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青磁社通信第二十一号VOL.212009 年 10 月 発行

巻頭作品
夏の長崎

竹山 広

思考力失せ語彙失せて苦労するわが歌を妻のたふとしといふ

しあはせに生き得たること疑はず小さきことはひとまづ置きて

老耄の耄とはこれか歌一首投げては拾ひ疲れてたのし

この妻と生死分かつは当然のことなるものを朝夜おびえつ

老妻にこころ捧ぐといふごとき一首を作り昼深く寝ね

生きよとは文字を書くこと今日二通書きしハガキのよそよそしさよ

いつの日のわかれのために出合ひたる昭和二十年夏の長崎

エッセイ
曖昧な場所

正木 ゆう子

 〈橋渡る架空の雪の日のやうに〉という句を作ったことがある。橋という場所に昔から妙にそそられる。橋と同じようにソソラレル場所としては階段がある。
 橋も階段も、それ自体では場所としての存在が曖昧で、或る場所から或る場所へ移動するためにだけ在るというところや、橋も階段もその下には何もないことに、なんだか背筋がスッとしてしまうのだ。
 橋と階段とどちらが感じるかといえば、こんなこと何も比べることはないが、橋より階段の方がそそられる。橋はまだ屋外にあるが、階段は主に室内にあるので、心理状態に与える影響が大きいらしい。
 いっとき気持が不安定だったころ、いちばん妙な気分に陥るのは階段の上り下りのときだった。階段の空間に入ったとたんに時空が歪んでまっすぐ立っていられないような、実在的不安とでもいうような状態に陥って慌てた。しかし階段が苦手だったのはそのときだけで、本当はむしろ階段フェチである。
 そのせいか、これまでに最もたびたび鑑賞文を書いた俳句といえば、橋間(※正しくは、門がまえに月)石の、

階段が無くて海鼠の日暮かな

という句だ。ここでは鑑賞は省くけれど、何度書いても飽きないし、文脈の幾重もの謎に階段というもの自体の不思議さがあいまって、あらゆる俳句の中で私はこの句が一番好きかもしれない。
 鑑賞のときいつも引き合いに出すのは、子供の頃遊んだ叔母の家の階段である。築二百年という大きくて古い家の二階に通 じる階段は、跳ね上げ式になっていた。仕舞えば一階の天井に化けてしまって行き来ができない。二階があるのに階段が無いなんて、二階という空間自体が消えてしまうようで、私は二階に上がって、大人に階段を仕舞ってもらい、えも言われぬ 不思議な気分に浸るのが好きだった。
 もう一つ引き合いに出すのは、写真館だったわが家の写場のバックスクリーンに描いてあった螺旋階段である。この絵が私はとても怖かった。階段があるのに二階が無い。私は架空の二階から裾を引いた女の人が降りてきて螺旋階段の途中からこっちを見ている幻におびえた。
 螺旋階段のあるような家に暮らすことは一生ないだろうが、灯台の螺旋階段なら何度か登ったことがある。今年もいわき市にある塩屋崎灯台に登った。
 このとき私はこの灯台の見物になぜかひどく気が進まなかった。連れが行くというからしぶしぶ付き合ったのだ。そうしたら案の定、降りて車に乗ったとたんに気分が悪くなった。しかたがないので予定を変更して帰宅しそのまま寝込んでしまった。
 あとで知ったことだが、塩屋崎灯台は木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になった灯台である。
 あの映画、怖かったね。灯台の螺旋階段を登っていくと、上から気の狂った女の人が降りてきたでしょう。夫に言うと、そうだったそうだった、怖かった、と夫も言う。もしかしたらそのせいで気分が悪くなったんじゃないかしら。
 寝込みながら、暇なので、友人に電話してそのことを話すと、友人はあの映画にそんなシーンはなかったわよと言う。私が覚えているのはあのシーンだけである。それで他の友人にも電話して訊ねると、やっぱりそんなシーンは覚えていないと言う。あれは怖い映画じゃなくて、感動的な映画なのよ、と。
 それからは狂気の女性が階段を降りてくるシーンがあったか無かったかでしばらく盛り上がった。こういうときはビデオを借りてきて見てみるにしくはない。
 そのシーンはあった。無かったと言った人たちはみんな私よりうんと年上であった。つまり彼女たちは分別 がついてからあの映画を見たのだ。狂女のシーンは感動的なストーリーにはあまり関係がなかったのだろう。
 映画は一九五七年のものなので、夫と私はそのとき七歳と五歳である。まだ幼かった。だから怖いシーンだけが印象に残ったのである。親も多分子供に見せようと連れていったのではなく、小さい子供を家に置いて映画を見に行くことができなかっただけのことだろう。
 これでなぜ私が写場の螺旋階段の絵に女人の幻を見たか、その訳がわかった。わかればわかったで、なんだかつまらないような気もする。恐怖にはそれぞれこんなふうにトラウマという理由があるのだろうか。
 しかし私が階段に感じるのは恐怖ばかりではない。階段はやはり不思議な場所である。在って、無い、架空の通 路。それは俳句の構造の持っている不思議さと似ていなくもない。

文楽への限りない愛が結晶した歌集
岩田泰子歌集『文楽』

書評 松平 盟子

文楽

 古典芸能・文楽の本拠地である大阪の国立文楽劇場も、東京の国立劇場でも、このところ観客の入りがいい。文楽に親しみ今年で二十年目を迎えた私としてはなかなか嬉しいことだ。長く観てきたそれなりの自負もある。が、本歌集の作者・岩田泰子さんはあとがきによれば一九八六年の二月公演から全部ご覧になっているという。う~ん、三年分ほど負けたか。
 本歌集の特異なところは、この古典芸能の演目別にその舞台を歌で描写 し尽くしたところにある。いうなれば文楽への深い愛情に導かれての短歌集成なのである。
 文楽を短歌に詠む試みは私も何度かしたことがある。けれども案外難しいと感じてきた。理由を挙げてみよう。
 舞台ではまず人形と人形遣い、床では浄瑠璃の太夫と三味線が相互に織りなす空間の魅力がある。ストーリーの面 白さがそれを裏付ける。ストーリーは基本的に江戸時代に作られたものだから、人間関係やものの価値観が現代とは大きく異なる。予備知識があるほうが観客は理解しやすい。演劇評を散文的に書くならば、そのあたりを踏まえて対応できよう。
 一方の短歌はなんといっても小さな詩形だ。だから表現にあたっては、人形のある断片的な所作や情景、太夫の声や語り口、三味線の音色や撥さばき、またストーリーなどを追随的に説明しがちとなる。言い換えれば短歌が舞台を短歌的に翻訳することになる。その瞬間、短歌は舞台に奉仕する。しかし歌人に求められるのは、奉仕ではなく、形式の差異を乗り越えて両者に共通 する本質的なものを言葉で表現することだと私は思う。
 岩田さんの歌集から伝わってくるのは、右のような私の理屈めいた考えを超えた文楽への沸々たる愛情だ。

悪口きくお初の肩の震へるとき主遣(おもづか)ひの肩かすかに震ふ

 「曽根崎心中」でも特に有名な「天満屋の段」の一場面。遊女のお初は、恋人の徳兵衛が九平次に嘲笑されるのをじっと耐えている。悔しさから肩が震えるとき、人形の主遣いもまた同じ感情を共有していると作者は感じた。いいところを捉えている。けれども次に「縁の下の地に座ししまま森として徳兵衛つかふ主遣(おもづか)ひなり」「縁の下に白き足とり咽にあて死する覚悟を伝へる徳兵衛」と来ると、人形遣いと作中人物である徳兵衛のどちらが主眼なのか、似た初句をなぜ並べたのか、「白き足」は誰のものか、など舞台を観たことのない読者はたぶん戸惑う。何に対して共感してよいのか、と。そのあたりに作者と読者の意識の乖離が生まれてしまったことは残念なところだ。
 舞台を詠む。その困難に立ち向かった本歌集は、私に文楽という濃厚な芸能と短歌との関係をたっぷり考えさせてくれた。

日常に足をつけた歌
中島扶美恵歌集『黄道光』

書評 駒田 晶子

黄道光

 わたしは東北に生まれ育った。だからだろうか、京都という雅な響きにめっぽう弱い。『黄道光』は歌集の冒頭から、京都で暮らす作者像がくっきりと立ちあがる。

提灯屋、扇子、仏壇、組紐と商いの町筋静かにつづく
そこびえの今朝は地下水恋しかり菜洗う腕に雪のとびくる
雪風に大注連縄のうごきいる睦月八朔伏見大社の

 観光客では出せない、京都に生きる人の息づかい。京都ならではの名詞や地名がうまく使われていて、魅力的だ。

老い母に五条通り(ごじょう)の横断ながかりき青信号二回使ってわたる
わが名前忘れたるらしおどおどと頬にかなしみにじませる母
蝋梅のかおりただよう朝なさなほこほこタオルに母をぬぐえり
髪のみだれつねに気にせし母なるを朝な夕なに柘植ぐしに梳く

 歌集の芯のひとつは母。老いて死を迎える母に作者は寄りそう。一首目、信号の向こう側まで一回で渡りきれない母。事実のみ淡々と述べることにより、作者の心情は読者に委ねられる。「二回」のことばの選択が効いている。二首目、子どもとして母に名前を忘れられるのは切ないだろうが、感情に流されず、母の表情をよく捉えている。三、四首目も状況を切り取り、感情を抑えることにより、余分な肉がそぎ落とされていて、一読して忘れがたかった。
 旅行詠も多い。

瓦屋根ずれて連なる麗江古城夕べ冷たき小雨にぬるる
氷塊の隙間に入りし朝の日がかすかに青きひかりを生める
橇を引く馬の唾液の粘りいて歩めるごとに雪は喘げり

 いずれも作者独自の視点で捉えていて、ありがちなポストカードのような旅行詠にはなっておらず、成功している。

指に押し開ける医院の自動ドアー押すのになれないうちに風邪癒ゆ
今日も又道を尋ねる人のあり声かけやすき体形ならむ
鮒や鯉泳げるようなポリープの消えいる腸の映し出されて
水平に倒しいし首起つる鷺疲れをほぐすように回せり

 そしてユーモア。一首目、何でもないような日常のひとこまを丁寧に掬いあげ、読者をクスっとさせる。二、三首目、もう一人の自分が自分を見るような感覚。四首目、鷺を人間と同じ高さで見るやさしい視点。いずれも好ましかった。

水温をただちに感知なす金魚雪ふる午後は底にしずめる
写真機材かつぎし人ら登りきて小雨に垂るる萩えらびおり
百本の粽ようやく巻きおわり匂う手の平合わせつつ寝る

 派手な歌ではないけれど、日常に足をきちんとつけている作者ならではの息づかいが伝わってきて信頼できる。

風景、私、他者、実感
吉川宏志評論集『風景と実感(2刷)』

書評 森井 マスミ

風景と実感(2刷)

 「なまなましい〈実感〉をなぜ短歌は生み出すことができるのか」本書は、「書かれた言葉(エクリチュール)がなぜ豊かな身体性を帯びるのか」という、「おそらく、文学の本質に深く結びついている」問題を考えつづけた筆者の軌跡である。「古い時代から現代までの歌論」や「身体と空間に関する著作」など、多様な文献が参照され、幅広い視野からのアプローチにはなるほどと納得させられる。
 まず筆者は、「書かれた言葉は〈記号〉なのだ、という認識が、今ほど無意識に信じられている時代はないのではないか」と切り出す。そこには、「記号論的な見方」や「いわゆる『インターネット短歌』を単純に否定するわけではない」が、「しかし、現代の短歌の危機は、言葉が無味乾燥な〈記号〉になってしまっていることから生じていることも、無視できない事実なのではないだろうか」という、筆者の問題提起がある。
 そこで取り上げられるのが、『日本原爆詩集』に収められた、山田数子「慟哭」である。「しょうじ よう/やすし よう」からはじまり、「しょうじぃ/しょうじぃ/しょうじぃぃ」で終わる十五行の詩。それを読めば、「原爆で焼け焦げた街を、息子を探してまわる母親の姿が鮮明に浮かび上がり、その幻の声が、耳もとにくっきりと響いてくる」つまり「〈記号〉であるはずの言葉が、なまなましい身体性を帯びてくる」のである。
 では、なぜそういうことが起こるのか。筆者はいう。「〈記号〉をじっくりと読み込むことにより、作者の身体感覚を、読者の身体の中で蘇らせることができる」「それが『読む』という行為の本質なのではないだろうか」と。
 〈私〉というものは、他者との関係がなければ存在できない。同様にして、「歌うことの根源には〈他者〉に伝えたいという思いがあるはずで、それを失くしたとき、短歌は空虚な文字の連なりになってしまう」筆者は歌うことの根源にある、こうした他者性を見据えている。作者の思いを読者へと媒介する「実感」、すなわち身体感覚が注目されるのはそのためである。
 明治における写真の登場は、風景の見え方を一変させ、〈我〉の意識をも変えてしまった。たとえば茂吉の作品では、「〈自然〉と作者の〈自我〉が同一化」している。そのため、「読者が作者の身体に重なりあって〈自然〉に触れた感覚になること」ができるのである。「すぐれた風景詠には」、「作者の〈身体的なわれ〉を想起させる何らかの力が内包されているように思われる」と、筆者はいう。
 また「自分の肉体や精神状況の中だけに〈わたし〉を求めてしまい、袋小路に陥っている」現状に対して、「身の回りの自然や季節が生み出している空間の肌触りをとらえること」に「〈わたし〉を回復するための必要な鍵」を見出す発言にも頷ける。

時間の形象化へ
内藤賢司歌集『日々のかたち』

書評 伊勢 方信

日々のかたち

 『日々のかたち』は福岡県で、自己表現誌「歩行」を発行している内藤賢司の第三歌集。どの作品にも、過ぎてゆく時間を慈しみ、自分や自分を取り巻くすべての人々、或いは事柄・事物の瞬刻の煌めきを、場合によって文語と口語を遣い分けながら、両の掌で丁寧に掬いあげた心に響く歌が多い。
 また集中かなりの部分を父親に関する歌が占めているが、投光器の光の先にクローズアップされる父親像や父への挽歌を通 して、血族をはじめとするすべての人、言い換えれば、人間総体への思慕が生々しく浮かびあがってくる。

誠実に実務をこなすということの重み伝えて君は逝きたり
電柱の影に重なるわが父の歩みは既に非在のかたち
父のよく着たるジャンパー秋の陽に干したり父を着んとぞ思う

 定型やその韻律を壊すまでには至らないが、口語脈のやわらかな特性を活(い)かすことで、人間の存在そのものから来る、根元的な悲しみや寂しさが漂ってくることが多く、一集に見られる作品の方向の多様性が、ここに至って統一性を見せてくる。読み方、受け止め方に関係なく、一首の放つ明るさの底に、道化を意識している作者とそれを見ている作者がいて、次の作品に見られる「十姉妹」や「カバン」に擬せられたような思いは、修飾を必要としない生の人間像を刻明に見せており、ゆっくりと込み上げてきて滲むものがある。

まん丸い月が出ました わたくしもひと日を終えて命抱きます
止まり木にふくらんでいる十姉妹おまえの生死はおまえが決めよ
たわやすく転がってしまうわがカバン耐える力が無くなっている
いつもここから磨きはじめる風呂桶の、こうして日々を重ねゆくのだ

 悲しみと背中合わせの実存感覚が、歌の向う側にある真実を引き寄せ、ある種の達成感を伴って、ゆるやかに迫ってくる歌がある。

酒欲りて母追う父はもういない 月よ庭木のこの従順さ
世界への飢えはすなわち言葉への飢えなり川面に石投げてみる
投網打つひとりの男 矢部川の流れはほうと人を包めり

 形としてとらえることの出来ない「時間」というものを、場や一瞬の思いを掬い取ることによって形象化し、一冊に収めたものが歌集『日々のかたち』であるのだが、同時に作者が、独特の立ち位 置から「時間」を占有している姿をも見せてくれる。

この三日妻と暮らせば流れゆく時間の帯のふくらむごとし

生の悲痛から歓びへ
安井幸子歌集『肩のある雲』

書評 小林 久美子

肩のある雲

 忘れえない日を持つこと、それを重ねることで人間の生涯は深くなることができるのだと思う。とりわけ子を喪った日がどんなに怖ろしい時間であるのか、その悲痛に耐えなければならない日日がどこまで続いていくのか、それは経験した者だけがひき受けるほかない尊い試練なのだとも思う。
 歌集表題と同じ名の、一連四首からなる小品がある。

逆光に縁どられたるふち光りもりもりもりと肩のある雲

 この一首も、そのあとに置かれた三首も、それぞれに何げないことでありながら忘れがたい一日の一瞬となってひそやかにかがやく。喪失の苦しみに打たれたのちに到達し、生きる歓びを取りもどした作者のこころの輝きである。

解約二件契約二件はたらきて動きて淡し喪のかなしみは
相続者に相応ぬ齢と危ぶまるる一日ひとひを積みて来し齢

 不動産関係の仕事を家業とし、亡夫の後を継いだ長男が若くして亡くなる。そのために作者があらためて引きついで経営者として立たなければならなかった。掲出歌のように仕事に関わる歌が歌集を通 じて詠われるが、それらは生硬な業界用語が多く使われ、つねに緊張を強いられているような印象がある。けれどもどこか我を張ったようなこれらの歌の表情は、あふれ出ようとするかなしみを抑え、怺えていることの裏返しであることがわかる。そのように実直な一日ひとひを積んでいくことで、自分が生きてある現実を証してきたのだろう。

ひとひ経ち一日過ぎゆく現実をにがうりははや雌花はぐくむ

 また、一日ひとひを積みあげることの実例として、がっしりと無骨な実をなす苦瓜が挙げられ、その雌花の健やかなはぐくみにみずからの悲歎からの回復が託される。

夕光にいろ鎮もれる八重桜はなの許より呼び戻さるる
届くまで腕伸ばすなり隅の隅拭ひてわれのかひなは長い
鳴くを忘れし鳥のありたり曲げる事忘れてゐたる膝はわが膝
しら梅の花芽がくれたるこの力つま先立ちを繰り返しする

 苦痛に耐える時間はしだいにやわらげられていき、一人の生がもう一度みずからの心身に呼び戻されるのを実感していく。八重桜の花に、自身の腕に、膝に、つま先に。
 『肩のある雲』は、すでにながい歌作の時間を重ねてきた作者の第一歌集である。家業にまつわる困難な一つひとつに対処していく歌たちがあらかじめ張りつめられた縦糸だとすると、身近な動植物にこころを寄せて自分の生の歓びを回復していく歌群を、親密で優美な情感をひろげる横糸のようだと思える。縦の糸、横の糸はそれぞれに吟味され、奥深い色彩 を湛えながらこれからもたゆむことなく織られ続けていくのだろう。

啓示の光
総田正巳歌集『淡路』

書評 高島 裕

淡路

 光。啓示のような光が印象に残る歌集だ。

網打ちて沼島の沖にひかり生むひとりを見つつ時たちにけり
影のなき草の遍路に降る光、ひかりは吾を許さずつつめり
怯(ひる)みなく晩年を生きむ空に照る月は無償のひかりを放つ
無人駅に秋のひかりを見て立てり小さい電車が来て止まりたり

 二首目の、光が「吾を許さずつつ」むという把握は、読者を立ち止まらせるだろう。救いを求める心さえ持たぬ 私、目前の安逸や一時の欲望、負の感情といったものに囚われて、魂の救いから遠ざかろうとする私を、決して許すことなく、包み込んでしまう光。遍路に降るこの光からは、逃れようがない。この救いからは、逃れようがない。光は、信仰と救済の絶対性、普遍性を、告げ知らせる啓示として、彼方から訪れるのだ。
 光のなかに、自分を包み込む大きなものの力を感受する心は、翻って、身の回りの小さな、微かないのちにたいする、慈しみを湛えたまなざしを生む。

わが肩に止まりし蝶を放ちたり翅破れつつひるがへり去る
ほこりはたく本の間(あひ)よりこぼれ落ち蜘蛛の子ひとつ畳を走る

 翅の破れた蝶。本棚にひそんでいた蜘蛛の子。美しくも強くもなく、誰もかえりみることのない小さないのちを、作者の歌心は見逃すことなく掬い上げる。まるで、作者のまなざしが、あの啓示の光そのものであるかのように。
 齢八十にさしかかった作者。光に啓示を感じ取り、小さないのちに慈しみの視線を注ぐのは、しかし精神の安楽や悟達の境地などとは関係がない。逆に、どれだけ齢を重ねても、迷いや執着や苦悩を離れられない自分をよくわかっているからだ。子どもたちが自立したあとの、妻との暮らしに去来する葛藤と安らぎとは、本集に深い印象を刻んでいる。

妻と我と部屋を分ちて眠る夜(よ)を青松虫は雨のなかに鳴く
駒鳥と目白(めじろ)を聞き分け我に告ぐる妻の傍らにありてやすけし
妻にあたることにはあらずとふと気づき月見草の咲く庭に出でたり

 集題にもなった淡路島とその周辺の町、港、島、さらに鳴門、山の辺の道、そして生活の場である大阪など、特定の土地の名が繰り返し登場することも、この歌集の大きな特徴である。これらの土地は、作者の過去と深いつながりを持っているようだ。これら土地の固有名は、作者の人生の固有性を物語っている。ひとりのひとの、とりかえのきかぬ ただそのひとだけの人生に立ち会うことは、詩歌に許されたひそかな愉しみである。

似た者同士の歌境
岡本眞一歌集『空に向って』

書評 楠田 立身

空に向って

 「あとがき」に六十歳の手習いとあるが短い期間にこのように豊穣な実りを遂げたことに敬意を表しながら拝読。読みながら著者の境遇が私の境遇に酷似していることに気付き、多くのことを学ばせて頂いた。

申年の七十二歳の誕生日もう少し生きむと背筋を伸ばす
百姓を嫌ひて家を継がざりしわれ老いて百姓の真似事をする
一人娘を嫁にゆかせてわが家を継ぐものはなし夏椿落つ

 岡本さんがやや先輩であるが私は現在寅年の七十一歳、農業を嫌った訳ではないが教師の勧めで農業を継がず関西に出て来た身、その報いか男子に恵まれず娘もまた私の後を継がず嫁いでしまった。

死してのちもわが体内のペースメーカーは動かぬ心臓を叩きゐるべし

 ペースメーカーに余生を託した一級身障者であることも同じ。このように同じ境遇であるがゆえに歌の素材も自ずから共通 するが、理数系出身らしい緻密な観察に基づき平易な言葉で滋味ある作品に仕上げる姿勢に、六十の手習いとは思えぬ 発想の根の深さと言葉の構築の堅実さに感銘した。
 この視座は自然に向かう場合も活かされている。

菊のつぼみかすかに色をつけるころ秋茄子はつひに太らなくなる
小鳥らのとなりたる菠蔆草が虎刈りのごとき姿を晒す
大根も白菜もすべて取り入れてなにも無い畑に立つ霜柱

 単に眼が捉えた事象を叙すだけでなく、眼光が景の背後に届いているのだ。

町役場は市役所となり町民は市民となりて税の上がりぬ
合併がつづき仮名文字・横文字の正体不明の銀行生る
チルドレンと名付けられたる代議士らが国を動かしてゐる怖ろしさ
敗戦の記憶持ちたる人人の逝ってしまひしのちの危ふさ

 いま日本列島は総選挙に向けて姦しい。各党は夢のような政見を咆哮しているが、うっかり騙されないぞという眼光が光っている歌。日常の具体的な事象を挙げて先行き不透明の政治を辛辣に批判している。

戦ひにて壊れし街を慈善者のごと直すといふか壊したる国が
世界中やたら巣を張り蜘蛛のごとく獲物を狙ふアメリカ

 読者に選択を委ねながら世界に向ける舌鋒も鋭い。
 紙数が尽きてしまったが「あとがき」で今後の歌作の指標が語られているが、たゆまぬ 精進を続けて岡本ワールドを完遂して欲しい。

具象は常に抽象を指す
岡部桂一郎歌集『岡部桂一郎全歌集』

書評 三井 ゆき

岡部桂一郎全歌集

 二〇〇七年一〇月に刊行されたこの全歌集には『緑の墓』『木星』『鳴滝』『戸塚閑吟集』『一点鐘』の五歌集と、未刊歌集の『竹叢』が収載されている。いまや入手困難な歌集もあり、これらの歌集を通 しで読むことができるうれしくもありがたい刊行だった。そのうえこの全歌集は二〇〇八年の第五九回読売文学賞を受賞して歌壇にとっても記念すべき一冊となった。
 第一歌集の『緑の墓』は昭和三十一年発行。戦後の風俗短歌論争の発端となった、昭和二十二年作の〈うちむかうベアトリーチェにあらなくに陰(ほと)の柔毛(にこげ)とわが暗き影と〉が含まれているが、巻頭歌は、

逝く夏の月は干潟に照りながら生(しょう)なき泥に執念(しゅうね)くまとう

 という暗く重厚なもので、一読、ああ岡部さんだとおもってしまう。それは干潟という場所と、「生(しょう)なき泥に執念(しゅうね)くまとう」という作者の捉えた質感から伝わってくる。月も岡部短歌の重要なキーワードなのだが、それはともかく敗戦直後の社会を背景として実体に迫ろうとする気迫に打たれる。この全歌集は、ここを出発点としてより深くシンプルな方向へと向かう涸れることのない一筋の河の流れを見せてくれる。『緑の墓』という不思議な題名のなぞは、第二歌集『木星』の後記に明かされていて、そこには「わが歌よここに眠れというひそかな訣別 の思いがこめられていたのである。」とある。
 『緑の墓』は、敗戦後の日本人や歌壇を強く意識した側面をもっていて、後記にも私の愛する母國語という言葉がみうけられるが、たとえば次のような歌である。

戰いの痣(あざ)を額(ぬか)にして悲しかる面短躯の人土に立つ
ただれたる沒り日の空に梯子たてり色人のわれはれて
色のコスモポリタンとなるなかれくらがりに灼けし鐵の匂いする

 ことさらの言挙げを拒む作者だが、こうしたこの頃の強いおもいは、八十歳代に刊行された『一点鐘』でも消えることなく引きつづき、次のような表現で胸を波立たせている。

碧眼の人を畏るる感情を夜更けて思う東洋の夜

 第二歌集の『木星』は昭和四十四年の刊行。五十四歳の時のものである。前歌集につづき、生きがたさが時には呪詛めくつぶやきとなったりする壮年の陰影深い憂愁歌集である。

なぐさまず歩み来れば月下にて音なくもつれ人格闘す
天井にひとつの紐の下りつつ寝ねたるのちの暗黒に垂る
安らぎよわが安らぎよ夕ぐれの草の尖りに息みだれ寄る

 昭和五十六年現代歌人叢書として刊行の『鳴滝』では次のような作品におどろかされる。

えらいこと何もでけへん お情けで生きているねん わい乞食やねん

 ダンディで洒脱な岡部桂一郎のお国訛りによる開き直り。後年、平成六年の短歌研究賞受賞の際の挨拶はたいへん印象深いものだったが、その内容はこの作品とよく似たものであり、それをわたくしは、単独者としての苦悩と自負心が綯い交ぜになった心意気として受けとめたものだった。真剣であることに対する含羞を、このような表現で脱力させてしまう歌人でもある。
 昭和六十三年刊行、著者七十三歳の時の『戸塚閑吟集』は第三歌集。

やわらかく雨ふる音は眠りたる後われ知らず夜をこめて降る

 右の巻頭歌。それまでになくやわらかくやさしい韻律ではじまることにおやっとおもう。ますます自在の度を深め、そこに旅の歌や回想が入り込んでくる。そして詩歌文館賞や迢空賞受賞の『一点鐘』へつづく。
 『一点鐘』は平成十四年の発行。著者八十七歳。テーマを定めないであくまでも一首の独立性に賭ける方法は堅持されていて、単なる単独者というよりは主宰者にならなかったという栄光を背にした一匹狼の趣がある。そこがたまらなくステキだ。

「主よわれを憐み給え」オルガンの楽佇ち聞けば心荒れゆく
心にぞ甦りまたよみがえり溢れくるものわれを倒せり
健康のために散歩をする人を前へ導く犬もの言わず
渋柿の皮をいくつか剥き終えてその親柿の枝にかけたり
紙きれをいたぶりながら引いてゆく風立ちにけりこの路傍感

 こうした哀れを深く知る人の衰えることのない激しさ、認識を越えたぬ くもりある肌ざわりというか、手づかみの迫り方に頭を垂れるほかはないが、その軸足はつねに左の二首のような位 置に置かれつづけていたのではなかろうか。この独白めいた二首に、昭和二十三年からの長きにわたって結社に所属することなく、論よりも実践を貫き通 し、一首ごとにリセットしながら創りつづける力業の源、思想が秘められているような気がする。ほんもののヒュマニストでありインテリである岡部桂一郎は、エセを見抜く鋭い眼力のもちぬ しでもある。

まっしぐら坂くだり来てヒュマニストを憎むついでにインテリ憎む
                         『鳴滝』
底びかりする柿の絵をかきし人具象は常に抽象を指す
                        『一点鐘』

新たな議論形態
青磁社編歌集『いま、社会詠は』

書評 内山 晶太

いま、社会詠は

 二〇〇六年当時、青磁社Webサイト上の週刊時評で展開された批評のやりとりを、わたしはリアルタイムで見ていた。
 小高、大辻、吉川各氏の意見は複雑にからみ合いそれぞれの立ち位 置に相違はあるのだったが、どれももっともな意見に感じられた。今回、そうしたWeb上のやりとりのみならず、公開シンポジウムでの議論も含めた形でまとめられた『いま、社会詠は』を読み返してみても、わたしが当時感じていたのと同じく、各氏の意見はもっともだと思った。まず、論争の出発点である小高の評論「ふたたび社会詠について」。社会詠が作品として上手くできているほど、そぎ落とされてしまう何か。また、メディアの発達による「外部の増加」に対して生じた罅。
 それは作者個々の問題というより、むしろ構造的な問題としてある。大辻は、社会詠も歌であり、あるのはいい歌とダメな歌だけであって、認識の正しさによって歌の価値が計られるものではないとする。また、吉川は短歌という詩型の弱さを前提に、一首を核とした「対話可能性」に言及する。なぜ、各氏の異なる意見をそれぞれもっともだと感じたか。それはたぶん議論が微妙にかみ合っていないからなんではないか。それぞれ批評の本旨とは若干違うところを標的にして議論が積みあがっていったような感触である。本文中で吉川が言うように、対話というのは本当に難しい。アウトプットは比較的簡単だが、インプットが難しい。特に議論では、アウトプットするためのインプット、自分の反論用のインプットになりがちであって、今回の議論にもそういう場面 が多々あったのではないだろうか。小高は社会詠において理性的な側面 を強調し、一方大辻は歌の感情的な側面を強調する。まったく逆の主張のように見えるけれども、歌(特に第三者が絡む作品の場合)を詠む際の心理には理性と感情の拮抗が少なからず存在しているはずである。感情の爆発も理性による圧縮がなければ生じない。理性のみによって、また、感情のみによって作られた作品というものは、まずないんではないか。もう少しそういう部分の共有があったなら、より対話の意義が出たのではないだろうか。
 とはいえ、Web上、公開シンポジウムでの議論を通して社会詠について考えさせられる部分はとても多い。本書は今後社会詠を語るにははずすことのできないテキストになるだろう。また、読みのダブルスタンダードの問題、署名の問題、類型化の問題等、社会詠のみならず、短歌全般 の生理を理解する上で欠かすことのできない諸問題が、ぎっしりと語られている。インターネットという媒体の即時性によって可能となったこうした議論形態は、これから増えていくことと思うが、その嚆矢としてこのような形で一冊にまとめられた本書の存在は十分に貴重なものである。

里山の光と風
木村芙美子歌集『里山讃歌』

書評 上川原 紀人

里山讃歌

 『里山讃歌』は、木村芙美子さんの第一歌集である。近年、里山の減少が動植物の生態にさまざまな影響をおよぼしていると言われているが、ここにはまだ美しい里山がある。

里山の五月の光は眩しかり新樹のみどり・早苗田の風
えにしありて八十路の門出に喜べり夫と共なる『里山讃歌』

 木村さんの住まいは、閑静な住宅街で、近くには棚田が続き、丘や林があって、畦道が郷愁のように続いているという。巻末におかれた二首によって、このような生活環境の中で物心ともに豊かに暮らしておられることが伺える。
 『里山讃歌』は、平成六年から十九年まで年代順に編まれていて、木村さんが日々の暮らしの中から掬いあげられた景や心象が、気負わず、衒わず、作品化されて収められている。

俄雨すぎて陽のさす坂道に黒く濡れたる松笠拾ふ
雪やみて木の枝の雫ゆれながら光ともなりまた陰となる
灯のともるは電照菊の温室か めぐりの闇はぬくもりをもつ
近江路に雪降り止まず修行僧のあかき素足に草蛙くひ込む
提灯のあかり二つ三つ消えゆきて盆踊りの輪ちさくなりゆく

 対象を凝視し、繊細に的確に表現された叙景歌は、静かな雰囲気をかもしながら、どこか明るいのは、作品の中に、光や色がぱっと灯っているからだろう。そしてまた、知性の光る巧みな比喩に目が留まる。

豊かなる垂り穂の畦に朱の筆を走らすごとき曼珠沙華の花
問ひ得ぬまま懇談会より帰り来し夜半舌打ちをするごとき雨
暮れ方のバスの乗客は我ひとり流人のごとく運ばれてゆく
足らざるを補ふごとく春雪は芽立ち初めたる木々に降りゐる

 叙情的な作品が並ぶところどころに挟まれるユーモアが、木村さんの生来の明るさ、おおらかさを示しているようである。

思ひつきり枝々伸ばし大あくびしてゐるやうな桜満開
MRI検査のドームに響く音ケンサケンサケンサと聞こゆ

 長年連れ添う夫を詠む作品、旅の歌、そして斎藤茂吉と同郷という生地を懐かしむ歌、

波たかき浜に降り立つ夫とわれ手をつなぎ互ひの気力たしかむ
降り続く雨に行き交ふ人絶えて伊勢おかげ横丁浮世絵のなか
最上川の早き流れを下りつつ茂吉とおなじふる里おもふ

 年を追ってたかまる表現意欲が、しみじみとした味わい深い作品を生み出している。

飾りなんかいらない
徳橋兼時歌集『エチカ』

書評 笹 公人

エチカ

 本歌集には、一九九八年から二〇〇六年の間につくられた歌が制作年月順に収録されている。「章題」を入れていないのは、連作としてではなく、独立した一首一首で勝負をしたいという作者の気持ちのあらわれなのかもしれない。作品は、ツボを心得た完成度の高いものが多い。

くさぐさの観音あれど如意輪はあそびのごとく座してくつろぐ
鉄橋の下にゐて鉄の軋む音聴くは遥けき昭和のごとし

 如意輪観音の座り方に注目したところも、鉄橋の下の音に昭和を感じる感覚も鋭い。

うす暗い座敷の畳に密議など僻目を寄せてしてたであらう
甕覗といふやうな空のいろ実相院の庭に見てをり

 一首目、時代劇に出てくる悪い海鮮問屋の顔が浮かんだが、次の歌に実相院とあるので、僻目をしていたのは岩倉具視だろう。実相院は、京都にある岩倉門跡、岩倉御殿とも呼ばれている仏教寺院。岩倉具視もここを借りて住んでいたことがあり、ここで密談をした様子が記された日記も残っているという。このように前後の歌を読むと歌の狙いや背景がわかる場合が多い。

手につつむ白いマウスの手触りを砂漠の鳥の卵と思ふ
やはらかい真っ黒なごみ袋 女の手にするやはらかい闇

 マウスの歌は、作者の連想力の豊かさがあらわれている。たしかにマウスは砂漠に半分埋もれた卵のようにも見える。そして、その形態だけではなく手触りに注目したところも独特である。ごみ袋の歌では、ごみ袋を「やはらかい闇」と表現している。この二首をつなげるのは「手」という単語である。このように単語の連想で歌を並べているパターンも多く、単に製作順に歌を並べているわけではないのである。
 なかには万葉集の原典のように漢文で書かれた歌もあり、私のような無教養な人間にはルビがなければさっぱりわからない。このような試みひとつにも作者の並々ならぬ 教養の深さが窺える。そんな人に集中のエッセイで、「彼ら(歌人)には『歴史』という概念、『言語』という概念に欠けているんだよ、そして千数百年の歴史だ伝統だなんてぬ けぬけといってるのにはあきれたよ」なんて書かれたら、もう謝るしかない。
 『エチカ』には、章題もなければ解説も栞もない。「あとがき」もウィトゲンシュタインの言葉を引用したのみである。装丁も含めて、これほど飾り気のない歌集は珍しい。そのあたりにも、作者の誰にも媚びない、何ものにも束縛されない自由な精神が発揮されているように思える。最後に好きなこの歌を。

職安をハローワークといふのなら斎場はグッバイパークと呼ぶのであらう

広がりゆく抒情
加藤和子歌集『風のスカーフ』

書評 糸川 雅子

風のスカーフ

 『風のスカーフ』は、加藤和子さんの第一歌集であり、「昭和三十二年~三十九年」「昭和六十二年~平成元年」「平成四年~十八年」と三章で構成されている。
 長い期間の作品が収められているが、歌集の主旋律をなしているのが「ナース」としての職業に関わる作品である。

進学をすすむる声を背に受けて生きゆくための白衣を濯ぐ
死者の顔われの白衣も血しぶきに染まりて一瞬深き静寂
自らの感情を包む白衣にて死の瞬間も姿勢崩さず
午前四時死者送り来て夜勤湯に二人のナース声なく浸かる
再びを着ることはなき白衣なり抱きしむるごといだきて帰る

 「ナース」を象徴する「白衣」が繰り返し歌われており、「濯ぐ」という行為を通 して作品化されている点が特徴であろう。惜しまれつつ進学を断念し、看護師の道を歩み始めたのは、「あとがき」等によれば「昭和三十年代」初めということになる。女性が職業人として生き続けることには、今日では想像できないような困難があったであろう。まして、「看護師」は、生と死の際に職業として日々身を置かねばならない仕事である。そうした仕事を平成四年までしてきた加藤さんである。「鮮血」に汚れた「白衣」をひとり洗い、濯ぎ、またそれに身を包んで「病む人」に向き合った歳月--働き続けるというのはそういうことなのだと重たく伝えてくる。
 最初の章の中心は、あきらめざるを得なかった恋の歌である。

「汝が未来信じよ」と言ひし君なりき卵は秋の陽に透きとほる
さらさらと波に引かるる砂のごと吾も素直に君に寄りたし
車窓より君住む家を見しことも独りの旅の記憶となさむ

 跋文で花山多佳子氏が指摘しているように、素材としての「卵」が多くあり、相聞の歌にも不思議な存在感で登場してくる。「卵」は、著者にとってどのようなイメージで歌われているのであろうか。富小路禎子の「処女にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾のこころ熱くす」を思い浮べたりもする。それは、家や家族のしがらみを離れた、ひとりの生身の女性としての在り様のようであり、同時に、ナースであることからくる、出来事や行為を命の原初に繋げて受容しようとする感受性がもたらすもののようにも思われる。

長病みし母の思ひを知りたくて旧かな多き日記読みつぐ
煮炊きしてひと日籠りし日の暮れに「虹だ虹だ」と夫の呼ぶ声

 多くを語る余裕がないが、退職後の三章では、自身の病が歌われており、同様に長い闘病生活を送られた「母」へのしみじみとした共感、ゆっくり登場してきた夫を描く確かな描写 力と、読後に広がってゆく作品世界がさらに豊かになっている。

ゆつくり好きになる歌集
村田弘子歌集『余るひかり』

書評 小川 真理子

余るひかり

自らをアピールしないこの人をゆつくり好きになるだらう吾は

 「結納」という連作から引用した。作者の子の結納の席に取材したらしい。これから親戚 としてつきあってゆく人への眼差しのやさしさが見えてくるような一首だが、『余るひかり』も「自らをアピールしない」稀有な歌集なのである。私は読み進むうちに、村田さんをゆっくり好きになった。せっかくなので、河野裕子さんが序文であげられた歌以外の作品からこの歌集の魅力を述べたい。

雨霧にけぶれる丘のわが家に小鳥のたまごほどの灯りが

 「小鳥のたまご」という比喩には、小さな命を大切に温めつづける愛情がこめられているように思う。ささやかな幸せと言ったらありきたりな言い方になってしまうけれど、そういうものを本当に大事に生きてきた人生が垣間見える。家族詠の充実は、そんな生き方のあらわれなのだろう。例えば、夫と古代エジプトの王ラムセスを対比させ、夫の実直な生き方を浮き彫りにした次の歌は、発想も十分におもしろい。

仰向けにいつもただしく寝るあなたラムセスよりもはるかな後を

 また、家族詠のなかでは、母を詠んだ歌が抜きん出ていた。

聴くために備はるふたつの耳なりし母に使はむ今日の午後こそ
泣く笑ふたうとう交じりてしまひたる母が私をきゆうつと笑ふ

 耳という器官は「聴くために」あるのに、ややもすると私たちは家族の声をなおざりにしてしまう。家族よりも他人である職場の人や友達の話は気をつかって「聴く」のに、家族の声は聞き流してしまう。そんな後悔が「今日の午後こそ」に滲む。二首目の「母」が向ける「きゆうつ」という語感は「私」自身のきりきりとした切なさの表現にぴったりだ。

吾よりも大きな身体の高校生を叱りてよかつたと思ふ日つづく
女生徒が十歳ちがひの妹をこけしのやうに可愛いと言ふ

 高校教師としての日々を歌った作品。一首目、「思ふ日つづく」という、事が落ち着いた後のしみじみとした嬉しさを詠む。感情の高波は歌になりやすいのに、凪の状態をかみしめるような結句に注目した。二首目、幼い妹をいとおしむ女生徒も、村田さんにとっては可愛いこけしの姉のように見えたにちがいない。子どもが好きだからと教師になる人は多いが、村田さんは人間が好きだから教師になったのだなと感じた歌を最後に紹介する。

はしばしのやさしき人の物言ひを口に真似ゐつ秋のはじめを

他者の美点を敏感に見出し、そこから学ぶふくよかな心がある。

大空に歌を一本描く
佐藤南壬子歌集『新月の木』

書評 梅内 美華子

新月の木

しやきしやきとうさぎであれば食むだらう春もみぢする林ひとつを

 「つがる・春もみぢ」の一連の中の歌。これは青森県観光協会が主催した「春もみじ祭り」のコンテスト短歌の部で、特選一位 になった歌である。選考委員に私も加わっており、もし私がうさぎであれば春の林を食むだろうという新鮮な発想と「林ひとつ」のダイナミックな捉え方に瞠目した。佐藤さんは柔らかな感性と巧みな歌い方で注目していた歌人のお一人だが、この一首によってその力量 と存在感が印象深くなったのだった。
 佐藤さんの自然への対し方には独自なものがあるが、それはあらゆる命が関係しあって連携しているということへの飽くなき興味からきている。それは本集にも明らかに示されている。
 「新月伐採法」というのを、佐藤さんの歌集で初めて知った。伐る時期を太陽と月のリズムに合わせておこなうというもので、「冬の新月の頃に伐採した木は内部が引き締まって、腐食しにくい」とのことが作者を引きつけたという。「新月はほとんど闇に近い、終わりとも思える夜なのに、月の暦はそこから始まる。その月と樹木との関わりが不思議で、新鮮であった。」(「樹皮で支える」より)

無と見えてうしろに控へし細き月 樹より伸びゆく影はなくても
新月の微かなひかりをかき分けて青葉木菟のこゑひくく届きぬ
月に。句点をつけて言ひ切りぬ 大空に歌を一本描くは誰ぞ

 月がある景の歌にも、見えない何かが交感していることを想像し感じ取っている姿があり、自然界の粛々として力強い命を丁寧に、大胆に歌っていてとても魅力的だ。

竪穴に陽がさしくれば屈みたる人はそろつて地表を動く
膝を折り湯舟に入るは動物が足を畳みて眠るに似たり
海のない街なかで聴く風の音 冬の裸木すらり抜けたり

 遺跡を発掘する光景に出会い、太陽光の動きと屈んでいる人の動きがゆっくりと連動することを描いた歌や、人も動物も屈折する身体をもつ切なさ、風の音と冬の木立が抜けてゆく感覚など、ある懐かしさとともに不思議な読後感を残す。具体的な物の名や景を捨象して、普遍的なものや存在感を歌おうという手法をとっていることからきているのだろう。

帰りきて影なき犬と遊びをり ゆふぐれの庭にひとりのこゑで
木に声をかけて出かける はじめから木だつた犬のごとくに

 愛犬の看取りと死を詠んだ歌集後半の悲しみと喪失感にも作者らしい感覚と表現があり、はっとさせられる。

妹からの手紙
上田善朗歌集『紅映(べにさし)』

書評 西王 燦

紅映(べにさし)

 二〇〇九年八月二十一日、福井新聞は一面トップに「大型クラゲ郡来 美浜沖定置網 連日500~900匹」という記事を載せている。「連日、百匹を超す大型クラゲが掛かっているのは県内では丹生大敷網組合の定置網だけで、詳しい理由は分かっていない」と書くのだが、この「詳しい理由」という記述には、微妙な含みがある。丹生沖には美浜原子力発電所の温排水が流れ出していて、それが大型クラゲを引き寄せるのではないか、という世間の噂話を考慮した、地方紙らしい書き方である。

原子炉を七基置きたる半島に越前水母が押し寄せてくる

 歌集『紅映』の帯文にも引用されている作品だが、敦賀半島の鄙びた入り江や小島に巨大なコンクリートの指を七本差し込んだような景観と、そこに押し寄せてくる不気味なピンク色のクラゲは映像として私たちをひそかなデカダンスに誘う。

五人の命奪ひ去りたる原発の空に入道雲の湧き立つ
西行も芭蕉も知らぬ原発が色ケ浜辺のすぐそこにあり
岬には文殊菩薩の名を冠す原子炉一基止まりたるまま

 五人の作業員の命を奪ったのは二〇〇四年八月九日の美浜三号機の蒸気漏れ事故。西行も芭蕉も知らぬ 原発とは敦賀発電所の二基と、廃炉を待つ新型転換炉「ふげん」。文殊菩薩の名を冠す原子炉とは、高速増殖炉「もんじゅ」である。
 上田善朗は福井県三方郡三方町で生まれ、敦賀市で暮らす。三方町は三方郡美浜町とではなく、遠敷郡上中町と合併して若狭町となった。上中町は京都から小浜へ到る鯖街道の道筋、三方町の久々子湖は美浜町に跨る。やや風土の異なる二つの町が一緒になったのは美浜町に原発があるためだ。
 上田善朗が原発を描く筆致は、きわめて健やかな批判的姿勢だが、この健やかさの背景に、水月湖畔の生家がありそうな気がする。私はほぼ毎年、梅の花の咲く頃、好んでこのあたりを通 るのだが、じつに美しいところだ。
 「陶芸アトリエ高瀬川」というブログの一月の記事に、

 初雪が降りました。和歌山の白浜では珍しい光景です。積ることはなくしばらくしてまた青い空が出てきました。故郷福井では、冬は毎日こんなお天気だったように思います。今日は土曜日、こちらではみんな家にこもってひっそりしています。

 と書かれている。これは上田善朗の妹のブログだが、兄に宛てたような書き方や、陶器に彼の短歌を彫り入れているところは、兄弟姉妹の中での上田善朗の存在の健やかさを窺わせる。

白髪増えし妻と葛切り食べをりぬこの世の不思議な縁(えにし)を思ひ
父の癖残る庭下駄履き出でて里の庭辺のひぐらしを聴く
わが影に小さくなりし母を入れ湖畔の墓に詣できたりぬ

 歌集『紅映』は、俳句で鍛えたディテールに対する鋭い視線と穏やかな筆致で描かれた「大家族の肖像」である。

978-4861980640
山下洋歌集『オリオンの横顔』

書評 佐藤 通雅

オリオンの横顔

 山下洋は、走る人なのだ。マラソンの歌がいくつも出てくる。

号砲を待つ脚たちの筋肉のひくひくとする緊張が見ゆ
夕立ちののち蝉時雨ずぶ濡れのTシャツの群れ坂駈けのぼる
人間の河となりたる一万の走者の群れが道を流れる
マラソンは時間の長さ 時雨れてはまた雲切れて陽射しを浴びる

 私も中年後期までは、随分走った。フルマラソンの大会に出ることはなかったが、四季を通 じて、早暁に走り込んでから出勤するのを日課としていた。それだけに、いきなり親しみが湧く。いずれも、体験者にしてはじめてわかるディテールをんでおり、しかも大抵がいい作品だ。
 だのに、山下からスポーツマンのイメージは浮んでこない。競うとは、他から抜きん出ること、すなわち肉食獣たらんとすることだ。山下はどちらかといえば草食的だ。「マラソンは時間の長さ--」に見られるように、フルマラソンの時間にも、その間の天候の変化にも挑もうとせず、すっかり身をゆだねている。

氷屋の旗ひるがえり舗装路に布一枚の影は漂う
駅ひとつひとつと過ぎてようやくにわれにかえりてゆく日暮れかな
何かになろうとして生きてきた訳じゃない桜紅葉を見上げて思う
春雨は今日の住宅顕信の句集を開き犬ころとなる

 風に翻る氷屋の旗。が、ばほらばほらと勢いづくわけでなく、布一枚の影となって漂うばかり。ここでもはじめから、肉食性が脱落する。「我」とか「自我」の〈ぎらぎら〉を、どこかに置いてきている。だから駅のひとつひとつを過ぎたあとにやっと「われにかえりゆく」のだ。「何かになろうとして生きてきた訳じゃない」も、つねに何かに遅れ続ける自分を、隠さずに語る。住宅顕信(すみたくけんしん)は「ずぶぬ れて犬ころ」の俳人。闘争心をとうに失った犬ころへ、自分を重ねあわせようとする。
 これらが山下の作歌の〈場〉だ。レースにありながら、他を踏みつけてまで勝とうとしない、勝敗を超えたもっと巨きなものとこそ伴走しようとする。
 そんな〈場〉から、折々どきっとするような秀歌が立ち上がってくる。

背を向けて画面の奥に去りゆきし帰らぬ者をヒーローと呼ぶ
猫の群れ駆け抜けしのち忽然と路地は突き当たりより黄昏る
路地裏の無国籍風屋台より甲殻類の醤(ひしお)匂い来

過去へ向かう「匂ひ」
清田京子歌集『遙かな五月』

書評 吉浦 玲子

遙かな五月

マンションの階のはざまは風のみち小指に似たるつららが光る
鈴かけの鈴の実ころがる石畳銀輪の影回りつつ過ぐ
食堂に動けぬ身ながら目を細め〈殿さんみたい〉に母はいませり

 本歌集は「眩」所属の清田京子の第一歌集である。歌集を読み進むと、著者は豊かな感覚によって対象を的確に把握しつつ、現実の世界とぶれることなく向き合っていることがわかる。小指に似たつららのリアルさ、石畳に視線低くアングルを合わせた切り取りのおもしろさ、高齢の母へのまっすぐな視線。その〈今・ここ〉にある世界へのまなざしは確かなものである。

店の内バスの中にもゐ座れり梅雨は生きものの匂ひをもちて
孫と寝て本読みやれば遠き世のわが家の匂ひ浮き上りくる
救世軍ラッパ鳴らしてやつて来た遠い師走の子供の匂ひ
幼ならのはじける声の止みしとき忘れもののやうなぎんなん匂ふ

 偶然ではあるが「匂い」で印象的な歌を引いてみた。嗅覚というのは五感のなかで、本来もっとも原初的で生命の根幹に関わる生々しい感覚であるという。たしかに一首目の梅雨の動物的な生々しい把握はおもしろい。しかし、その感覚が過去とリンクするとき、一首の印象は切なく茫洋とした悲しみを帯びてくる。遠き世のわが家や、救世軍がやってきた師走の「匂い」は、過去を描きながら確かにリアルさを伝える。しかし、感覚が生であればあるほど、記憶された事象がすでに失われたもの繰り返すことのできないものであることを、かえって強く感じさせる。そしてこれらの歌は、作者の〈今・ここ〉の背後にある家族や生活の歳月の重さを否応なく伝える。またそれは昭和という時代の手触りともつながってゆく。そう思って読むとき四首目のぎんなんの「匂い」にも、現実のことでありながら、〈今・ここ〉の路上に、ふいに過去が立ち上がってくるような不思議な感覚を覚える。

授業終へ楽譜を閉ぢて雨の朝竹内先生征かれしままに

 楽譜と雨音だけが時間を越えていまも残っているような一首である。「征かれしままに」といういい差しの表現が、欠落感を伝える。筆者が身のうちに抱える決して帰ってくることのない人や時間が、短歌という表現様式を呼ぶのであろう。しかし、この一冊の中には過剰な感傷などはない。、むしろ余裕すら感じさせる柔軟な世界と読者は出会うことができる。

白き鬚の神父いましし遠き日よ夙川教会が電車より見ゆ
夫とふたりわが墓碑銘を考へつつ歩けば何やら可笑しき五月
しゃぼん玉の芯に入りたる心地しておぼろに夏の去りゆくゆふべ

写 実し続けている力
持丸禎子歌集『曉紅空』

書評 山内 頌子

曉紅空

 季節とともに、歌が進んでゆく感じがある。

山梔子の甘き香りの花白く咲き満つ暁生かしめ給へ
万作の黄の花咲けば燦々と花の位置より日は出でにけり
白妙の夕顔咲けり月照りて夢の中でも救はれてをり

 歌われている花は実に多い。比喩も含むと相当な数である。薔薇、樗、郁子、柿の花、寒椿、辛夷、菜の花、枇杷、桜、石蕗、蒲公英…ほんの一部だけでこれだけの彩 りがある。知っていればなお、思い深く読むことができるだろう。
 物語ではなく、暮らしの接写でもない、身近なものを写実し続けている力を感じる。自分の信条や人間関係の複雑さを前面 に出すのではなく、自然の力を歌に溶け込ませようとしているように見える鮮(あたら)しさがある。

白梅の匂へば土も匂ひつつ父祖の畑地に種蒔きてをり

 手触り、湿度と温度があって印象に残った歌だ。白梅が匂うのと同じように土も匂う。「匂へば」「匂ひつつ」のつながりがいい。生きているものが生きているものに感じる呼応が表現されている。そこは「父祖の畑地」という代々受け継がれてきた土地であり、歌のなかに何ともいえない広さをもたせる。

山鳩はくぐみ鳴くなりもの思ひ染み着きたるを衣更へする
愛燐に憧れし頃籐椅子を買ひしが古び夫が掛けをり

 山鳩の独特の鳴き声は、思いが染み着くという言葉に通じるものがある。そのようなところから、季節をも含めて自分を転換する時間のまたがり。また、籐椅子を買った頃には自分の人生に未知の存在であった夫。それが今よく知る存在となり、自分の身を流れていった時間や心情のまたがりを改めて見ている。
 淡々としながら、写したいことに沿う比喩を選び、巧みだと思う。

君が売る林檎を食みし季節よりせつなき色に粉雪降りけり

 めずらしく「君」というはっきりした対象人物が出てくるこの一首。相聞と読むが、この歌集の中に置かれると必ずしも想いを寄せる相手というだけではない気がする。上句の「君が売る」という動作が、下句の甘美な雰囲気をしまりのあるものにしている。
 一首の中で言葉を換え、意味を重ねているものが見受けられるが、これらが集合することでまた伝える力になり得るという作者の信念があるのかもしれない。

追ひつめし魚逃がしたる白鷺の誤算も美(は)しき水輪となれり

体感のある言葉
宇野かず子歌集『波の音』

書評 本土 美紀江

波の音

 『沙羅』につづく平成六年から平成十九年までの作品よりなる第二歌集である。あとがきに「平成六年三月夫が退職することになり、ふたりだけの時間が与えられました。二人でよく旅行をしました」とあり、本歌集には家族との旅行詠が随所にある。ボランティア詠、日常詠、共々、いわゆる熟年世代を過ごす人の見るべきを見て声高かでない語りかけが好ましい。
 作品にそってその世界を垣間見てみよう。

粗き心まはす轆轤に融けゆきて茶碗一つに刻を忘れぬ
筆先より素焼きの肌に吸はれゆく淡き藍色文字やはらかし

 まわす轆轤の上で粘土が茶碗になるわけだが、手の角度、力の入れ具合、姿勢等々様々な影響が全て轆轤の上の茶碗にあらわれる。素焼きに文字を入れる筆先もまた描き直しのきかぬ 真剣勝負である。掲出の二首はそんな緊張感が生み出す平安や優しさに焦点を当てて気負うことなく歌に成している。〈融けゆきて〉〈吸はれゆく〉なる体感のある言葉が作品の奥行きを広げその味わいは深い。

水平線に沈みゆく陽の朱と燃え足摺岬を絡めとりたり
雪深く人影の無き永源寺受付けは閉ぢて中に編み物す
暗き堂にまなこ慣れればあどけなき飛鳥のほとけ印結び立つ
半世紀経てま見えたる鎌倉大佛なほも美男に人寄せておはす
まなさきに横たふ国後幻影か四島返還いまだ成らざる
八重山の秘境波照間につれづれの歌のメモ帳忘れ帰りぬ
荷物持ちと言ひて持ちくれし夫も老ゆつぎ行く旅は二つに分けむ

 旅の歌からの七首である。〈絡めとりたり〉〈あどけなく〉〈幻影か〉の把握にひかれる。また〈中に編み物す〉と永源寺の冬を詠んだ生活感を伴う表現、〈なほも美男に人寄せて〉〈メモ帳忘れ帰りぬ 〉のような仄かなユーモアも心地よい。宇野さんの旅の歌は視点が定まっていて自然体であり鮮明である。七首目の歌は心に沁みる。有無も言わせぬ 結句である。

アクセント確かめつつ読む録音の今日は隼新八御用帳
臘梅の匂ひを賞でる盲人に花の色伝へるすべなく黙す

 この二首は、ボランティアとして視覚に障害のある人々に関わった時期の作。〈隼新八御用帳〉が効いている。二首目は〈視覚〉の意味を再確認させて深く重い。

ペースメーカーの脈拍一とせ恙なくいのちすこやかに年あらたまる
四度目なる命つながむペースメーカー替ふると入る手術室冷ゆ

 命を託しているペースメーカーだが、表現に微塵も悲壮感がなく客観的でさり気ない。著者の優れた特質であろう。
 宇野さんは斯くの如く、極めてさり気なく日常の機微を捉える。『波の音』は静かな表現ながら、ふと見過ごしがちな仄かな喜びを読み手の心に届ける一冊である。