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青磁社通信第十九号VOL.192008 年 6 月 発行

巻頭作品

秋葉 四郎

身に力ある芸にして一時間あまり踊りてなほぞはなやぐ
          三月四日坂田藤十郎喜寿記念公演

おのづからかがやく芸は老いの知恵鍛へし体それを支ふる

人のつね超ゆる希(ねが)ひは身力(みぢから)となり超俗の芸となるべし

異邦より来(きた)る一団かたはらに押し黙りつつ歌舞伎にひたる

幕を引くころあひはかる叡智さへしみじみ伝統の技(わざ)と思ひつ

人を責め思ふならねど工夫無く箴なき短歌はびこりすぎぬか

佐太郎に見出されし歌人われはかばかしからず齢を積めど

エッセイ
芥川龍之介の碑

小池 光

 埼玉の蓮田というところに住んでもう二十五年である。
 明治の頃は十余りの小さな村だった。何度か合併、統合して蓮田市になった。せんだってまで南関東の純然たる農村地帯である。宅地開発も工場誘致もあまり熱心でなくて、今もわずかの市街地を抜けると田畑がひろがる。畑は果 樹栽培が主である。梨、桃、葡萄、巴旦杏などを作る。特に梨作りが盛んである。
 小村が連綿体に繋がったから蓮田は北西から東南に向かってひん曲がった薩摩芋のようにひょろ長い。駅をはじめ市の中心は薩摩芋の南端にある。反対側の北端に根金という地区がある。明治の頃は根金村である。
 その根金に稲荷神社というさびれた社がある。境内になぜかしら芥川龍之介自撰自筆の碑が立っている。
 芥川はこういうものは好まなかった。それでも撰文した碑はいくつかあるらしいが、文を作りかつ自ら筆を運んで石に刻ませたのは全国にただ一カ所ここ蓮田市根金稲荷神社の碑だけであると、市役所のホームページに書いてある。なにもないここ蓮田の、観光スポット末席に連なっている。
 四半世紀も住んでいても根金までくる用はない。これまで対面 しないで来たが、今日はおだやかな散り桜の一日で、近くまできたついでに稲荷神社に寄ってみた。野菜畑と梨畑の前に、芥川の碑があった。
 高さ二メートル幅一メートル程度の平石の表に三百字ほどの文字が刻んである。碑文はまず大抵漢字ばかりの和製漢文だからこれもそうかと思ってきたら、漢字ひらかな交じりの普通 の文章である。しかもですます調である。めずらしい。建立は大正六年。消えかけている部分も若干あるがおおむね読める。最後のところを手帳に写 してきた。こういうことで書いてある。
 「その外色々な救恤に盡悴した事は云ふまでもありません正直の頭に神宿るとはかう云ふ人でありませうこの感心な人と云ふは明治十七年二月一日埼玉 縣南埼玉郡平野村字根金の生まれ廣庵関口平太郎君の事であります 大正六年九月一日 文学士芥川龍之介撰并書」
 どうもこれだけではなんの事か分からない。めんど臭がらないで全文写 してくるんだった。関口平太郎君は按摩師でしばしば自分が世話になっていること、按摩業で財を成し、その財を東北の飢饉に際しては何々円、郷里平野村の学校には何々円寄付したことなどなどが右の前段に書いてある。正直の頭に神宿る人と絶賛している。生年から勘定すれば関口平太郎なる人物はこのとき三十三歳、芥川は二十五歳である。
 つまり芥川は芥川でもぜんぜん文学碑ではない。文学とは何の関係もない。一知人を顕彰する碑である。そして、知人は若い按摩師である。これだけの財力を有するに至ったからにはただの按摩師ではないだろうが、よくも引き受けて書いたものである。よほど親密な交流があったと推察されるが芥川の研究家には知られた存在なのであろうか、知らない。
 神社の裏手には広場がある。「農業従事者運動場」だそうである。誰もいない。周囲に若い桜が植えてある。ひっきりなしに花が散る。散った花は砂地の上を、微風を感じていっせいにころがる。ひとつひとつのはなびらが立ち上がって、自身で回転しながらころがる。
 一字一字楷書で真面目に書いてあるけれど芥川の字はどうも上手とは見えない。風格というようなものも感じない。二十五歳の芥川はすでに「羅生門」を書き「鼻」を書き新進作家として世の注目を浴びている。しかしその文名に比して書はどうも得意でない。これ以外の自筆碑文を一切作らなかったということがわかる気がする。おそらく埼玉 の田舎の神社では見られることもなかろうと、安心して引き受けたのである。
 母がいるところは南に一キロばかり下った高齢者向きの病院である。もう三年十ケ月になる。夕食を食べさせにしばしば訪れる。ヘルパーさんはブラジルの人である。一人で受け持つ人数がはなはだ多い。家の者が行ってせめて夕食の世話だけでもしてくれれば、助かる。昨日までなんとか匙で掬った流動食が口から入ったが、嚥下力が尽きて今日からは鼻から管が通 った。食事の世話をすることから、解かれたのである。ことばがとうに失われた母のそばに来ても、食事の世話がなくなればもはやすることはないのである。
 わたしには感じない風が地表にまた立って、はなびらがさわさわさわところがりだす。広場の緑まで、さざなみの波頭のようにすべってゆく。風向きが変わると今度は足元めがけてさわさわと波頭は進んでくる。わたしは、新しいタバコに火をつける。
 箱の中に、あと一本残っている。

幻想の島
内藤定一歌集『鳥の国より』

書評 加藤 英彦

鳥の国より

せめぎ合いひしめき合いて流れ入る水は激しき生きものなれば
立ち上がることを謀反というならば草立ち上がれ山野を埋めて

 二つの水流が激しく交わる水域では、こうした光景はめずらしくないのかも知れない。まるで、春の到来を告げるかのように、雪解けでふとった川水はいっせいに下流をめざしてくだりはじめるのだ。この生き急ぐような性急さは、どこか人間の生に似てはいないか。水流は堰をきったように互いに反撥しあいながら、同一の方向へと落ちてゆこうとする。
 一方、謀反がもし「立ち上がること」であるならば、こちらは抵抗体として直立する若い精神の芽を思わせる。時代や社会に抗していく小さな力の集合としての草。それらが山野を埋める力の束となってあたり一面 を覆い尽くす。そんな民衆の意志を夢みたことがあった。すでに歴史の彼方である。この一首はそうした過去を呼びさます磁力に満ちている。

喪の色のオハグロトンボひるがえり沼の彼岸にくる敗戦忌

 沼のあたりを美しく舞うオハグロトンボは、あの夏に散った英霊たちの化身ではないのか。一九四五年八月十五日、夥しい蝉の声はすでにない。あれから六十回を越える夏が巡った。歳月に薄れゆく記憶のかけらを呼び戻すために、オハグロトンボは翅をやすめに来ているのだろう。黒い翅は喪の色であり、その身体には精霊が宿っている。どこか幻想的な歌だ。

転轍機で行方変えられしSLは地球時間の彼方を駆ける

 転轍機で行路を変更するのは、需要と効率が求める合理のゆえである。明治以来、主要な交通 手段であった蒸気機関車は、その後の技術革新のなかで生活の場から懐古的な郷愁の対象へと姿を変えた。社会的有用性を奪われたときから、SLは過去の歳月を背負ったロマネスクの彼方へと行路を変更したのだ。地球時間の彼方には、そんな文明が失った風景が広がっている。

静寂に波紋拡げてゆっくりと蛇が渡って行く水の上

 これも幻想的な作品だ。周囲の喧騒のいっさいを吸収して静まり返る河口。このとき、蛇はなにかの象徴であるだろう。思えば、堰を切って落ちる水流も山野の草も、沼のオハグロトンボもSLも、そしてこの川をわたる蛇も、みな彼岸との境界から現世を眺めているような気配がある。それは、四国の自然がみせる束の間の幻なのだ。「島の国」からのメッセージは、現代が失った様々な光景を現出させてくれる。
 本集に収められた作品の多くは、著者が所属していた同人誌「薔薇都市」のテーマ企画によるという。アルツハイマー病の妻がみせた「無心な笑顔」に魅せられたときから、介護にあたる著者の目にはこうした風景が去来し始めたのかも知れない。

懐かしさとほの暗さ
前田康子歌集『色水』

書評 横山 未来子

色水

 『キンノエノコロ』に続く第三歌集。著者三十代後半の作品が収められている。「色水」という郷愁を感じさせるものが歌集名に選ばれているように、日向のような懐かしさと、日陰のようなひんやりとしたほの暗さが感じられる歌集である。

柚子入れし鞄が匂う夜の道小さい順に眠たくなりぬ
あぜ道を歩く私のつま先は小さかったよこの子のように
いもうとの我に見せたる手品して兄は遊べり幼子たちと
ふうせん虫沈んでやがて浮かびくる水の底なる時間拾いて
赤爪草すぐに色素は抜け落ちて昼の花瓶の水ぬるみたり

 わが子をうたいながら徐々に自分の子供時代にさかのぼってゆくような歌や、子供時代のままのゆったりとした時間のなかでものを見ているような歌が多くある。子供の頃に感じた夜の雰囲気、ちょっとした心細さ、春の日の温度や湿度などが、一首一首から立ちのぼって来る。どの歌にもほのかな寂しさが漂うのは、大人になってしまった作者が、現実にはもうこのような時間に戻ることはできないと知っているからであろうか。

治されて生きる身体を見てほしい風梳いているあの楡の木に
骨まで露わにされしこの脚も静かになりて川原を行く

 事故による大きな怪我から回復してゆく日々をうたった作品も心に残った。一首目の「楡の木」は自然界の大きな生命の象徴のようであり、その「楡の木」に身体を見てほしいという願いからは、再生への切実な思いと原初的なエロスを感じる。二首目は、自分の脚を自分に付属するものとして見るのではなく、少し距離を置いてそっと見守っているような感覚が印象深い。この一首に詠みこまれた癒えるまでの時間は、過ぎてみればどこか不思議なものでもあるのだろう。

眼にも匂いがあると思いたり唇の先少し触れれば
水の重み知りたる櫂がぽっかりと水に浮きたりもう辞めたいと
鵺が鳴くと寂しいメールひとつ来て明るすぎにき白き画面は
産み終えて水濁りたる画面なりイルカは母になる声もたてずに
水鳥の冷えし内臓たぷたぷと岸に寄り来るパンを投げれば

 一首目の嗅覚と触覚だけで肉体を捉えたなまなましさ、四首目のイルカの出産を「水濁りたる画面 」と表現した冷静な視線など、暗さや凄みを感じさせる一面があることも大きな特徴である。懐かしくやわらかな印象だけにとどまらない本歌集の魅力は、このような陰翳のある作品によって生まれているのだと思う。

花盛る
高松富二子歌集『虹の五線譜』

書評 尾崎 まゆみ

虹の五線譜

うすぐもる空ゆ機影のあらわれてその飛行機が虹をくぐりぬ

 宝塚は歌劇の街。男装の麗人が舞台に立って、乙女達に夢を振舞う街。薄曇りの空に飛行機が現れて虹をくぐり、視界から消えてゆくように、晴れやかではかない女性の夢の詰まった街。本書は、その女性のあこがれの街、宝塚に住む作者の第一歌集。一九九四年から二〇〇五年までの十年あまりの歳月の実りが精選され、まるで舞台の脚本のように三章にわけられて、端然と並んでいる。

花盛る夏樹仰ぎて歩み行く今とう現在進行形が好き

「虹」の章には阪神淡路大震災。「霧」の章は子の巣立ち。「水」の章は自らの病についてと、それぞれに大きな出来事がその源にあるのだが、「花盛る」ではじまるこの歌集の印象は明るい。がこの明るさは語られる内容が、ではなく語る人の、つまり作者の「今とう現在進行形が好き」と言い切る精神の若々しい弾力と、強さから来ているのだろうと思いながら、虹と霧と水。三つの章を読み進むうちに、ふと水の存在を身近に感じるような、と思うまもなく、ひたひたと水の気配が押し寄せてきた。

ボトル一本の水を得んとて頭を下ぐる生活をわれは思いみざりし
逝く水に境界線のありやなし桂川とぞここよりを言う

 そういえば、虹も霧も水が無ければ生まれない。ボトル一本の水に託す想いは震災から生まれたもの。ライフラインを絶たれた震災以後の街では、ボトル一本の飲み水の有り難さが身に染みた。その大切な水の旅のはじまりは雨水。川となって名前がつき、海へと流れ込む。おおきな循環に果 ては、地球がある限りおそらく無い。そして水の循環の果てしなさは、歌集を読み進むうちにいつしか容赦ない時の流れに重なる。

息のみていつの日誰が仰げると思いつつ求む桜苗木を
再会を疑わず交わす言葉なれいつか永遠ならむ「さよなら」
今在りて紅葉仰げるこの時も若かりしよと後に思わむ
渡されし種子百日草咲かせます忘れませんあの日、一月十七日

 いつか誰かが見上げて息を呑む姿を思い描きながら、つまり私ではなくいつの日か桜を見る誰かのために求めた苗木の育つまでの時間に、そして永遠となってしまうかもしれない「さよなら」にも耐える作者の心の強さは、後の日に今の若さを思い出す自分を発見し、いつか記憶に埋もれてしまうかもしれない一日を大切にしようと思う。本書を閉じた時、読者は圧倒的な時の流れをしっかりと受け止めて「現在進行形が好き」と言い切る作者の魅力的な姿に、改めて出会うだろう。

海原を一跨ぎして吊り橋は海とう舞台に翳を落としぬ

移りゆく景
高岸由喜枝歌集『一樹の影』

書評 池本 一郎

一樹の影

 朴か栃か。表紙のデザインの、長楕円の網目の葉脈に息をのむ。加藤恒彦氏の装幀。山でよく見かけるが、こんなみごとな葉脈はない。たぶん時間と場所が合った一度きりの偶然だろう。歌集の題名に、むろん内容に、微妙に通 い合っている。

ながき愚痴いくさに果てし子に尽きる老母の小さき肩を見ている
七夕の今日原爆忌笹の葉に笹の影ありともに吹かるる
しっかりと抱かれ優太ちゃんの右の手が隊衣の胸を握りしめいる
只いち人を偲べとやかくかがやける雪に一樹の影移りつつ

 戦死した息子は著者には弟。母を歌いつつ戦争の影が家族につきまとう。原爆や中越地震など長い戦後の歴史や、家族・私が七十年に亘って歌われる。四首目は歌集掉尾の夫の挽歌・戦前の大連から始まる一巻は、時間も空間もスケールが大きい。
 多様な作品を通して、私は現在形で歌われる作に注目する。

青空にななかまどの実が赤かったと盲いし母がふいに洩らせり
ひたすらに訴うるは何病む兄の唇の動きにまなこを凝らす
船頭の話し半ばに試したりまこと堀川のここ潮の味

 これらの臨場感と現在形は、初めに挙げた四首にも共通する。盲いし母や兄の唇の動き、「一樹の影移りつつ」などは、時が経過しても現在形のままキープされる。短歌一般 に言えることだが、『一樹の影』はこの特徴がきわだつ。
 例えば鶏が陽のあたるほうに移りゆくように、存在するものがつねに現在の形で動いて行く。つまり移りつつ造形をしてゆく。大きな時間空間のなかで、一度きりの偶然が、ずっと続く。高岸歌集一巻には、そういう本質が顕著に流露する。
 大正六年生まれという行路の歌びとに、こんな歌がある。

六弁も四弁もあるえごの花 花なればたすこともひくこともなし
子規のまろき頭に触るるまで蔦の葉の瑞みずし伊予子規堂の門
なつかしき茂吉の講話に耳潤う殊に哀しき極楽バケツ
新しき水草を入れ酒注ぎ病める金魚に四日四夜過ぐ

 とても自在で闊達。対象への炯眼は日本画のゆえか。
 さて巻末の夫の挽歌と共に、いま次のような歌にひかれる。

足弱きこの身を晒しゆっくりと滝をはなれてふりむくしばし
老杉の木立小暗きひとところマタタビの葉の白がなだるる
卒寿なる旦の耳にきき澄めり雪に啼く鳥つづく谺を

 こうした歌の、とくに下句に、存在の少し切ない実相を見る思いがする。いや、影でなく景として、より確かなものを。

夫恋
長野たつゑ歌集『海蘭』

書評 松川 洋子

海蘭

 『海蘭』の著者、長野たつゑさんとは「原始林」の長い同行である。まず半世紀を越えての第一歌集出版をよろこびたい。
 長野さんの住む道東の北見市は盆地で寒暖の差が激しい。昔は物を凍らせないために冷蔵庫に入れたという。オホーツク海も近い。近いといっても「北海道語」での事だが。

丈ひくき草生うねりてそのはたてオホーツク海の紺横たはる
氷塊の上に氷塊の影さして蒼ずむ視界昏るるにまかす
耀へる氷原を行くあなうらに着地感さへ恃めなくして
たゆたひて白鳥一羽流れゆく凍れる湖に潮及ぶらし

 集中に圧倒的に多い北の果ての厳しくそして寥寥とした景はその地に棲むものの眼をもって、重く確かに歌われている。これらの作の中で特に心ひかれた一首、

砂嘴尽きてオホーツク海となる此処に家ありて襁褓風にはためく

 網走、根室周辺には砂嘴が多い。隣家まで何キロ、所によって何十キロもありそうな海辺に岬山の果 てに、生の証のようにはためいている襁褓、この襁褓をする赤子の肌はあかがね色か。人肌のなつかしさ、それによってなお荒涼とした景が極立つのだ。
 この集の特長として身辺や日常を歌った作がかなり尠い。これは序文で河野裕子氏も触れられている。若い頃傾倒した長塚節の影響もおおいにあるだろう。でも若い頃の作を知っている私は削ったのが惜しい気がする。

おぢいちゃんを好きかと迫られこの幼後退りしつつ普通と答ふ
あかときの薄くらがりに四肢放ち自が発光に乙女眠れり

 この集の終りの三十頁は、夫の看取りと死の歌で占められている。

湧くごとく歌いづるなり泥沼の介護の日にも浮かぶ瀬はある
看取りの帰路 雨に遇ひしを幸ひに憚りもなく大泣きしたり
二度開きしと無言に指二本立つるなり病みても反骨おとろへぬ 夫は
この夫のペン一本に頼りては子等を遊学させし日長かり
もういやになつたかと或日夫言へり言はしめし吾こそ万斛の科

 これらはまさに憚りもない夫恋いの歌である。
 経験しなきゃ判らない、淋しいもんですよ、と私を見詰めて言った長野さんの顔が今も目に残っている。残された者は身も世もなく嘆きつづける。なまじいな評は書けない根源的な作品群である。

帰りぎはつくづくと夫の顔見れば「もう長くはないのか」と問ふ

静かな生活、静かな意思
大由里智葉歌集『冬ざくら』

書評 造酒 廣秋

冬ざくら

 歌集『冬ざくら』は平成四年から平成一七年の十四年間、著者の年齢で言えば六七歳から八一歳に至るまでの七二五首を収めている。昭和六十年に第一歌集を、平成四年に第二歌集を出版したペースから言えば、二倍の時間がこの一冊に収められている。歌数が多いのもそのせいであろう。全体が「1、草の章 平成四年~八年」「2、木の章 平成九年~十三年」「3、土の章 平成十四年~十七年」の三章に分けられている。

山端に積る落葉が陽を吸いて暖まりたる冬の匂いす
蕗摘みし指におうなりエプロンの鉤裂きつくろう針運ぶとき
制服のみな少しずつゆとりある新入生はかがやいている
PKOの本体が今日発ちました 現は希いを逸れていきます
大震災の火の手に焦げて幹黒き一樹空地に秋の芽を吹く

 「草の章」から抜いた。落葉の冬の匂いや蕗を摘んだ指のにおいから、PKOへの日本の参加、また阪神大震災まで、著者の関心は広く豊かである。「制服」の一首、中学一年生だろうか。かつて教職にあった著者にとっては、自身の昔を振り返る楽しさがあるように思われる。

鋤かれゆく土ほがらかに裏返りふくふく春の日を吸いはじむ
石橋を渡りゆきたる学徒兵 半世紀越えていまだ還らず
増産を謳いたる日の遥けくて棚田に芽花白き穂になる
点ほどもなき生ひとつ南中の太陽に白き日傘をひらく
蔦もみじ叩き落してかけ抜ける丹後のしぐれ白き雨脚
一病を許容(ゆる)して齢重ねんか むかし乙女に花ふりしきる

 「木の章」から。ここでも「点ほどもなき生」と言い「一病を」持つと言いながら、確かな自己を持つ人物の強さが感じられる。「石橋を」の一首は「橋」の一連に収められている。「土橋」「虹の橋」「野の川の橋」、丸太二本の「溝川の橋 人帰り来よ」と続いてこの一首があるが、石垣りんの「崖」を思わせる。あるいは、平和教育に携わった頃の思いも込められているのかもしれない。

新しく眼鏡変えたる朝の目に馬酔木音なき花の鈴ふる
勝鬨のごとく新芽を吹き上げるメタセコイアの円錐の鉾
くたくたになった嚢に詰めているこの身と一緒に滅ぶ思い出
晩秋の短か日溜る土壁にかまきり末期の姿勢崩さず
メロン一切添えて静かな夕餉なり伴に老いゆく余光のような
いずくにかヒトゲノム読み解かれいて関りのなき私の今日

 「土の章」より。「くたくたに」「晩秋」「メロン一切」などは晩年を迎えた自身の思いが込められているとも読めよう。しかしその一方で「新しい眼鏡」や「勝鬨の」の歌にはまさに新たな生に向かう意思が感じられる。「ヒトゲノム」の一首にも新しいものに関心をもつ著者の姿が感じられる。決して騒々しくはない静かな生活と静かな意思とが感じられる歌集である。

幸せの向こう側
竹永ため子歌集『催花雨』

書評 彩音 まさき

催花雨

『催花雨』という美しいネーミングの歌集は、花の歌に始まり、花の歌に終わる。

金色の蘇鉄の雄花直ぐ立ちてそこより夏は加速の兆し
こぼれ種子に咲きたる庭の鶏頭の夕べ余熱のごとき紅
新聞を取りに出ずればそこはかと動く香のあり沈丁花咲く
届きたる薔薇の香りは部屋に満ち古希となる身をじいんと励ます
催花雨に促され庭の沈丁花・木蓮・馬酔木打ち揃いたり

 タイトルに即して、花の歌が多い。ユッカラン、姫沙羅、トレニアなど多種多彩 。でも、華やかな装丁に比して意外なほど(ゴメンナサイ)実直に日々の情景が描写 されている。

庭畑に韮の一列残しある宿舎に転居の荷を解きたり
廃坑の島訪ぬればどの道も行き止まりなり山を越しえず
見下ろせば岩の山脈果てしなし此処は地球の背骨か知れず
手のひらに乗りて餌を食む栗鼠のため囲いの中に木となりていつ
夫と吾が朝夕見ている一ところ苦瓜いくつ濃みどりを垂る

 作者は、植物だけでなく、人にも動物にも惜しみなく愛情を注ぐ人らしい。幸せそうだ。子や孫に恵まれ、夫と共に国内外の旅に出る。これだけでも幸福の要素は十分。だが、幸せのこちら側にいるように見える人が、そう感じているとは限らない。作者は、幸せを感じながらも、漠とした不安を覚え、幸せの向こう側を見るレンズを手にしていたのではなかろうか。機微のある歌や瑞々しい歌もあるが、小暗い歌に目が留まった。

寝静まる夜半の階段下りて来る猫の足音の意外に重し
数々の童話の館めぐり来てディズニーランドに鬱ふり落とす
幼らの去りたる庭に鯉幟下ろせばそこより昏みはじめぬ
椎の実を掌にころばせば姉達と拾いし遠き背戸の風立つ
張り替えし障子の部屋に眠りたり繭籠りせる蚕のように

 十歳の頃に母を亡くしたという一首から察するに、作者の人生は決して順風満帆ではなかったはず。手探りで築いた家族との絆。嫁との微妙な関係。齢を重ねてからの夫と自身の病。細やかな愛情の持ち主ゆえに心の振幅も大きいのだと思う。しかし、その揺れを歌にする術を作者は既に心得ている。丹念に掬いとられた一コマの発見や展開の新しさ。それは跋にある「自らの手で上り坂を作りつつある」ということに通 じる。
 歌集を読みこんでいくうちに、一面識もない女性の輪郭がくっきりとしてきた。きっと竹永さん自身、催花雨ならぬ 慈雨のような方なのだろう。

昼の間の太陽熱を貯えて夕べ自ら点る庭の灯
咲き満つる白木蓮にあたらしき齢をひとつ押し戴けり

硬質さと柔らかさと
藤原明美歌集『単身赴任』

書評 森本 平

単身赴任

 五百九十五首を収めた第三歌集だが、前歌集『街路樹』が一週間の中国旅行の歌を収めたものであり、この歌集も平成三年までの歌がまとめられている。つまり、それまでの作品の中から優れたものを集めるというまとめ方ではなく、意識的にひとつの作品として歌集を作り上げようとしている作者と言えよう。
 歌集名が『単身赴任』であり、長期に亘る教員生活を定年という形で幕を下ろすところで歌集は終わるが、いわゆる「職場詠」と呼ばれるような歌は思いの他少ない。

隣よりせめて明るくともさむか話し相手もなき夜更くれば
冷えしるきさ夜の小床に目ざめつつ父と魚釣る夢をさびしむ
われの名の書かれたる一枚の辞令持ち見知る人なき事務室にいる
校長われの顔みれば遽かに口つぐむ教師らと梅雨の雨の話す

 これらの歌にあるのは仕事を通じての喜びや悲しみではなく、単身赴任して家族と離れて暮らす寂しさであり、職場において感じずにはいられない他との孤絶感である。このような、人が真剣に生きていく限り何らかの形で感じることとなる孤独こそが、この歌集全体のテーマとなっていると言えよう。
 個々の歌に関しては、大きく二つの特徴、美点がある。

硝子戸をのぼる雨蛙の腹見つつ電話に不実を責められてゐる
理髪店の床に散りつつ僅かなるほとほと白きわれの髪の毛

 第一に、表現の簡潔さが挙げられる。過不足なく的確な対象のとらえ方は、読者に確かな手応えを与えるものである。

同期会に出でゆく妻の化粧する鏡の奥に雪は華やぐ
わが部屋に迷ひ入り死せる蝶ひとつ窓開けて朝の風に乗せやる

 第二に、良質にして押しつけがましさのない感傷性がある。けれんのなく品の良いセンチメンタリズムが、いわゆる詩性として自然に読者の心に染み入ってくる。
 こうした特徴と歌集のテーマと合わせて、作者の本質は、本人には怒られそうだが、はにかみがちのロマンチストなどではないかという気がする。硬質さと柔らかさを併せ持った一冊として、じっくり付き合うに足る魅力を持った歌集と言えよう。最後に、これまで述べたことを体現するとともに、作者の今後を期待させる巻末の歌を挙げておく。

退任式を終へて校門を出づるとき霞みて遠き瀬戸の島見ゆ

四十五年のあゆみ
守山ふみか歌集『心の灯』

書評 吉野 亜矢

心の灯

 著者は一九二二年甲府市生まれ。歌集発行当時(二〇〇五年)八十三歳である。一九六〇年にアララギに入会して以来、四十五年間歌を詠み続けてきたという。本書は一九九九年から二〇〇五年にかけて発表した作品を編年体でまとめた第三歌集であり、収録されている歌数は八五三首に上る。通 常の歌集の二、三倍にはなろう。
 これだけのボリュームを持つことになった理由はあとがきに記されている。「…このひそかな歩みの終わる日の近いことを思い、しめくくりの時を持たねばならないと一人、心に定めました。…」

あたたかき師走の日ざし背に受けて夫亡き部屋の障子張りをり
言い残したき事のあらばと帰省せし子はわが声を録音し始む
「下駄を扱ふ家に嫁いだのですね」と声かけくだされき文明先生は
一人住むわれを交替に訪いくるる当番表を作らむと汝ら言ひ来ぬ

 歌からは、先立った夫への思い、立派に独立した二人の子どもへのまばゆさと寂しさの混じった眼差し、歌の師への思い、生徒への思い、信仰、知への止み難い憧憬、孤独の思いが、固有名詞を伴って見えてくる。交替に安否確認に訪れると申し出る「汝ら」は、前後の歌から著者の教え子であることが分かる。次の歌にも、同じ教師としての共感、畏怖が息づいていよう。

殉職教師の中に見る親泊(おやどまり) 千代子の名いしぶみの前に我は立ちつくす

収録されている歌の多くは、おそらく著者の知人が読めば、即座に顔や場面 が浮かぶであろう。その中で、次のような歌は必ずしも著者との関係の濃密さを前提とせず、歌集に広がりを持たせているように思われる。

夥しき鮫(さめ)の荷揚げを我は見つホールスハーバーの岸壁に立ちて
採り残されし南瓜に夕陽当りゐてそこだけが少しあたたかく見ゆ
何鳥の卵ならむか黄の色にひかれるを拾ふ朝の舗道に

 歌集として研ぎ澄ますことを主眼に置けば、類想の歌を選りすぐってもよかったと思うが、一方で、拾い尽くされることで見えてくる細やかな生活史やこだわりがあることも事実である。師、宮地伸一氏による「序歌」八首が巻頭を飾る。心根で詠われた歌を心根で読む、そういう歌集であろう。

風速五メートルの臨場感
杉田一成歌集『樹冠』

書評 岩井 謙一

樹冠

 『樹冠』は杉田一成の第一歌集である。作者は、林業改良普及指導員として森林の保護・育成にその生涯を捧げてきた。

風速の五メートル以上を気にしおり空中散布の薄明の朝

 右の歌は松林に殺虫剤をヘリコプターで空中散布する場面を詠んでいる。空中散布は風により強く影響を受ける。風速五メートルが正確に散布する限界なのであろう。そのような現場の臨場感が、『樹冠』の魅力と言える。

アカマツの樹高を測れば粉雪の舞い初むるなり県有林に
庭田山の除伐(じょばつ)の検査も終わりいて下れるときに膝は震えぬ
天然のスギの調査に登り来ぬ朝靄(あさもや)かかる鬼の目山に

 右の三首も職場の歌である。一首目、林に立つ樹の高さを測り、その生育を記録する人々が存在すること自体が新鮮である。二首目、庭田山という固有名詞、除伐という聞きなれない作業、そして作者の仕事は「除伐の検査」なのである。しかもその仕事は「膝は震え」るほど過酷なのである。一首目も雪降る中の作業であり、決して楽な仕事ではないことが伝わってくる。しかし作者は、職場の臨場感を醸し出しながら、その過酷さをことさら表現しない。三首目も鬼の目山の杉の調査のために登山している場面 である。朝靄とあるから、出立は早朝なのであろう。しかし作者である杉田一成は、そのような苦労に触れず、仕事の臨場感のみを強く表現するのである。

隣室ゆ「ひえつき節」の聞こえくるサックスフォーンの哀しさの渦を
タイマーの切るる時まで風送る扇風機ひとつに親しみ覚ゆ
こおろぎが畳の上に飛び来たり「お前もさびしいか」秋の夜長は

 右の三首は厳しい環境での仕事の合間の休息を詠んでいる。ひえつき節をサクソフォーンの哀愁に満ちた音色に聞く、なんでもない扇風機の機能に愛情を覚える、こおろぎに自らの孤独を見る、どれも現場の臨場感が生み出した切なさである。

チェンソーはうなりをたてて杉材の青き匂いを粉と飛ばせり
間伐の木は倒されて暗かりし杉の林にひかりさしいる
濃緑に春には息吹きふき返す杉の樹冠は黒黒として

 右の三首も五官に訴える臨場感を強く感じる。作者は自らを表現するよりも、樹を前面 に歌い上げる。そのことは人間は樹、林、森の命によって支えられているという作者の信念に基づくものであろう。

どんぐりの落ちいる音のさやけさにひとつの命を聞きたり森の

 現代人はどんぐりひとつの価値をようやく分かり始めた。地球が温暖化によって壊れ始めている今、それを阻止しようとする作者のような存在にようやく気づき始めたのである。

妹を悼み、祈る歌
日刈琢史歌集『星の妹』

書評 澤村 斉美

星の妹

 「人逝かば天に還ると聞き夜ごと空を探しぬ星の妹」の一首が扉の前にかかげられる。前書によれば、作者の妹さんは病のために五十八歳で亡くなったという。その妹を悼んで歌われた昭和五十三年から五十八年までの作品と随筆二編を収める。
 歌集の部分は「一章〈生前〉」と「二章〈その後〉」で構成され、妹の手術から始まり、十五回忌を行うところで終わる。特にことわり書きはないが、概ね時間の流れに沿った構成として私は読んだ。以下は推測なのだが、収録歌制作時期が昭和五十三年から五十八年までということは、最新の歌が昭和五十八年ということになる。最新の歌の時点で十五回忌ということは、制作時期の六年間に妹さんはすでにいないということになる。作者は回想のなかで、妹の死の前後の記憶を呼び起こしつつ歌われたのだろうか。そのかなしみの深さが推し量 られ、また、妹のことを忘れまいとする祈りにも似た歌の在り方が、この歌集の姿勢として明確に伝わってくる。

寝たきりになるやもしれぬ妹の夜半に飲む水枕辺に置く
妹の病手術の外なしと医師に言われて承諾書を書く
妹の手術の刻の長くしてデジタル時計の文字又変わる
やや右に傾きながら歩き行く母の遺伝子妹が受け継ぐ
花の咲く辺りに来れば引き返す足痛む妹の試歩の散歩路

 妹の入院、手術、リハビリに寄り添い、妹の姿をつぶさに描く。中でも次の歌、

病院の監視カメラに写されて妹が見て居る爪の三日月
車椅子磨いて呉れと妹が我に頼みぬ明日は正月
カレンダーに日毎の予定書き記し妹の見舞は赤き線引く

は、「病院の監視カメラ」や、「車椅子を磨いて」くれと頼む妹、カレンダーに赤い線を引く作者の姿など、具体的なものが生きていて心にのこる。亡くなってからの、「治らぬ と言いつつすえし灸の跡数多残して妹は逝く」「松葉杖つきたる夢の妹は足の骨折癒えぬ まま逝く」などもやはり具体が生きる。
 一方で、不思議に思うこともある。なぜ作者は昭和五十三年から五十八年の間に、妹さんのことを回想し、歌として書き留めたのだろうか。そして、平成十八年にこの歌集を第二歌集として発行するに至った作者の心の動きや、身辺の変化、歌わずにはいられない作者の現在を、ぜひとも歌で読みたいと思った。
 もう一つ印象に残ったのは、たびたび登場する妹の闘病記である。「今は早や遺品となりし妹の日記辿りて忌日修せり」「妹が残して逝きし日記帳手垢も親し折々に読む」「妹が書いて残せし闘病記いまは色あせ十年を過ぐ」「妹の闘病日記曝書して忌日修せり十五回忌を」など、作者は妹の闘病記を身近において生きてきたことが分かる。妹が懸命に生きながら書き残した言葉が、ひょっとしたら作者の歌の原動力なのかもしれない。

豊穣な世界
山野末子歌集『風船かずら』

書評 飯沼 鮎子

風船かずら

危うきは危うきままに咲くがよし亡きはは好みの風船かずら
秋夕べ風船かずら揺れ何歳(いくつ)になっても姑(はは)は追い越せません

 この歌集のタイトルは、作者の姑がこよなく愛した花、風船かずらからとったという。風船かずらの花は緑白色の小花、その繊細な薄みどりの葉や蔓を伸ばして、三稜のある小さな風船のような実を揺らしている。「危うきは危うきままに」は、風船かずらの危うさでもあり、作者の人生観を投影しているようでもある。

ユーカリの匂う夜なり若鶏の卵を食べて罪深きこと
かたくりの花さわさわと吹かれいて空想の中の美しき老
隠れん坊の鬼も捕虜(とりこ)も帰りゆきキツネノテブクロ夕べを高し
梧桐(ごとう)の角曲がれば変わる風景の下り坂なれば息子(こ)と同居する

 この歌集には、実に様々の植物が歌われている。掲出歌では、それらが主題として描写 されているのではなく、あくまでも背景として効果的な存在感を示している。
 若鶏の卵を食べながら、ふと感じる罪深さとユーカリの芳しい香り。二首目。風に吹かれるかたくりの花のささめきの中で、老いた自分を空想する。それが、現実とは異なる「美しき老」であることに気づきながら。三首目。隠れん坊の鬼や捕虜役の子どもたちが帰ったあとに、残されたように立っているキツネノテブクロ。このおかしみのある語感が効いて、郷愁をさそう風景である。四首目。大きな葉の茂る梧桐の角を曲がると、風景は変わって下り坂が現れる。曲がれば、なれば、の已然形がやや煩わしいが、眼前の風景から、自らの後半生を納得するかのような現実が引き出される。

これの世の別れの時は何としよう麒麟の涙見てしまいたり
受話器の向こういつも誰かが楽器弾き我が家にはない花が咲いている

 上句から突然「麒麟の涙」が現れる。途方もないようだが、ユーモラスで哀愁のある麒麟の目だから良いのだろう。動物の歌は、どれもそれぞれの本質を捉えていて面 白い。二首目。電話は作者と誰かを繋いでいるのだが、その相手には作者に見えない家族や生活の背景がある。作者は、電話の向こうに様々なことを空想して楽しんでいる。
 植物、動物、人間にたいする愛情と好奇心の強さ。作者の生を肯定する包容力、忍耐力といったものが、嫁いできた平野郷という旧い土地や家と折り合いをつけながら、豊かな個の世界を育んできたことをこの歌集は物語っている。ここには現代人が忘れかけている豊穣な世界がある。

カメラアングルから視えてくる歌
植野綾子歌集『陶の火鉢』

書評 前川 登代子

陶の火鉢

 本書のあとがきには「美しい自然との一期一会の出会い、人との出会いに感動し、その感動をカメラに撮り、歌にしたい、と願いつづけております……」とある。実際に自身が写 されたカバー表紙は、水面の揺らぎを捉えてクリスタルガラスのアートのようであり、抽象画のようにも見える。また裏表紙の夕日の中の五頭の鹿のシルエット。絶妙な切り取り方と、構図の配分。いずれも写 真ではあるが歌にも通じる鋭い視点を感じさせるものである。反対に次に挙げる作品は歌ではあるが一枚の写 真としてもイメージ出来るものとなっている。

光(かげ)放つ月夜茸とも夕暮れの遠景ビルに明かりの点る
照る海に向きてそれぞれかたむけり浜の畑の葱坊主ども

 青白く光る月夜茸、と妖しく喩えられた遠景のビルは、夕暮れの感傷を誘うシンボルのようであり、海のきらめきに牽かれるように傾いた葱坊主はその線の面 白さが決め手となっている。

沈みゆく夕日を撮りしわが写真水平線のおほきく傾ぐ
左より右より撮りぬ藪かげにすこしほほゑむ野仏のかほ

 また撮影の折の歌では、一首目「おほきく傾ぐ」とダイナミックに詠って臨場感を出し、水平線の傾きと夕日によって構図の面 白さを示している。二首目は「左より右より」という丁寧な動きを描写 によって、野仏の微笑みを写し撮ろうとする一心さに、敬虔な思いを汲むことが出来る。
 若くしてご主人を亡くされた作者ではあるが、この一冊にはご主人を慕わしく思われる作品はあっても、暗い作品は見当たらない。むしろ読む者の頬を緩ませるユーモアが垣間見える。

電車のドア開けば出て来(く)ころころころ、ころころころと保育園児ら
傘さして茅葺民家を見て歩くガイド止まればわれらも止まり

 保育園児はただ「ころころ」という擬音のみで表現されているにも拘らず、人数の多さや賑やかなお喋りまで聞こえてくるようである。二首目の歌も「ガイド止まればわれらも止まり」と、独自のウィットに富んだ視点がおよそ観光旅行らしくない、観光旅行の一面 をしっかり押さえた歌となった。

何を急きわが縫ふ黒き喪の服や満月の夜は近づきにけり
生き残る老女ずらりと並びたり父の忌日の春の座敷に

 作者はまたこのような不思議で、それゆえ魅力ある歌も詠まれている。近づく満月の夜とその夜に纏う訳でもないのに、心急いて縫う喪服。父の法要の座敷に並んだのは、単なる老女ではなく「生き残る老女」だという認識。「満月の夜」や「生き残る老女」の謂れなき無意味さが、この歌を現実から少し浮遊させ、読む者に自由で尽きる事の無い想像を与えてくれる。
 植野さんがこれから出会う多くの感動の場面を思う時、カメラのアングルは歌に通 じ、歌のモチーフは写真に反映するだろう。今後も互いに良い影響を与え合っていくに違いない。

凝視力というもの
梶原さい子歌集『ざらめ』

書評 藤田 千鶴

ざらめ

 『ざらめ』を読み始めて、すぐに感じたのは漢語の多さである。漢語を歌に入れるとき、その短い言葉の持つ重さや温度に凭れてしまいがちだが、彼女の歌はそういう危惧など感じさせない。はじめからすぱっと決まっていたかのような収まり方だ。
 たとえば次のような歌がある。

春の夜も皿の配列変はらずに棚にありたり星は巡るも
緩慢に歪める渦を巻きながら春の底(そこひ)へ磨ぎ汁はゆく
千枚の硝子一度に震へたり学校とふははるけき伝播
答案を束ぬるゴムの弾性にかすかに打たる冬の教室

 「配列」「緩慢」「伝播」「弾性」といった、感情から離れた言葉が選ばれていて、冷静でいながら的確に読者に伝えるべきことを伝えている。星は巡り、季節は進み、刻々と何かが生れている春の夜も棚には皿が納められている。「配列」という言葉を使ったことによって、整然とした、年中変わることのない、なにも生れる余地のない棚の内側の世界を思わせるのだ。二首目の初句に置いた「緩慢」。この言葉の持つ意味とは別 のどこか一点へ向かうような厳しさを孕んでいる。春の底へ吸い込まれていく磨ぎ汁の抗いようのなさを、ひとときの「緩慢」がいっそう引き出している。三首目の「伝播」。伝わるものは震えだけではないはずだ。一瞬にして学校じゅうに広がるものを千枚の硝子を使って目に見える形で表現されている。「伝播」を結句に持ってくる言い切った形がスピード感、緊張感を高めている。四首目の「弾性」。ぱちん、というゴムの音が冬の教室を打った。それを音といわずに「弾性に打たる」と捉えた。音が打つのではなく「弾性」が打つのだ。本質を見据えて歌にしている。こういった言葉の選びは彼女の持つ凝視力とでも呼ぶべきものの力からくるのだろう。
 目の前のものが内包している時間、これからのち起こるであろう変容、そういったすべてを受け入れる心の核の豊かさ、鋭さを歌の中に見て、私は何度も立ち止まった。

この壜が熱の塊なりし日を遠くの雨を聴きつつ思ふ
甕内(ぬち)を水にて濯ぐその水を流せばどつと闇剥離せり
遠からず狂ふ時計をはめながら春の川端を歩きてをり
牡蠣啜る啜りしのちの真つ白な不在にそつと立つてゐるのだ

 壜が熱の塊だった日のこと、甕の内側にあった闇、そのうちに狂うだろう時計。過ぎていく時間を惜しむわけではない。変わっていくものに抗わない。しかし、受容しながらどうしようもないある悲しみのようなものがそこにはある。それでも目をそらすことなく視て、ひとりで歩いていこうする姿に心打たれる。今後期待する歌人のひとりだ。

晩年十五年の歌作の集大成
田中栄歌集『海峡の光』

書評 大島 史洋

海峡の光

 『海峡の光』は平成三年からの歌を収録した遺歌集である。最初のほうに「悼中島栄一氏」という五首があり、中の一首に、

土屋先生に対いて言いたきことを言う君を羨(とも)しとわれは見たりき

 という歌が見られる。そして、その少しあとに「比企の丘」という五首がくる。二首だけあげれば、

遠くきて師のみ墓の草引きおれば霧のなかくる時鳥の声
師のみ墓立ちゆくかすかの霧ありてやがて交(まじ)わる山の間の霧

 こういう歌で、大阪に住む田中栄さんが埼玉県の比企郡にある土屋文明の墓を訪れた折の作である。ここにも田中さんの文明を思う気持ちがよく出ている。
 さらに読み進んでゆくと、「高安先生を思う」と題された五首が出てくる。こちらはこんな歌である。

燻し銀の京の町屋根を愛(め)でましき癌病むと知らず臥す病室(へや)の中
鼻梁冴ゆるみ顔にて炉に入る先生に対いき戦く中島栄一と

 ここにも中島栄一が出てくる。中島も関西地方に住んでいたから、田中さんとは親しかったのだろう。高安国世が亡くなったのは昭和五十九年(一九八四)である。田中さんのこの歌はそれから十年くらい後に作られている。中島栄一の死に触発された部分と、田中さん自身が高安国世の没年と同じ年齢に達したという感慨、この二つが歌の発想の背後にあったのではないかと私は想像している。田中さんの出発は昭和十八年の「アララギ」入会であり、昭和二十九年には「塔」の創刊に加わっている。三十一歳のときだった。そして、高安の死後は「塔」の選者の一人となり、以後、平成十七年に八十二歳で亡くなるまで「塔」の主要メンバーとして重要な役割を果 たしてきた。
 田中さんには紀の川をうたった歌が多い。「出会い」という章には長い詞書が付いていて、最初はこんなふうになっている。

「昭和23年朝日歌壇が復活して選者は斎藤茂吉であった。早速応募して紀の川の歌が一首採られた。(略)それから50年余、紀の川を歌い続けている。(略)」。

 昭和二十三年当時の朝日歌壇を見ると清水房雄、松井芒人、安良岡康作、山本成雄、黒江太郎といった名前が出てきてびっくりする。その中に田中栄の名前もあった。歌は、「水上はつねしぐれつつ流れくる紀の川を低き冬日照らせり」という一首である。以下に、晩年の田中さんの紀の川の歌を二首引く。

紀の川の底ひにしずまる石(いわ)いくつわが覗きおり犬のごとくに
紀の川のデルタに群るるユリカモメみな風に向く病む一つなく

 このとき田中さんは癌を病んでいたから、「病む一つなく」に悲しい気持ちが込められている。

ぶぶ、ぶ厚い
佐佐木幸綱
伊藤一彦
奥田亡羊歌集『シリーズ牧水賞の歌人たちvol.2 佐佐木幸綱』

書評 斉藤 斎藤

シリーズ牧水賞の歌人たちvol.2 佐佐木幸綱

 『シリーズ牧水賞の歌人たちVol.2 佐佐木幸綱』は、三〇〇首選や自歌自注はもちろん、評論、インタビューや対談、歌人や俳人、評論家などによる佐佐木幸綱論やエッセイ、書簡集、アルバム、などなど盛り沢山のオール・アバウト・佐佐木幸綱である。歌人・佐佐木幸綱だけでなく、ファンや研究者なら誰でも知りたく思う人間・佐佐木幸綱の横顔についても、大盤振る舞いと言っていいほどのサービス精神で教えてくれる。
 たとえば、「佐佐木幸綱に30の質問」というコーナーがある。「これまでに読んだ好きな漫画は?」との質問に「うすた京介『ぴゅーと吹く!ジャガー』」と答えたりして楽しいのだが、その21問目「恋人にするとしたらどんな女性がいいですか?たとえば女優でいうと?」の答えは「大地真央。恋人は派手な方がいい」である。大地真央。正解だと思う。この答えに『天馬』の、

年齢とともに澄みきし何もなく美人の腋ゆ山河見て居り

 を連想したりした。この「美人」が大地真央だったら、という想像もまた楽しい。
 しかし、そのような無責任な想像の後でも、一首のイメージは微動だにせず屹立していることに気づく。わたしはどちらかというと、歌人の個人的な情報をあまり知ってしまうと歌の読みがそれに引きずられてしまう悪い癖の持ち主なのだけれど、佐佐木幸綱の場合は違うことに気づく。人間・佐佐木幸綱についての知識の増加が、佐佐木幸綱の歌の読みを、限定することなく肥らせる。人として、歌人として、ぶ厚い、と思う。
 このぶ厚さはどこから来るのだろう。もちろん、資質ということはあるだろう。どうもそれだけでもなさそうである。寺山修司との対談において幸綱は、結社という場で作歌をつづけることの意味について、次のように述べている。

 もう一つは、(略)かなり辛辣な反響というものがあって、つねに自分なら自分、一人の歌なら歌の指向が、いまいった、どうしようもない、反芸術、反文芸的な、もっといっちゃえば、日曜画家的なものにつねにはね返されている。その波紋がつねにそういう人たちに監視されているという、自分の錘をそういうところにおろそうという気はあるみたいですね。

 佐佐木幸綱の清濁併せ呑むぶ厚さは、反芸術的な波紋のなかに自らの錘をおろしつづけてきた歌人・人間・佐佐木幸綱の、まるごとの歩みに裏付けられているのだろう。

草次郎がよく啼く日なり
八汐阿津子歌集『草次郎』

書評 青木 昭子

草次郎

 八汐阿津子の『草次郎』は第一歌集ながら天晴である。九州は鹿児島に、このような実力派歌人が存在するのは嬉しくて頼もしい。個性的題名の『草次郎』とはヒバリの呼称で、八汐が愛してやまぬ 草や鳥や虫等の代表であるという。よってそれらは歌集のパート1の巻頭に遇されている。

のどかには決して啼かぬと知るもののなくば口惜しからむよ雲雀
草次郎がよく啼く日なりステージは玉葱畑の上の青ぞら

 とにかく雲雀への親和は半端ではない。「その喉(のみど)痛くはなきか渇かぬ か揚がるには少し陽が強すぎる」とも案じ、この様な視点で詠まれた雲雀をかつて知らない。人間側の勝手な主観であの小さな生きものは、ただに命を歓びのどかに啼いていると決めているが、作者にこう云われると雲雀の存在感が、あなどれない重さとなって増してくる。二首目はこれぞヒバリの歌、と思わせる舞台装置で啼く草次郎は、はればれしく素敵である。代表歌と云ってもいい風格もある。このパート1には

紅萩を抱きてねむる大カマキリ母ざかりと思ふその腕
九十の母に手折るは水引草墓の父には野紺菊の束
雪催い飯がこげた 山頭火名句集にもつまらぬ句あり
芽吹かむと浮き立つものをたしなめて二月末日朝の淡雪

などの作もあり、歌歴に培われた骨格たしかなどの歌も申し分ない。ことに三首目は茂吉同様、山頭火にも駄 作とおぼしき句がぞろぞろあると大いに共感を覚えるのである。
 こうして各々のパートには工夫と見せ場があり、八汐ワールドの多彩 な展開が愉しくて魅力的だ。例えば仕事の歌の

わが声は眠りを誘ふよき声か講義の間に四人眠らす

といった皮肉を茶化す大らかさが愉快で、しかも仕事の他の歌には八汐の人柄も滲み、どの一首も掲げたい歌ばかりである。
 だがしかし、何といっても巻末辺りの病の作品群は、集の錘りを成して重厚かつ心に深く沁みる。

産みし日はああはるかなり担送車の両側に護衛のごとき息子ら
乳房の術前術後予後のことこれしきのことこれしきのこと
紅さして谷に微笑む合歓の木を五ねん生抜きて抱きしめに行かう
老人になる日があると信じゐき乳房きるまで二年前まで

 家族に守られている幸せの、とりわけ「護衛のごとき息子ら」には泣けてくる。また「形よく残りし乳よとのぞきつつ夫が泣きさうな表情になる」も印象深い。更に「これしきのこと」と自らに云いきかす健気さや、五ねん、次の五ねんにエールを送らずにはいられない。そして五首目にはハッとした。そうか、老人になるのはいかにこよなく有難いものか、教えられたのだ。

過剰の迫力
小松道子歌集『ちぐはぐなぶらんこ』

書評 鶴田 伊津

ちぐはぐなぶらんこ

 『ちぐはぐなぶらんこ』は手強い歌集である。安易な共感を求めない。多岐にわたる題材と、作者の醒めた視線が行間に感じられるせいか。私が惹かれたのは、生命に対するまなざしがフラットな歌である。

憂きことの肩代はりを犬につぶやくも犬は黙せり耳動かざり
雑木林の雪はぽくぽく根元から凹み始むる木々は温か
ひらひらと散り積む花の下(もと)透きて小さな虫達小さき息せり
あけび棚の小さな花房這ふ虫の触角はづむほんのひととき
鎖つきの散歩の犬もそれなりに楽しさあるらし野良と吠えあふ

 どの場面でも、作者の目は生命のしたたかさを発見している。一首目の「犬は黙せり耳動かざり」のたたみかけにはかなしい場面 ながら、ユーモアが漂う。二首目は「ぽくぽく」というオノマトペが「木々は温か」を導き出す言葉として効いている。雪が溶ける、ではなく、凹み始むるといったところに機知がある。三首目四首目、虫達のひそやかな営みを息を潜めて見守っている作者の目がいい。歌の中で時間が動いている。わずかな時間を捉えた瞬間が一首の核になっている。五首目。犬の生態をこんな風にうたったものには初めて出会った。
 また、この歌集で印象的なのは、娘さんをうたったものである。河野裕子氏の序文や作者自身によるあとがきを読むと、三人のお嬢さんがいることがわかるのだが、これが一筋縄ではいかない。

要領の悪い娘よ東京はどんな所か柿の木あるか
目覚むれば次女の顔あり人容れぬ性(さが)の強さよ眉と鼻すぢ
育て方悪しなど言ひて出でし娘よ黙つて聞きをり覆水の性(さが)
もくもくと枇杷を食む子は種並べ数ふるでもなし 次の枇杷剥く
小さな砂丘の風紋変はり出できたるぼろ靴も靴 この娘も我が子

 母子関係というのは、さまざまな時期がある。父と娘よりも同性である分、葛藤が多い。どの歌にもシンプルに娘を心配する母親の心情が出ている。一首目などは「柿の木あるか」のぶっきらぼうな言い方を柿の木のあたたかみが支えている。そして、大人になった娘を対等な関係として、突き放そうとしながらも、突き放しきれないかなしみがある。一度親になるとこんなにきりなく心配するものだとは、自分が親になって初めて知った。対象への感情が過剰になればなるほど、食い違っていってしまうこと。この一冊を貫くものも、そのようなおさまりどころのない、過剰さではないか。五七五七七の定型におさめながらも、おさまりきらない作者の肉声。その迫力が言葉に確かな存在感を与え、一冊に力を与えている。

クールな静けさの中で
西山雅子歌集『花萌え』

書評 村山 美恵子

花萌え

 歌集『花萌え』は、「好日」に所属する西山雅子氏の、昭和五十一年以来の作品の、歴年群三部で構成されている。

海の面はたちまち空の雲映し鉛に変えて驟雨きたりぬ

 巻頭二首目。驟雨の到来を空の変化ではなく、海面に映る雲の色の変化から捉えた表現に、したたかさを感じ、本集を読む期待を抱かされた。そして、期待通 りに佳作が並ぶ。

紅つつじ燃ゆるが如く咲き満てり人みな赤く染められてゆく
母さんは無能と娘に吐かしめて肯ないつつも涙出でくる
風もなく陽も暖かい冬の日をサラダ菜キク菜早く伸びなさい
疲れたと口には出さず夜ふけて薬の瓶のふたまわす夫

 一首目、「燃ゆるが如く」で躑躅の深紅をイメージさせておき、「染められてゆく」と、時間的経過を示すことで、人間が布のようにじわりと染色されるような錯覚を持たされる。そこで、恋川春町の黄表紙『無益委記(むだいき)』の、浅黄に染められる鼠を連想し、楽しくなってくる。
 二首目、三首目、の下句には意志の確かさが窺える。神谷佳子氏の「跋」の表題、「静かに聴く人」の「静か」は、単に物静かということではなく、感情を露にしない意味とみえる。この慎ましい意志はある日、「かすかにも自信湧きたる夏の午後積乱雲の空をしめゆく」と積乱雲のような際やかさを伴う。
 三首目は口語も生きている。
 四首目、夫の健康状態を気にしながらも、声はかけない妻。他に「神よりも人を信ずる夕つ方足どり軽く夫の帰り来」もあり、多くを語らないままに信頼しあう夫婦像が浮かび、これらからも「跋」の「静かに聴く人」の姿が鮮明となる。

頭半分違う世界にあるごとく違和感のあり耳病みてより

 耳を病む状態の具体性がないにも拘わらず、納得させられてしまう表現の妙がある。

今日からは父ではなくて亡父となる呼吸せぬ顔の白布を除く
胎児の横位なるらしと娘の言えば「横着」の語にわかに浮かぶ

 最も悲しい肉親との別れを、一首目のように分析する作者の理性、孫の誕生という手放しの喜びを横に置いての二首目の機知が、作品を屹立させている。
 3章では、この胎児の誕生から五歳迄を詠み、「あとがき」には、成長を期待しての歌集題であることが記されている。
 五歳児の線描装丁は、生命の息吹を見せているが、上梓の目的である孫に関する歌は、本集にどう作用するだろうか。

荒あらと身体かけていどみくる男の子の力五歳の力ぞ

亀の時間、梅の時間
永田和宏歌集『百万遍界隈(2刷)』

書評 広坂 早苗

百万遍界隈(2刷)

 『百万遍界隈』は永田和宏の第九歌集で、五十代半ばの三年間の作品を収めたものである。第八歌集『風位 』と制作時期が重なるということだが、作者自身もあとがきで述べているように、この二歌集の読後感は大分違う。『風位 』の中で私の印象に残っているのは、たとえば〈非はわれにあれどもわれに譲れざる立場はありてまず水を飲む〉〈このあたりが最後のはなやぎならんかとすこしゆっくり壇を降りたり〉というような、研究者として屹立する作者の姿であったのだが、『百万遍界隈』では、より私的な、そして孤独で内向きな作者の姿が描かれる。『風位 』の世界で堪えていたものを、そっと吐き出すような息づかいを感じると言ったらよいだろうか。

風に瞑目 亀に倣いて目つむればひかりは零(ふ)れる心底ひとり
白梅の花わずかなりもういいよそれでいいよと花は言うなり
いつだってにんげんに戻れるという顔で電柱の端(はし)に烏(からす)はいたり
柿紅葉(もみぢ)のひと葉ひと葉に陽は射して後半生とうことばやさしも

 身近な動植物を題材にした歌が目に付く。亀も白梅も烏も柿の葉も、みな身近に存在するものであるが、時に己を見失うほど多忙な毎日を送る作者とは、全く別 の時間の流れを生きている。狭小な人間の時間を超えた自然の営み。その中にある梅の時間、柿の時間。異なる時間の流れに向き合い、亀の目、烏の視点で自らを振り返るとき、慌ただしい日常は相対化され、疲れた心は慰めを得るのではないだろうか。孤独感の滲む歌々に、読み手の心も慰撫される。

母を知らぬわれに母無き五十年湖(うみ)に降る雪ふりながら消ゆ
もう二度とあの夏はない丸眼鏡の息子を連れし熊蝉の夏
いずこにも美しき団欒とうがあるごとく雪に没して灯ともせる家

 さびしくよるべない母恋の歌、幼い息子と過した日々を愛惜する歌、幻想かもしれぬ 家族団欒をいとおしむ歌。美しすぎるのかもしれないが、しみじみとした情感を湛えたこんな作品も、心に残る。そしてやはり、どの歌集でも読んで面 白いのは、妻・河野裕子を詠った歌である。

奪衣婆(だつえば)のごとく寝間着を剥ぎゆきて妻元気なり日曜の朝
俺の辞書を折って使うな、どの辞書も妻の折りたる跡ばかりなり
竹に降る竹の葉に降る雪の音(おと)のはかなきを言えり術後の人は

 ユーモラスで生き生きとした描写は、しかし河野の罹病により翳りを帯びる。歌集全体にも影響を及ぼした出来事だったのではないかと、この文章を書きながら改めて思った次第である。