朔

シリーズ牧水賞の歌人たちvol.9栗木京子

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

 栗木といえばこの「観覧車」の一首が有名だが、という前置きもそろそろ食傷されるだろうか。もちろん、栗木を語るにあたって、この歌を無視するわけにはいかないだろうし、圧倒的に人口に膾炙した作品が存在することは、その作者にとって絶対に幸福なことであると信じているけれど、作者の他の作品にとっては、もしかすると少しだけ不幸なことなのかもしれない。本書に掲載されている代表歌三〇〇首(吉川宏志選)を読み、そんなことを思った。これほどの数の、それも「代表歌」と呼ぶに相応しい歌たちを並べられると、とにかく圧倒される。「シリーズ牧水賞の歌人たち」は各号で三〇〇首選を掲載しているというが、素晴らしい仕事だと思う。

鶏卵の中なるとほき王国に教祖の坐(ま)せり毛むくぢやらにて
国家といふ壁の中へとめり込みし釘の痛みぞ拉致被害者還る
囚はれのフセイン喉をさらすとき世界中から舌圧子迫る

 本書の各執筆者も言及しているのが、栗木の社会詠の卓抜さだ。これらの歌において、栗木は自らの主張を述べているわけではない。恐らくはマスメディアの報道をもとに作歌されており、ややもすれば当事者性に欠けるという批判もあるかもしれない。しかし、宗教団体を鶏卵に隔てられた王国と、拉致被害者を釘と見立てることができる、という気づきは、読者のその事件への視線を決定的に変えうる力を持っている。そして三首目は、マスメディアを通した視線そのものが持つ力を暴き出す。
 また、栗木が前掲のような、言わば「大きな事件」に取材した時事詠を積極的に発表する以前から取り組んでいたのが、女性、特に家族における妻という立場の問題だ。

天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで
女らは中庭(パテイオ)につどひ風に告ぐ鳥籠のなかの情事のことなど
扉(ドア)の奥にうつくしき妻ひとりづつ蔵(しま)はれて医師公舎の昼闌(た)け
庇護されて生くるはたのし笹の葉に魚のかたちの短冊むすぶ

 これらの歌にも、栗木の観察力、見立ての力が表れている。伊藤一彦によるインタビューのなかで、栗木は八〇年代前半に河野裕子と阿木津英の間にあった「女歌」についての対立に言及し、自身は女性についてそのどちらとも異なる歌い方を模索したと述べている。この時期の「女歌」議論については、最近では改めて注目する動きも見られるが、今なお考えるべき多くの問題を提示していると思う。最後に最も好きな一首を引く。

月台(ユエタイ)はプラットホームのことなりと教はりて待つ春の列車を

歌がみちびく
西五辻芳子歌集『金魚歌へば』

書評 甲村 雅俊

金魚歌へば

 真っ赤なクロス上製の歌集である。そして次のように繊細な感性が威力を発揮する作品が歌集の初めに置かれている。

わくらばを踏みし夜道の泥濘に月の子がほらつ舞ひ降りひかる
ふるへつつ蝙蝠と生れ叢を朝かげよけてひとあしごとに

 積極的に虚構に踏み込む歌人であることがわかり、歌に保守的な私にとっては苦手な歌風の作品が続くだろうという予断のもとに読み進めたが、とても魅力があり抵抗感はなかった。

主亡き更地に咲きし野路菊は月の光に冴え広がれり
秋立つを空に探すはたよりなし公園の木に青い実あれど

 喪失感や虚無を詠むのは難しいが、著者は的確に言い当てるかのように歌う。次の歌は螺旋しながら上昇するロマンか。

蝶二匹口づけしまた口づけしたかくまたたかく空に消えたり

 次の肉親が関係する歌には、切実さと普遍的な教訓がある。

二歩三歩あるき初むる子にさそはれて踏み出さむとす朝の病棟
父の死をなきたるわれに母教ふ死後悲しめば成仏せずと

 また、可笑しく自在に三十一音を操る次のような歌もある。

あれつだれかよびましたかねねてますねんねてますれどもすねてますねん

 巻末に「金魚の独り言」と題するエッセーがあり、震災後「日本人は皆でひとつになり本当に大切なことを知った」という一文で結ばれている。果たして今もそのように言えるだろうか。しかし、私も歌にすがりながら歌の後をついて行きたいのだ。

巨大地震おこりて後の十一時間われはひたすら歌詠み祈る
みあらかへわれをみちびく神鹿はふりかへりつつわれをたしかむ

とどまり続ける光の断片たちへ
花山周子歌集『風とマルス』

書評 谷村 はるか

風とマルス

 この歌集は二〇〇七~一〇年の作品を編んで二〇一四年に刊行された。その中で一一年に東日本大震災が起こって、以降著者は「この歌集の頃の歌を遠く感じるようになった。それまでは、過去の作品はどれも現在と地続きだった」とあとがきで言っている。しかしこのあとがきを参照するまでもなく、作品を読めば、ここにあるのはもう戻らない瞬間の光の断片たちなのだという感じは強い。そしてそれでいいのだと思う。歌とはほんらい断片であろう。何処とも地続きになれず、定まった位置を取れず、断片でいることしかできない思いのことを、歌と呼ぶのではないか。

角曲がるたび、風に出会う頬すこし火照りゆくなり梅の香のして
わが影の縁(ふち)より出でし一本の指が悲鳴のように光れり

 一瞬のためだけに生まれ、そして二度と使われることのない文体がある。強い一回性を感じさせ、かつ、何度読んでも褪せない衝撃がある。

茱萸の実の生(な)る枝もらう夢の庭におびえてわれが聞きし足音

 聞こえ来た足音におびえながら、その足音を求めている。夢の中のその足音を、恋うている。人は、心を波立たせるものに恋をする。恋した相手に心が波立つのではない、その逆である。

どうしても君に会いたい昼下がりしゃがんでわれの影ぶっ叩く
君を嫌う権利をわれは握りおり本をばたばた読み進めおり
蝉の声充ちてしずかに君の喉、喉うらがえすように水飲む

 恋の苦しさは細部に宿る、というより細部は苦しさばかりで満ちているから、恋した者はたいてい大きな物語に逃げて楽になろうとする。けれどここにあるのは苦しさのままでとどめられた心だ。読むたびにわたしによみがえる苦しさだ。

草の影、草地のおわりに落ちていてここから先が本当の土手

 時制という概念が意味を持たないほど瞬間的である。ここから先の未来への期待なのか、この先は土手だと結果を知っての過去へ向けての思いなのか、そのどちらでもない針のような時間である。

石膏像マルスを奪え 思い出が消え去る前に抱えて走れ

 そんなことをしたらむしろ本当に思い出は消え去ってしまうよと、この歌にだけは言わずにいられない気持ちになってしまう。かつて「豊作」に載った「風とマルス」一連の、美術学生の群像に胸を熱くして読んだ。だがその一連は大幅に削減編集されて本歌集に収録された。それでもこの一連のタイトルがそのまま歌集のタイトルとなったことは、わたしを深く納得させるのである。

夜の沃野
伊藤京子歌集『木母』

書評 甲村 雅俊

木母

〇歳と六〇歳が午睡せりにんげん図鑑のやうに並んで
人類のあけぼののやうにのつそりと二足になつて布団より出る

 ユーモラスな歌である。次の歌からは著者の楽天的な人柄が伝わってくる。歌友から愛されやすいタイプの方だと思う。

女には忘れたきこと多すぎてまたペコちやんを撫でに行くべし

 帯文に永田和宏氏が「自らに溺れない」と書かれている通り、著者は認識を手放すことなく事象を正しく詠もうとされる。

失敗はゆめ許されぬサーカスに失敗らしくピエロが演ず

 他方で、自然の姿に人間の希望を託して表現する秀歌もある。

ボンネットに溜まりてをりし桜ばな助走をつけて翔び去りゆけり

 次のようなオノマトペの楽しさを実感させる作品もある。

ガラスの上小さきヤモリがひたひたひた花の吸盤歩ませて ひた

 家族の死と誕生について詠まれた作品に特に心が惹かれた。

口開いたままではゆかせられないと冷えゆく父の頤ささふ
吾子がもうひとの親になるひと月もすれば小さきセンブリが咲く
助産婦の掌が当てられてゐるあひだ妊婦も胎児もわれも安らぐ

 私たちは言葉をより美しくすることによってしか、読み手に自分の本当の思いを届けることはできない。個人の感情を他者に伝える手段としては、実は歌は適していない。歌人にとって歌作りは、精神の沃野における孤独な営みなのである。

やすらかにてふを眠らせあを白くなりゆく夜の菜の花ばたけ

現代から万葉へ
高橋亜子歌集『近つ飛鳥』

書評 土屋 千鶴子

近つ飛鳥

トンネルを過ぎ橋を渡りわが車窓に近々迫る大和青垣
栢森(かやのもり)行き行きて暗む芋峠この道を持統帝はいく度越えしか
長岡京址の桜若葉の下蔭にあはれ政治家家持を聞く
三十八歳の府知事示す不要施設その中に「近つ飛鳥博物館」も

 第一歌集から十年を経ての本歌集は、岐阜と奈良を行き来する生活から美濃に落ち着く間の作品が収められる。一首目は歌集の巻頭歌。「トンネルを過ぎ橋を渡り」と現代の地理的移動の描写からはじまり結句の「大和青垣」で一気に万葉の大和へのひろがりに読者を連れ出す。この歌集の世界の導入に相応しい一首だ。日常の生活を大切にし丁寧に身辺を掬い取る作品が多いが、その中に作者が学んだ万葉の時代やふるさとへの深い思いが潜む。二首目、三首目では、万葉集の歌人である持統天皇や大伴家持の別の側面を詠う。政治家としての彼らの苦悩や挫折などにも遠く思いを馳せるのである。同じ生身の人間として彼らを自身にひきつけることで、万葉の歌にさらなる共振を感受したであろう。古代への思いの尽きない作者の故里である河内に建つ「近つ飛鳥博物館」。それを「不要施設」と示す若い大阪府知事に対する悔しみが滲む四首目には人間社会にとって経済性だけが優先されるべきなのかという批判が込められる。

穏かに吾にもの言ふ今日の夫自己啓発セミナーより帰り来たりて
独りにても欠かさず食べよとわが為にカート満たしくるる明日入院の夫
足裏に馴染む郡上のをどり下駄二人高層のベランダに履く

 夫を詠んだ作品には自然な労りの見えるものが多いが、一首目、二首目のようにほのかなユーモアのただよう歌があるのも好ましい。夫婦の暮らす「高層のベランダ」で二人が履く「郡上のをどり下駄」の風情が何とも言えずうらやましい。

懐かしき母への祈り
住田美香歌集『つきかげ』

書評 土屋 千鶴子

つきかげ

早春のさやけき水仙冷えまさる壺に活けられ春放つなり
ときならぬ華やぎ見する六甲の峯一面の春の淡雪
常(とこ)しへに花咲く界に母とゐてさくらさくらと歌はんがゆめ
懐かしき母の膝はなれ母となり人とは確かに死へと誘はる

 本歌集の作者は、事故により入院中で出版時すでに意識レベルが低く的確な応答が困難という状況であった。ご子息が「未来」の米田律子氏に相談し歌集出版に至ったようである。
 この歌集には二〇〇一年から概ね十二年間の作品が収められ、日々の生活の上澄みを四季とともに端正に詠いとめた作品が多い。一首目の「早春のさやけき水仙」、二首目の六甲の「春の淡雪」、いずれも日常の猥雑さから離れて気品のある抒情を見せる。三首目は、彼岸に咲く桜の中に亡き母を想い「さくらさくら」の調べを流露させる。しかし、手放しの感傷だけではない。四首目は亡き母から母となった自分へと続く系譜を「死」への誘いまで認識して生き切る覚悟を詠みあげる。

了解と一言メールに送りくるまこと詮無し 息子といふは
物干しのポロシャツ揺れてさながらに失ひしものへもの言ふごとく
消ゆるもの失ひしもののもろもろの上に咲く花生きるといふこと

 歌集中には長男・次男一家での旅行など楽しく大切な場面が詠まれた家族の歌も見られる一方、一首目のような世の母親のほろ苦い共感を呼ぶ作品もある。ただ、ネガティブな面をあえて作品として残すことはないという考えであったのだろう。そのことは二首目、三首目に色濃くあらわれている。二首に共通する「失ひしもの」を具体的に描写することはない。それはときに物干しに揺れるポロシャツのようなものであり、そういった静かなかなしみの上に生きるという「花」は咲くのである。

こころは自在
佐久間濶子歌集『ぎしぎしの花』

書評 土屋 千鶴子

ぎしぎしの花

ぼつたりと腕を落して空を見る何もない空見えない銀河
昔よく遊んだおはじきリハビリの道具となりてわが前にあり
リハビリは医の格闘技頭の天辺足のつま先総身で治療す
自刃するときガラシャは泣かなかつた(と思ふ)今朝の雨ももう上がるだろ

 本歌集は、脳梗塞を患った作者の長期入院の記録であり、あとがきには出版の理由として「いろいろお世話になった病院の皆様にもう一度ありがとうが言えたら」とある。
 一首目は入院間もないころの作品で、右半身麻痺の感覚と病状を受け入れられない心理が切実に詠まれている。二首目はリハビリが始まった急性期、三首目はリハビリ専門棟に移ってからの回復期の作だが、前者は長期リハビリの辛さや不安を紛らわすような「昔よく遊んだおはじき」が効いている。一方、後者はリハビリの辛さを楽しみさえするようなリズムがあり、医療スタッフへの信頼感にも満ちている。いずれも作者の芯の強さを感じさせるが、四首目の独自な感慨や口語調はその不思議な強さの秘密につながるようだ。

完治しない身体も私の一部なら一緒に花見に行かう右側
もの思ふ心も花を植ゑる手も残りてをりぬくすんでられぬ
水の気配に根を伸ばしゆく木のやうにあの日の私はそんなだつた

 右半身の麻痺は完治しないという現実を受容し「一緒に花見に行かう右側」と語りかけ、「花を植ゑる手も残りて」「くすんでられぬ」と詠う作者は実に前向きでその心は自在である。三首目ではリハビリの日々のなかで、溜息のような下句を支えるのは「水の気配に根を伸ばしゆく木」なのだ。そのたくましさとのびやかさは読者の心も解放してくれる。

虚空に寄せて
田中みのる句集『青天』

書評 曾根 毅

青天

 略歴によれば著者は、昭和十三年群馬県生まれ。平成十年に大阪府で定年退職と同時に俳句を始める。その後、転居された滋賀県で生活実感に即した句作を続けている。句集名の『青天』について、あとがきに著者の思いが記されているが、私は、大きな琵琶湖の上に広がる何もない澄み切った空間、すなわち虚空に自らの心情を寄せているものと受け止めた。季語をはじめとする対象物が情況に通じてゆくところに注目した。

臥す母へ入れやる風や麦の秋
あら炊きの鯛の目舐る余寒かな
こぼれこぼれて妻の忌の柿の花

 例えば一句目の「入れやる」に込められた感謝と祈り。母の看取りの光景を作者の想いに引き付けて、豊饒の麦のさざめきとして昇華させる。二句目、あら炊きを自らの情況として、鯛の目で象徴的に表し、そこに向き合う心情を対象化して余寒へと転化する。三句目は、妻の忌に寄せる想いを、白く可憐な柿の花の質感で捉えながら、上七の溢れるリズムに乗せて普遍の情を示す。
 その他、定型の機能を踏まえた物の飛躍、見せ方に注目した。

猫に開く自動扉の四温かな
雪囲解かれて高き読経かな
舟ひとつ残りし舟屋梅は実に

 いずれも一句の中で意味や情感が複合的に助長し合っている。読ませる技術、その完成度の高さ。
 最終章「オーロラ」は海外詠。

痩牛の背骨に冬の日差しかな
佛塔のまろみやさしき冬の霧

 私はこれらの季語の持つ日本的情感と、現場感覚との対比を、俳味として肯定的に受け取った。

うららかな読後感
中埜惠美子歌集『旅鞄』

書評 堀田 季何

旅鞄

 八十代後半の作者による第一句集。半夜俳句会で三十年間研鑽を積み、その間作られた三千数百句を厳選して編んでいる。あとがきでは「決して平坦では」なかった人生について触れられているが、作者の人生や人柄を感じさせる作品に秀句が多い。

晩学や色の深まる冬の薔薇
やはらかなたつた一言梅の花
年酒受く魚のやうな口をして
うららかや口あけて干す旅鞄
力みなきガムランの音や月涼し

 一句目、冬薔薇の色が深まるごとく加齢に人間の深まりを見出し、晩学の意味と美しさを表している。これは五句目の「力み」のなさ、自他が自然体でいる事の尊さにもつながる。だからこそ、二句目の「やはらかなたつた一言」、三句目のやや滑稽な「魚のやうな口」、句集名にもなっている四句目の「口あけて干す旅鞄」から感じ取る「うららか」さ、といったささやかで大切な気づきを得られたのであろう。

水仙の匂ひなだるる急斜面
少しづつずれ風へたつ百合鴎
滝壺に深山の色の集まれり
渦一つついとかはしてあめんぼう
猿島より見る兎島秋高し

 「匂ひなだるる」の共感覚性、「少しづつずれ」の描写、「深山の色の集まれり」という把握、「渦一」だけ漢字にして句の内容と文字を一致させる技、「猿島」「兎島」の固有名詞の活かし方、いずれも技術の確かさを感じさせる。
 本句集を読んでいると、人生という作者の旅を追体験している気になる。その読後感は、まさに旅鞄を口あけて干すうららかさである。

戦中、戦後を生ききる
山田弘歌集『空と海と』

書評 尾崎 朗子

空と海と

 大正十二年生まれの作者は、十八歳で戦争へとかりだされる。水上機母艦「日進」に乗船し、幾たびも海戦に参加した後、昭和十八年七月二十二日「日進」は南方で撃沈されたのだ。

空爆をうけし一瞬火柱の立ちて沈みぬ吾が乗りし艦
友ら散りしブインの海の遙かなり「日進」果つる日の暑かりき
追憶をたどりて友の名を呼べば面影は渦に巻込まれゆく
空襲に息をころして椰子の木に身を避けしこと幾度なりし
五十年めぐり来たれる十二月八日戦艦アリゾナを海底に見る
わが隊の散りし戦友三百余名遺族と共に黙祷捧ぐ

 戦争の記憶は多くの友人を失った記憶に直結する。自分が生かされ、友が死んだ、という思いを一生抱えてきたに違いない。「『日進』果つる日の暑かりき」「面影は渦に巻込まれゆく」「椰子の木に身を避けしこと」いずれも体験を通して生まれたフレーズである。戦争という事実、それを抱えながら生きてきた戦後、どちらも非常に重い。戦中も戦後も真摯に生きてきたことが、この歌集からはよくわかる。

家事育児は自己の役目と疑わず吾を恨まず支え来し妻
外出に眼を病む妻のブルゾンの最初の金具合わせ嵌めやる
野の花より強く生きろと病室の妻の枕頭にコスモスを挿す
大輪の菊を供えし妻の墓鹿は一夜に花喰べ尽す

 戦後、仕事第一の生活を歩んできたが、作者の妻は「恨まず」支えてきた。そんな妻を詠んだ歌には愛情表現が不得手な世代の男性の精いっぱいの愛がある。妻を深く愛していたことは、次の歌にあるような抒情質からも容易に理解できる。

露草の先まで伝い来し螢少しためらい空に飛びたり
禅寺の牡丹咲く庭静かにて花の高さに羅漢の笑まう

「態度」の句集
小賀野恵句集『嶺』

書評 堀田 季何

嶺

 作者は学友・大浜恵一の誘いにより、「雨月」主宰・大橋櫻坡子に師事。新人賞受賞時、大浜は作者について「『態度』の作家である(中略)その意味で高野素十と通じる或る一面を感じる」と書いたが、言い得て妙である。奇を衒ったり自ら感動を創造しようとしたりすることなく、あくまでも「与えられる」感動を客観写生することに終始徹する「態度」である。その写生を通して、幅広い表現力を身につけている。

校庭の白さが広さ日短か
舗装路は朝の固さに夏つばめ

 例えば、右二句の中七における認識の確かさ。

大学の深き落葉に旧師訪ふ
鶯や水全開に手を洗ふ
ややななめなるまま聖樹立て終る
黒き傘たたむ花屑とぢこめて
口つけてガラスをのぼり夜の金魚

 「深き」の二字が齎す実感。「鶯」との取合せによる広がり。「ややななめなる」での平仮名表記の視覚効果と音の配列による妙味(素十も「甘草の芽のとびとびのひとならび」で用いた技法)。「黒き傘」の句における構図と色彩。金魚の句の面白さは写生と語順の成果。

泳ぎ終へ砂浜遠く歩ききし
水着にて水族館を素通りす
ヨットマン陸歩くときうつむける

 右三句、「遠泳を終へ陸までをなほ泳ぐ」「水着にて郵便局に来てゐたり」「ラグビーの勝者うつむき退場す」という句と比べると、持続的発展という言葉を思う。大浜の言葉に従い、「周囲と妥協」せず「自己の足許を深く掘り進」み、「泉」のごとき素十の域に迫っている。「態度」の句集である。