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青磁社通信第二十二号VOL.222010 年 11 月 発行

巻頭作品
挽歌

石川 不二子

裕子さんの訃報は遠く南より 何年ぶりの声かと思ふ

やや低く光りそめたる半月にまだ啼いてをりつくつく法師

生き急ぐ、とばかり高くせはしなきつくつくぼふし、おーしつくつく

先輩にライヴァル在らず 裕子さんが唯一のライヴァルと言はば不遜か

裕子さんに何度会ひしかさつくりした人でありしが有難かりき

先輩では山中智恵子、後輩では河野裕子の印象鮮烈

玄関脇の白百合三十みな謝せり弔ひの花なりしごとくに

一列の白百合の花みな終りほそき雌しべの残れるあはれ

暑かりし夏のをはりのまだ暑し法師蝉鳴き山鳩が鳴く

ライヴァルなどと言ひたらば人は苦笑せむ 馬鹿者だから生き残るのだ

エッセイ
秋 つれづれ

三井 葉子

 朝刊をひろげる。ひととおり大きな活字(!)から追い、コラムを読み広告も眺める。新聞はスバラシイ。多岐にわたる。いかにもウラがありそうなこと、ほんとかしらと思うような本当のこと。新聞をひらくとカサコソと音がする。
 ちいさい音や大きい音。学校に遅れそうで駆けている足音--やススメススメ兵隊サンと私など千切れるように旗振った世代なのでざあざあと鳴る世の中の流れも聞こえる。
 あのときはなあ。
 バンザイバンザイ行ってらっしゃぁいと振った旗がまさか。進メ進メと崖っぷちに行くなんて思わなかった。私たちはいつも未だ見ぬ未来に向かって歩いている。でも。足を上げて歩くところは行き当ることになっているのだ。どうしてそんな簡単なことに気付かなかったのだろう。
 ふふ、ふ。
 でも私たちは今日も前進している。生き物は立ち止まることができない。
 一歩まえに。できるならその一歩前の前にソレこそは立ため--と急いでいる。ミナサンのために働かして頂きたいというフレーズはきょうの流行語。ザックザックと靴音そろえて濶歩したい都通りのはなやかさ。われも彼も遅れてはならじとまろび寄り押し合い。へし合い団子になって左に曲る、右によじれる。潰し合う--。じぶんなんて誰のことだったか忘れる。
 なるべく団子ではないほうがいいな、と思っていた私はそんなら、と。早くも幼年期に行き詰ってしまっていたので無窮のそらに向かうことにした。
 そうしたら。

つれづれと空ぞみらるる思ふひと あまくだりくるものにならなくに
 と。空みるひとにも出逢ったりした。月ではうさぎが餅をつき。すずきの穂さきはすずしく揺れて私はそれで充分だった。ところが二十世紀が二十一世紀になった初頭。元旦の新聞に「われわれは神の領域に足を踏み入れた」とジャーナリストの立花隆が宣言した。
 ビックリしたあ。
 それはそうだ。いまごろ三ツの子に「あれはね。うさぎが餅つきしているのよ」と月を指差して言っても。
 おばあちゃん。あれはクレーターというんだよと訓される。
 みることのおそろしさ、よ。こうして二十一世紀初頭。私たちは神を失った。なんとなら神は遠いところにいられるから--である。まさか私たちが踏み入ったという領域。ええっとあれは何番地だったっけ--などというところから。
 よう。来たかいと出ておいでにならぬ。あんまり遠いので神に出会ったものは誰もいない。教会の屋根のてっぺんがあんなにながい間。光を招くようにひらいて神を待っていても。おい出(で)ではない。
 その遠い神に向かって。どうか届きたい、どうか伝えたいとひざまずいて私たちは祈り。言葉はその使いであった。
 私たちがもし、止まらずに歩いているならそれは言葉のせいである。言葉はいつもひとのまえを歩き。そらに道を描いている。
 私はもう五十年の余も詩歌を書いて暮してきたが、言葉が時なく教えた。できるだけ遠くへとべるように。軽くなりなさい。離れなさい。切れているか--。切りくちはどうだというふうに。
 詩歌はなぜ短かいか。どれくらいながくもどれくらい切れずにも書くことができるのに。詩歌のヒミツはその短かさにあるのだと思う。秋の朝。

街と時間
谷村はるか歌集『ドームの骨の隙間の空に』

書評 魚村 晋太郎

ドームの骨の隙間の空に

 谷村はるかの第一歌集『ドームの骨の隙間の空に』は、原爆被爆地としての広島が重要なテーマのひとつになっている。

川はいつも黒く光って見つめるのだ簡単にひとりを失うたびに
死没者名簿二十五万八千三百十その累乗のちぎられた時間

 一首目は歌集の巻頭歌。「簡単にひとりを失う」とは、異性との別れのことだろう。原爆投下直後、大勢の人人が苦しみながら水を求めてこの川で死んでいった。そのひとりひとりの苦しみや無念を受けとめた川に、自分の簡単な人との別れ方を、それでいいのかと問いかけられているように感じたのだろう。
  ひとりの死者には生きのびて悲しむ家族や恋人がいる。癒えることのない悲しみ器のような街、広島に作者は仕事の関係で転居し何年かを過ごしたようだ。ただ原爆の悲惨さを告発するというのではなく、生活のなかで原爆という体験と向き合いながら、自分の生き方を問い直すというテーマは新鮮だ。明快なストーリーがある訳ではないが、歌集全体が、よい意味で一編の物語として読めるような構成になっている。

アーケードの切れ目の雨に降られればあなたの固い意志がさみしい
何人も傷つけてきたと思うことそれもうぬぼれ台風が来る
なおりかけの傷の感じで思い出の曲が朝から耳にかゆい日
呼気と呼気吸気と吸気重なるのをわたしたちはわたしたちに聞かせている

 歌集には、広島だけでなく、東京、大阪、博多の街を詠った歌もある。恋の歌も、地名が出てくるか否かに関わらず、街の記憶ときつく結びつけられたような歌が多い。街とそこで過ごした時間、過ごす時間は一体なのだ。

東京は雨の日がいい路上へと滲んだほうの町を見ている
犬は裸猫は裸で町をゆきひとつの夜をわたしは思う

 濡れた路面にぼんやり映る街を見つめる一首目には、いくつかの街で暮らしたあと戻ってきて、あらためて東京に親しみを感じているような印象がある。二首目の主人公は、思い出という大きな夜の街を、犬猫のように無防備にさまよっているようだ。郷土詠とも旅行詠ともちがう、現代人らしい風土詠である。

普通に結婚したのはおまえ結婚しないわたしの今日、普通の日
顔を上げろ会ったって誰も気づかないどこにでも居るカラスなんだから

 家庭を持たず、転職や転居を繰り返しながら生きてゆく現代人は多い。そんな生活のなかで、安定もせず、そして流されずに生きてゆこうとする、主人公の姿が街の景色と一緒にみずみずしく浮かび上がってくる歌集である。

時間という競馬場
真中朋久歌集『重力』

書評 桜川 冴子

重力

精神は実体なれど物質にあらず物質はよりしろと思ふ

 二元論的に精神と物質を分けるのではない。物質とは本来、「よりしろ」ではなかったかという思い。資本主義社会に於いて、物質は金銭に換算する価値として尊ばれてきた。その在り方に挑戦していく精神こそが人間の核であるかもしれない。この歌に精神が物質のようになってしまった社会への批判性を私は感じたのであるが、このように考え立ち止まらせる歌があることも、生きがたい苦味があることもこの歌集の魅力である。

正論で盛り上がる馬鹿を曖昧にうべなひにつつ杯をあけたり
「真中君の馘首(クビ)」を憤るはがき来つわれを追ひつめたるひとりより
慎重に数をあはせてくばりゆく子らの注視のなかの桜桃

 聞いている側が恥ずかしくなるほど堂々と正論を吐く人がいて、それに輪をかけて同調する人もいる。つまらないと思いながら受け入れて生きざるを得ない自分もいる。様々な人間模様が見てとれ、実にどの人も哀しい。二首目はいかにもありそうなことだ。人間を詠むことのおもしろさを伝えてくれる歌集であるとも言える。この作者は高いところから何か特別なことを言うのではない。人間であることの哀しみを受け入れて生きることのほろ苦さとあたたかさがあって味わい深い。一方では、子どもの歌の佳品もある。歌い口が丁寧でありさりげなく巧い。

指さきで走るは爪ひとつのみに走るはいかならむと馬の耳に問ふ
私が笑ふのではなく背後から首つきだして馬が笑ふごとし

 疾走する馬には、そう生きざるを得ない痛みがある。そこに自ずと生の時間という競馬場で走らされている自分が重なる。馬車馬のように走り続けて、ある時そんな生き方がおかしく思えてくることがある。これらの歌にはペーソスが滲んでいる。

それより世界変はりしと言へりひとびとはこぞりて言へり走りつつ言へり

 旧約聖書のロトの妻は自分の町が滅ぼされる時、未練を残して振り返ったために塩の柱になった。それを下敷きにしているかはわからないが、アメリカのテロ以降、世界は滅びに向かって激しく動いた。個人は何もできないまま走り続けるしかない。リフレインの使用が焦燥感を漂わせることに成功している。
  この歌集は時間に対する意識が強い。時間に支配されながら生きざるを得ない現状に於いて、ときに作者は日常から移行する。裏道を歩いたり旅をすることを通じて、生きる手触りを確かめつつ、失われそうな時間を引き寄せてもいる。

過ぎてゆく車窓の景色のまぶしさのいづれの縁もかりそめにあらず

踏破行
大辻隆弘評論集『アララギの脊梁』

書評 本多 稜

アララギの脊梁

 近代短歌の源流を訪ねた『子規への溯行』に続く著者の第二評論集。本作ではアララギという近代短歌の巨大山脈を描く。その主稜線へと至る尾根、また主稜線を支える個性豊かな支脈、そして次の山脈へと続くルートを示すことによって、アララギ山脈の広がりを描写している。各論のタイトルは、大辻が隅々まで踏破して名づけた稜線ともとれる。「ことばの根底にあるもの」(釈迢空)、「写生を越えて」(正岡子規)、「憂愁の発見」(斎藤茂吉)、「静寂感の位相」(島木赤彦)、「子規万葉の継承」(会津八一)、「透明感の背後にあるもの」(相良宏)、「断念と祈り」(田井安曇)、「深淵をのぞくこと」(岡井隆)、「文学の上で戦うこと」(大島史洋)、「最後の戦後派歌人」(加藤治郎)、「ありうべき私に向けて」(葛原妙子)等々、アララギを軸に近代短歌以降の流れが見てとれる。
  釈迢空を通して歌のみならず日本語そのものを問う第I章、アララギの高峰をなす歌人たちの各論から成り、それぞれにとって「写生」とは、また歌とは何であるのかを検証する第II章、評伝『岡井隆と初期未来』を受け継ぎ発展させた第III章、そしてアララギの文体が葛原妙子や山中智恵子らにどのように摂取されていったかを論考する第IV章の四章から構成され、さまざまな角度からの考察が、近代短歌史を鮮やかに染め直す。
 各論には、短歌史のターニングポイントや、各時代の短歌が直面した問題が詳しく述べられている。また、各論は取り上げた歌人の個性や特質を通して短歌というものの本質を見つめなおす試みであると同時に、作者にとって短歌とは何かという問いでもあると感じた。そこから導き出された答えは、作者と同時代を生きる者が歌を作るにあたっても大変参考になるものである。辞や調べの分析など、時代に鍛え上げられた作歌のヒントがちりばめられている。
 全体を通して大辻の短歌観が反映されているが、大辻の短歌に対する問題意識、危機意識は相当のものと思われ、覚悟すら感じさせるものがある。例えば「島木赤彦の写生論」で写実が凋落した理由を問い、次のように答えている。「近代短歌における写実や写生の理念を支えてきた『辞』の力が、二十世紀の後半の五十年間を通じて急速に衰えたからである。日本語の変容という短歌を超えた理由が根本にある。その変容は、今世紀にいたって短歌そのものを瀕死の状態に追いやっている。」彼のこの断言は、私には、ならば我々はどのように詠むべきなのか、変容した日本語に適した短歌とは何なのか、日本語そのものが危機に瀕しているのではないのか、等々の問いを(歌人である)読者に促しているように思えてならない。他にも、我々が今立っている地点を再認識させ、短歌の取るべき道を考えさせる論考があり、示唆に富んだ評論集となっている。

新しい角度からの考察
藤原勇次歌集『評伝 中村憲吉』

書評 大井 学

評伝 中村憲吉

 評伝を読むのは楽しい。殊にその著者自身が楽しみながら書いていることが行間から伝わってくる場合にはなおさらだ。著者の楽しさにつられるままに、知らなかった事実を知り、また知っていたはずの事柄も新しい視点から見ることが出来る。
 藤原勇次による『評伝中村憲吉』は、そうした思いを存分に味わえる著作だろう。例えばそれは若き憲吉を取り囲んでいた三次中学校や鹿児島第七高校における文学的な交わりを、膨大な資料を基にして語り進める口ぶりにも如実に現れている。憲吉を短歌の道に引き込むことになった堀内卓造との出会いとその別れ。伊藤左千夫との出会いの場面などは、まるで教養小説の一品を読んでいるかのようだ。
 また本書は、副題にあるとおり中村憲吉を軸として、島木赤彦、斎藤茂吉、土屋文明など「アララギ」において交流のあった歌人とのかかわりが立体的に描かれている。「中村憲吉の文学風土」と題された第一部にも茂吉・文明についての言及は多いが、第二部「斎藤茂吉と憲吉」、第三部「土屋文明と憲吉」として、ほぼ等量の重さで、憲吉という一人の歌人との関わりにおいてその歌が新しい角度から考察されている。例えば、「電報を受取りぬれば海中(わたなか)の浪(なみ)なぎはてしことのしづまり」という斎藤茂吉の歌も、憲吉の訃電を受取った茂吉の心に沿って解釈される時、憲吉の「それまでの不安と心痛とを思うと生命の終わりの静けさを瞬間に感じた」(第二部「茂吉と憲吉」第三章)ものと解釈される。即ちそれは、憲吉という歌人が生涯を終えた場面を語ることであることと同時に、茂吉の歌を改めてその人生の場面に応じて捉えなおすことであり、ひいては歌の背景と作品の可能性とを問い直すことでもある。
  書棚にあった『中村憲吉歌集』(岩波文庫)も、本書を読み終え、より魅力的に読める。その選者は茂吉と文明だった。

言葉は音
佐々木千代歌集『菜の花いろ』

書評 大井 学

菜の花いろ

 言葉は、まず音なのだということを、佐々木千代さんの歌集を読むと思い出す。声に満ちた歌集と言っていい。

えつと水飲んで逝つたけん祖母のいふ兵士の墓は水を供へず
あの年は雪が降つてな 峡深く母は父との紅葉見てゐる
「百歳」と内緒ばなしのやうに言ふ祖母は十本の指をひろげて
同じ月見てゐたんだね 遠き娘が梅雨の晴れ間の月蝕をいふ
花だいこん群れ咲く道を左折してパン屋の横をおいでください

 何気ない会話の言葉の中から詩情を掬い出す作者の耳は、言葉の音の後ろにある時間や空間の拡がりを、活き活きと感じている心でもある。水死しただろう兵士の苦しみを思う祖母に共感し、過ぎ去った時間を見つめる母の視線の先をともに見ている。離れ住む娘との会話は、距離の遠さを一足飛びに越える。「おいでください」という案内すら詩性を帯びる。

悪戯つ子の目をして「来週はどうですか」手術を勧める心臓外科医
大き傘ちひさき傘に重なりてかたつむりよと声のきこえる
亡き祖母の座ぶとん縁に膨らめりおばあちやんも来て座りませんか
曼珠沙華の花ゆれてをり「ああ」としか応へぬ姑に会ひにゆく道

 現実の作者は心臓を病むらしい。大病を抱えつつも健やかな精神は、詩の声に耳を傾け心に寄り添いながら歌を紡いでいる。祖母・母・姑・娘という豊かな声の系譜の中にある〈われ〉は、「ああ」という一言からも万の思いを聴き取っているだろう。

あをぞらがぞろぞろ
河野裕子歌集『母系(6刷)』

書評 中川 佐和子

母系(6刷)

死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく
生き物はみんなひとりで死んでゆく死んでゆくにも体力が要る

 この原稿の依頼をもらって書いている間に、河野裕子という大きな存在を失った。躍動感ある相聞、子や家族の歌の魅力を、そして日常の歌の広がりを、生きていく上での強さを示してくださった。亡くなってとても大きな悲しみである。
 最初にあげたのは母の歌。母を歌ってこんなに悲哀の深い歌はない。ふと口をついたような口調で母の死にむかう姿を、客観的なまなざしを加え、「自分の死の中にひとり死にゆく」「死んでゆくにも体力が要る」と言い切るときに、河野は見守る覚悟を引き受けていったのだろう。
 この二〇〇八年刊行の第十三歌集『母系』では、さらに口語の表現の自在さが感じられ、日常がいかに奥深い時間であるかを教えてくれる。そして読んでいくうちに、この歌集の中でも生きてゆく上での孤独感というのに突き当たった。「今朝、母が亡くなった。」という書き出しで、「あとがき」ははじまる。河野自身八年前に手術した乳癌の転移が見つかり、化学療法に入った日々であったとも記されている。

あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそらみろ家中(いへぢゆう)あをぞらだらけ

 身体の感覚のなんと研ぎ澄まされていることか。すうーと切れていく刃のようである。青空が体の中に入ってきて、家の中が青空で占められる。「ぞろぞろ」というオノマトペの怖さが忘れられない。青空であっても、この青空は決して明るいものではなく、空のむこうの重い空気感が伝わってくる。

この家には私ひとりと知つてゐてこゑ出せば先づトムが尾を振る   
栓抜きがうまく使へずあなたあなたと一人しか居ない家族を呼べり  
をんなの人に生まれて来たことは良かつたよ子供やあなたにミルク温める
ごはんを炊く、炊かねばが遂の習慣(ならひ)にて這ひて出で来る日暮れの台所

 家族や飼い猫トムをどこまでもゆったり大きく包み込む。「ミルク」を家族のためにあたためる楽しさ、ぎりぎりの体力でも「ごはんを炊く」という充足感が伝わる。
 そして、声の聞こえてくる次の歌もここにあげておきたい。河野の姿が目に見えてくるようだ。

ユーコさん「ゆふこさん」と呼びてくれし人たちにも一度ふり向き右手をふるよ

時間の揺らぎ
鷹野春美歌集『冬日』

書評 大井 学

冬日

 後になってみれば覚えてすらいないようなことでも、心のなかでは一瞬のたゆたいやためらいを経て、ひとはその時その時に応じた判断をし、行動を起こしている。鷹野春美さんの歌集『冬日』を読むと、自分の心の中にもあったはずの、そうした瞬間の揺らぎが思いおこされてくる。

済州島は日本のさくらのふるさととバスガイドいふ微笑みて言ふ
フルート吹く端正の貌(かほ) 大河一つへだつるごとくわが鑑賞す
雲といふも研がるるものか台風のあとの白雲低くかがやく
ゆつたりとさるすべり揺れこきざみに錦木ゆれて風の通ひ路

 微笑みの中に見え隠れしている、ある種の硬い心情を受け取った〈われ〉は、その一瞬の違和を書き記す。告発でも非難でもなく、事実としての頬笑みだけを言うことで伝わるこわさがある。フルート奏者の表情を「端正の貌」といい、奏者と聴衆である〈われ〉との間にある音楽の流れを、隔絶感とともに「大河」と喩える。台風の後の雲の白さを「研がれ」た白さと見、花に宿る個性の違いに目をとめる。大仰ではない。けれど誰しもが感じる瞬間的な心のゆらぎを適切に歌いとめている。

ルミナリエの余韻 真珠のイヤリングをグラビアの青き海に置きたり
花吹雪の花捲きあげて走り来る連結はなれし一両電車
はらり外れカサブランカの散りたるを掌(て)に拾ひたり かかる終末

 そしてまたその目が自らの心の揺れに向けられるとき、ルミナリエの光に魅せられた昂揚感や、花吹雪やカサブランカの美しさとともに在る寂寥をも掬い上げてくるのだろう。

彼岸との境を超えて
佐近田榮懿子歌集『春港』

書評 山田 消児

春港

終焉はああ黄色くて夫の敷くタオルごと連れてゆく日照雨

 目に見えない力が大切な人の命をさらっていく情景を描いた巻頭の一首である。彼岸からの光を思わせる「黄色」と、死という聖なる瞬間を象徴するかのような「日照雨」。そのふたつに挾まれて「タオル」だけがいかにも即物的な質感を感じさせ、歌にリアルな手触りを与えている。
 歌集『春港』には、夫のほかにも何人もの肉親や知人が登場する。その中には存命の人もいれば亡くなっている人もいるのだが、彼ら皆が生者死者の区別を超えた同等の存在として、作者の周囲をつかずはなれず浮遊している。そんなイメージが歌集全体から伝わってきて、何だか不思議な感覚に捉えられる。
 だが、一首単位で見ていったとき、特定の誰かのことを直接に詠んだ歌だけでなく、それらの周辺に配された作者個人の事情からは少しだけ離れた歌に佳作が多いことに気づかされる。

まだ残る力があれば抱きしめてほしいと思ふ窓のあぢさゐ
精霊はましづかなりしふかぶかと灯りに祈る子らの後姿(うしろで)

 あじさいや盆の送り火という具体に支えられて、自らもすでに死を意識しないではいられない年齢になった作者の感慨が静かに立ち上がってくる。ここにもまた、此岸と彼岸とが一体となったこの歌集ならではの世界がある。
 神戸在住の作者は、あとがきによれば、阪神淡路大震災のあとほどなくして作歌を始めたのだという。であるならば、あのとき死んでいった多くの人たちへの思いもまた、これらの歌には込められているのかもしれないのである。

倒壊現場をくぐりくぐりて東へ歩く枕木の上鳥籠さげて
上階の赤いはなびら散つて来てみづいろ硝子きりきり澄みぬ

 なお、本歌集は第六回筑紫歌壇賞を受賞している。

若々しい知性と詩情の歌
塩谷いさむ歌集『琅かん(漢字は王偏に干)』

書評 山田 消児

琅かん(漢字は王偏に干)

あし音が一直線に何処までもつづいてをりぬ花の散る道
鍵束の中のひとつが錆びてゐるわたしの知らぬ扉まだ有る

 どこまでも続いているのは「あしあと」ではなく、目には見えない「あし音」である。この初句の選択によって歌はにわかに時間性を帯び、永遠に終わらない歴史を象徴するかのような一首となった。二首目は道理に適ったわかりやすい歌だが、古びた鍵束を詠んだ上句からまだ見ぬ未来の存在を想起させる下句へと転じていく展開が面白い。事物描写の合間にときおり光る知的な感覚は、この作者の大きな持ち味といえるのではないだろうか。

クリークに軍衣を干しし春の日の垂れた柳の意外な高さ
ラーゲルの跡の辺りに影落しわが乗る飛行機通り過ぎたり

 これらの歌からは、作者がかつて中国大陸に出征し、シベリアで抑留された体験を持っているらしいことが読み取れる。だが、作者自身の内心はどうであれ、この歌集において、戦争はもはや中心主題からは一歩退いた地点に位置しているように感じられる。それよりもむしろ、日々の出来事や身近な風景を介して、その向こう側にある世界の本質へと視線を延ばそうとした歌にこそ、本歌集の読みどころはあるように思うのである。

春宵の風がきざはし上り来るひとつの嘘を手渡すやうに
梅あかり差す売店に灯が点り梅のにほひを取り込んでゐる

 対象に没頭してしまわない批評眼の鋭さが、ありふれた情景に含蓄と陰翳を与え、読み手をふと立ち止まらせる。たとえば「明日へとつなぐ冒険するために雨雲の中の夕陽をさがす」といった歌が、過去の回想ではなく、現在、そして未来をも見据えたものとして読めるところからも、この歌人の若やいだ感性は十分に伝わってくるはずだ。枯淡の境地などとはほど遠い瑞々しい詩情が印象に残る一冊である。

夢に重なる夢
永井経子歌集『猫のしっぽ』

書評 花山 周子

猫のしっぽ

 歌集を読んでゆくと、作者は教師をしておられるようである。といってもそれは生々しくは表現されていない。

大声で授業中断せし場面目の覚めるまで夢に見ている

 たとえばこの歌のように夢として登場する。「目の覚めるまで夢に見ている」というところに、人に訴えるのではない静かな疲労感が滲んでいる。この歌集はまた夢の歌が多い。

手の中の切符の感覚なくなりて夢の電車に揺られておりぬ

 夢の上に夢が重なってゆくような不思議な感覚。こうした感覚はそのまま地続きに現実にも繋がってゆくようで、詠われる日常もまた不安定でありながら、どこか感覚的で透明感がある。

練りチューブ押し出すごとく伸びてゆく夜のレールに人なき電車
何もかもくっきりと見えてくる朝ミッキーマウスの憂鬱までも
首筋にうっすら汗をかきながら迷路のような薔薇園に入る

 夢の続きのようでもあり、どこか現実からは気遠いこれらの歌には人気がなく、薄い酸素の中で呼吸する作者の姿だけが浮かんでくるようだ。

事務室の日の射す窓辺ひよどりに五反田さんが餌をやってる

 人、が登場する歌もまた、作者との関係性などはぼんやりとしか見えて来ない。公園の風景のように佇んで、静かな叙情性をたたえている。

ぼくたちは卵から生まれたのかな生まれたのかも眠い五限目
戦争の後に生まれし私が語ればみんな物語になる

 やわらかでたどたどしいようでもあるこうした歌にはっとさせられる。確かな作者の感覚が息づく歌集である。

人の目を引く歌
野上洋子歌集『キリンの首』

書評 花山 周子

キリンの首

 現代歌人協会短歌大会などいくつもの受賞歴を持つ作者。集中にもそれらの作品が収められている。

小さき暈をかづきておぼろの月が浮くむかしお金を借りしことあり
ただ雲が流れゆくのみ土産屋のバケツに亀がこの世を仰ぐ

 それぞれ小島ゆかり、永田和宏が賞に選んでいる。なるほどと思う。作者は短歌との出会いを「歌を詠むことは自分を解放することなんだと思いました。」とあとがきで述べているが、この歌集を読むと、やはりなるほどと思わされる。この歌集は編年順に組まれているが、その冒頭の歌からして、

肩パッドが片はう道におちてゐてぽつかりおほきな欠伸のかたち

 まず、「肩パッド」という素材選びの大胆さに驚かされるし、文体も伸びやかで、「ぽつかり」というオノマトペの使用も達者である。このように作者の歌は初句から言葉遣いや文体も実に奔放に、歌に切り込んでゆく。題材も豊かである。いろいろな題材が読み込まれながらしかも読みやすいのは一首一首、見せ所がはっきりしているからだろう。

干し竿にしまひ忘れし夫のシャツ風に吹かれてわが家の旗ぞ
もつともつと後ろへ下がれ千年の椋の全景を撮るといふなら
誇らかにわれら学びし憲法を同世代の首相が改むるといふ

 たとえばこれらの歌はそれぞれ「シャツ」「写真」「憲法」という題詠で詠われたような機微と軽快さがある。そして一首一首がきっぱりと屹立している。このようにこの歌集はどの歌が特選を取ってもおかしくないような、人の目を引く歌であふれた歌集である。

真っ直ぐな人
堀越照代歌集『空を見る人』

書評 花山 周子

空を見る人

 作者の堀越照代さんは「介護を必要とする高齢者のための専門的な仕事に従事」(「跋文」伊藤一彦)され、そうした関係からボランティアの訪問歌会をきっかけに短歌を始められたという。私はその後の作者の行動力に驚かされた。「短歌に魅せられた私は、一九九六年に『心の花』に入会し、同年に京都にある大学の通信課程に入学、…」(「あとがき」)というように作者は大変な仕事の傍ら、真っ直ぐに短歌にものめりこんでゆく。そうした作者の人となりは歌集の中にもよく顕われている。

この坂を登り切った突き当たり空にすこーし近い我が家
盆踊り輪の中に自分も入ろうと車椅子より降りる老人(ひと)あり

 どちらも作者の外界に対する明るい眼差しが息づいている歌だと思う。一首目、「空にすこーし近い」というところには、そのことに喜びを見出そうとする視線がうかがえる。二首目では「輪の中に自分も入ろうと」という老人(ひと)の感情の動きをまず拾い出すことにより、生き生きとした景を立ち上げている。

京急線山手線から小田急線 経堂からバスで子の家に着く 
会いたくて唯あいたくて訪ぬれば吾子の心は児で満ちており

 一首目、東京で出産された娘さんに会いに行く場面。順路を羅列しただけなのだが、慣れない土地で娘に会いに行く大変さや必死さ、それと同じだけの会えることへの期待が、自ずと感じられる。二首目はそれに続く歌。「吾子の心は児で満ちており」というのは母親だからこそ発見された娘の姿だろう。そしてそれ故のさびしさが率直に伝わってくる。

牧水も晶子も史もみすヾさえ知らずとも生きてゆける日常

 このような感慨は、何にでも真っ直ぐに取り組む人だからこそ掴み得る真実だろうと思う。自身のさびしさや虚しさにも作者は真っ直ぐに向き合っているのだ。

多彩なるテーマ歌集
安森敏隆歌集『百卒長』

書評 山本 司

百卒長

 歌集名の由来について、作者は“あとがき”で「塚本邦雄さんが、安森君は『百卒長』だね!と言ってくださった……」ことによると記していたが、作品と共に紙背の随所に塚本邦雄を感じさせられた。歌集の内容は、三テーマによる種々の群作となっており、それぞれが現実に基づきながら作者の心の籠もった物語性として構成されていて、作者独自の感性の閃きなどもあり、読ませる一巻である。各テーマの特徴等について、私なりの鑑賞にもとづく評価等について触れて置きたいと思う。

俊成の詠みたる鶉も来啼きゆく朝な夕なの願成(がんじょう)の里
明暗寺の門(かど)まがるときいつかしら消えしとおもう迷いひとつが
クレーンが一〇も二〇もバラバラに空をささえる神戸の海に
東北の新幹線のホームには黒コート並ぶ茂吉のごとき

 「Ⅰ 俊成の坂」の部は、作者の居住地の特質と日常生活における発見や詩的表現から始まり、十一ヶ所の旅行詠によって構成されていた。一首目は俊成との関わりで居住地を彷彿とさせ、日常における体験として二首目の上句と下句の照応に味わいがあり、三・四首目の旅行詠には〈空をささえる〉〈茂吉のごとき〉など作者ならではの面白い視点が表出されている。
  秘められた「心」と「魂の声」による「Ⅱ 百卒長」の部に、

死海とうこの世のはての水を恋う恋うことのみの半生なりき
アフガンもイラクもついに忘れられ飽食日本に汚職みちみつ
庭くまの敷石の上にも花おかれ風の又三郎はこびきたるや
いつよりかわれらを乗せてまわる地球(テラ)トマトも南瓜もほどよく熟れて

等々の作品群によって占められている。己と人生を凝視した一首目、批判精神の込められた二首目の社会詠、三首目の童話的情景歌、宇宙的視野からの四首目の抽出、など多彩であった。

梅の花十輪ばかりが庭隅に蕾つけたり母は死にたり
義母(はは)逝きてまた実母(はは)も逝き春が来るわが生誕の一月六日
庭隅に母の遺品のゲートボールおかーん母(おか)—んとなりてころがる
大理石の牛が寝ている北野神社「千の風」受けて眠りぬ

 「Ⅲ 母の命」の部は、母の死に対する挽歌集とも言える。一首目の梅の蕾と対比した母の逝去への深い悲しみ、共に一月に亡くなったのであろう義母と実母と作者との関わりの二首目、作者の悲痛な想いを暗示している三首目のゲートボール、大理石の牛に喩えた四首目、等々のレクイエムに充ちていた。
  本歌集は作者の人生の大いなる節目を示していると言えよう。

精神の微妙な差異をうたうポエジー歌集
関口ひろみ歌集『ふたり』

書評 塚本 諄

ふたり

 『ふたり』は、「歌林の会に入会してから二十年、第一歌集『あしたひらかむ』を出してから十年になるのを期に、上梓を思いたちました」とあとがきにいう、関口ひろみの第二歌集である。ユニークな簡明なタイトルが眼を惹く。

十日ぶりに帰りし夫の肩に触れ背に触れつひに笑ひだしたり
真昼間はわがつく息の声聞こえ部屋いつぱいにわれはふくらむ

 〈きみ〉との暮らし、〈きみ〉とわれの存在--歌集を貫くテーマは紛れもなく〈ふたり〉である。夫である〈きみ〉とのふたり、われの内部に棲むもう一人のわれとのふたり--、恐ろしく繊細な感覚と思索をからませながら存在の不安をうたう。

靴を履くきみの背後に立つわれはひと日の長さにおびえてゐるも
ひとりゐの真昼の不安訴ふるに海鼠(なまこ)のやうにゐよとふきみは

 夫と暮らす日々の中で〈ひと日の長さにおびえ〉るのは、横浜という大都会に住み、無垢な精神を持して行くことの時間を思わせ、少女のような純な心が押し潰されそうになるのを必死で押しとどめる心揺らぎを端的に表白している。
  “専業主婦”というかつて言い囃された言葉があるが、うたう心根はそれとは大きく違って、子どものいない〈ふたり〉の視点から、二人して生きる透明感を問うている。

陽のあるうちに夕餉済ませし淋しさは横たはり聴くひとつかなかな
遠浅の眠りのうちに聴きてをり虫の音しだいにしづもりゆくを

 精神の微妙な差異をうたうポエジー歌集である。

事実の重みと冷徹な自己対 象化
森田昭二歌集『時の花』

書評 内田 弘

時の花

 歌集『時の花』は森田昭二の第三歌集である。平成5年以降の15年感の作品519首を収める。母の死と著者の失明を中心に据えた歌集である。テーマは全盲に到る過程の哀切なる述懐がベースとなっている。その作歌姿勢の基調は、冷徹なまでの自己対象化である。リアルな視点で切り取る作品群である。不幸をただ嘆くことなく、盲に到る過程そのものを「生の証」として表現する痛ましくも潔い作品で終始している。作品を見る。

昼と夜のけぢめのつかぬ一日の盲(めしひ)の闇に陽の温みあり
暗いでせう真つ暗ですか暗黒の抽象の黒は透明の水
白杖のこの一本に預けゆく全身全霊われといふもの

 歌集の後半にある歌だが、へたな評論を必要としない。内容自体が圧倒する。この三首に到る心理の揺れは、人を引き付けて離さない。一気に読み進むことの出来る迫力溢れる歌集である。

目になりて欲しとは言はじ妻の背を目印として人波をゆく
花のいろのそのありなしを言ひ合へる友らにすこし離れて見放く
なに一つみえぬ真闇といふこともいまの目明きのわが知れる闇
血の滲むわが白眼のありやうを鏡の中にたしかめてをり
大いなる安心を得て歩むとき掌にあたたかし人の背中は
見えてるぞけふも見えてる電灯の点け紐の下の白いくりくり

 耐えがたい不安や焦燥を短歌という表現形式に凝縮する時、むしろ心は事実を受け入れる諦観を突き抜けて、力強く歩み出す意志の力として結実したのではないのか。誰よりも作者自身が信じたはずだ。失明に纏わる歌が中心になるのは言うまでもないが、他にも採り上げるべき歌は多い。その確かな表現力と鋭い感性は長い修練の結果であろう。母を送る歌と街の歌を、その代表例として最後に挙げておく。

ぐつしよりと街全体が濡れてゐる薄暮帰りてシャツを脱ぎ捨つ
皺もなくなほ光沢をもちてゐるよき死顔のははそはの母よ

漂う孤愁
木野敏歌集『群舞』

書評 内田 弘

群舞

 『群舞』は木野敏の第一歌集である。二〇〇三年から二〇〇五年の2年間の作品401首を収める。一言で言うと退職後の孤愁漂う作品群である。

阿寒湖に今も伝はる恋の詩哀しみ堪へ小雨そば降る

 といった柔軟な感性が勝る初期の作品が多く収録されていないのは惜しいが敢えてそうしたのであろう。小動物への執着を通じて、いたいけなものへの憐情が諸々に見られるようになる。

鳥達の塒(ねぐら)を目指す飛翔にも今日の安堵の夕影の見ゆ
夕刻は鳥の群舞に始まりてやがて茜の絶頂となる

 二〇〇三年に入り結社誌に発表するようになった事と関連があるに違いないが、題材が多岐に亘り、表現にも幅が出るようになる。

蜻蛉らはメダカのやうにたはむれて真夏日のなか秋を装ふ
芳香を放ちて病む身労れる金木犀の優しきこころ
白髪を黒く染めよと言はれたり耳順の身には相応(ふさは)しと思(も)ふ

 表現は未だ粗い面が残り物足りないが機智に富んだ表現が目立つ。

巨大なる甚兵衛ザメのかたちなす雲のまなこゆ洩るる夕影
乾きたるこころは雨に潤され闇の使者から目覚め告げらる

 次第に実感に溢れる歌が多くなる。初期の柔軟さが感性で切り取る特色ある句を成立させる。あやまたず観察し確実に表現するということを獲得した結果である。孤独が前面に出てくる。

元朝の冷えたる風に励まされよろめきながら凧はあがれり
妻子とも離れし身をば慰撫せむと梅雨を忘れて青葉が踊る
夜半に醒め酒を三合呑み干せば星はをどりてなづきは栄ゆ
沈黙のをはりしのちはにぎやかにこの街もまた饒舌となる
幼児期に離れし吾が子の消息を散れる桜花に話し告ぐべき

 直接的に孤独を訴える歌は多くはないが、歌集一巻を通すと一人の魂の孤愁が漂うのである。退職ということと深い関わりがあるのだろう。最後にこの歌集の象徴的な歌を結びとする。

落陽は今日いちにちを総括し明日の良さをば保証して呉る

ひたむきな短歌への愛
前野博
藍野すみ歌集『春の水・蛍』

書評 内田 弘

春の水・蛍

 歌集『春の水』と『蛍』は前野博夫妻の歌集である。昭和47年「長流」創刊後の短歌を収める。令夫人も「長流」創刊時に短歌を始め、今回博氏の病を機に纏めた歌集である。博氏は長く教職にあり後進を育成する立場にあった。平成3年に三田短歌コンクールを立ち上げ現在に繋いでいる人でもある。

指先に蛍のにほひ残りゐて潰えし命もろく散りばふ
窯出しの陶(すゑ)の余熱の手に熱し忘れて久しいちづなるもの
おくれゐてあさる鴉の飛びてより冬田の冷えに動くものなし
かたくなに歴史を止(とど)めひつそりと風冷えゐたり北海小樽
書斎の灯消して眠らむ午前一時すべてを占むる闇の匂ひす

 これらの歌は着実な詠み振りで対象をとらえ、静かに詠んでいる。落ち着きのある安定感に満ちている。

糠雨は春の光に添ひて降る窓の机にひと目動かず
散り急ぐ花はおのづと風に舞ひ滅ぶ時の間風にきらめく
上手下手それは二の次詠むことに命懸けむと思ひ定むる
吾が命みそひと文字にかけて生くこの楽しみに一生(ひとよ)生きなむ

 長年の歌の修練は旅行詠、身辺詠それぞれに完成度が高い。後の二首に代表される歌へのひたむきさが94歳を支えている。

灯を消せば籠の蛍はかがやきてゆるゆる歩む相寄るごとし
夫につづき鎖に命託しつつ同じ姿勢に岩壁攀づる
夜に厨に水したたらす音冴えて灰汁(あく)抜く蕨の真青にゆらぐ
駅出でし夫わが方に向き変ふる肩に二月の光動けり
余生ならず与生を生きむ元朝の夫の一言吾が胸を衝く

 博氏を支え、共に短歌を共通のものとし、柔軟な感性で詠み続ける夫人もまた「みそひと文字にかけて生く」楽しみを共有しているのであろう。この二人の歌集を読む時、あたかも合わせ鏡を見る様な気持ちとなり暖かな境地へと誘ってくれるのである。それは「蛍」が相寄るごときものなのであろう。

真に筒抜く
永田和宏
伊藤一彦
松村正直歌集『シリーズ牧水賞の歌人たちvol.3 永田和宏』

書評 光森 裕樹

シリーズ牧水賞の歌人たちvol.3 永田和宏

 もう五年以上前のことだろうか。私が所属していた京大短歌会で「永田家は歌壇の磯野家である」ということを耳にしたことがある。歌人と短歌に囲まれた生活のなかで、互いの作品に登場し、生活の様子が筒抜けである様を「サザエさん」の磯野家に喩えたものであろう。なるほど、言いえて妙である。しかし同時に奇妙でもある。そんな感覚が拭い去れないでいた。
 京大短歌会は、現在も大学公式サークルではない。それゆえ、部室がない。安くて長時間いることのできる歌会の場所を求めてさまよい、会誌の配送も在庫の管理もメンバーの下宿で行う。たしか公式サークルになるためには、担当教官の印の捺された申請書を三年連続で事務局に提出する必要があったと記憶する。担当教官はやはり永田和宏教授だろうと皆思ってはいたが、接点がなかったので一度も申請しなかったと思う。
 「百万遍界隈」という場所を共にしつつ一度も擦れ違うことはないが、永田和宏の生活については皆詳しかった。先述の奇妙さは、このような点に拠るのだろうか。
 本著は、若山牧水賞を受賞した歌人を追うシリーズの三作目である。インタビュー、対談、鼎談による永田和宏自身の発言を収録する一方で、充実した作家論によって客観性も保たれている。特に科学者の語る永田和宏論には興味が尽きない。
 収められた永田和宏の年譜を辿ってみる。併せてこれまでの転居先の記録と照らし合わせてみる。すると、第一歌集『メビウスの地平』を上梓した二十八歳の頃、すでに妻子をもつ永田和宏が中野区に住んでいたことが分かる。その場所が、私の自宅から徒歩で行ける場所であることに驚いた。いや、その偶然性に驚いたのではない。百万遍界隈とは異なり、永田和宏という歌人の存在が、それこそ「地続き」だと感じられたことに驚いた。磯野家はこの世に存在したのである。
 家族のために働き、第一歌集をまとめつつ、第二歌集『黄金分割』に収められるであろう歌を詠み続け、翌年には将来の保証のない研究生活に戻ることを予感していたであろう中野区南台の森永乳業社宅に住む二十八歳の男――。何も言えなくなるではないか。
 「歌壇の磯野家」の反対側に、いつも視聴者としての私が座っていた。相互に活写される家族の生活はどれだけ分かりやすくとも、永田和宏はブラウン管の平面に映し出された存在ではなかったか。「筒抜けである」ことを良いことに、「筒抜けなかった」物事の存在を探ろうとしてこなかったのではないか。
 歌人とその歌に奥行きを与えるためには、読み手は視聴者的存在から重い腰をあげなければならない。その手助けとして本著がある。
 この一冊に、真の意味で永田和宏が筒抜けている。

重鎮らしからぬ生新さ
池本一郎歌集『草立』

書評 宮原 望子

草立

 「塔」選者の第五歌集、といえば、つい重鎮の真面目で重みのある歌集を想像したりするが、まことにうれしいことに、池本一郎にはそういう重圧感や手だれのひねった癖のようなものは一切無い。

鼻さきに風船のせて手をたたくアシカは家でなにしているか
エレベーター閉じぬようボタン押しくれる小さき子あり機械の子かね
コオロギのように黒いね椎の実をはじめて見たとこの人は言う
この網の強度はいかに蜘蛛の巣に手を当ててみる押せるところまで

 むしろ初々しいと言いたいぐらいの素直な感覚や表現で、この意外性がとても新鮮だ。

三階ビル「志賀製餡」に窓はなくみんなであんをこさえておらん
唐黍(とうきび)を嗚咽するごと食べている若きひとりを見ているばかり
いまここにあるほかはなく向きあいて人はあるなり真夜の列車に
東京の地下にて深夜ケータイへ電話をしたら君が釣れたよ

 眼前の景や一時の思いは、その場その時のものに留(とど)め、決して深遠なる方へは運んで行かない。そこが清々しい。一見タダゴト歌風に見えるが、ふしぎに右の歌一つ一つに現代人のさびしげな影が浮かぶ。

手をあずけくる猫の手をにぎりたり柔らかすぎて握手にならぬ

 本書にはとても可愛い猫達が住んでいることも付記しておく。

静かな言葉のたたずまいの 深さ
宮島慶子歌集『時の花びら』

書評 塚本 諄

時の花びら

 宮島慶子歌集『時の花びら』は、「飛聲」に所属する作者の第一歌集で、三つのテーマに分けて編まれている。
「自然を詠ふ」

黙しゐる一人一人の乗客の肩を撫でゆく朝の光は
幽けかりし桜もみぢも散り果てて人の音せぬ仁和寺の庭

 昭和56年から13年間、「古今」でリアリズムの表現を学んだとのことで、ていねいに平明に対象を描写する力が見て取れる。そしてまた、おのずからなる視線の温かさも--。
  「人事を詠ふ」

ゴーゴーと薪ストーブの燃えてゐる茶房に時の花びら拾ふ
ひた走る時の女神の後ろ髪むずと掴めば花びら零る
介護とは心の糸に通したる長く連なる雑用の珠

 桜の花びらに寄せる蓄積された想いを感じさせる歌である。それは取りも直さず刻々と過ぎゆく〈時〉への想いに繋がる。母を介護するおのが身を〈雑用の珠〉と捉えるのもまた、時とともに蓄積される哀歓の諸相のひとつなのであろう。
  「くさぐさの想ひを詠ふ」

哀しみも次第に遠くなりゆきて道のはたての風に消ゆべし
いづこより来たりいづこに去りゆくか人のいのちを雲に重ぬる

 惻惻たる気息を感受させる歌の背後には、中学・高校の教諭として29年間教壇に立ち、この間、二度の癌の手術を受けて生還したという大きな経験の事実が横たわっていよう。
  心境が変化するとともに言葉も変わるものであろうか。否、時間が言葉を変えると言った方が正しいかもしれない。時間はたくさんの言葉を生むからである。一つ一つの言葉に想いが凝縮され、その言葉のたたずまいが静かであればあるほど、うたわれた想いはいっそう深くひびいてくるのである。

恬淡のうしろにひそむ真理
増田美幸歌集『お気楽』

書評 塚本 諄

お気楽

 いわゆるプラス思考は本人のみならず周りをも明るくするものである。増田美幸歌集『お気楽』はトントントンと立て続けに読み進むことができ、作者ならではの明るい歌が並ぶ。

君と息子のボール遊びで君を多く見る吾は悪い母親だろうか
大根と厚揚げ煮込むそのあいだ書いてしまおう気になる礼状

 言葉を巧みに操ることよりも、一気呵成に真情をうたい放つうたい方で、気持ちよく読める。読んだあと、「そうだよなあ」と思わず膝を打ち、納得させられる。

突っ伏したソファーの革に体温がうつりおわるころ立ち直るべし

 何かがあって、「あ--!」と〈突っ伏したソファー〉、いくばくかの時間が経って〈革に体温がうつりおわる〉とき、〈立ち直るべし〉と心の態勢を前へと切り換えて整え直すのである。プラス思考面目躍如たる一首であろう。端的にうたっているが、自己を客観視し観照している視線が背後にはあり、曲線よりも直線を好んで選ぶ資質がよく表われている。

いち人の男になっていくさまを最初から見る息子というもの

 単純明快な作品で、屈折感は感じられない。しかし、仔細に読むと、〈最初から見る息子〉のフレーズに立ち止まる。〈最初から〉は子を孕んだとき、出産したときからの謂いであり、分身の異性を見守る“母性”の発露の言葉にほかならない。お気楽と恬淡としているようで、一つの真理を踏まえている。

「お気楽」と我と息子ら言い合いぬ他愛なき秘密かれらも持つか

 南日本新聞歌壇で育ち、「塔」に所属する作者の第一歌集。

巧みな具体表現
広瀬俊子歌集『白川集』

書評 宮原 望子

白川集

 京都に住む「塔」会員の『湖畔抄』に続く第二歌集。開業医の夫を支えつつ滋賀の宿場町で過ごした日々、夫の発病と死、京都に移住後の白川畔のマンションでの独り暮し、そして折々の国内外の旅の嘱目などが終始平明に歌われている。ややもすると平明な日常詠や家族詠は平板なものになり易いが、本歌集は少しもそうではなく、むしろ楽しみながら頁をめくって行けるのは、目のつけどころが面白く、眼差しがあたたかく、表現が的確でよどみないからだ。

医師なりし夫の右手の打診胼胝(だこ)なでつつ双手を胸に組ましむ
もらひたる鈴虫人に分けたれば今宵は瓶に半分のこゑ
古書店に開く辞典に押されたるいつの蚊ならむ薄く横向き
たどたどと歩み初めし子ボール見て手つとり早く四つ這ひにて追ふ
講堂よりピアノの和音ひびくとき子ら一せいにおじぎしをらむ

 「打診胼胝」「半分のこゑ」「薄く横向き」などの具体がよく効いている。四首目はかわいい這い這いが目に見えるし、五首目の音階は「あ、あれだ」と思い出す人も少なくないだろう。

イエス・ノウがせい一ぱいの治療中歯科医はいろいろ問ひかけてくる
くはしくはホームページを見よといふわれの届かぬ遠い世界を
アンケートの年代十年毎にきざまれて七十歳以上を一括りにせり

 それとなく世の外へ追いやられてゆく高齢者の心を、上手にユーモアにくるんで差し出す技にも、この人の大人(おとな)度と人品を感じた。表紙画の白川の緑のすがすがしさも嬉しかった。

人柄のにじむ歌
宇野幸男歌集『汀の和音』

書評 宮原 望子

汀の和音

 琵琶湖の辺に生まれ住んでいるから「汀」、また、周囲との「和」を常に心がけて来たのでその二字を結んで歌集名にしたという第一歌集。これだけでも作者の人柄はおのずと分かる気がするが、四十年余りを銀行員として一筋に勤めた職場の歌が、更にまたその真面目さを証明する。

出勤だぞ紺のスーツに身を纏ひネクタイ正せば己で無くなる
風邪と偽り数日勤め休みたし責任といふ魔物背を押す
苦情処理に答へる言葉失ひて茶柱の立つ一点見てをり
リストラになるやもしれぬ職場なり鏡に装ふ静の裏側
ミス続きに項垂るる女(ひと)の後ろ姿(で)を見るはかなしき午後の職場に

 だが、職場を離れた主人公は意外に純情なロマンチストでもあり、ほのぼのと女人をおもう歌も少なくない。

雪残る湖北路駆けるSLのその名は貴婦人オレの恋人
勤め終へドロップ二粒噛まずゐる夕凪のごとき想ふ人あり
秋晴の雲ひかる午後うたた寝す綺麗な女(ひと)の歌集開きて
携帯電話のやさしきメロディーお茶会に出かける吾娘の着物の袖より

 なお、正統の写生歌やしんみりした追憶の歌に佳品が多いが、その隙間に折々素顔の素の歌が現れるのも、飾らぬ人柄の表れであろう。

淡海の浅瀬に浮かぶ小舟より古老の投網空に開けり
この畑は琵琶湖がまるまる見えるんだ滴る汗にトマトをかぶる
早世の父と少年の日に乗りし列車は錆びて野晒しとなる
夕焼けが山ごと色を変へてゆく深紅の太陽沈みきるまで
禁煙のための手立てを考へるまづ一本吸ひまた考へる

俳句的「幸福論」
持丸禎子歌集『梨の花里』

書評 火箱 游歩

梨の花里

 読後、不思議な清らかさに包まれた。
 身近なことを詠み続けられた二十五年が、一冊に詰っている。感性の鋭さを確信した句が最初の「花の章」にある。

ブランコに花暗転の傾斜あり
十薬や獣の鼻の淋しき夜

 これらには、不思議な不安感がある。しかし、季語の力で静かな白い光が見えるのだ。作者は屈託を、光ある不思議な世界へ繋げる力を持っている。たぶん暗転はまた転じ、淋しき夜は明け、母は帰ってくる。そんな気にさせる白い光。

油蝉鳴き尽くすまで火照(ほて)る翅

 油蝉の翅が火照るとは作者独自の鋭い感覚だ。短い生を全うする火照り。小さな命に寄りそった切ない句だ。

人恋へば狐が化(ばか)す合歓の花

 つのる想いは、化かされることも厭わない。合歓の花がそれを受容している。化かされてみたい民話のような楽しさ。

日だまりに榧(かや)の実ころげ幸福論

 一冊全体を流れるものに、読者を幸せな気分にさせるセラピーのような、おだやかな明るさがある。この幸福論は、身近にある「幸福を感じる力」だ。ここにも「日だまり」という温かな光がある。

朝顔や眉濃ゆき子はよく眠り
元日やよく笑ふ子に福来たり
矢車はきらきら廻るやよく遊べ

 子ども達の声が聞こえ、生き生きと目のあたりに見える。幸せの言葉を紡げば、自分も読者も幸せな気分になれる。
 禎子俳句には、声高に論じなくとも沢山の俳句で幸福論が書かれている。

鎮魂と癒し
田中みのる歌集『紫陽花』

書評 火箱 游歩

紫陽花

まなうらに妻ひまはりの種を採る

 妻の植えたひまわりだったのかも知れない。その種を採りながら、紫陽花の頃亡くなった妻への思いが巡る。この句集には多くの妻恋の句がある。作者には、書かなくては、残さなくては、済まない日々だったのだ。

竹籠に透ける大暑のひかりかな

 竹籠という日常の道具に大暑の日差しが透ける。交差する濃い陰影が美しい。

網戸して夕べの色の中にをり

 薄い網で外界をへだて、人間も籠の中の小さな生きものと、同じようにたよりない。夕べの色は、人間の持つ普遍的な孤独感を増幅させる。

蒼天を籠めて連なる氷柱かな

 蒼天の色を籠めた氷柱とは美しい。厳しいが清澄な朝だ。
 これらはあえて、妻を亡くした夫ということを知らない者として、一句に書いてあることだけを鑑賞したい句だ。それぞれに、写生の目の確かさがとらえた、静謐な世界。

雪晴の山迫り来る遺影かな
天空に藍のきざしや雪五尺

 作者は、琵琶湖の西、今津に住まわれているようだ。比良、比叡の麓、雪の多い地である。氷柱も雪も美しい。その地を愛おしむ気持ちが佳句を生む。国内外の旅の佳句もまた多い。

そこからは断崖となる大花野
ひなげしの赤く群れゐて廃墟なり

 これらは、亡き妻との癒しの旅かもしれない。でも、次のような句があって、わたしは安心する。きっと、天国の奥様も。

連れだちて尿する谷の深緑
冬濤に子供は子供父は父

自在な対象把握
渡辺仁八歌集『皆どこへ』

書評 山田 消児

皆どこへ

つがひにて飛ぶ鳥よりも少年の日には一羽に心ひかれし

 過去の時間をそのまま現在に呼び戻したかのような清新で鋭利な叙情が魅力的な一首だが、歌集全体を読めば、作者がすでに老境を迎えていることが読み取れる。かつて絵を学び、教師として学校で教えていたこともあるらしく、著名な画家の作品を詠み込んだり、制作や美術教育の現場を舞台とする歌が、日常に依拠した作品世界にほどよいアクセントを与えている。しかしながら、作者の本領は、それらよりも、むしろ美術に親しんだ人らしい対象把握の自在さに支えられた歌の方に、より強く発揮されているように思われる。

こよひ壁に酔ひどれのごと凭るるは窓辺に掛けてありし服の影
茶箪笥のガラス戸が写しゐる空に夕べ枯木が騒ぎはじめつ

 酔っぱらった自分自身の姿が暗喩されているようにも読める一首目。内と外というふたつの領域が言葉の導きによって反転していく二首目。いずれも、ありふれた事物の描写を通して世界に一瞬の揺らぎを与え、鮮やかな印象を残す歌である。「歌一首メモし発つとき目の前の水木の白がまたも引き留む」と自ら詠うとおり、作者は、素材との双方向の対話が歌の彫琢につながるということをよく知っているのだろう。

過ぎゆけるある夏の日のままに在るごとし柿の木に一本の竿
四十年を閉ぢ込めしまま愛したる未完の裸婦に手をつけ始む

 人には、よくも悪くも消すことのできないたくさんの過去と、それらの結果としてのたったひとつの現在がある。あからさまに主張されるわけではなく言葉の端々に自然と滲むかすかな悔恨や懐旧の情に、作者の切実な本音を見る思いがする。